第13話 カリン
まったく、迷惑な男だった。言っていることも支離滅裂。僕と以前あったような口ぶりだったが、あんな男の顔は見たことがない。完全な初対面だ。
冷えた夜風をあびながら丘を下っていく。
用事を済ませた以上バリツを使う必要もない。バリツはここぞという時にのみ使うものだ。師匠が最初に教えてくれた言葉を、僕は今まで忘れたことはない。
森の奥から聞こえてくる鈴虫によく似た鳴き声に風情を感じながら、家まで歩いている途中、明かりのない夜道を走っていくハルと、シズネを見つけた。
「おい、どこへいくのだね。夜は冷えるぞ」
「師匠! ご無事でしたか」
「どこって、あなたがどっかに消えたから、ハルが探しに来てあげたんじゃありませんの」
「敵はどこですか? どこかに潜んでいるのでは……! あ、師匠は下がっていてください。師匠の敵は弟子の敵。ここはこのハルが蹴り飛ばして……」
「ちょっとハル、落ち着きさない。あんな魔法を仕掛けてくるなて、ただ者じゃありませんわ。ここはセリア先生に連絡を」
「用事はすんだ。帰るぞ。部屋の片づけをしなくては」
やたら張りきるハルと、それをなだめるシズネの横を通っていく。
「お、終わったって? 説明してください。そもそもわたくしには何が起こったのかすら理解できませんわ」
「うん。あの丘が見えるだろう? あの上に魔法使いの狙撃手がいたので、走って蹴った」
「バリツですか!?」
「バリツだ」
「ああ……残念、師匠のバリツ見たかったなあ」
「いやいやいやいや」
シズネが悪い冗談でも聞いたかのように、真顔で首を振る。
「そんなこと出来るはずがないでしょう。魔法使いでも無理なのに、あなたただの旅行者じゃありませんの」
「ふっふーん。それがシズネちゃん。師匠にはできるんです。なぜなら師匠はただの旅行者じゃなくて、紳士だからです」
なぜハルが自慢げになるのかが分からないが、おおむねその通りだ。と目でシズネに言う。
「そんな嘘……いや、ハルが嘘をついているという訳じゃありませんが……では、その狙撃手はどうしてますの? まさか、放っておいたわけじゃありませんわよね」
「いや、その場に放置したが」
またもやシズネが真顔になる。
「え、だって、あんな異常な超遠距離魔法ですよ。もしかしたら魔獣の可能性だってありますのに、それを放置……?」
シズネの顔色がどんどん青くなっていく。
あの魔法使い、見たところどこにでもいる一般男子学生といった風にしか見えなかったが、そんなとんでもない大物だったのか。やたら自信過剰な感じはしたが……先手を打って攻撃が成功したからよかったものの、下手をすればわが身が危なかったのか……?
ん? このシチュエーションは以前どこかでもあったな。
そうだ。スナークと対峙した時も同じだった。魔獣は一匹で複数の魔法使いと同等と聞いたから……確かに、あの男子生徒は大した人物だ。
知らないということは恐ろしいな。他人事のようだが、過ぎてしまった今だからこそ感じられる。
と言うか、僕はこの短期間のうちに怪物と出会いすぎではないだろうか。ワンダーランドはどこもこう危険なのか? だから魔法使い養成に力を入れているとか? そう考えればハルのような小娘が駆り出させれるというのにも納得できる。本来この年頃の娘なら、もっと遊びにかまけているものなのだが……まあ、それもイギリスのような平和な国の話。我らが女王陛下の愛が届かない異世界においては、さまざまな障害があるのだろう。
「何故……とどめを刺さない……」
その時、路地から這い出てくる影があった。
「もう気が付いたのか」
丘の上で意識を飛ばしたはずの男だ。僕を追いかけて丘を下ってきたのか。息も絶え絶えでまっすぐ歩くことすら難しいだろうに、なんという執念だ。
「まだだ。俺は逃げていない。まだ、まだ……」
男はまだ何かをもごもごと口の中でつぶやいていたが、途中、カッと目を見開き黙り込んだ。
顔はこちらを向いたまま、眼球だけで後ろをむこうと、もがいている。
彼の背には一本の長い影。
男はそれを見ようと、あるいは目を背けようとして、視線と顔の向きをそれぞれ矛盾した位置に置いている。
「よう、ハル。こんなところにやがったか」
少女は言った。
夜風に少女の髪が無造作に吹かれる。
その切れ長の目がさらに嬉しそうに細まる。
情の薄い唇がわずかに歪む。
「ま、待ってくれ、俺は逃げたわけじゃない、ハルを探して、ただ――」
少女は男を見ることすらしなかった。道端のごみを片づけるような無造作で、彼の頭部を踏みつぶす。
結局名前も知れなかった男の死体は二度三度痙攣すると、たちまち液状化して夜の路地に溶けて消えていった。
まるではじめから誰もいなかったように。
「カリンちゃん……」
ハルが彼女に似つかわしくない沈痛な声色で言った。
名前を呼んだだけだったが、夜道の空気が乾いたような気がした。
ハルとカリンの視線が交差する。二人の間柄はわからないが、知らない中ではないらしい。かといって詳しいことをきけるような雰囲気ではない。
僕は所在なさげに腕を組むしかなかった。
「探したぜ。寮に行ってみたらもぬけの殻。周りのやつらに聞いてみても誰も知らない。それどころかいなくなったことすら気づかれてなかったぞ。お前友達いないんじゃないの?」
ハルの反応などお構いなしに、カリンは一人でへらりと笑う。
上機嫌のようだったが、その態度も薄皮一枚かぶっているだけのようにも見える。
上機嫌の演技をしている……というよりも、彼女には機嫌そのものがふらついているような印象がある。ふとした瞬間に、真逆の方向へ振り切れそうな怖さだ。
「そこらに落ちてるカス使って探させたんだが……カスはカスだな。役に立たないこと、立たないこと」
「何か用があるんじゃないんですか?」
「そうそう。お前、大魔道祭でるんだってな?」
またしてもカリンは笑う。ハルのくぐもった声とは対照的に、軽やかでさわやかに、だが心底見下したような声色で。
「その出場、取りやめろ」
一瞬で笑みが引っ込む。代わりに出てきたのは冷えつくような声。怒りではない。煩わしさからでてきた不快の声だ。
「わかってんだろ? お前如きが出ていいもんじゃないだよ。出たところで恥かくだけだ。大人しく家で――」
「それを言いたくて、私を探していたんですか?」
ハルは怯まなかった。
凍えつくカリンの気迫を正面から受け止めて見つめ返す。
「そうだな。私に勝てるなんて妄想する阿呆は、早めにつぶしておくに限る」
心底信じているのだろう。さしたる威嚇も行わず、当たり前のようにカリンは言ってのける。
ハルはすぐに言い返さなかった。しばらく自分の中で言葉を整理するような沈黙が流れる。やがて彼女は口を開いた。
「ちょうどよかった。実は、私もカリンちゃんに伝えたかったことがあるんです」
「言ってみろよ」
「私は大魔道祭に出ます。あなたに勝って優勝します。皆をメナスから守るんです」
静かな宣言だった。やはり普段の彼女から考えられないような、一言一言を区切って放たれた重みのある言葉。
だがカリンのほうは、そう受け取らなかったようだ。
「人の話聞いてないのか? 私が取りやめろって言ってるんだから、やめればいいんだよ」
「聞いています。でも言わせてください。諦めることはできません」
「分かんねえな。守るだとか守られるかとか、そんな能無しの戯言まだほざいてるのか?」
「戯言ではありません」
「メナスとかいうカスは私が片づけておいてやる。お前がやるより確実に、きれいさっぱりと。それでもか?」
「はい。私がやりたいんです」
ハルはかたくなだ。そして、それと同じくらいカリンも頑なな意思を持っている。
これまで危うくも平静を保っていた二人の間の均衡が、ハルの一言によって崩ようとしてる。そんな気がした。
「まあ、なんとなくこうなるとは思ってたがな」
さして気にしてないような顔で、カリンは軽く息を吐く。
そして突然僕に視線を投げかけた。
「で、どうする? あんたが新しいこいつの師匠なんだろ?」
てっきり僕の姿を認識していないものかと思ったが……急に話を振られて慌てていう。
「どうする、とは? 茶くみ娘がどこで何をしようと、僕の感知するところにない」
「そうじゃなくてよ。私は今からこいつを叩きのめすが、手を貸さなくていいのかってことだ」
「決闘でもするのかね?」
「ああ? んなわけねえだろ。ただのいじめだよ」
「何――?」
パリッ――
変化は一息にやってきた。カリンの足元から急激な冷気が立ち上る。彼女の中心にして石畳の道が凍り付いていく。
冷えるどころではない。肌のひりつく痛い風が巻き起こる。
カリンはため息を漏らした。僕からはそれだけに見えた。攻撃の前兆のようなものは何も感じられない、日常的な一動作。
しかし、次の瞬間、夜の街道一面が音を立てて凍り付く。冬の時代をそのまま持ってきたかのような、明らかに不自然な光景だった。
ハルはその中で一人もがいていた。彼女はカリンの謎めいた魔法によって顔半分を含むほぼ全身を氷漬けにされている。
「はっ、情けねえな。ちょっと撫でただけだろうが」
カリンが愉快そうに笑う。ハルは応えず動かせる腕を使って、自分を捉えている氷を砕いていく。まずは左腕を、そして右足を。青白い顔をしているのは、寒さだけが原因ではないだろう。
もがいているハルに腹部に、走り寄ってきたカリンの前蹴りが突き刺さった。
身体能力にものを言わせた、隙だらけの雑な蹴りだが、動きの取れないハルには避けることも、受けることもできない。
ハルが吐き出した空気が白い湯気を作る。彼女は無理やり体を動かし足の拘束を解くと、そのまま後方に転がった。
「お前、本番でもそんな姿見せるつもりか?」
ハルはすでに飛んでいた。前にも見た魔法による超人的な跳躍だ。冷気を飛び越えてカリンの元へと一直線に飛び掛かる。その動作に迷いはなかった。矢のような突撃。
が、カリンはそれを難なく受け止め、地面に叩きつけた。
魔法使いとしてのレベルが、いや、それ以前に戦闘者としての格が違う。
カリンは氷の魔法を使うまでもなく、ハルを圧倒している。肉体の強さが違う。
ハルは半分以上凍ったままの足でそのまま、カリンの足元をすくおうとするも、上から無造作に踏みつけられ、にじられる。
「ハハハッ、なんだよ。師匠がついて調子乗ってるんじゃないのか? 前と大して変わんねえぞ」
カリンが一瞬目を離した隙をハルは見逃さなかった。彼女はカリンの足にしがみつくと、体をひねり縦に回った。カリンの肩を足場にしてさらに回転。超人的な技巧でその頭部に踵落としを狙う。
「小細工ごときで、私に並んだつもりになるんじゃねぇ!」
踵はカリンに触れることすらなかった。彼女はただ腕を振りかぶっただけだ。それだけで彼女の気迫、魔力とでも呼ぶべきものがはじけ飛び、ハルを寄せ付けない。
「もう少し……もう少し……あと一歩なんだ、だから」
「ぶつぶつよお、つぶやいてるんじゃねーぞ!」
振りかぶった腕から鋭い冷気がほとばしり、ハルを襲う。
異様な力だ。昼間見た学生たちのそれとはまるで違う。魂までも凍り付きそうな力。
恐ろしいのは、カリンがまるで底を見せていないことだ。
彼女はただ身体に乗った魔力の余剰で、遊んでいるに過ぎない。
技も魔法もない。
そこにあるのは、ただ圧倒的な才能につぶされる凡才の姿だ。
ハルは己の魔法を使い、壁やオブジェクトを使って巧みに立ち回ろうとするも、その度に吹き荒れる激しい冷気によって、体勢をを乱されてしまう。そして今数度目の拳が入る。
「げほっ……げっ」
「動きがとろいぞ。前に虐めてやった右肘が痛むのか」
カリンは嗜虐的な笑みのまま、右肘を狙って殴りかかる。彼女の言うことは見当違いではないのだろう。ハルはこれまでよりも深い悲鳴を上げて、顔をしかめた。
「カカッ! はい、終わり。私の勝ちぃ。ウザいくらいに私のが強い」
「あっぐぅっ……! まだです!」
「お前に、まだなんてねえんだよ」
そのまま無理な体勢でカリンにつかみにかかろうとするが、するりと躱されて、ついに路地に倒れこんでしまう。
それでもカリンは容赦をしない。這い上がろうとするハルの背を踏みつけにして、鼻を鳴らした。その冷酷な瞳は僕に向けられている。
「てっきり、どこかで激昂してかかってくるかと思ったが、意外と薄情な師匠だな」
「君はああいったが、僕はこれを決闘だと認めている。多対一だったり、卑怯な手を使う輩が相手なら割って入るが、これはそうではない。君は名を名乗り正面からやってきた。これはハルとカリンの戦いだ。僕の出番はない」
だから参ったと言うんだハル。
僕はその言葉をすんでのことろで飲み込む。その一言さえあればカリンはもうハルに手出しができなくなる。無理にでも出そうとしたならば、僕が止められる。
押さえろエリオット。
僕はあらためて言い聞かせる。
これはたがいの誇りをかけた決闘。僕には預かり知れない名誉が、二人の少女の間にかかっているのだ。個人的な付き合いを優先してカリンを止めるなど、紳士ではないぞ。
「そうかい、意味の分からない拘りありがとよ。じゃあ、そこで見てな。すぐに済むから」
「何を……?」
カリンはその場にしゃがみ込むと、ボロボロのハルの髪をつかみ上げ顔を寄せた。
「最後だ。つまらない夢なんて忘れろ。お前は主役でも何でもない。モブだ。モブはモブらしく、私の優勝する姿を黙って見上げてろ。いいな?」
これまでの残酷な笑みはすっと消え、何も楽しくなさそうなぞっとする無表情でカリンは言う。凄みを聞かせているわけでもないのだが、有無を言わせぬ迫力がある。
そんな顔を目と鼻の先に突き付けられて、ハルは無謀にもはにかんで見せた。
「カリンちゃん……勝負はまだついていませんよ」
ハルの右腕が凍り付いた。
カリンはそれを見届けて無感情に言う。
「哀れなやつ」
「ハル!」
突然、それまで沈黙を貫いてたシズネが動いた。
「迷路と方角の神ローロー・フウの名において命ずる。違えよ!」
彼女が魔法を唱えた瞬間、場に霧が立ち込める。
そして、驚いたことに霧の中から、ハルと同じ姿をした分身があらゆるところに現れる。
「これはいったい。シズネ、君か」
幻惑の魔法。ハルの分身を生み出したのはシズネだ。
ハルはとっさにカリンから離れ、霧の中に逃げ込んだ。すぐに分身に紛れてどれが本物だかわからなくなる。
「おい、ふざけるな! カスどもが! まだ私の話はすんじゃいねぇぞ!」
氷の槍を乱雑に振り回しながらカリンが吠える。彼女が槍を振るうたびに幾人もの分身がかき消されていく。このままでは数秒も持たない。
カリンの猛攻を潜り抜け、シズネがハルを助け起こすのを見た。
再びシズネは霧の中に消え、すぐに手を引かれた。シズネの冷えた指先。彼女は無言でこの場の離脱を支持していた。
一瞬考え、僕は手を引かれることにする。
シズネの横入りは僕としては納得いくものではなかったが、それでもシズネは傷ついた友人のために動いた。それを尊重するべきだろう。
それに、ここまで進んだのだ。決闘の行方は本人たちで決めればいい。無論、この状態でカリンの勝ちを疑うものはどこにもいないだろうが……
カリンの声が遠くなっていく。僕にはそれが、いつか遠い異国の地で出会った、孤高の狼の遠吠えのようにも聞こえた。
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