第16話 ハルとエリオットの夜

 師匠曰く、紳士の朝は早いということで、今日も今日とて私は日が昇る前から鍛錬に励む。

 小さめの庭に出て、ご近所さんの迷惑にならないようにと静かに動き始める。師匠の身の回りの世話をするのも弟子の使命。朝食の用意なども織り交ぜて、基礎訓練に集中するとあっという間に昼になる。


 こういう時に日の当たる庭はありがたい。とここにきて思うようになった。寮にいたころは日陰でしっそりとしていたものだ。


「ハル、次はあれやって、空中で回転してキックする奴」


「いいですよ。それっ」


 私はその子の合図とともに飛び上がり、サービスで二回転、流れるようにハイキックを決めた。

 綺麗に風を切る音。

 着地でちょっとよろけたが、皆そこまでは見ていなかったようで、きゃっきゃっと無邪気な歓声があがる。


「すげえ! ハル姉今の魔法無しでしょ」


「格闘っていうか曲芸みたい」


「ハルって体柔らかいよね」


「ね、もう一回。もう一回」


 その笑顔を見ると、見栄を張って回転数を増してよかったなと感じる。

「なんだか賑やかだね」


 振り返ると窓際に師匠がいた。私の淹れたお茶を片手に、庭に集まった近所の子供たちを順々に眺めている。


「誰?」「ハルのお兄ちゃん?」「彼氏? ねえねえ彼氏なの?」


「師匠は私の師匠です」


 私の言葉に子供たちは大騒ぎ、この年のころの子供たちというものは何が起きても騒ぐものだ。彼ら彼女らは揃って師匠に大声で挨拶をする。


「うん、良い子の諸君いい挨拶だ。こんにちは。僕はこの家の主エリオット・アゲインだ」


「師匠、もしかして私の何か用ですか? 何でも言ってくださいね。この弟子に! この弟子に!」


「はしゃぐな、はしゃぐな、君は犬かね。ただ子供の声が聞こえたから何かと思っただけだ」


 鍛錬をしていると、いつの間にか近所の子供たちに囲まれている。ということが昔からままある。派手に動き回ることもあるので目立つのだ。飛んだり跳ねたり拳を振るったり蹴りを放ったり、幼い子供たちには奇特なこの行動が名物的な扱いになり、気が付けばいつもの待ち合わせ場所扱いになりかけているのだ。


「ところで日中から家にいて……まさかまたサボりでは……」


「ち、違います。今日は休みなんです。なので今日一日は稽古に費やそうかと」


「ハルちゃん、あ、いたいた。今日も熱心ね。大魔道祭に出るんですって?」


 お隣さんのお婆ちゃんが袋をに手に顔をのぞかせる。


「あ、こんにちは。そうなんです。私頑張っちゃいますから!」


「ハルちゃんならいい結果出せるよ。毎日練習してるんだものね。あ、これ大根のおすそ分け。お師匠さんと分けて食べてね」


「おおっ、これは初めて見る食材だ。感謝するマダム」


 大根を珍しいおもちゃのようにまじまじと見つめる師匠。シズネに任せればきっとおいしい夕食ができるだろう。


「ハル姉、大魔道祭でるの?」


 わらわらとぶら下がってくる子供たちを捌き、くすぐり返しながら答える。


「そうですよ。優勝とかしますから。サインならいまのうちですよ」


「それはいいや」


「……そうですか。いいんですか。後でほしいって言っても駄目ですからね」


「あのね、うちの兄ちゃんもでるって言ってんの。わたしどっちを応援したらいいのかな」


 落ち込んでいると背中に重い衝撃。また一人女の子がのしかかってきたのだ。遠慮のない体重を乗せたのしかかりに思わずよろめく。


「そうですねー。難しい所ですが、お兄ちゃんを応援してあげたほうがいいんじゃないですかね」

「ハルはわたしに応援してほしくないの?」


「わわっ、そういうアレじゃなくてですね。応援っていうのは大事なんです。もちろんそれ以前に人事を尽くすさないといけないんですが、それでも、応援されると胸の奥がぐぐぐってなって、普通なら駄目だってなるところでも、あと一歩踏み出せるんです」


「じんじ……だったら応援しなくていいなんて」


「私は師匠が応援してくれますから! だからミリちゃんはお兄ちゃんを応援してあげてください。あ、あとお兄ちゃんの出番以外では、私の応援もよろしくお願いしますね」


 首のあたりまでにじりあがってきた女の子は、納得いったのかいっていないのか、複雑そうな顔をしていた。だが、それ以上突っ込んでくることもなく、ずるずると落ちていく。私は彼女を庭の芝生に転がして笑った。


「ぎゃあっ。じゃあ、あれやってよ……」


 そうしてリクエストを出され、それに応え、そうしているうちに日が暮れ始める。子供たちも周りでしゃべっていた大人たちも散り散りになってもといた場所へ戻っていく。


 残されたのは私と師匠の二人だけ。


 たたきつける。寮から持ってきた訓練用人形、叩かれ君Exへ拳をたたきつける。


 師匠は私に背を向けて何やら本を読んでいる。前に少し覗き見したことがあるのだが、私にはよくわからないたぐいの本だった。あれが紳士の本ならば私はいつかアレに向き合わないといけない。

 傾いた夕日に照らされて、ただただ己の体を鍛え上げていく。他の魔法使いと違い、私の魔法はこの肉体を通さないとろくに機能しない。


 学校での勉強はもちろん、肉体の鍛錬を怠ればすぐに落ちていく。

 風が冷たくなってきたが体は熱い。カリンちゃんに負けてからずっと熱いままだ。

 子供たちがいなくなった庭は寂しいくらいに静かだ。あるのは私の呼吸音、そしてこの体を流れる血の流れる音だけ。


「時に」


 と後ろで師匠がぽつりと言った。


「君はなぜ戦うのかね」


「なぜ、ですか?」


 師匠の問いと同じく、私の言葉も静かに浮かんで消えていった。


「学園での模擬戦でも、カリンとの決闘でも疑問に思ったのだ。君はボロボロになってギリギリまで追い詰められても諦めない。普通突破できない壁を前にしたものは諦める。拳でたたき続けるなどしないものだ。別に勝機があって粘っていたわけでもないのだろう?」


「まあ、そうですね。勝機とかそういうの難しくて私にはまだわかりませんから……理由、理由か」


 改めてそう言われると変な気分になる。


「ワンダーランドの皆のことが好きなんですよね。ずっとここで育ってきたわけですし、力になりたいっていうか。昼間の子供たちも、師匠といったパン屋さんも、隣のお婆ちゃんも、学校のみんなも……笑顔でいてほしいじゃないですか」


「それだけかね?」


「あと、優勝してちやほやされたいです。凄いって言われたいです」


「ハル、君、僕に何か隠しているな?」


「え……」


 手が止まる。延々と続いていた鈍い打撃音が途切れた。

 振り返って師匠を見るが、向こうは首を動かしてすらいなかった。

 背中から師匠は言う。


「別に僕は君の何でもない。隠し事など、したければいくらでもすればいい。怒りもしなければ悲しみもしない」


 ただ、と師匠はつづけた。


「理由のない戦いなら、しなくともいいのではないか? 辛いだけだろう。このままいけば君はまたあの思いをすることになる。拳を血で濡らしながら壁をたたき続けることになる。氷漬けにされながら踏みつけられることになる。それをやめ、分相応のつつましい暮らしへ行けば、細やかな幸せがある」


「それは師匠としての忠告ですか?」


 師匠の背中がわずかに動いた。困ったように後頭部に触れる。髪の毛一本乱れていないのに、寝癖を直すようにしてさすった。


「いや……君と僕は、そうだな何の縁もないというには嘘になるだろう。だから、まあ、……友、からの親切とでも受け取ってくれたまえ」


 師匠にしては珍しく歯切れの悪い言葉だった。それだけに真剣みを感じて私は即答できなかった。

 脳裏にシズネの泣き顔が浮かぶ。震えた唇から放たれた言葉が、その残像が私をとらえる。

 自分の胸にある言葉の群れを整理して、ゆっくりと口を開く。


「私……『大丈夫』って言ってあげられなかったんです」


 それは師匠にとって意味の分からない一言だっただろう。

 いや、私にとってもわからない言葉だった。

 それでも応えるしかない。私はこの人の弟子なのだから。


「だから、次は『大丈夫』って言いたいんです。どんなメナスが来ても私が守る。だから皆安心して笑ってください……って。そのためには大魔道祭で負けるわけにはいかないんです。相手が誰でも、あのカリンちゃんでも、負けちゃったら『大丈夫』って言えなくなりますから……ごめんなさい。意味が分からないですよね。でも、これが私の戦う理由なんです」


 師匠はこんなことで怒ったりなどしない。そう信じていたが、彼が軽く体をゆすったときは心臓が震えた。


「守るとは……そう簡単なことではない。皆から託され、信じられ、祈られる。その上で勝ち取らなければならない。逃げることは許されない。相手を選ぶ権利などない。あるのは必勝のみ。そんな道を歩むのは、紳士でも難しいことだ」


 何かを懐かしむように、静かに師匠は言う。


「だが、納得はできた。君の過去に何があったか詮索はしないが、いらぬ親切をかけた僕を許せ」


 何を言われているのかわからず、一瞬あっけにとられる。

 私が意味の分からないことを言って謝っていたはずなのに……

 ……伝わった訳ではないんだろう。師匠はかつてバンダースナッチ事件があったことすら知らないはずだ。

 恥ずかしそうに咳払いをして師匠が席を立つ。


「ハルの武術はどこのものかね」


「え? ええと、特にそういうのはありません。ただほかの人がやっているのを見よう見まねで」


「我流か」


 師匠が私の横に立つ。構えらしい構えもないまま、師匠は虚空に向かって蹴りを放った。

 目にもとまらぬ早わざだった。風が巻き起こり、ほこりが舞い上がる。雲が散り、小鳥が逃げいていった。


「君のやる気にあてられたようだ。僕も鍛錬をしておこう」


「師匠! もう一回、もう一回今の見せてください」


 師匠は黙ったまま同じ動作を繰り返す。やはり早くてよく見えない。

 ただ、それでもワクワクしてくる。師匠の言うバリツの一端に触れたような気がした。


「こうですか?」


 真似て蹴りを放ってみる。全然似てない形だけ真似た蹴りだ。


「違うな。少し腰を落としてみたまえ……いや、余計に駄目になったな。もっと重心を前に……」


 鈍い音を立てて、叩かれ君に蹴りが入っていく。その一つ一つを見て師匠は悩むように唸るが、私にはそれらの違いが判らない。


 師匠はしばらくの間首をひねっていたが、やがてそれをやめた。私の一動作を目を細めてみている。まるで何かを懐かしむように。とても優しい目をしていた。


「バリツは、誰にでも使えるというものではない」


 優しい目のまま師匠は言う。


「はい!」


 私はよくわからないまま返事をした。ただただ無心で体を動かす。


「女王陛下に認められた真の紳士のみが使える技法。……僕はかつてある人からそれを学んだ」


「師匠の師匠ですか?」


「そうだ。もういい歳になる。元気にしているといいのだが、あの人は殺しても死なないかな」


 私の知らない人を思い、笑う師匠。


「師匠にも師匠がいるんですね。私も会いたいです」


「よく言われていたよ。お前もそろそろ弟子を取れって」


 まるで目の前に師匠の師匠がいるような顔。


「僕にはよくわからなかった。僕一人いれば女王陛下への献身は務まる。それにそこらの子供に僕の跡が継げるとも思えなかった。笑えるだろう。まるで僕は始めから大人として生まれてきたみたいだ」


 師匠はゆっくり息をする。


「僕だって子供だった。師匠に頼み込んで弟子にしてもらったんだったな。懐かしい」


 師匠に師匠がいるように、師匠も子供だった時があった。言われてみれば当たり前なのだが、想像しづらい所がある。私にとっての師匠は今の師匠だけだ。


「蹴りを放つときはもっと低く構えたまえ……いや、それはやりすぎだ。それも違う……ううむ、難しいな。師匠のようには行きそうもない」


「こうですか!?」


 手が乾いている、足が乾いている、体の隅々に至るまで。この程度の鍛錬は日常茶飯事だった。だが、今は何かが違う。師匠の指導か、試合前の緊張か、はたまたただの錯覚か。今ならば師匠の言葉全てを吸収できそうだった。それほどまでに乾いていた。


「敬意を忘れるな。僕が女王陛下と国を敬意を持っているように、君も君の胸にあるものへ敬意を示し続けろ。バリツはその後ろについてくる」


 師匠は最後に付け加えた。


「師匠の受け売りだ」


「はい」


「それと、これは僕の持論だが……ハル、君の最も得意としている技は何だね」


「得意……ですか。魔法で上昇してからの膝や踵蹴りが得意です。シズネちゃんやカリンちゃんみたいな攻撃魔法は得意じゃなくて……」


「名前はあるかね」


「名前? いいえ、我流ですし、ただ全力で蹴るだけなので」


「名前を付けたまえ。格好いい名前を」


 師匠は真剣な目で言った。あまりにも真剣だったので、一瞬返事に詰まってしまう。

 紳士の冗談なのか探る暇もなく師匠は続ける。


「僕のバリツの技にも一つ一つ名前がある。直接的な技から歩行法や呼吸法に至るまで。そして、最も得意とする必殺技は自分で名付けた。僕の師匠も、その師匠もそうした。君もそうしたまえ」


 冗談ではない。直感する。


「名前、ですか……でも、そんなもので強くなれるんでしょうか」


「どうかな。だが、格好いい必殺技の一つも持たない奴に真心はない。真心のない技をバリツとは呼べない。紳士の使命の一つは、何を隠そう格好つけることにあるのだよ」


 控えめに胸を張る師匠。この人が言うと本当にそうであるような気がしてくる。

 私は魔力を開放して飛び上がる。動かない的に向かって得意の踵落としを決めた。


「大切なのは心に従うことだ。先も言ったがバリツは後からついてくる。ハル、君の最も強いものの名前をイメージしたまえ。憧れと情熱を自分の一歩先に置くんだ。そしてそれにぴったりと多い重なったとき、君の必殺技は完成する」


 私は師匠がやっているのをまねて、自分の手のひらを見つめて考えてみた。

 私の最も憧れるものの名前。強さのイメージ。

 心の中のもやもやとした所を探る。


 私より強い人などいくらでもいる。バンダースナッチ。スナーク。アーリン。シズネ。セリア。学校の先輩たちや魔獣。そして何より……


「だったら、私の必殺技は師匠バスター……」


「それ以外だ。それ以外にしなさい」


「えー、だって師匠言ったじゃないですか。私にとっての強さのイメージは師匠なんですから」


「えー、ではない。何も今すぐに決めなくともいい。こればかりは意識的に決めるものではないからな。ただ、絶えず問いかけ続けろ。強いものの名前を追い求めろ」


 師匠は熱い息を吐いて空を見上げた。


「難しいことをしゃべりすぎたな。師匠ならもっと……いや、やめておこう」

 それから師匠は黙って私の鍛錬を眺めていた。日が完全に沈んでも、シズネが帰ってきても、ずっと私を見てくれていた。


 大魔法祭まであと一週間、私は師匠の言葉を反芻しながら跳ぶ。

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