幕間1
スナークにとってあの森は非常に住み心地の良い場所だった。
どこまでも広く、空気も澄んでおり、エサも豊富。天敵となる魔獣もおらず、警戒するべきなのは時折やってきては巣をつつく魔法使いのみ。
それだって大した腕ではない。魔獣と人とでは魔力の貯蔵量が違うのだから。
もっともその違いは相手もわかっているようで、常に数をそろえてかかってくるのだが……
あの男は何者だったのだ?
スナークは考え込む。
あの時自分は間違いなく、身の危険を感じた。あの見たことのない服を着た長身の男。あいつと対峙した瞬間、頭の中から「逃げろ」と警報が鳴り響いた。
スナークはネクタイを締め、髪型を整える。
その行動に意味はない。ただ彼が化けた人間の動作をまねているだけだ。
変化の魔獣スナーク。その魔法はその名の通り他人への変貌。顔や体だけでなく、服装やアクセサリー、その人の癖やはたまた魔法も含めて完璧にコピーすることができる。
彼は今変化している最中のコピー元を覚えていない。何度か戦った学園の人間を適当に再現しただけだ。
今必要なのは人の姿だけである。
あれは何だったのか。魔獣である自分が、たった一人の魔法使いに臆したなど……認められるはずがない。
彼は堂々と街並みを歩いていく。様々な人々で市はごたついているが、誰もスナークの正体に気づく者はいない。
当然だ。今の自分は正真正銘人間なのだから。
通常、ワンダーランドの町の周りには、魔獣の魔法がかけられている。腕の立つ魔法使いが定期的に町を回って。その結界は強力だ。
ただし、魔獣の中でもスナークはこの結界をすり抜けられる。力の有無ではない。どんな強力な魔獣であっても無理やり押しとおろうとすれば、破壊の音が鳴り響き、そこら中から魔法使いが集まってくるだろう。
変化の魔法はこういう時にも役に立つ。
人間に化ければ人間として町に潜り込めるのだ。
「さて、あの男の家はどこだ?」
人の集まる場所を避けて進む。
ひと気のない路地裏。壊れかけたベンチが転がっているだけだ。。
適当に歩いていて偶然見つかるとも思えないが、あれほどの男。無名だとはとても思えない。手掛かりはきっとどこかに落ちているはず。
あの男を探し出し、喰らう。そうして初めて魔獣のプライドは回復するのだ。
「ハルって女知ってるか?」
すぐ後ろから声をかけられた。
スナークは悲鳴を上げそうになるが、それをどうにか留めて振り返る。
綺麗な少女だった。美醜など変幻自在のスナークが一瞬息をのんでしまうほど。
涼しげな目もと、薄い唇。学生服からすらりと伸びた白い足。そして何より印象的だった、その腰まで伸びた艶やかな金髪を眺めながらスナークは頷く。何に頷いたのかもわからないまま。
「知ってるんだな? 今どこにいる」
「あ、いや……違う。すまない。ぼうっとして。なんだって?」
スナークの脳内。魔法で作り上げた人間としての人格がそう言った。
「知ってんのか、知らねーのか」
「し、知らない……です」
少女は髪を軽く弄ると、小さく笑った。
そしてスナークの頭部に無造作に手を伸ばす。
「え?」
スナークは一瞬頭を撫でられるのかと思った。意図は不明だが、きっとそうなのだと。
そう期待した次の瞬間には、彼は壁に顔をこすりつけられていた。
「ひぎゃっ」
髪の毛を引っ張られて乱暴にぶつけられた。
「ひ、ひぃ、い、痛……ちょ、やめ」
「黙れ。このあたりにいるはずだ。ハルを探し出して連れてこい。いいな」
出会って数秒の人間に聞かせるとはとても思えない、冷酷な声色で彼女は告げた。
そしてスナークを無造作に蹴り飛ばす。
「さっさと行け」
「ふざ、けるなの人間が……!」
突如として現れた暴力にのまれかけたスナークだったが、かろうじて自分を取り戻す。
人間に化けていても、魔獣としてのプライドが彼を叫ばせた。
どこの誰とも知らない人間の女の命令など、どうして聞かなければならない。
スナークは右腕を変化させて少女を襲おうとした。彼女がどれほどの人間であっても、一対一で魔獣に勝てる魔法使いなどほとんどいない。
「ちょっとしたカツアゲのつもりだろうが、運が悪かったな。死ねぃ――」
スナークが右腕を振り上げたとき、少女がした行動はたった一つだけだった。
手を、その小さな口元に持っていく。
添えるようにして、そっと息を吹きかける。
路地裏に吹雪が吹き荒れた。
「あがっっ……!」
スナークは一息にして氷漬けにされた自分の体を見た。
少女はそれをみて嗜虐的に笑った。
「なんだお前、人間じゃないのか。ま、どうでもいい。お前のゴミみてえな実力じゃ、かなわないって理解できたろ。さっさと探しに行け」
氷の魔法をかけられた。スナークはかろうじてそれだけ理解する。
「一時間以内に見つけてこい」
氷の魔法が解かれ、棒立ちのままのスナーク。少女は彼の首根っこをつかむと乱暴に揺さぶった。
主従関係を教え込むように、顔と顔を近づける。
スナークは悲鳴を上げようとした。しかし凍り付いた喉奥に発生できるものではなく、彼はただ無言で首を縦にぶんぶんと振る以外になかった。
「二度と私に立てつくな」
首を振る。
「逃げるなよ」
ぶんぶんと首を振る。
「逃げたら探すからな」
振る。夢中で振る。
「探して持ってこい。このカリンが待っているんだ。いいな?」
ぶんぶん振る。それ以外にできることはない。
「行け」
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