第24話 大丈夫

「ハルッ!」


 僕はつい立ち上がって叫んだ。

 ハルが勝った。しかも優勝。

 観客たちは大盛り上がりの大混乱状態。無理もない話だ。なにせ優勝確実と言われたカリンを押さえて、これまでまるで無名だったハルが優勝を成し遂げたのだから。


「凄いものを……見てしまいましたね」


 両手で口を覆いながら、信じられないものを見てしまったかのようにセリアは言う。シズネも感極まって震えている。何も言葉にならないようだ。


「僕はハルの勝利を疑ってなかったがね。疑ってなかったがね!」


「なら二度も言う必要ないでしょう」


「師匠~」


 へろへろのよろよろになったハルが、くたびれた足取りのままこちらにやってきた。


「勝ちました」


 喜色満面のハル。体中ボロボロで痛々しいことこの上ないが、彼女はやり遂げたのだ。


「ハルゥゥゥ……! 痛くありませんの? 可愛そうにそんなにボロボロになって。血が出てますわ。泥もついてますわ。ああ、でもそれだけ頑張ったのですね」


 これまで黙っていたシズネが、急に泣き始めた。


「えへへ、泣かないでくださいシズネちゃん。おめでたいんですから笑って笑って」


「ごめんなさい。もう泣かないって決めていましたのに……でも、嬉しくて嬉しくて」


「シズネちゃんが喜んでくれるなら、私も嬉しくなっちゃいますね」


「ハルちゃん凄いです。あのカリンちゃんの上を行くなんて。先生の……いや学園の誇りです」


「先生! 先生も見に来てくれていたんですか。ありがとうございます。不肖ハル。師匠の顔に泥を塗らぬように頑張りました!」


 そしてハルは僕に向き合う。


「師匠! 勝ちました!」


 その笑顔を見ていると、何か胸の奥がざわつく感じがする。


「そうか……うん、そうだな。勝ったな」


「ええ~、それだけですか?」


 不満げなハル。彼女が何を欲しているのかくらい分かっているつもりだが……


「もしも、あの場にいたのが君以外の誰かだったら、僕は驚き称賛しただろう。そこにいるのは紳士ではないのだから。だが、コホン……いいか。よく聞き給え。困難に挑むのは紳士として当然の行いだ。僕は君がやり遂げると確信していた。何も驚くこともなければ、褒めるところもない」


「あ~あ、やっぱり師匠は厳しいです。私ももっともっと頑張って……」


 ハルは最後まで言うことなく、ふとその場を倒れる。僕は一息で観客席から飛び降り彼女を抱きとめた。


「ハル! 平気か。おい!」


 辛い戦いのダメージが追ってきたのだろう。静かな寝息を立てている。

 軽い体だった。まだまだ戦うには不向きな子供の体。こんな体でよくもやり抜いたものだ。言葉にはできないが、誇らしい。


「驚くこともなければ褒めるところもないですって? 嘘ばっかり。試合中ずっとハラハラしていたのは誰ですか。ハルちゃんが負けそうになるたびにビクッってなるわ、ハルちゃんが優勢になると小さくガッツポーズとるわで気が散りましたよ。そういうのは本人に伝えてあげるべきでは? 意地はってもいいことはありませんよ」


 ニヤニヤ顔で言うセリア。


「ハルちゃんが何を言ってほしかったのかくらい、わかるでしょう?」


「紳士が誉め言葉を求めてはいけない」


「まったく……」


「だが」


「え?」


「だが、考えてみれば紳士とは言え、まだまだ見習い。まあ、師を名乗る以上褒めてやってもいい……かもしれないな」


「まったく素直じゃない人。そういうのを本人が起きているときに出来ないのでしょうか」


 そういってセリアが席を立つ。


「さて、私はこれから閉会式の準備に行きます。きっと他の先生方も驚いていることでしょう……。あら、通信ですね。ちょっと失礼」


 セリアは胸元にしまっていた金属球を手にすると、僕に背を向けて何やら話し始めた。町で聞いたことがある。あの球体はどこか遠い場所にいる人とその場で話ができる魔法道具。


「ええ、こちらは終わりました。無事には無事なのですが……ふふ、少し予想外のことがおきましてね。なんだと思いますか? きっと驚きますよ。え? 緊急事態? 何がですか。落ち着いて報告してください」


 弾んだ声がだんだんと真剣みを帯びたものになっていく。どうやらただの定期連絡ではないらしい。


「メナスが……? メナスが目覚めたというんですか? 何を言うんですか。メナスの覚醒はまだ一月も先でしょう? その為に大魔道祭りが……え、違う?」


 横で聞いているだけでセリアが話が掴めていないのがよくわかる。よほどのことなのだろうか。


「メナスじゃない? ではただの魔獣では……? 魔獣でもない。じゃあなんですか。はぐれ魔法使い……でもない。あの、ごめんなさい。話が見えません。自然災害でもないんですよね」


 球体からは感情的になった男の声が漏れ出ている。混乱しているのはセリアだけではないらしい。恐らく向こう側にいる男のほうも、事態を正しく把握しきれていないのだ。ゆえに伝達も不可解なものとなる。


「俺にも何が何だかわからないんです! み、見たままをお伝えします。存在を確認していたメナスは消えました。正確に言えば捕食……されたように見えます。メナスより大きな……謎の実態にです。俺はあれが何なのか分りません。魔獣と呼ぶにも足りなすぎます。お願いです。今回の大魔道祭りは中止に! 今すぐ上位騎士と、そ、そうです。その場にあのカリンもいるんですよね。彼女を連れてきてください。いや、違います。連れてくるのではなく待ち受ける準備を! 奴は会場を目指して進行しています!」


 あまりの剣幕に聞き耳を立ててしまった。セリアが何かを言い返そうとするも、その瞬間球体の反応が途切れてしまう。後には言葉にしようのない沈黙だけが残った。


「盗み聞きをしたようで心苦しいが……思うに何か異常事態が発生したのでは?」


「そのようですね。彼の報告は要領をえないものでしたが、魔獣を超える何か恐ろしいものがここを目指しているとか。閉会式どころではなくなるかもしれません」


 セリアは素早く平静さを取り戻していった。


「とにかく情報の確認を……」


 と、そこまで言ったところで、大地が大きく揺れた。


 大会の熱に浮かれていた周囲の観客たちが、一斉に静まり返る。


「地震か?」


「ち、違います」


 セリアは青ざめた顔で天を指さす。彼女の指す先には大きな曇り空……いや、違う。僕は己の目を疑った。


 舞台を覗き込むようにしてそこに立っているのは巨人だ。家一つくらいなら軽々と引っこ抜いて遊びだしそうな巨躯をもった鬼。感情の見えない無機質な目が爛々と輝きこちらを見下ろしている。


 祭りムードから一転周囲は大パニックになる。会場に集まった老若男女が皆々一斉に動き出す。子供は泣き出し、大人はそんな子供を出し占める。腕に覚えのある魔法使いたちも相手の巨大さにただただ唖然として空を見上げるばかり。猛獣相手ならば勇猛果敢に戦える戦士も、山を相手に戦えないのと同じだ。当然会場の管理者たちにも異常は伝播している。彼らも観客同様何がどうなっているのかわからず右往左往するばかりだ。


「こ、こんな巨大な魔獣みたことありません。ど、どうしてここに来るまで誰も気づかなかったの? 警備は?」


「こいつの名前はジャイアント」


 鬼の顔には見覚えがある。僕は一人つぶやいた。


「え? し、知っているんですか?」


「ああ。こいつはイギリスにいる悪魔の一種だ。森の奥に住んでいてなかなか人里には出てこないが……さては、こいつも僕と同じ巻き込まれた旅行者だな?」


 巨人は舞台を見回すと手に持っていた肉片をかじる。口の端から体液が零れ落ちて会場の壁を赤く濡らした。


「あの翼は……メナス。メナスを食べてるの?」


 なんとなく読めてきた。

 今警戒するべき脅威はメナスだけだと高をくくっていたワンダーランドに突然ジャイアントが転移。腹をすかせたジャイアントは眠っているメナスを食い荒らして周囲を歩き回っていた。と。それを外にいた男たちは見てしまったのだ。混乱するの無理はない。何せこの世界には存在すらしていない脅威だ。


「こんなとんでもないのが、どうしてここまで……」


「ハルの勝利を祝いに来てくれた、という訳ではなさそうだな」


 僕は腕の中で眠っているハルを見る。


「出来れば君にメナスと戦わせてあげたかったが……そうもいかなくなったか」


「おい、何してるんだよのろま」


 騒然とする中で、ひときわ鋭い声に呼び掛けられる。

 声のするほうにはカリンが立っていた。


「もう目覚めたのか。タフな娘だな」


「ケ、嫌みかよ」


「カリンちゃん、まだ戦えますか? 私とあと騎士の人たちと協力してあいつを……」


「言っておくが、私はやらねえからな」


「どうしてですか!?」


「はぁ? 決まってんだろ。私は負けたからだよ。メナスを迎え撃つのは勝者の権利だ」


「あれはメナスではありません」


「同じことだ。大魔道祭りの意味はよ、ワンダーランドの外敵からみんなを守る新しい英雄を生みだし、そして祝福すること、じゃねーのかよ。それともお前らは相手が何て呼ばれてるかで名誉を出したり引っ込めたりするのか?」


 苛立ちを隠さずに言うと、カリンはぎろりと寝ているハルを見る。


「てめえは私に勝ったんだからな」


 ぼそりという横顔には、どこかすっきりとしている。


「カリン、ハルと最後まで戦ってくれてありがとう。良き友人としてこれからも仲良くしてやってくれ」


 カリンが一瞬虚を突かれたような顔をする。


「私に友達はいねえよ」


「はっはっは。ではこれからなってほしい。良き紳士には良き友人がつきものだ。僕もそうだった」


 カリンの反応は見えなかった。ちょうどジャイアントの投げたメナスの死骸が近くに落ちてきたからだ。


「いや、今そんなことを言っている場合じゃありません! 足止めは私がやります。皆は逃げてください」


 セリアが魔法を使おうと構える。彼女がどれほどの腕かはわからないが、勝機は薄いのは彼女自身分かっているようだ。

 周囲を見る。観客のほとんどは避難しきれていない。外に出た人たちもジャイアントが興味を移せば一足で追いつかれる距離にいる。


 まだジャイアントが暴れていないのはただの幸運にすぎない。彼もまた当時の僕と同じように戸惑っているのだ。


 しかし、すぐにその戸惑いは消える。そして枷のない自由な世界で思う存分暴れまわる。

 悲鳴と雑音の中、子供の泣く声がした。

 見ると観客席の端で小さな女の子がしゃがみ込んで泣いている。親とはぐれたのだ。辺りは人の洪水と化していて探すに探せない。


 僕はハルを抱えたまま女の子のもとに向かう。視線を合わせるためにしゃがみこむ。


「お母さんが……どっか行っちゃって……ううっ」


「そうか」


 子供には何もできない。ただ震えて丸まり泣くだけ。

 いや、この状況では子供も大人も関係ない。みな見たことのない脅威に震えるしかないのだから。


 ただ一つ――紳士を除いては。


 僕は立ち上がりジャイアントに向き合う。

 故郷イギリスでは僕はいつだってこうしてきた。師匠や仲間と一緒に信じてくれる誰かを守るため、立ち上がってきたのだ。


 紳士は守る場所を選ばない。守るものを選ばない。


 目と目が合う。何の感情も灯っていない不気味な目に、一滴何かが混ざった。それは故郷を同じくする者への警戒心だったのかもしれない。


「ハル、君はよく頑張った」


 ハルの頭をそっとなでる。それだけで辺りが静かになったような錯覚を受けた。


「――君、今は眠りたまえ。いずれ来るだろう大いなる試練のために。いずれ来るであろう君の悲願を達成する日のために。いまはただ己を癒したまえ。また明日笑うために」


 ハルの頬がピクリと震える。


「今回だけは君の言葉を僕が使わせてもらおう。今回だけだ。次は君がいいたまえ」


 ハルは寝ぼけながら満足そうに笑った……様な気がした。


「みんな! よくききたまえ!」


 それを見て僕は大きく息を吸う。そして、周囲で混乱している観客に向かって大声を張り上げた。

 声に押されて皆が停止する。一瞬だけだが注意がジャイアントから僕へ移った。



「――大丈夫だ!」



 たった一言。それだけ。だが、その言葉に周囲の恐怖が和らぐ。


 この無責任でありながら、何よりも強い力を持つ一言。


 はぐれた子供もこの時は泣き止み、僕のことを見上げていた。


 そうか、ハル。君の戦う理由がようやく肌で理解できた。この光景だったのだな。君はこの景色が見たかったのか。


 大丈夫。

 その重い一言を背負って戦ってきたのだな。


 なんと誇り高い我が弟子よ。


 ジャイアントが巨大な岩のような拳を振り上げる。

 僕は落ちてくる拳に向かってバリツによる蹴りを放った。

 響き渡る轟音と地響き。土煙が舞い、視界が閉ざされる。


「ハルが寝ている」


 土煙が晴れたころ、そこにあったのは胴体に大きな風穴を開けたジャイアントだった。

 バリツである。


 巨体はそのまま後ろに崩れ落ちると、再び大きな地響きを起こして沈み込んだ。

 その地響きが最後のものであることは、その場にいたみんなすぐ理解できたのだろう。最後に嵐のような歓声があがった。

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