第12話 スナーク

「馬鹿な……外れた?」


 町はずれの丘の上からスナークはつぶやいた。


 時刻はすでに夜。ひと気のない暗闇で彼は目を細める。その姿を誰かが見て、スナークが何をしているのかわかるものはまずいないだろう。

 彼は学園生徒からコピーした千里眼の魔法で、視線のはるか先、一軒の家をうつしている。正確に言えばその中にいるスーツ服の男をだ。


「ハルとかいう子供を連れてこいとか言われて……探してみたらまさかお前も一緒にいたとはな」


 スナークは砂をかんだような顔で舌打ちをしたかと思うと、周囲を恐る恐る見渡した。そばに誰もいないことを確認すると、ほっと一息をつく。あの氷のような女と出会ってから、妙に背中にうすら寒いものが走って困る。


「あの出会い頭突発暴力女にも、少しは感謝してもいいってところか」


 脳裏には出会って三秒で、魔獣たる自分を使いっぱなしにした、恐ろしい女の顔がよぎる。やはり寒い。


「それよりもお前だ。スーツの男。今夜こそお前を倒し、あの時逃亡した理由を突き止める」


 スナークは高鳴る胸を押さえ、再び魔法の構築に集中する。


「俺の魔法は変化の魔法。変化とはつまり自由自在のさまを指す。魔獣の膨大な魔力を使えば、こんなことも可能よ」


 スナークの周りに魔力が満ちていく。それも一種類ではない。まるで複数の魔法使いが協力して作り上げたように複雑な魔法が出来上がっていく。


「複合変化――五重魔法開始――狙撃、遠隔、誘導、斬撃、拡散……」


 スナークの体のあちこちが変化していく。肌の色、服装、四肢の大きさもぐにゃりと曲がり、それどころか新しい腕も生えてくる。そしての一つ一つが彼の魔法を構築していく。見るからに異形の魔法。人間の魔法使いでは到底不可能な合成魔法も、スナークの手にかかれば容易なものだ。


「次は逃さん! 射出!」


 風圧と共に彼は魔法を放った。


 目標は、屋外に逃げてきたばかりの男の首筋。一緒に来た二人の魔法使いなど放っておけばいい。

 先ほどの斬撃・狙撃・伝播の三重魔法は、男の家の中を破壊するだけで失敗に終わった。

 しかし今度は違う。確実にその首を掻っ切る。


 そうすれば自分の目的は達成できる。ハルとやらはいくらでもくれてやろう。心の憂いを落とした後は、また森の中で静かに暮らそう。


 幾重ものサポートを帯びた斬撃が男に向かって飛ぶ。

 斬撃は男の首筋に迫るが、男はその場にしゃがみ込んだ。その頭上を斬撃は超えていき、庭の植木に当たって拡散。庭先をずたずたに切り裂いた。


 男はさすがに敵意を察知したのか、スナークのいる方向を強く見あげる。


「おのれ……! 運のいいやつめ。だが、気づいたところでどうしようもあるまい。そこからここまで1キロはある」


 スナークがさらなる攻撃を放とうと準備を始めると、そばの少女ハルが何を思ったのか、男の前に立つ。もう一人の真面目そうな顔つきをした少女がそれをさらにかばう様にして立ちふさがる。


 二人とも事態が呑み込めていないのだろう。互いに何かを言い合っている。口の動きから察するに、恐らく「逃げろ」や「下がれ」などだろう。


「かばいあいか? 人間の魔法使いはそうやって周囲を助け合う。無駄なのにな」


 スナークの顔に残虐な魔獣の笑みが広がる。

 彼は次の攻撃が、二人の少女も巻き込むであろうことを予想していた。そしてそのうえでためらいなく魔法を組み立てる。


 その時男が二人を追い抜き走り出した。

 まっすぐスナークのいる方向へ。


 スナークは構築の手を緩めることなく思案する。

 もしも、男がこの位置を完璧に割り出していて、遮蔽物を盾にして全力をもって走ってきた場合、自分はそれを撃退できるか?

 答えは可だ。あまりにも距離が開きすぎている。


「とはいえ、やつも俺に撤退を選ばせたほどの腕前。狙撃を二度も失敗してるしな。首筋を狙うのは非効率的だ。足を狙わせてもらう」


 スナークは冷静に狙いを定める。

 男の歩幅に合わせて一歩、二歩、三歩――


「君かね。夜遅くの無礼者は?」


 声。


 スナークに戦慄が走った。

 それは確かにあの森で感じた戦慄。見たことのない魔法使いかどうかも怪しい男一人に撤退させられた記憶。

 屈辱の記憶がすぐ目の前にいた。


「なっ、馬鹿な、そんな、あれは偽物!?」


「偽物でなどあるものか。僕こそエリオット・アゲインだ」


「ど、どうやって。加速? いや、転移の魔法? いや、魔法の反応はなかった! なかったぞ!」


「走った」


 エリオットは汗をハンカチでぬぐって端的に答える。

 あまりにも短すぎる答え。たった数文字の情報を受け止めることができない。


「バリツ高速歩行の一つ「陸猫」だ。覚えておきたまえ……。そしてそんなことよりも、君! どういうことかね。斬撃など飛ばしおって! ふざけているのかね。子供たちに当たったらどうするつもりなんだ! 冗談では済まないぞ。家の中もめちゃくちゃだ。君、せっかくの紳士の優雅な夕食を! 君、僕はカレーをまだ……! 君ぃ!」


「ふ、ふざ、ふざけているのは、貴様のほうだ! 何がカレーだ」


 スナークは怒りによってに自分に襲い掛かる戦慄を無理やり引きはがした。そして、自分の持つ必殺の複合変化魔法を編み出す。


「今わかった。やはりお前は目と鼻の先で殺さなければならない。そして、お前の立っている位置は俺の必殺の間合い。構えろ、あの時と同じように行くと思うな」


 エリオットが眉をかすかに動かした。まだ臨戦態勢には入っていない。


 スナークは己に連なる神に祈る。体中に魔力が満ちる。彼にとってこれまで感じたことのない高まりだ。彼はそれを全力で放出する。


「複合魔法――加速、硬質化、重力、不可視、幻惑、分裂、斬撃、炎上! どうだこの八重魔法は! 死ねい!」


 スナークはおのれの腕を直接変化させ、幾重もの魔法でエリオットに斬りかかった。一流の魔法使いでもおいそれとは防げないだろう一撃。


「――『瞬き魚』」


 エリオットはそれを難なくつかみ取る。


「そ、そんな、俺は、俺は魔獣スナーク……」


 そして一息の間に距離を詰める。


「子供を怖がらせるような技が、この僕に通じると思うな!」


 深い蹴り。


 スナークは最後に、自分の自信がガラガラと崩れ落ちていく音。そして丘そのものが蹴りの衝撃で音を立てて揺らぐのを聞いた。

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