第4話 紳士と小さなガイド

 騒がしい朝となったが、やるべきことは変わらない。僕は町に出て辺りを巡ってみることにした。


 ワンダーランドに来て初めて見た大通り。イギリスと比べても引けを取らないほど立派な建物が並んでいた。硬派で荘厳なイギリスと比べて、大胆な色遣いが特徴だろうか。通りを行きかう人々の服装からもそれが見て取れる。


 なにせ初めての土地だ。見るものすべてが新鮮に映る。

 これだから冒険はやめられない。

 この風景を記し、いくつかの品を持って帰れば、さぞイギリスの読者諸君に喜ばれるだろう。


「セリア先生はワンダーランドって言ってましたけど、正確に言うとワンダーランド、黒の騎士区域です。いくつもある区域の中では大きいほうですけど、女王区域や王の区域になるともっと賑わってるんですよ。あ、あれ、師匠、あれがなんだかわかりますか?」


 横から声が聞こえてくる。勝手にくっついてきた小娘ハルだ。

 彼女が指さす先には一人の青年が。彼は見たこともない板のようなものに乗って通りを滑っていく。驚くことにそれには車輪も何もついていない。空中を滑っているのだ。


「驚いた。あれも魔法かね?」


「はい、師匠より前に来た旅行者が残していってくれた技術です。その人はホバークラフトって呼んでいました。魔力を流してせきりょく? だったかを作って……それで、なんだったかな。とにかく浮いて走って、すごいんです」


 自慢げに鼻を鳴らすハルをしり目に辺りを見てみると、なるほど魔法由来らしい光景が目に入ってくる。

 そばの大工らしい男は見えない力で建物の修復をしているし、隣の露店では不自然な発火現象魚を焼いている。

 以前の自分であれば夢かと思うような光景。


「フハ、昨日の今日でこれは刺激が強すぎるな。だが、面白い」


「でしょう、でしょう? えへへ。ワンダーランドは良い所なんです」


「ところでどうして君はここにいるんだ?」


「酷い! 師匠と共に行動をするのは弟子の使命。常識ですよ」


「また胡乱なことを言う」


「それに旅行者さん的には、ガイドがいたほうがいいんじゃないですか? これでも私、お役に立ちますよ」


 彼女の言うことにも一理あった。未開の地に踏み入れるとき、なくてはならないのが現地の案内人だ。彼ら彼女らを通じて僕ら探検家は新しい世界を広げていく。案内人がいなければ無明の荒野を進むがごとし、あまりにも無謀だ。


 このハルという女子、朝の大騒ぎといい、今回の提案といい、これでなかなかしたたかな部分のある少女だ。基本的に裏表のないさっぱりとした女子といった印象なのだが、目的のためなら手段を選ばない面もあるようだ。


「正直、不安だ。僕としてはセリア女史についてもらいたいんだが」


「駄目です。先生は忙しいんですから。私で我慢してください」


「仕方ない。ではよろしく頼むとしようお嬢さん」


「はい! じゃあどこから行きますか?」


「そうだな。なにはともあれ茶が必要だな。それとパンが欲しい。出来るかね?」


 ハルは元気良くうなずくと、子供らしいちょこちょことした足取りで先導していく。

 馴染みのある背中だ。未開の地では子供になつかれることは多い。思えばいろいろな文化の、いろいろな遊びを共にしたものだ。


 ハルが案内してくれたのは食料店と雑貨屋を兼ねた小さな店だった。人の好さそうな老夫婦が二人で切り盛りしているらしいことが、彼らとハルとの世間話でわかった。


「ハル、もしかしてワンダーランドには魔法のパンというのもあるのかね?」


 世界が世界ならばあってもおかしくない。一齧りするだけで一日持つパンや、噛むごとに味の変わるパン、黄金色のパンなど……様々な空想を実現させてくれやしないか。そんな淡い期待を込めて聞いてみるが……


「さすがに聞いたことありませんねー。あ、私これ好き。師匠は甘いの好きですか?」


 あっさりと否定される。

 まあ、そう上手いこと行かないものだ。


「そうか……まあ、とりあえず異世界だろうとパンはパン。多めに買っておくとしよう」


「師匠お待ちを、ここは私が! 美味しいパンを選ぶのは弟子の使命! むむむ……」


 彼女は僕を制すると、並んだパンを一つ一つ真剣に眺めていく。しかし本当に元気な子だ。


「これです! あんずの丸ごと入ったとろける蜂蜜パイ。これが最高です」


「……そうか、ではご主人このプレーンブレッドを」


「酷い! あ、でも師匠お金持ってますか? ワンダーランドのお金ですよ」


「ああ、紙幣はないが……僕はこれでも探検家だ。こんな時のための用意のはある。ご主人。支払いなのだが……実は持ち合わせがなくてね。物々交換はできないだろうか」


 そういって懐中時計を取り出す。土地によって価値のあるものは様々だが、食料と貴金属は最低限の価値が付くことが多い。この懐中時計は交換用に用意してあるもののうち一つ。大小様々な装飾が施されており、分解すれば一財産になる。

 時折これを細かく分けて食料などと交換するのだ。当然分量的にこちらが損をすることになる可能性が大きいのだが、そこはそれ。異世界で贅沢を言っている余裕などない。

 これまでこれを使って乗り越えられてきた困難は多い。


「なんだい、あんた旅行者か。どうりで見かけない格好だと思ったよ。いいだろう。サービスしてあげようじゃないか」


「ありがたい。黒騎士区域はよい所ですな」


 パンと茶葉を買って店を出る。

 見知らぬ茶葉で故郷の味が出せるか怪しい所だが、まあ、旅先の味というのも悪くないだろう。


「さすが師匠です……言ってくれれば貸しましたのに」


「君のような子供に借りを作るのは夢見が悪いからね。ほらこっちは君の分だ。とろけるなんたらパイ」


「ふぉぉぉぉっ! ありがとうございます。いただきます」


 差し出されたパイに噛り付くハルの横顔は、まるでハムスターのようだ。

 何度見てもこのような少女に紳士の道が歩めるとは思えない。紳士は何よりもタフでなければいけない存在なのだから。


「疲れた頭に甘いものはいいぞ。これでも食べて、弟子入りなど馬鹿なことは考え直したまえ。いいね?」


「はい! すっごく甘いです」


「……そうか、すっごく甘いか」


 満面の笑みで答えられてはどうにも返しようがない。こちらも釣られてつい笑みがこぼれる。

 笑った拍子に空を仰ぎ、青い空の中に流れる白い雲の数々を見た。


 異世界であっても空は同じか。故郷のみなは元気にしているだろうか。僕が急にいなくなって心配など……されるような立場ではないか。これまでも突発的な探検は幾度となくしていきている。


 気持ちのいい異世界の空に、一本の塔が見えた。町の中心からはやや離れた場所に位置している塔には、巨大な鐘がぶら下がっており、今まさに古めかしい音を町中に響き渡させた。


「あれは何かね? 魔獣を見張る監視塔か何かか?」


「学園塔のことですか? 師匠目がいいですね。あれは監視でも何でもない昔からあるただの天文塔です。あそこから星を見るときれいなんですよね。今は授業が始まるときの合図にも使われています」


 なるほど、そのあたりはイギリスと変わらないのか。と思った瞬間違和感に気づいた。


「待て、なぜ鐘が鳴っているのに君はここにいる」


「えっ……あっ」


 ハルは慌てて口元を覆う。さてはこの少女ごまかしが下手か。


「あっ、ではない。考えてみればスナークの森では制服を着ていたな。学生寮にいたとも言っていた。さてはサボりか?」


「い、いえ……これはですねぇ、深い事情といいますか。確かに学校はあるんですけど、弟子として師匠の案内のほうが優先するべきかなって思いまして……」


「今すぐ行って先生に謝ってきなさい。僕は一人で散策するから」


「ええ~っ、ズルいです。私も師匠と一緒に散歩したい」


「いいから行き給え。義務から逃げていては立派な紳士にはなれないぞ」


 最後の一言が効いたのだろう。彼女は紳士の何たるかを知らないのに紳士に憧れている節がある。こういわれてしまったら駄々をこねるわけにもいかず、かなり後ろ髪をひかれているようだったが、ハルは素直に塔の方向へと消えていった。


 それを見送ってから、ふむと考える。


「さて、邪魔者はいなくなった。これからどこに行くか……博物館や図書館にあたるところがあればいいのだが、あるいはこの町の歴史を知る町長のような人物がいれば……ううむ、悩むところだが……」

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