第15話 彼女の原風景
私は自分が夢を見ていることに気づいている。
夢とは記録、見ることはできても変えることはできない。
私はこの後に起こることを知っている。
いまさら動揺もできない。
もう何度も見てきたのだから。
空が燃えている。町が燃えている。
五年前のことだ。
黒騎士区域の西方、魔獣区域とワンダーワールドを隔てる門域でそれは起こった。
ある大型の魔獣が大軍を連れてこの区域まで侵略を仕掛けてきたのだ。
魔獣の名をバンダースナッチといった。魔獣の中でも気性が荒く、極めて攻撃的な能力を持っていることで有名だった。事の発端は今となってはわからない。その時期に向かった討伐隊が、バンダースナッチを中途半端に追い詰めてしまったことが原因とも言われているが、バンダースナッチは人語を知らない魔獣。真相は闇の中だ。
バンダスナッチのまき散らす炎の魔法によって、町が煙っていく。空が黒く染まっていく。
私の好きだった町はそこにはなかった。
町の端端から聞こえてくる姿のない悲鳴と、避難勧告。小鳥が落ち、花が燃えておち、子供たちが泣くのを私は見た。
町中に警鐘が鳴り響いたとき、私は一人遊びを中断して門に向かった。
決まりでは避難所に行くことになっていたが、それはできなかった。いつも笑っているみんなが、不安に泣いているだろう姿を見るのは耐えらなかったのだと思う。
私は過去の私を責める気にはなれない。今だって同じことをしただろうから。
どこからともなくすすり泣く声が聞こえてくる。それを探して辺りを見渡す。
城壁に持たれかかっているように一人の女の子がいた。同じ年くらいの女の子だった。
「し、しっかり。大丈夫ですか?」
メガネの女の子は服を煤だらけにして泣くばかり。私に気づいてはいるようで何かしゃべろうとしているのだが、恐怖で意味のある言葉が出来上がらない。
「どこか怪我を……?」
汚れていてよくわからないが、見てわかるような怪我はない。女の子は泣き震えながら首を横に振る。そして、私の背後を場所を指さした。
不思議なことだが、その時まで気づいていなかった臭いを、指さされた瞬間嗅ぎ取ることができた。夢の中でもそれはしっかりと再生される。
血の臭いだ。
「のろまが。まだ逃げてなかったのかよ」
真っ赤な瓦礫に体を預けて横たわる少女……私は彼女を名前を知っていた。
「カリンちゃん! 血が!」
幼馴染の少女は全身を血濡れにしている。頭のてっぺんがかっと熱くなるのを感じた。
「喚くな。私の血じゃねえよ。返り血だ返り血。私に喧嘩売るカスみたいな魔獣をぶち殺してただけだ」
強気に鼻を鳴らすカリン。嘘ではないようで、落ち着てみてみれば彼女にダメージらしいダメージはないことが分かる。その周囲には氷のオブジェが散乱している。カリンの仕業だろう。
「よかった……! 一人で魔獣を倒しちゃうなんて……やっぱりカリンちゃんはすごいです」
「分かり切ったこと言うな。この辺りには魔獣はいない。私が殺したからな。だからさっさとそこのガキ連れて逃げ……」
「カリンちゃんも一緒に……」
「無理だ。おいてけ」
「で、でもカリンちゃんも一緒なら」
カリンが大きく舌打ちをする。がれきに埋もれた腕を見やって唸るように言う。
「見てわからねえのか。挟まって動けねえんだよ。カス魔獣のイタチっぺだ」
「じゃ、じゃあ私引っ張りますから、一緒に……!」
「やめろ。お前ひとりじゃ意味ねえ。つぶれてはいないし、折れてもない。ただ絶妙なすき間に挟まってる。こうしているのもムカつくしよ、無理やり引き抜いても良いんだが……下手すりゃ折れかねない」
絶句した。今魔獣に襲われたら絶体絶命ではないか。
泣き止まない女の子を背に、私は考え込んだ。いや、考えるまでもないことだっただろう。しかし、その時の私は長い沈黙が必要だった。二人を守らなければならない。まだ学園に入って幾ばくも無い自分が、大人の手を借りず、たった一人で。
出来るのか?
問えば答えが出てきてしまいそうで、私は考えるのをやめた。口の中だけで叫んで、泣いている女の子に向き合う。
「私、ハルって言います。あなた……お名前はなんていうんですか?」
「し、シズネ……」
それが女の子が初めて言った意味のある言葉。
「シズネ、シズネちゃん。うん、いい名前だと思います」
「あ、あの人は……」
「あの子はカリンちゃん。心配しないでいいですよ。怪我はしていません」
「おい、カス。何のんびりしてんだよ。いくらお前が能無しでも今の状況くらいわかるだろ。さっさと行け!」
「行きません」
「はぁ? とちってんじゃねえぞ! いいからそのピーピー煩いのを連れて消えろ!」
「駄目ですよ。カリンちゃん。そうしたらカリンちゃんはどうなるんですか。私は嫌ですから。友達を見捨てて逃げるなんてのは」
カリンは不愉快そうに眉を吊り上げた。口を開き何かを言おうとしたようだったが、結局やめた。
「少しだけ、少しだけ待てばいいんです。今の時期はセリア先生もいますし、すぐに収まります」
おばあちゃんの家訓を思い出して、無理やりに笑って見せる。笑顔が吉朝を運んでくることを祈る。
警鐘からだいぶ時間がたっている。人々もみな避難してしまっただろう。
この辺りには誰もいない。
そう気づいてしまった瞬間、耳が様々な音を拾うようになった。炎がバチバチと燃える音。壁がみしりときしむ音。遠くから響く不明瞭な人の声と、同じく獣の唸り声。苛立つカリンがもぞもぞと動くことで生まれる衣擦れの音。シズネのすすり泣く音。
静かなのに雑音は多い。普段気にならなかった音が洪水のように私を責める。
「……ね、ねえ」
「は、はいっ!」
小さな失神から私が目覚めると、シズネが怯えたようにこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫ですわよね……?」
「え?」
「わたくしの家……南にありますの。その、魔獣の向かった先って聞いて……わたくし、怖くて怖くて……ママ、パパ……みんな……」
蚊の鳴くような声に胸が締め付けられそうになる。彼女は自分ではなく家族の心配をして泣いていたのだ。
「だ、だい――」
最悪なことに気づいた。
南と言えば町の中でも貧しい人たちが住む区域。
魔法使い達は可能な限りすべての人を救うように奮闘するだろう。だが、彼らも人の子、一片の漏れもなくすくいきるということはまず不可能。優先順位というものが発生する。
その中で最も優先順位が高いのが、北に住む裕福な人たちだろう。順位はそのまま南下していく。南はの貧困地区は最後だ。
貧者は助けても見返りがない。魔法使いの中にはそう言って救いに向かいたがらない者も多くいる。明言はしなくとも、目の前の有事を放っておいてまでするべきではないだと考えているものが大半だろう。
どうして気づいてしまったのだろう。
気づかなければ無責任に大丈夫だと言えたのに。
だが、シズネもそれは薄々気づいていただろう。彼女の目には恐れと同じくらいの諦めが潜んでいる。バンダースナッチがどれだけ強大だろうと、ワンダーランドすべてを敵に回して無事に済むわけがない。いずれ騒動は終わりを迎える。……いくらかの犠牲を払って。
シズネは自分の家族が、そのいくらかに入る可能性が非常に高いとわかっているのだ。それはこれまでの短い人生に無意識にしみこんだものでもある。
誰かが彼女を守らなければならない、と思った。
だが、誰が?
私はここで二人を守らないといけない。今駆け出しても間に合うとも思えない。何かの間違いで間に合っても、一人でどうにかなるとも思えない。
誰がこの小さな子供を助ける?
「大丈夫ですわよね……? パパとママは無事ですわよね?」
シズネは再び縋るように言う。カリンが無関心そうに顔を背けた。
「だ……」
嫌な汗が頬を伝う。炎の生む熱が原因ではない。空気が苦くて重い。深呼吸をしたかった。
「だ、だい……」
言え、と胸の奥で誰かが叫ぶ。
彼女の望む言葉を吐け。
このひと時だけシズネを安心させろ。
それが今お前にできる最上のことだ。
優しい嘘をつけ。と。
「いたぞ! 子供が三人!」
その時はっきりとした声がやってきた。路地の向こうから複数の魔法使いが駆け寄ってくる。避難できなかった人を探しに来てくれたのだ。
「バンダースナッチは撃退した。怖かったな。もう平気だ。一人は怪我……じゃないのか。全部魔獣の血……? なんて子供だ」
「と、取り合えず救助だ。きっちりはまってやがる。念のため回復魔法の用意。丁寧に引き抜くぞ」
あっという間に大人たちが動き回っていく。複数名の魔法でカリンの腕を引き抜き、私とシズネの間に割って入って抱きかかえていく。
シズネは魔法使いに抱かれたまま、真っ赤に腫れた目で私を見ていた。
『大丈夫ですわよね?』
答えをまだ聞いていないとでも言いたげに、ずっと見ていた。
その答えを私はまだ出せていない。
何度夢見ても答えは出ない。
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