第3話 ハル・イン・紳士の家
おはよう読者諸君。さわやかな朝を迎えたエリオット・アゲインだ。
今僕は異世界、現地人の言うところによる『ワンダーランド』へきている。
ファーストコンプレッションはあまり良いものとは言えなかったが、セリアと出会えたのは幸運だった。
おかげで僕は、町の隅に小さいながらも立派な家を借りることができた。簡単な家具と、嬉しいことに西洋式のベッドと枕もある。これらはすべて彼女が手をまわしてくれたらしい。もともと使われていない借家だったということもあるが、予想以上に迅速な対応だった。もしかしたら、彼女はただの一教師ではないのかもしれない。何者だろうか……
「朝日がまぶしいな。これはどの世界でも共通か。……ふふ、いい天気だ。寝起きの一杯がほしいところだな!」
寝ぐせに櫛を通しながら一人ごちってみる。
身だしなみを整えるのは紳士として当然だ。
「熱い紅茶と焼きたてふかふかのパンだ! 一人の朝ならば、庭で食べるのもいい。詩集でも持ってな。よし、ディーン君さっそく用意をしてくれたまえ! ああ、知っているとも。いないのだよな君は! 知ってる知ってる。ちょっと言ってみただけだ。フハハ!」
一人で虚ろに話しかけ、所在なさげに部屋の中をうろつく紳士がいたら、どうか見なかったことにしてほしい。
困難な冒険には慣れている。吹雪や津波にあい遭難したこともあるし、危険な秘境に旅立ち、凶暴な現地人にとらわれた経験もある。
だが、この奇妙な落ち着かなさは何だ。今の僕は完全に自由の身だ。身柄は拘束されていないし、監視もついていない。ただここまで何もないとなると……
正直なところ僕にこんな感傷が生まれるとは思っていなかった。
笑わないで聞いてほしい。今僕はうろたえている。過去いかなる危機にも感じることのなかったイギリス式の生活を懐かしんでいるのだ。
「紅茶が飲めないなど、冒険中はよくあることなのに……中途半端にゆとりがあるとこうなってしまうのか。くうぅぅぅっ……ディーン君、こんな時に君がいてくれれば……」
心細さからつぶやき始めた瞬間、ドアが勢いよく開いた。
「おはようございます! こちら、どーぞ」
少女だ。一人の女の子がカップを手に立っている。
年は十四、五くらいだろうか。弾むような声色に似合う、明るい色をした少女だった。
動きやすそうなシャツ姿からのぞく、健康的に日に焼けた肌色、ふわりとふくらんだ燃える様な赤髪もそうだが、体全体から陽の気とでも呼ぶべき雰囲気が立ち上っている。イギリス的ではないかもしれないが、なかなか利発そうな少女だった。
「だ、誰だね君は!?」
「あ、昨日一度会ったんですがけど……実質初めましてですね」
不審な少女は身じろぎ一つすることなく、堂々とした足取りで部屋に入ってくると、満面の笑みを浮かべた。
「私、ハルといいます。今日から一緒に住むことになりました。よろしくお願いします! 師匠」
「うむ、元気のいい挨拶だ! 意味が分からない。ここは君の家ではないし、僕は君の師匠ではない。ははぁ、さては家を一つ間違えたな? 寛大な心で許そうではないか。今すぐ帰り給え」
そう言って彼女からカップを受け取る。中には何だろうか、得体のしれない透明……いやかすかに緑色のの液体が入っている。紅茶ではないことは確かだ。おそらくワンダーランドの飲料物だろう。温かく、匂いも悪くない。
せっかく淹れてくれたお茶を冷ますのは非紳士的行為だ。ありがたくいただくとしよう。
悪くはないな。我がイギリスほどではないが、ほのかな香りもよい。
「ええ!? そんなこと言わないでくださいよ師匠。一緒に頑張りましょう」
「誰が師匠だ。知らないものは知らない。家出かね? なんなら親御さんには一緒に謝ってあげようじゃないか。さあ、行くぞ」
少女――ハルの手を取った時に気づいた。
この少女、昨日森で出会った生徒の一人か。確かスナークに襲われた際に他の生徒をかばって前に出た……制服ではないので気づかなかった。
「さすが師匠優しいっ。でも駄目ですー、放してくださいー、放してー」
ハルは小動物のような動きで僕の腕から逃れると、歯をむき出しにして言った。
「セリア先生から聞いていないんですか? 師匠は今日から師匠になるんです。私が弟子なんです!」
「意味が分からん! 帰り給え! 僕の優雅な冒険を邪魔する気か。大体なんだね僕に何を教わろうというんだ」
ハルはすばしっこい動きで、部屋の隅から隅に動き回る。追いかける僕の姿も併せて、まるでネコとネズミだ。
「何を言ってるんですか、師匠はスナークから私を助けてくれたじゃないんですか。私、感動しました。ぜひ師匠から勇気と戦うすべを学びたいんです! お願いします!」
逃げながらも真摯な表情で頼み込んでくる。
しかし、この少女初対面の人間にそんなことを言うだろうか。
「それに私には帰るべき家はありません」
「家がないだと? それはどういうことだ」
「実は私、昨日まで学園にある寮で暮らしていたんですけど……もう帰れません」
「な、何か深い事情でもあるのかね? いや、聞いてみるだけだが。認めることは決してしないが。一応話してみたまえ。多少の助けにはなれるかもしれん」
若干の深刻さを含んで彼女はつぶやいた。
「はい。新しく一人寮に入りたいという子がいたので、部屋を譲ったのです。ほら、私は師匠に弟子入りしてくるから全然平気じゃないですか」
「え、親に捨てられたとか、家を火事でなくしたとか、そういう感じではなくて……自分から譲ったのか!?」
「はい。とてもいい子なんです。今更弟子入りを断られたので部屋を返して、なんてのは通じません」
「なんという浅い理由だ。もっと後先考えた給え。最低限、一緒に住む許可をもらってから譲るとかだね」
「嫌ですよ師匠。そんなことしたら、弟子入りを断る隙を与えちゃうじゃないですか」
困った人だとでもいうようにケラケラと笑うハル。
どこまで本気で言っているのか不明だが、いい性格をしている。
何か考えろ。断る理由を。
未知の土地で知らない小娘を抱えながら冒険をするなんと冗談ではない。そんなのは母親のやることであり、紳士のやることではない。紳士というのはもっと孤独に戦う誠実な……と思ったところで気づいた。
「師匠になるといっても、ワンダーランドでは魔法を使うのだろう? 知っての通り僕は魔法を使えない。君に教えられることは何もない。結論、帰って部屋を返してもらえ、女の子らしく平和に日々を暮らせ。一緒に頼んであげるから、ほらゴーホームゴー!」
伸ばした手をひらりとかわし、ハルは玄関から外に飛び出る。
「……私がなりたいのは魔法使いではないんです」
「ほう、なんだね? 別れる前に聞いておいてやろう」
「この町ではみな魔法を使って魔獣と戦います。私もそれが強くなる一番の近道だと思って魔法を学んできました。でも、昨日スナークを撃退したのは魔法使いじゃなかった」
その小さな拳が握りしめられる。
「お願いします師匠。魔法以外の戦うすべを……私にシンシを教えてください!」
「断る!」
反射的に答えていた。彼女は決してふざけていたわけではないだろう。だが、紳士の道は中途半端な決意で入れるものではない。
「紳士とは! 誰よりも強く、誰よりも孤高、慈愛あふれ、バリツの神髄を極めしもの! その全てを親愛なる女王陛下にささげた一騎当千の勇者の称号。君のような女の子が入る道ではない」
「や、やはり、師匠はすごい人なんですね? 俄然やる気出てきました。私も紳士になります! 絶対なります」
「話を聞いていたかね!? ならんといっているのに! しつこい子供だ」
「子供じゃありません。ハルですー。あなたの可愛い愛弟子ですー」
ハルは額の汗をぬぐうを何か閃いたような顔をした。
「いいんですか? 私を弟子にしないと大変なことになりますよ?」
「ほぉ……大変なことだと? いったいどうなるというんだね?」
「もしも私を弟子にしてくれないというなら……駄々をこねます」
「駄々?」
「はい。この場に転がってじたばたします。いいんですか? いいんですか? 女の子を泣かせて迎える朝は気分が重いですよ。だいぶ気まずい空気になりますよ」
邪悪な笑みで得意げに言うハルを見て、僕も汗をぬぐう。
「な、なんという子供の浅知恵だ。ある意味感服したよ。よろしい、やってみたまえ」
「うああああぁぁぁー! お願いします、弟子にしてくださいぃぃぃ! お願いお願いお願い!」
彼女はノンタイムで地べたに転がった。恐るべき執着心、いや、逆に外聞に執着していないのか? とにかく縦横無尽に手足をばたつかせる女の子を見て、心が痛まないわけではなかった。正直、予想以上にこの風景は痛々しい。五つやそこらの女児ならばまだしれず、この子はもう十四、五才になっているように見える。もう駄々をこねる様な年ではない。正直見ていてつらい。
だが、ここで情にほだされてはいけない。耐えろ、耐えるのだエリオット……!
「あのぉ……お兄さん」
朝っぱらから謎の時間に耐えていると、ひょいと門をぞのく顔が見えた。隣に住んでいる老婆だ。
「これはマダム。朝から失礼しました。妙な子供が紛れ込んできまして。困ったものですよ、はは」
「何があったのかはわからないけど、ハルちゃんの話を聞いてあげてくれないかねぇ……この子はとってもいい子なんだよ。ほんの少しでいいんだ。ハルちゃんは昔から荷物を持ってくれたり、果物を届けてくれたり、私だけじゃないよ。優しい子なんだ」
困った顔でマダムは言う。その弱った死線を向けられると僕は弱い。
「マ、マダム……僕は何も意地悪をしているわけでは……」
「師匠! これが最後です! 頑張りますから」
「私からもお願いするよ」
予想外の増援だった。マダムの言葉に嘘はない。そして動物みたいな小娘ならまだしも、一人前のレディが頭を下げて頼み込んでいる。
僕にレディの頼みを断れというのか?
イギリスでも指折りの紳士の僕が?
出来ない。出来るはずがない。
「か、かふっ……」
喉の奥が一瞬でカラカラになった。それでも絞り出すように言う。
「ま、マダムに感謝したまえ。ええと、その、なんといったかハル……少しくらいなら面倒を見てやろう」
ハルの顔がパッと明るくなった。どうやらこの勝負、僕の負けらしい。
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