第21話 ハルとカリンだけの時間1

「どうしてお前はそこに立ってる?」


 試合開始してすぐに、正面のカリンは言った。

 互いの距離はそこそこ開いている。彼女は待ち構える素振りも、近寄ってくる素振りも見せない。


「これまで何度も虐めてやって嫌って程気が付いてるだろ。お前は弱い。何をやりたがってるのか知らないが、それが私を超えないと出来ないことなら、つまりそれは永遠にできないってことだ。参加することに意義がある。努力そのものが尊い。そんな柄じゃねえだろ?」


 ただ、静かな声だけが聞こえた。


「私が本気で言っていることはわかるな? 答えろ」


 カリンの目は控室で見た時と同じ色をしていた。シズネがどれほど真剣なのかを見定めていた時の目。

 カリンの話を聞かなければならない。どんな答えだろうとも、怒らせてしまったとしても、それがこれから戦う相手として最低限の礼儀だと思った。


「……納得したいんです」


 そんな言葉が漏れる。


「バンダースナッチの事件からずっと考えて、考えて、ずっと考えて、ずっと納得できないことがあるんです。私はその答えをメナスに聞かないといけない、そう思ってます」

「なるほど、嘘じゃねえみたいだな。言葉の意味は分からないがいいだろう。温い覚悟で来たわけじゃなさそうだ」


 唇の先をわずかに歪ませ、カリンはだが、と続ける。


「だが、メナスと戦いたければ私を倒すしかない。私に一度も勝ったことのないお前にそれができるとでも?」


「今までの私では無理だったかもしれません」


 深く息を吸い、拳を前に軽く突き出す。視野が狭まっていくのを感じる。目指す先はただ一つ。カリンのみ。


「なんだその構えは? 新しい魔法か?」


「……これは、魔法に在らず。天下無双の英国武術その名もバリツ」


 私は知っている。これがバリツではないことを。ただ師匠の動きを見よう見まねでコピーしただけの欠陥武術であることを。

 私は知っている。私が師匠の教えの一割も理解していないことも。必殺技の名前すら存在しない。中身の伴わない欠陥武術であることを。


 だが、それでも言った。言ってしまってはもう取り返しはつかない。


「師匠に恥をかかせないのは弟子の責務……見ていてください、師匠」


 カリンが軽く息を吐いた。ともすれば次の動作のための準備行動に見えるが、そうではないことを私は知っている。


 フリーズブレスは彼女の挨拶だ。氷の魔法を乗せた吐息は、並みの魔法使いならばそれだけで勝負が決まるほど強力。四肢の一本でも巻き込まれたらそこから氷漬けになり、瞬く間に全身に大きなダメージを負うことになる。


 これで倒れるようならば、カリンと戦うことすらできない。彼女の仕掛ける一種の試験だ。

 知っている。ずっと一緒だったんだから。ずっと見てきたんだから。


 ブレスが眼前まで迫る。

 考える余裕などなかった。私は私の体の要求に従って跳ぶ。

 体が浮遊感に包まれる。ブレスを超えて、カリンの近くに着地。


「来ましたよ。カリンちゃん」


 魔力を集中。一歩踏みだし、二歩目で跳ぶ。次の瞬間には、私の跳び蹴りがカリンの腕越しにその体に突き刺さっていた。


 そのままカリンは舞台上を転がっていく。

 彼女は驚くほどのったりとした動きで起き上がり、ほこりを落とした。その眼には興味深げな色が浮かんでいる。


 舞台上が静まり返る。


 そして数秒ののち、観客席が沸き上がった。


 理由は簡単に推測できる。優勝候補筆頭、すでに優勝者扱いをされていたカリンの攻撃を私がかわし、それどころか逆に一撃をいれたことに驚いているのだろう。これまでの私を知っているものならなおさらだ。カリンがその気になったら、その瞬間勝負は終わってもおかしくないのに。


「驚いたな。カスが私のフリーズブレスを超えるかよ。この短期間で何をした?」


「師匠と一緒に鍛錬を。それだけです」


「鍛錬、鍛錬、鍛錬。昔からそうだよな。身の程わきまえずにない飴ねだって、来る日も来る日も。いい加減うざってえ!」


 カリンが腕を振るう。魔力を伴った暴風を受けてつい目をつむってしまう。次に目を開けた時にはもうカリンはいない。


 腹の底に深い衝撃を受けた。激痛と共にもんどりを打つ。

「カフッ……!」


「これからお前がどれだけ雑魚かっていうのを教えてやる。優勝なんてのはどうでもいいが、お前みたいなやつに舐められるのだけは我慢ならねえ」


 彼女の周りで吹雪が吹き荒れる。猛烈な寒気に体が震える。それでも体は勝手に反応した。カリンの放った氷の鞭を間一髪のところでかわし、ついで襲ってくる無造作な回転蹴りを受け止めた。

 ガード上だというのに骨まで響く重い蹴り。思わず倒れそうになる。


「だけど、見えます……!」


 目を見張れ。魔力を途切れさせるな。必死に言い聞かせる。そうしなければ一瞬で負けてしまいそうだった。

 長い髪を振り乱してカリンが迫ってくる。恐れを知らない果敢な攻めだ。

 単純な掌底。武術を知らないカリンだが、その体から放たれるそれをまともに受けてはいけない。それをギリギリまで引き付けておき、捌く。


「隙ありです!」


 脇腹に回転蹴りをいれるが、多少よろめいた程度。


「だからどうした、その程度効くわけねえだろ!」


 出てくる両腕。私はそれを咄嗟に受け止めた。間違いなく同年代で一番の怪力が私を抑え込みにかかってくる。


「潰れろ!」


「があああぁぁ……!」


 判断を誤った。組み合ってから理解する。近距離での単純な力の比べあいでは相手が圧倒的に有利だ。

 私はカリンの力に合わせて腕の力を抜き、その場から抜け出すことに成功する。


「はぁ……はぁ……」


 わずかな攻防でもわかるくらい相手は手ごわい。胸が痛い。頭が熱い。息が苦しくてしかたない。


「何がおかしい」


「え?」


 私はそっと自分の頬に手を当てる。知らず知らずのうちに笑っていたらしい。


「いえ、カリンちゃんは強いなって……」

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