第10話 ディオニュソス物語:後編
「まったく、人の話は最後まで話聞きなよね~! まあいっか、このネタは初体験が一番トぶからさ、思いっきり楽しんじゃって~!」
なんて下品な言葉が聞こえてたけど、誰に向けて言ってるかなんてもはやわからなかった。
そして――長年渇望したそれは、想像を絶する体験だった。素面で最後に見た時計の短針は確か、5時をさしていた。
17:40 元々平らだったはずの壁や床がグニャグニャと動き始めた。そのせいで僕はジッとしていられず何度もバランスを崩しては、今日知りあったお兄さん達に笑われた。
17:44 鏡を見せられた。瞳孔が瞳の幅ぐらい広がっていた。僕はそれが何故だか凄くおかしくって、延々と鏡を見て笑っていた。皆もそれを見て笑ってた。
18:52 いい加減鏡を見ている事にも飽きてきて、ふと部屋に視線を戻したら――いつの間にか、部屋が遊園地になっていた。あれ? さっきまで部屋にいたんじゃなかったっけ? 部屋って僕の部屋……いや、あれ?
57:91 もう57時か……っていやいやいや! なんだよそれ意味わかんないから!
19:02 目に映るもの全てが光り輝いて見え、全てのものが僕に向かって笑顔を振りまいてくれる。僕の向かいの掛け時計なんて、「君に時刻を伝える事が出来て、私は幸せなんですよ~!」なんて言ってくれて、微笑んでくれている。なにこれ最高。
20:00 胸がなんだか熱くてザワザワする。幸せな気分に押しつぶされそうだなんて、なんて変な感覚なんだ。僕は思わず胸のあたりをギュッと掴んだ。その時の痛みで、僕は脳が痛覚に知らせる指令をハッキリと体感した。痛みを感じるということはこんな仕組みだったのか! 感動を覚える。
20:42 いつのまにか、結構な量の汗をかいていた。主に顔、頭から。僕がその汗を拭おうと額に手をやると――――――手が顔にニュルっと溶け込み同化した。
「う、うわあああ!」
驚きのあまり声をあげてしまう。多分あげていた。僕はあげたつもりだ。
気持ちを落ち着かせて、改めて意識を額辺りに向けたときには、もはやどこまでが手なのか境目がわからない状態になってしまっていた。そのままズブズブと同化し続け、よくわからない塊のような姿になる僕。
そのへんで、時間と出来事を気にする事をやめた――――――。
どこまでが自分かがわからなくなってしまった。顔を拭おうとしたのは僕だと思っていたけどその意識は本当に僕から生まれた意識なのか? 僕の意識は一体誰のものなのか? 目の前のお兄さん達は僕の一部では無いと言いきれるのか? ……ワケがわからなくなってきた。
時間が経つに連れてどんどん下の階に下りていって、とても寂しい気分になった。
自分で言っといて、下の階って一体なんだ? 階段みたいな感覚? よくわからないけど、酷く寂しい。
――――どれくらい時間が経っただろう。僕は身体だけで無く意識すらもほとんど無くして、視界にはただひたすらに宇宙、銀河が広がっていた。
その光景に何か意味を見出そうとするも、それすらも意味の無い事に思えてそのまま長い年月を過ごした。
これこそがシンプル、ミニマル――
――ジィィィン。
え、誰か出てきた! で、出てきた? それにしても見覚えがあるような無いような……
声をかけてようか。
「こんにちは」
「やぁ。僕の名前は、君らが言うところのB-01だよ。ところで、君のこの回想の話なんだけどさ、いい加減長いよ。本編に大して関係ある話でも無いんだしさ、僕は早く次のステージであの子とコンタクトを取りたいの。あんまり野暮だと僕がもっかい潰しちゃうよ? 君の脳みそ」
そう言ってその人手を僕の頭にかざして握り……
「スイマセン!! 程無く終わらせますんで勘弁してください!!!」
「頼むよ」
…………。
こうして僕は『
押し人本人が身をもって質のいい品と実証しているという所が評価されディオニュソスは買い手不足に悩まされるようなことは一度として無かった。
当然、普通のバイトでは到底考えられない額の報酬を受け取っていた。
そのほとんどを母親の為と自分の意識の変容の為に費やした。
後者の意識の変容に関しては次第に使用頻度も増え、家にいる時間は絶えずドラッグを使用するような状況に陥るまで時間はかからなかった。
ただ、ディオニュソスはいわゆるパーティドラッグのような使い方は一切しなかった。
ドラッグを服用し、自分の内面世界に潜り混む事にひたすら熱心になった。
「お父さんカマキリは、死ぬ時めっちゃくちゃに最高の気分なんだろうなぁ。
生きている中で子孫を残す事が最大の使命だと遺伝子にプログラミングされていて、それを達成するプロセスの最後の工程でお母さんカマキリに食べられちゃう。人生のクライマックスからエピローグまでの疾走感がとてつもない。今から食べられると悟った瞬間なんてもう、脳内麻薬が大洪水を起こすんだろうね。痛覚なんざ追いつく隙も与えないだろう。
……そんでもって頭を食べられても、交尾を続ける事が出来るんだよね。凄いよねその仕様。凄いけど……なんか寂しいな。うまい表現が出てこないけど、うん、寂しい。
でも、ごく一部のお父さんカマキリは交尾しといて食べられる事無く逃げ出すんだって~。僕はきっとそういうタイプかなぁ。出来心でズルして、へたにうまくいっちゃって。あーくだらない。くだらないくだらない! ……あはは」
時間感覚もなくなっている状態で、むき出しの自分の心が時間を含めたなにものにも否定されない空間を自分の部屋に作り日々を過ごした。
そんなこんなが日常を上書きして保存し続けるようになって数ヶ月後。
母親はディオニュソスの学生にしてはありえない金回りのよさと、毎日帰るなり部屋にこもりっきりなのを心配し、こんな質問をした。
「たっくん、バイトを頑張っている事は知っているけれども、それにしてもそんなにたくさんのお金……一体どんなバイトをしているの? まさか悪い事、してないわよね?」
いずれ聞かれる事を想定していたディオニュソスはさらりと言って返した。
「実は友達のお父さんが経営している会社の手伝いをしているんだ。家を出入りしていたら話す機会があって、とても気に入られて、それから。話してなかったね、ごめんね母さん。」
「そ、そうなの……。あなたは頭もいいし要領もいいものね。でもあまり無理しちゃだめよ、まだ子供なんだから」
「子供って母さん、僕もう高校生だよ? 心配いらないよ。これからは僕が母さんを楽させてあげるからね」
「ありがとう。フフ、母さん幸せだね」
母親の安心しきった笑顔を見て――ディオニュソスは思った。
今まで正直後ろめたい気持ちもあった。
一人息子が犯罪に手を染めていると知ったら、母さん悲しむだろう。
その点では、僕が母さんを楽させてあげようという、母さんの為を思う気持ちは正当化されない。
しかしだ。
僕は誰にも迷惑なんざかけていない。
需要のある物を供給しているだけ。お客さんも仕入れ先も僕の仕事を喜んでくれている。
何より母さんのこの笑顔を見たら、僕がしていることは間違いじゃないんだ、という自信が持てた。
その点では、僕が犯罪行為を犯しているという罪の意識はもちろん、僕が悪い事をしているという事は正当化されない。そうだ、絶対そうだ。
僕がドラッグをする事はこんなに素晴らしいことだったんだぁ……お母さん、僕がドラッグを使う事を認めてくれて、ありがと~☆
ディオニュソスは少しずつずれていった。
そんな少年が、SPACEBABY MEDITATIONの人間に目を付けられるのは時間の問題だった。
×
その日も、いつものようにブツを押す時の待ち合わせ場所に使っていた公園のトイレで客を待っていた。
――今日の一件目の客は初めての付き合いだな、いつもだけど一回目のやり取りは緊張するな~。
「オトリ捜査だったりして……なんて、グリ入るんだよな~ハハ……」などと独りごちる。
~グリとは、ドラッグ常習者の間のスラングのようなもので、『勘繰る』から来ている~
約束の時間を過ぎた。しかしまだやってくる様子が無い。
なんだよ~、遅れるなら連絡してよね。こっちから連絡してみるか。
そう思いディオニュソスは仕入先から預かっている名義人不詳の携帯電話、いわゆる『トバシ』から、客の連絡先番号に電話しようと携帯を操作する。
――その矢先、人の気配が近づいてくるのがわかった。多分お客さんだ。
緊張しいの上にグリってる僕は、先回りして笑顔を作る。
人がトイレに入ってきた!
「こんにち……へっ!?」
――入って来た人は、顔に覆面をしていた。
え……
サーっと血の気が引く感覚。
やばい人? もしかして殺される?
何を血迷ったのか、警察でもいいから助けてくれ! と大声をあげようとした!
だが、その覆面の男の目を見てから体がいうことを利かない。声の出し方が思い出せないのだ。
え、なにこれ……
どうしよどうしよどうしよ。
いやだ、いやだいやだ。まだ死にたくないよォーッ!
次の瞬間、全身を凄まじい痛みが走った。ディオニュソスは強力なスタンガンをあてられ、気絶した。
「もうとっくに死んでたじゃんか――はい、お疲れ様」
――目を覚ますと、SPACEBABY MEDITATIONの中にいた。
僕はこの装置の添乗員だ。僕は一生懸命に、被験者に対して長々と語りかけていた。
今日は人類の新たな門出の日なのだ。
――そう、タイムアップだ。
ディオニュソスは痺れを切らせたB-01に精神から握り潰されてしまった。
過去の空間に残っていた事象も、B-01が今までディオニュソスが歩んできた道筋自体を消滅させた事で、一気に死ぬ直前まで雑に継ぎ接ぎされた。
その間にあったことは誰の記憶にも残らない。そもそも無かったことになってしまったのだ。
自動的に今ここにいる水先案内人のディオニュソスは、なんの能力も開花していない、ただの公務員に書き換えられた。
そしてSPACEBABY MEDITATIONの第一ステージの始まりを待たずして、ショック死してしまった。
――ただ、
これもディオニュソス本人が思っていた通りになっただけのことだった。彼は理解していた。
今までの、ドラッグと出会ってからの彼は幸せ、楽しい、最高の体験をあくまで『前借り』させてもらってただけだった。
ツケは巡り巡って、自分が思わぬタイミングで清算を迫ってくる。
ディオニュソスは、そんなことなどとうの昔に理解していた事だった。
それがこのタイミングだったということに過ぎないのだ。
高校生になる前には両親とも亡くしていたディオニュソスにとっては今回の死なんぞ、なんてことのないことだった。
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