第7話 ちかくの扉は、知覚の扉

 すっかり気分がよくなった俺を見て、ナナはなんだかあっけに取られたような、変な顔をしていた。


「は、はは、何がきっかけか分からないけどいきなり調子乗っちゃってさ。いいよ行こう? 俺君の自由意思見せてご覧よ。さあ部屋のドアを開けてみな?」


 はは、なんだよお前。偉そうな口聞きやがって。こっちはずっとなんにもできない間ウズウズしてたんだよ……っ!


 そう思って俺はベッドから腰を上げ、ドアまで歩こうとした。


 そう、歩こうとした。

 ――でも、足が動かない。動かないぞ。なんだよこれ。


 また今度は何が起こってるんだよ。

 と思っているうちに、自分の今の状況が飲み込めた。


 ハァ?


 俺、歩き方忘れちまってら。

 いくら足を出そうとしてもうまくイメージが掴めない。そうこうしている間に前のめりに倒れてしまった。チクショウ、こんな馬鹿なことあるかよ。なんだよ歩き方忘れたって。



 ……フハハハ!! まじで傑作じゃん。俺は這いつくばりながらも、あり得ない状況にふきだし、やがてゲラゲラ笑いころげた。


 ――そんな姿をナナは不信そうに苦笑いをして見ていた。

『うーん。この部屋から簡単に出られないのには確かな理由がある。理由があるんだけど、

でもなんだか様子がおかしいような……』



 ―――――ヒィンッ


 そんなこんなで歩き方を忘れた事に腹を抱えて笑っていたと思ったら。いや思ったらっていうか、そうしてたんだよ。思ったらなんて思っているうちに急に俺の部屋が一気に縮み、ドアの前に俺一人分立つスペースだけになっていた。

 それで俺はと言うと、いつの間にか立ってドアノブに手をかけていた。


「え!?」


 ~ナナは混乱した。~

 『何? なんで? この部屋は今の俺君の記憶にもっとも定着していて、それ故にここまで来る間に俺君が自分の身に起きてきた事への不安、そして今から起こる自分自身の大きな変化に対する不安に対して必死にしがみついていたところだろ?


 だから何回もここに帰ってきてたんだって。自分の一番落ち着く記憶という場所に。目の前の得体の知れない不安に打ち勝ち、それを受け入れることで自由意志の開放をするんだよ、それがドアを開けてこの部屋から出るという事であり、このステージの試練の一つ。


 ……ただ、俺君自身、今もまだそれに気付いてないはずだよ。

 不安に打ち勝っただなんて認識なんて持ってない。

 それなのに、あのままドアノブを捻ったらドアが開いてしまいそうな気がするのはなんで?

 ましてや自分から出て行かないで、部屋の方が勝手に縮むなんてある? ……いやおかしい、そんな事あり得ない。

 さっきの様子だって、見てると前に進む意思があるかないか、とか恐怖心とかそうゆう問題じゃなかったんだよね……


 ――あっ

 これって……脳力が一人歩きしてる……?

 駄目、駄目だよ…そんなの駄目だ、俺君が食いつぶされちゃうよ……そのまま開けちゃ駄目!』


 ナナは息を呑み、そして声をかけようとした!

 しかし、喉から声が出るのをまたずして、俺君が言った。


「んだよさっきからうるっせーなぁ」


 嘘でしょ……あたしの心まで読んでた。

 そう思っている間に、俺君は部屋のドアを開けちゃった。



    ×



 なんだかナナがごちゃごちゃうるさかったけど、ドアは案外いつも通り簡単に開いた。


 ドアを開けた瞬間、

 フワッ!! という感覚と共に、自分の後頭部から目線の先に向かっておびただしい数の矢印が伸びていくのがはっきりと見えた。

 数えきれない数の矢印はニュルニュルとおぞましく絡み合い、さまざまに色を変えながら前方に進んでいく。


 な、なんだよこれ……

 目を奪われながらもそう思っていた矢先、突然体が無意識に緊張しビクンと筋肉が緊張、痙攣する。

 ゾクゾク! ゾクゾクゾクゾクゾク!!

 その痙攣は次第に腰椎を刺激するに至る。

 ぎあああ!


 ――そして俺は1リットル分の射精感を味わった。

 髄椎の介入を無視した、腰椎、仙髄への、電気的な何かからの迷走神経のオーバーハング。

 頭の全ての毛穴が開く感覚、血管の躍動、顔は恍惚からの脱力。


 死ぬ! 許して!! 気持ち良すぎて死ぬ!!


 ああああああああああああああああ体が内側からひっくり返る!!! 今もうひっくり返る!!



 ――――――パリィン


 ……ハッ。

 我に返ると、俺は部屋のドアを開けた格好のまま、魂が抜けたかのようにボーっとしていた。

「あ……あれ、なんともない? なんだったんだ」

 そして外の景色に目をやると、いつもよりも自分の住む町なみが遥か鮮明に見えた。

 自分の視界に違和感を感じたことなんてなかったが、普段はそんなにまでぼやけていたのか、と目の前に広がる視界に感動を覚え、自然と涙が出る。


 次第に混沌としていた頭の中もどんどん鮮明になっていき、そして認識する。


 これは俺の宇宙。


 一つの渦。


 その瞬間に心を満たす、万能感。

 全知全能感。

 全てわかってしまった。

 全てわかってしまった!!


「そうかそうか! そういうことだったのか! わかったぞ! 忘れちまう前に今すぐメモを取ろう!!

俺達の脳味噌と世界は繋がっている!! 脳味噌は小さい宇宙なんだよ!! 肝心なのは気付く事! 今からわかりやすく説明するぞ、ナナ!

通常の脳味噌の状態は現実、今と結びついていて、過去の事を思い出したり、想像したり妄想したりすることは今の脳味噌の位置より

後ろ側の事を考えてるわけなんだよ! ナナ! 意味わかるか!?

要するにそのせいで過去は変わらないし、妄想や想像はいつまでたっても現実にならない。

ただ、脳味噌の根っこの部分を使う事、お前の言う変性意識状態ってやつ? その状態だと考えている脳味噌の位置が過去や想像、妄想に対してさらに後ろ側、

つまり目の前の現象として認識することが出来るんだ。さらにその上からイメージをぶつける事で過去に介入することだってできるんだよ! すごいだろ!?

過去なんて共有されているイメージに過ぎない。それに介入したって過去を変えれば今が変わるだけ。過去なんて証明する事なんて出来ないだろ?状況証拠しかないんだよ。現実の前では後ろ側の事でしかないからな。

あああああなんでこんな事今まで気付かなかったんだろう!!! ヤバい俺喋り過ぎ!? 思考が止まんねえんだって!! ありがてえ!!」


 自分でも何しゃべってっかわかんねえ。


「とにかくだ! 『ロンよりショーコ』ってやつだよな! ナナ、見てろよ、すごいもん見せてやるよ!!!!」


 ナナはそんなノブルの荒ぶる様子を見て、声をかけることが出来なかった。


 これは駄目だ、駄目なんだよ、こんな形じゃ。

 解釈もただの思い込みから来ているものでめちゃくちゃ。

 このままだと器から、俺君のパワーがあふれてしまう。

 なのに駄目だ、止めたいのに、力が入らない。

 これも俺君がそうさせてるの? どうしよどうしよ……

 私、役立たずじゃん……やだもう最悪。


 …………。

 しょうがないよね。わかった上等だよ。

 乗りかかった船だもん。最後まで付き合うよ。

 いざという時は、私だって覚悟決めるよ。


「ったく、ずいぶんご機嫌だね!! ほら早く証明してごらん! 君の出した答えをさ!」

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