第2話 YORU
わたくしは、なにか引きずられるような力を感じながら、お隣の入口までやってきました。
辺りはもう、暗くなっています。
そういえば、手土産もありません。
ほんとうに、いいのだろうか、と思いながらも、でも来てしまいました。
そうして、とっくに壊れているのだろうと考えていた呼び鈴を押しました。
すると、さきほどの柿子さんが玄関から出てきて、にこにこしながら、木戸のところまで来ると、内側からするするっと戸を開けました。
そうして、例のつっかえ棒を内側に引っ張りました。
なんと、つっかえ棒は、すっと向こう側に外れてしまったのです。
「これ、飾り見たいなものなんです。嵌めてるだけなんです。まあ、防犯の意味だったようですが、無意味ですよね。どうぞ。」
「はあ、あの、じゃあ、お邪魔いたします。」
「どうぞ、どうぞ。」
わたくしは、門をちょっと身をかがめながらくぐり、玄関の中に入りました。
そこは、まったく以前のままでした。
きっと柿子さんが掃除をなさったのでしょう。
ほこりもなく、廊下もかつて見たように、きれいなままでした。
「どうぞ、おあがりください。」
「あの、はい、ありがとうございます。」
わたくしは、サンダルを脱いで、あがらせていただきました。
玄関から上がると、左側に部屋がありました。
そこは、以前から応接室になっておりました。
「もう、急に来たものですから、何もかもほったらかしなんです。家具もそのままで、やっとほこりだけは、はたいたんですけれどね。」
「ああ、あの、懐かしいと言いますか、そんな感じがします。」
「ああ、おばあちゃんの相手もしてくださっていたのですね。」
「いえそんな、お相手と言っても、数回上がらせて頂いたくらいで、はい。」
わたくしには、ほんとはもっと、あの奥様のお話し相手になってあげればよかったなあ、という後悔の気持ちが持ち上がってきておりました。
「いえいえ、それで十分なんですよ。おばあちゃん実は、私に電話くれたことがあって、おとなりの若い娘さんに話ができたと言って、喜んでましたから。あ、お茶持ってきますね。」
「ああ、あの、お構いなく。」
柿子さんは、何だかうきうきとして、うれしそうな感じでした。
それで、わたくしとしては、かなり安心したのです。
わたくしは、周りを見回してみました。
確かに、以前お邪魔した時の様子と、まったく同じ感じでした。
食器棚も、古そうな壺や、大きなお皿も。
けれども壁に一枚だけかかっていた絵は、以前はなかったように思いました。
それは、とても不思議な絵で、沢山の星が輝く宇宙の中で、一人の美しい女性が、小さな船に乗って、空を見上げているのです。
でも、その女性は上半身は裸のままで、しかも頭には角があり、口元には大きな牙もありました。
じっと眺めていると、まるで、絵の中に引き込まれてしまいそうな、妖しい魅力がありますものの、何が言いたのか、よくわからない不可思議な絵だったのです。
「その絵は、ぼくが描いた絵なのですよ。」
突然、男の人の声がしました。
やせ型の、髪に大きなウェーヴがかかった、ちよっと青白い顔。
いかにも、芸術家という感じの男性が立っていました。
そうして、その後ろには、柿子さんが、とてもうれしそうに、お盆にお茶を三つ乗せてくっついていらっしゃいました。
「夫なんです。」
「あ、あの、おじゃまいたしまして・・・、」
「いえいえ、ぼくが御招待したのです。よくおいでくださいました。」
「ほら、お詫びを・・・・」
「ああ、そうそう。いや、ここんところ毎晩、やかましくしてしまって、申し訳ないです。新居に引っ越したと言ったら、悪友たちが泊まり込みで押しかけてね。連中も、絵描きとか、作曲家とか、作家とか、まあそういう、いわゆる、社会的には役立たず連中でしてね、世間知らずで、申し訳なかったです。」
「いえ、それはもう、大丈夫ですから。」
「ありがとう、まあ、また、時々押しかけてくるかもしれんが、これからは静かに騒げと、こいつから言われましてね。まあ、今日は、少しだけれど、お詫びもかねて、夕食、食べて行ってやってください。」
「あの、お寿司をとりましたの。向こうの居間にご用意いたしました。どうぞ、お茶がお済になりましたら、おいでください。」
「ぜひ、どうぞ、ぼくはちょっとやりかけの仕事を仕上げて、また来ますから。ゆっくりと食事してください。ついでに、少しこいつの話も聞いてやってください。ここは良いところだが、話し相手がいないみたいなので。」
「ああ、はいそれはもう。あの、お伺いしていいですか?」
「ええ、どうぞ。」
「この絵は、神話とか、何かお話があるのですか?」
「ええ、これはね、まあ、『火星神話』の世界ですよ。」
「カセイシンワ?ですか。」
「そう、まあ、さっき言った、ろくでなしの友人が書いた、まったく売れない戯曲というか、小説というか、なんですがね。ははは。じゃ、ごゆっくり。」
彼は、部屋から、そそくさと出て行きました。
「あれで、気を使ってるんですよ。すみません。不器用な人なの。世間付き合いは、まったくダメなの。」
「あ、ははは。」
わたくしは、お茶をいただきながら、その不思議な絵を、また眺めていたのでした。
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