隣のかきはよく客喰うかきです
やましん(テンパー)
第1話 となりの「かきこ」さん
郊外のこんもりとした小さな森のふところに、ぽつんと民家が二軒だけありました。
一軒はわたくしの住んでいる家です。
わたくしは、早く両親を亡くし、叔父の家で育ちました。
大学まで卒業させてもらって、ある私立大学の事務員になりました。
初めは街の中のキャンパスで仕事をしていましたが、三年後には、山あいの小さな町にある施設に転勤となり、叔父のつてで、この古い家を借りて、バイクで通勤しております。
なにしろその小さな町の中心部からでさえ、大きく外れた場所で、コンビニもなく、電車もなく、昔ながらの「何でも屋」の商店さんが一軒あるだけ。
町の中心部に通う町営バスが、日に三便あるだけです。
そこまで行くのにも、一時間近くかかります。
それでも、空気は良いし、面倒くさい人付き合いもないし、ネットで頼めば何でも手に入るし、テレビは嫌いだし、ラジオは鳴るし、大きな音を出して音楽を聴いても、文句も来ないし。
住みやすいこと、この上ありません。
ところで、おとなりは、今は空き家になっているのです。
実は二年前までは、年配のご夫婦が住んでいらっしゃいました。
お子様もないということで、本当に静かな余生を送っておられました。
時々、奥さんが漬物や野菜を持ってきてくださったりして、まるで子供のように、わたくしのことを気遣ってくださっておりました。
しかし、私が引っ越して半年後に、まず奥様が突然亡くなり、その二月後には、ご主人も、奥さんの後を追う様に亡くなりました。
奥様のお葬式は、ご親戚の方が数人来られただけの質素なものではありましたが、わたくしも、いろいろお世話になった事もあって、町の代表の方と共に列席させていただきました。
しかし、ある晩救急車が来て、病院に入ったものの、その後すぐに、ご主人も亡くなったということで、そのことは、数日後に町の民生委員さんからお伺いしたようなことでした。
お葬式は、どうやら遠いご実家で行われたようで、ここでは何もありませんでした。その後、家具が運び出された様子もなく、そのままになっている様子です。
ただ玄関の入口の木戸には、斜めにつっかえ棒がはめ込まれていました。
いざ、おとなりがいなくなると、やはり寂しいものです。
なんの物音の聞こえることもなく、いつまでも、ひっそりしているだけなのですから。
わたくしのお借りしている家は、もともと一般の民家で、親戚が住んでいたのですが、代が変わって子供たちはみんな、都会に出るということから、しばらく空き家になっていたのです。
なので、結構大きな家で、一人暮らしには手に余るくらいでした。
それなりのお庭もあり、夏場の草刈りはなかなか大変です。
住み始める時は、業者さんにお願いして整備してもらったので、すごく奇麗になっていましたが、仕事が忙しいとか言いながら、あまり手入れをしないので、少し、せっかくのお庭も、ごたごたしてきておりました。
おとなりのお庭とは、背中合わせになっているので、垣根越しにも、いくらか様子をうかがうことができます。また二階から見ると、結構しっかりおとなりのお庭が見えます。
一番目につくのは、大きな柿の木です。
この木は、渋柿なんですが、しばらく干すと、良い干し柿になります。
奥様が、たくさん、くださったこともありました。
けれど、いまは、ただ立ち尽くすだけです。
不思議なことが起こり始めたのは、ご主人もなくなった次の年の春過ぎからでした。
ある晩、もう深夜を迎えようと言う時間になって、突然おとなりから、にぎやかな笑い声が聞こえてきたのです。
「あらら、どなたか来ていらっしゃるのだろうか。」
わたくしは、少し興味がわいて、二階の窓からおとなりをのぞいてみましたが、真っ暗で電気が点いている様子はありません。
もっとも、向こう側のお部屋の様子は、もちろん分かりません。
その断続的な笑い声には、やがて、歌声も混じるようになりました。
なんの歌なのかは、わたくしには、まったく分かりませんでしたが。
その楽しそうな声は、午前二時前ころまで続いて、やがて、ぴたっと止まりました。
わたくしは、そのまま寝てしまいました。
翌朝、眠たい目をこすりながら、バイクを始動させ、お隣の玄関の前をいつものように通過しました。
気になっていたので、少しだけ様子を見ました。
でも、あの斜めのつっかえ棒は、まったくそのままだったのです。
「あらま。」
わたくしは、つい、バイクを止めて、再度、よくよく見てみましたが、生えていた草もそのままで、動かした形跡はありません。
人の気配も、まったくありません。
「なんか不思議だなあ。」
とは思いましたが、たしか反対側に、小さな通用門もあったよな、とか思い、その日は、そのまま出勤しました。
けれども、その日の夜中になると、また、前日と同じような笑い声や、歌声が聞こえてきたのです。
さらに、その次の晩も。
そこで、三日目には、やっと通用門の方も確認してみましたが、こちらも大きな釘で打ち付けられていて、とても開きそうにありません。
人の出入りした形跡は、まったくなかったのです。
わたくしは、さすがに気味が悪くなってきました。
誰かに相談した方がよいかもしれない、そんなふうに思い始めておりました。
そうして、その夕方です。
もう、日が落ちてしまって、あたりは夕闇に包まれてきました。
夕ご飯の準備を始めようとしていたとき、ふいに玄関の呼び鈴がなりました。
古風な呼び鈴の、りーん・りーん、という音です。
お客様が来るのは、割と珍しい事です。
「はーい」
わたくしは、火を消したのを確かめてから、玄関に向かいました。
「はい、どなたでしょうか」
わたくしは、問いかけました。
「あの、おとなりに来ているものです。」
「え?」
若い女性の声でした。
わたくしは、一瞬躊躇しましたが、興味の方が強かったので、玄関の引き戸を開けました。
そこには、珍しく和服の、きれいな女性が立っておりました。
「すみません。急に。昼間はいらっしゃらない様でしたので。私は、お隣に以前住んでいた老夫婦の姪に当たります、柿子と申します。」
「カキコさん?」
「いまどき、変な名前でしょう? でも、おじいちゃんおばあちゃん、というのが、そのお隣のご夫婦ですが、が付けてくださったのだそうです。庭の柿の木にちなんだとか。もう、迷惑ですよねえ。でも、気に入ってます。」
「あ、あはは、そうですか。」
「はい。そうなんです。で、実は、はじめにご挨拶に来ていればよかったものを。ほっておいたので、毎晩、喧しかったでしょう?」
「え、ああ、まあ少しびっくりしましたが、いえ、まあ、ははは。」
わたくしは、笑ってごまかしました。
「私の夫が、画家なんですが、なにしろ夜型の人で、おまけに夜中に知人を集めて騒ぐのが好きで、もう、来た早々、れんちゃんで騒いでしまって。申し訳ございませんでした。たぶん、また時々やりますが、できるだけ静かに騒ぐように言い聞かせますから、お許しください。あ、これお菓子です。どうぞ。」
「まあ、気を使っていただいて、すみません。」
「いえいえ、あ、それで、主人が申し訳なかったと申しまして、今夜お食事にお招きしたらと。もう、ご用意なさいましたか?この地方では、引っ越ししたら、おとなりをお食事に招くのがしきたりとか。」
「いやあ、わたしくも、ここは借りているだけなので。そんなしきたりとか、知りませんでしたが・・・。」
「ああ、よかった。知らない者同士で。でも、よかったらおいでくださいませんか?もちろん強制はしませんですが。一時間後に。じゃあ、お待ちしていますから。」
彼女はそう言って、さっさと帰ってしまったのです。
さあ、どうしましょう。
「強制はしません」
と、言われても、困りました。
お断りするのは、お隣としては、いくらなんでも失礼のようですし。
今後の事もあるし、怖いもの見たさ、というのでもありませんが、なんとはなく興味はありますし。
確かに、おばあちゃまがいらっしゃった時期に、何度かおうちの中に上がったことはあるのですが・・・・。
とても、人が中にいる雰囲気ではなかったし、その知人の方とか、ご主人とかも、第一今の「カキコさん」だって、まったく出入りさえ見かけたことも、感じたこともなかったので、少し気味悪いですし。
でも、わたくしは、お隣の責務として、出かける決心をいたしました。
着替えをして、ぎりぎりつながる携帯電話もハンドバックに入れて、鍵もかけて家を出ました。
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