第19話 大魔道祭3

 会場は熱気に包まれていた。

 会場に集まった観客たちは控室であったひと悶着を知る由もなく、歓声を上げている。

 私にはそれが、老若男女からなるモザイクアートに見えて軽く目まいを起こした。赤い色、青い色、それらが混ざり合ってうごめき合っている。


 こんなんじゃいけない。

 ゆっくりと息を吐きだす。自分の心の中にたまった重りを取り外すように。


「ハル姉ちゃん! 頑張って」


 モザイク模様の中から一つの形が浮き出てくる。右方向には両腕を振って真剣に応援してくれる女の子。

 おずおずと手を振り返す。それだけで心が楽になった気がした。

 そして、モザイクの中から師匠を探してみる。だが、見つからない。


「よそ見とは余裕だな」


 舞台の上で一回戦目の対戦相手が鼻を鳴らす。

 審判が彼と、私を見て大きく頷いた。全身に気持ちの良い電流が走る。


「解放と声の神ルル・セービナに連なる血族オスカー。この勝利を我が主に捧ぐ」


「回転と目の神セマ・ホルトに連なる血族ハル。この勝利を我が主にささげます」


 大魔道祭の幕が今上がった。




「どうした? 試合はもう始まってるぞ」


 ろくな構えもなく、リラックスした状態でカリンは言った。彼女のニヤニヤ笑いの眼前にいるのはシズネだ。


 シズネは控室でのやりあい以上に緊迫した顔つきでカリンを見つめている。瞬き一つすることなく、武器の小太刀を手に、じりじりとつかず離れずの距離を保っている。


 近距離でのまともな殴り合いは圧倒的に不利。魔法使いらしく魔法の腕で勝負しないと。


「まさか今更になって怖くなったか? ハルの試合が終わるまで待たせるつもりかよ。いつかみたいに守ってもらうのか? ああっ?」


「まさか。あんたはここでつぶしますわ。絶対にハルと戦わせない。来なさい、カリン。先手は譲ってあげるますわ」


 言い終わるが早いか、カリンの差し出された手のひらから猛吹雪が吹き荒れる。それはシズネに直撃し、それどころかその後ろにいた観客の防護壁を揺るがした。目の前の衝撃に観客が甲高い喜びの声を上げた。


 観客のうちどれだけが気が付けただろうか、恐らくスカウトにし来てた何人かの騎士や、高名な魔法使いはカリンは小さく舌打ちをしたのに気づいた。そして、舞台中に蔓延する紫色の煙と、何十人ものシズネの姿を。

 カリンが吹雪で打ち抜いたのはシズネが魔法で生み出した分身の一つ。


「幻惑魔法か……狡い真似をしやがる」


「わかりまして? もうあんたはわたくしに指一本触れられませんわ」


 煙の中でシズネの挑発するような声がこだまする。

 シズネは本番前、誰よりも早く会場に入り舞台に魔法道具を仕掛けた。大げさなものではない。ただ持ち主の魔力を増幅させるというだけのもの。無論この大会においては反則である。しかし彼女はそれでも勝利を奪いに行った。すべてはハルのため。


 シズネはハルがなぜ大魔道祭での優勝にこだわるかを知っている。ハルの過去を知っている。そして同時に悔いている。幼く弱いあの時の自分が発した何気ない一言がハルの根源を歪めてしまったことを。

 あの時、自分がもっと強ければ。他人の言葉など求めなければハルはきっと無謀な戦いに飛び込んだりなどしなかっただろう。


 あの時、自分で自分に大丈夫だと言い聞かせていればそれだけでよかったのだ。

 カリンは忍び寄るシズネの幻影を横目で見ながら、小さく笑った。


「はっ……あの時の泣き虫がやるようになったな」


 過去の後悔は取り戻す。シズネは煙の中で決心する。そしてハルに勝利を笑って報告するのだ。

 あの子が大好きな笑顔で。


「ハハッ、マジで見分けがつかねえ。どれが本物だよ、おい。努力したな、うざってえカスが。全員吹き飛ばせば消えるかよ!」


 カリンは吠えた。彼女の全身から冷気がほとばしり、刃の嵐となって周囲を切り刻む。シズネの幻影たちが一人また一人と消えていく。幻影をどれだけ数を増やしても、けた外れの暴力に太刀打ちできるものではない。


 嵐のすき間を縫い、四人のシズネが飛び出した。前後左右の同時攻撃だ。


「隙ありですわ!」


 声が乱反射する。カリンは四つの同時攻撃に目を見張らせた。どのシズネが本体なのか。一度術中に嵌った以上、この短時間でそれを見分けるのは困難。


 カリンの視線は不安定だ。


 シズネは自分の魔法がきっちりめぐっていることを確信して、小太刀に力を籠める。

 魔力を込めた小太刀をぶち込む。


 もう二度とハルにちょっかいをだそうだなんてなんて思わないように。


「雑魚が。話にならねえよ」


 一瞬だった。カリンは踊るようにその場を舞い、驚くべき身体能力で四人のシズネをまったく同時に撃退した。


「どれ、うじゃうじゃウザかったが、最後の一人……潰れろや!」


 転がるシズネをカリンは蹴り飛ばす。無数の幻影を片っ端から消していって、最後に残るこのシズネこそ本体。カリンも観客もそう思っていた。


 誰もが油断した。勝負が決まったと。


「待ってましたわ! この瞬間を!」


 その時を狙い、シズネの本体は宙より姿を現した。


「幻影すべてが偽物! わたくし始めから姿を透明にして忍ばさせてもらいました」


 ひらりと舞う木の葉のように、シズネはカリンに向けて落下する。攻撃を終え待機中の格好にするりと刺すように。カリンによる攻撃と攻撃、その呼吸の間をとらえた完璧なタイミングだった。


「これは」


「ハルに……! 近寄るんじゃありませんわ!」


 シズネの小太刀がカリンの首筋に振り下ろされ――

 そして、砕け散った。


「そんな……馬鹿なっ」


 唖然とする暇などなかった。シズネは何が起こったか認識するより早く、腹部に衝撃を受けて舞台を転がった。


「同時攻撃すらおとりで本体は奇襲の一本狙いか。馬鹿の一つ覚えの幻惑魔法かと思えば、ちったあ頭使うようになったじゃねーか。悪くない手だ。相手が私じゃなかったらな。しかし、感心したよ。ハルのためか?」


 カリンは折れた小太刀を拾い上げて舞台の外に放り投げる。

 シズネは体を捻じ曲げて、カリンを見上げた。彼女の首筋には氷の鎧が出来上がっていた。彼女の魔法が小太刀の攻撃を防いだのだ。


「ぐ、うう……」


「努力したんだろうな。格上に勝つために必死になって考えたんだろうな。ドーピングまがいなことまでしてよ。涙ぐましいよ全く。だけどな私は天才だ。お前らカスどもがする、ゴミみたいな努力や工夫でどうにかなる相手じゃねーんだよ!」


 動け。

 シズネは歯を食いしばり祈った。たった一度蹴りを受けた程度でダウンする奴があるか。相手が天才なのは始めからわかっていたこと。ここで負けたらカリンは無傷のままハルと戦うことになる。


「じゃあな。くそ雑魚泣き虫。後でハルに存分に慰めてもらえ」


「――め、命じる。違えよ!」


「遅え」


 シズネの魔法は間に合わなかった。カリンの蹴りをもろに受け、敗北の事実を知ることなく、彼女の意識は闇に消えていった。

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