第14話 冬の夢

 冬と戦う夢を見た。

 冬は魂まで凍える様な寒気で私を傷つけた。立ち向かおうとして拳を構える私だったが、姿かたちはどこにもなく、振るった拳は空を切るばかり。


 夢の中なのに、寒くて寒くて仕方ない。痛くて痛くて仕方ない。

 冬は笑った。それすらも、どこから笑われてるのかわからない。

 私は笑い声のするほうに向かって走り出した。吹雪が顔面を強打するのにもかかわらず走る。

 距離感がつかめない。無謀な戦いだとしか思えなかった。それでも走った。


 吹雪のカーテンの奥に、影を見た。

 あと少し、あと少しで、冬の全貌が見えそうな気がして、ただがむしゃらに走る。それ以外にすべを知らないから。ただただ目を見張る。何もこぼれ落とさないように。

 なぜなら、その冬は私にとって――



 朝の光。

 どこか遠くから声が聞こえてくる。


「信じられませんわっ、まったく信じられませんわ!」


「いや、まて、僕の言い分にも一理あるとは思わないかね」


 目を開けると、そこは私と師匠の家だった。

 師匠に用意されたベッドに寝かされ、柔らかい毛布を何重にもかけられていることに気づく。

 私は……そうか、カリンちゃんに負けて、シズネちゃんに助けてもらったんだ。


「相手がいじめって言ってるのに、決闘も誇りもありませんわ。ハルがあんなに痛めつけられてるのに、黙ってみてるなんて……ひどすぎます」


「君も黙っていたから、てっきり同意してくれると思ったのだが」


「すぐに助けたかったに決まってます。でも、カリン……あの性悪女は暴力的な素振りばかり見せるくせに、中身は抜け目ないんですの。あの瞬間まで手が出せませんでした」


「確かに、ハルと戦っているときも、ハルを痛めることを楽しみながらも、ずっとこちらを警戒し続けていた。こちらが手を出せばすぐにでも反撃できるようにな。ただ苛烈なだけの少女ではない。いったい何者なんだ? 知り合いなんだろう?」


「幼馴染です」


 ベッドからもぞもぞと抜け出すと師匠とシズネちゃんが、息を合わせたかのようにこちらに首を向けた。


「目が覚めたか」


「ハル! もう起きて大丈夫ですの?」


「アハハ……大袈裟ですよシズネちゃん。ただの喧嘩ですから」


 その場で軽く飛び跳ねる。見栄を張ったつもりはなかった。


「寒くありませんか?」


「はい。二人が温めてくれたおかげで、ぬくぬくです」


「体に痛みは?」


「カリンちゃんを怒らせちゃったのは悲しいですけど、ダメージはないです」


「あんな奴、何もしなくても常に怒ってるんですら、怒らせておけばいいんです」


「で、そんなやつと幼馴染だったのかね」


 しばらくキッチンに消えていた師匠が戻ってきた。湯気の立つコップを渡してくれる。私のいれる普段のものとは全然違う、良い匂いのするお茶だ。


「今日はこの僕が淹れた。特別だぞ。感謝して味わいたまえ」


「えへへ、嬉しいですね。笑顔になっちゃいます。いただきます」


 そっと口をつける。ほんのりとした味が体の中にしみわたっていく。さっきまで見ていた夢を忘れてしまうくらいに暖かい。

 それを二度三度繰り返して、私は言った。


「カリンちゃんとは子供のころからずっと一緒でした。よく二人で遊びました。学園入りを目指して魔法の練習をしたり、一緒に勉強したり、カリンちゃんに連れられて、魔獣の出る区域に遊びに行ったこともありました。懐かしいな」


 目を閉じれば今でもカリンちゃんの背中を思い出すことができる。あの時は二人とも幼かった。

 どんな時も物おじせず、先へ先へと進んでいくカリンちゃんに置いて行かれないよう、着いていった冒険の日々。毎日がドキドキしていた。


「以前言っていた、才能のある幼馴染とはカリンのことだったのか?」


「はい。この区域に小さな子供は結構いましたけど、一番凄かったのはいつもカリンちゃんでした。最初に逆上がりができるようになりましたし、勉強も一番。最初に学園に入ったのも彼女でした」


 もう一口。やっぱり美味しい。


「私みたいな慌てんぼうは、いつもカリンちゃんの後ろに引っ付いてました。子分みたいな感じで。彼女は子供のころから堂々としていて、怖いものなんてないって感じで、よく笑っていました」


「仲が良かったなら、どうして昨日のようなことに」


 師匠は長い足を組んで首をかしげた。

 確かにもっともな疑問だと思う。だが……


「私にもわかりません。昔からカリンちゃんはああいう性格で、人との衝突が絶えない女の子でした。間違ってるって思ったら、絶対にひきませんし、自分の中にある……ルールでしょうか。プライドを大切にしてるんです。こんなこと言ったら、また怒られそうですけどね……えへへ。『ハルごときがなにしった風な口きいてんだ』とか言われそうです」


 カリンちゃんを真似て言ってみたけど、似てなかったのか、二人は笑ってくれなかった。


「私、あんまり難しいこと考えるの苦手で、きっとカリンちゃんはそこが嫌だったんだと思います。時折怒らせちゃって、こういうことになるんです」


「こういうこと……というのは、先のような決闘になると?」


「はい。私も頑張るんですけど、いつもいつも負けちゃって……昨日ので確か、五十五戦、五十五敗だったかな。悔しいですね」


 確か、などとうろ覚えであるような口ぶりで言ったが、実際のところ、私はしっかりと覚えている。

 カリンちゃんと戦った一戦一戦は、敗北の一つ一つ、痛みの一つ一つに至るまで、私の大切な記憶の一片だ。


「そんな聞こえのいいものではありませんわ。あの女はハルを嬲って楽しんでいるんです。どこにでもいるつまらないいじめっ子ですわ」


 シズネちゃんが怒りを抑えた声でぴしゃりという。私に向かってというより、私の話を聞く師匠に向かって。誤解をしないというにといった風にだ。


「私とハルが出会ったのは学園に入ってからですが、その時にはすでにカリンはハルに目をつけていました。ハルの可愛さに嫉妬したのか、何かにつけて衝突してくるんですわ」


 シズネちゃんは、私とカリンちゃんが戦うたびに見せてきた深いため息をまたつく見せる。


「素行も悪いんですが、実績があるもので……」


「なるほど、だんだん話が見えてきた。学園にとっては才能がある分取り合え使いに困る、問題児という訳か」


「問題も問題。大問題ですわ! わたくしのハルをいつもいつも……!」


 地団太を踏むシズネちゃんに比べ、師匠はわずかに眉をひそめるだけだった。

 下手に大げさに騒がず、話を聞いてくれる。それが私にはとても嬉しい。


 あの人は冷気そのものだ。触れればたちまち凍り付く。凍てつく嵐の化身。それゆえに誰にも近づかず、誰にも近づかれない。

 授業や魔獣討伐の時も自由気ままに参加したり、しなかったりと繰り返してる。

 それでも許される。それだけの実績と才能があるからだ。


 自信満々なカリンちゃん。強くて鋭いカリンちゃん。いつも何かに怒っているカリンちゃん。昔から何も変わらない。

 彼女を前にすると、今でも胸の奥がチリチリとする。私はこの感情を何と呼ぶのか知らない。

 恐れているのか。怒っているのか。悲しんでいるのか。そのすべてなのか。彼女に触れれば知ることができると思ってたっても、彼女には誰も触れない。

 私はそれが知りたくて、カリンちゃんの怒りをかうことを知りながら、彼女と向かい合い続けているのかもしれない。


「師匠」


「なんだね」


「私がカリンちゃんに虐められていて、苦しい、助けてほしい。そう言ったら助けてくれますか?」


 師匠はやや気取った沈黙ののちいった。


「どうかな。僕はただの旅行者であって、都合よく伸ばされる助けの手ではない。あまり期待しないことだ」


 大嘘だ。


 私はつい笑顔になる。

 この人は間違いなく助けてくれるだろう。それがどんな状況だろうと、駆けつけてくれる。スナークの森のように。学園での模擬戦の時のように。


 きっとそれが師匠の言う紳士だから。

 この人の弟子になってよかった。

 この人が見ててくれれば、私はこの先何かを恐れることもできる。恐怖を知ったとき、いつでも弱音がはける。


「師匠笑ってください。私は何も怖くありません。次の大会、カリンちゃんに勝ちます。バリツで勝ちます」


「いや……君、バリツ使えんだろ……まあ、いいさ。それで満足なら」


 師匠は呆れたように、しかし、しっかりと笑ってくれた。


「そして、ありがとうございました。昨晩手を出さずに見届けてくれて」


 私は嬉しくなって、つい深く頭を下げる。狼狽える師匠をしり目にシズネちゃんにも。


「シズネちゃんもありがとう。手を貸してくれて。矛盾してるかもしれませんけど、私、二人の行動が嬉しいです」


「まあ……! とんでもありませんわ。ハルのためなら。本当は幻に紛れてぼこぼこにしてやりたかったのですけど。マウントをとってこう、ぼこぼこに!」


 シズネちゃんが髪を振り乱して乱舞する。彼女はいつでも元気だ。


「まあ、それも大魔道祭にとっておきましょうか」


「気になっていたんだが、その祭りはどんなものなんだ? 武術大会か何かか?」


 話の切り替わりを感じ取ったのだろう。師匠がどこかほっとした顔をした後、冒険家らしい好奇心を前に言う。現地の祭りごとに興味が出たのかもしれない。


「私っ、私っ、私が師匠に説明します。ええとですね、大魔道祭はワンダーランドでも最大規模のお祭りです。学園の内外問わずいろいろな魔法使いが集まって、戦うんです。最強を決めるんですよ。才能ある魔法使いを探すために、王や女王の区域から使者がくることもあるんですよ」


「シンプルだな。ワンダーランドには、その大魔道祭以外ではあまり祭りはないのか?」


「ありますよ。小さいものも含めればしょっちゅうです。ただ、大魔道祭はほかの大会と違うところがあるんです。私が出たがる理由もそこにあります」


 ちょっと興味をひかせてみるために、間を挟んでみる。

 思った通り師匠は前のめりになってくれた。


「大魔道祭の優勝者にはですね。魔獣と戦う権利をもらえるんです。それもただの魔獣じゃありません。大魔獣と言われるメナス種を相手にできるんです」


 私がどうだ。と振り上げた腕をうっとおしそうにどけながら、師匠は眉を寄せた。


 あれ? あんまりいい反応じゃない。


「ん? 賞金や賞品は?」


「ありません!」


「それ、嬉しいのかね? 魔獣だろう? 戦うのだろう? 変じゃないか? 褒美というよりか罰ではないのかね?」


「あ、そうか師匠はメナスを知らないんですよね。メナスは魔獣区域に潜むめったに現れない大魔獣です。数年に一度発生してワンダーランドを目指して襲ってきます。怖い魔獣です。子供たちは泣きだすくらい怖いです」


 息をすう。


「つまり、そいつからワンダーランドのみんなを守れる名誉ある魔法使いが、大魔道祭優勝者なんです! わかりましたか? テンション上がりますよね!」


「なるほど! つまり紳士のようなものか。理解した」


 膝を打って納得する師匠。

 シズネちゃんは、なぜかその横で頭を抱えている。


「なんで理解してしますのよ……言っておきますけど、あくまで祭りですからね。あらかじめやってくるメナスの脅威度は、王の区域にいる予言の魔法使いが見ていますから、勝てない戦いはさせません。後ろにはフォロー役も体力に用意させていますし……ま、新しい魔法使いの誕生を祝したデモンストレーションですわ。真面目にメナスを怖がってる人なんていません」


「そんなことないです! メナスを怖がって夜な夜な震えている人だっているはずなんです。私はその人のために戦いたいんです」


「なるほどな。確かにメナスが来ることを予め知っていなければ、大会を開いても優勝名誉が送られないということになりかねないな」


「ついひと月ほど前に予言が生まれたんですの。すでにメナス到着日時も大まかに決まってますわ。後はそれを迎え撃つ勇者を決めるだけってことです。ハルはそこに立ちたいようなんですが……」


「もう、シズネちゃんはさめてますねー。どちらにせよ魔獣を放っておくわけにはいかないんですから、誰かがやらないといけないんですよ。だったら、私がやらないと嘘でしょう!」


「別に強い人に任せれば……」


「他人に任せてなどいられません。私は師匠の弟子なんですから!」


「よくぞ言った!」


 師匠はもう一度膝を叩き、勢いよく立ち上がった。かと思うと、ハッとしてすぐに座り込む。


「い、いや君は弟子ではないのだから、任せてもいいのではないかな? ただの小娘がするには荷が重いだろう」


「えへへ、良いんですよ。師匠。私はわかってますから。魔獣を見過ごしたら町の皆の生活がボロボロになっちゃいます。それを守るのは紳士の義務。ですよね?」


「ぐぬぬ……知ったような口をきく」


「立派な紳士見習いですから!」


 シズネちゃんが髪を弄りながら、呆れたようにつぶやいた。


「相変わらずハルの考えることはよくわかりませんわ。まあ、それがいいんですけど」


「え? シズネちゃんも出るんですよね?」


「それはカリンとハルをぶつけたくないからで……勘違いしないでくださいね。別に優勝の名誉がほしいわけじゃないんですから。決勝戦で当たったら勝利はハルに譲るんですからね」


「師匠。私知ってます。これツンデレですよね?」


「いや、言い方がそれっぽいだけで、全部本音だと思うぞ」


 師匠が真顔で言う。私にはよくわからないが、師匠が言うからにはきっとそうなのだろう。


「冷えてきましたね」


 コップに残ったお茶を啜りながら私は軽く身震いする。

 窓の外を見れば、雨がぽつぽつと降り始めている。


「あ、洗濯物干したかったのに」


「君はもうしばらく休んでいたまえ。後のことはシズネがやる」


「あなたも手伝いなさいな」


「僕は紳士らしく、優雅な日を過ごすので忙しいのだ」


「つまり、昼食は抜き。ということでよろしいのね? 残念ですわ。ハルの体調に合わせて柔らかいうどんでも作ろうと思っていましたのに」


「待て、なんだそのうどんというのは。気になるぞ。手伝うから僕にも作りたまえ」


 師匠とシズネちゃんが顔を突き合わせて、ああだこうだと言い合っている。二人とも楽しそうだ。少なくとも私にはそう見える。


 ワンダーランドには今の二人のように、楽しく笑顔で幸せに暮らしている人たちがたくさんいる。私はその人たちを魔獣から守りたい。何もなかったように、笑って過ごせる日々を作りたい。怖いものなど始めからいなかったのだと。


 自然と体に力が入る。

 その為には……

 負けませんよ。カリンちゃん。


「はい! 了解です師匠。不肖このハル、全力で寝ます!」


 ばたんとそのままベッドに倒れる。毛布をかぶり目を閉じたらあとはもう、まどろみに任せるだけ。


「いや、どう考えても眠るときのテンションじゃな……うわ、もう寝息が。何故そのテンションで寝られるんだ……?」


 落ちていく意識の中、暗闇の奥で師匠がそんなことをつぶやくのが聞こえた。

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