第2話 紳士の旅行者

 ああ、今日も今日とて世界は麗らかなるかな。

 ちらちらと除く午後の日差しに、気持ちのいい木々の匂い。見たことのない異世界。魔法使いなるものの存在。絶好の記録日和だ。


 わからないことだらけだった僕だが、話の通じそうな大人のレディと出会うことができたのは僥倖と言っていいだろう。

 彼女に誘われ僕は森の小道を歩いていく。途中途中で気になる動植物を見つけたが勝手を言って離脱するわけにはいかない。

 読者諸君に置かれましてはそのあたりの記述はしばらく待ってほしい。


「私たちは学園と呼ばれる施設のものです。学園では魔法使いが集まり、日々を研究と練磨を重ねています。魔獣の潜むこの森に立ち入ったのも研究の一環です。熟練の魔法使いともなれば、通常太刀打ちできない魔獣を相手に戦えますから」


 セリア教師に先導され、静かな森を歩いていると彼女がふと言った。

 短くない道すがら整理していたのだろう。その口ぶりは落ち着いたものだった。

 僕も向こうから切り出してくれるのを待っていたので、おとなしく先を待つ。


「この森は危険で、一般人は立ち入れないんです。つまりエリオットさん。あなたがどこから来たにも関わらず、不法侵入者として扱わないといけないんです」


「不服だが、承知しよう」


 僕がむっとして答えるとセリアはおかしそうにふふっと噴出した。


「冗談です。私の生徒を助けてくれた恩人相手に、ひどい真似はしませんよ。約束します」


「……セリアはこの世界では高い地位にあるのか?」


「ふふっ……本当にほかの地から来たのですね。ええ、実のところ私はちょっとだけ偉い人なんです。ところで、これに触れていただいてもいいですか?」


 セリアは歩く速度を落とし僕の横まで来ると、懐から一枚の金属板のようなものを取り出した。


「これは?」


「魔法の探知板です。これに触れてもらえればエリオットさんの魔術系譜が分かります……あ、今なんでそんなものをこんな危険なところに持ってきてるんだ? って思いましたね? これは本来魔法存在の探知にも使えるんです。スナークの居場所を割り出すために持ってきたのが、こんなところで役に立つなんて思いませんでした。備えあれば患いなしですね」


 系譜? またわからない言葉が出てきた。

 しかし右も左もわからないのは今に始まったことじゃない。素直に従うことにする。


 板はつるりとしており、仕掛けが仕組まれているようには思えない。何かスイッチを押すことも、レバーを引くこともできず、本当に触れることしかできない。


「まあ……!」


 セリアは大きく口を手で隠しながら開けてみせた。大げさで芝居ががったしぐさだったが、それがまた似合う女性だ。


「エリオットさん、あなた魔法使いではないのですね」


「……その言い分だとこの地では魔法使いが一般的なようだね」


 大きな目を瞬かせ、セリアは板をこちらに向けてくる。


「見てください」

「見てくださいもなにも、見方がわからないな。異変は何もないようだが……」


「異変がないのがおかしいんです。この板は使用者の体に流れる微量の魔力に反応して、色や形を変えます。私だったらほら」


 彼女が力をこめるとなるほど、板が淡い緑色に光りだした。


「これは私が『治療と餅の神エイル・イナ』に連なる魔法使いであることを示しています。この世界に住むものならば誰であろうと、微量の魔力が備わっているはずなのです」


「ん、今なんと? モチ?」


「ですが、エリオットさんは無反応。これはあなたが何にも連なっていない外者であることを示しています」


 これまでおとなしくしていた後列で生徒たちがにわかにざわめきだす。


「いかにも僕は魔法使いではない。魔法、魔法だって? その言葉は我が故郷イギリスにもあったが、それは一部の黒魔術師がひっそりと研究していただけに過ぎない。僕は紳士だ。そんなものに頼らずともバリツがある」


「先生、まさかその人は……『旅行者』……?」


 列の先頭を歩いていた女子がこらえきれないといった様子で言った。


「旅行者……?」


「ええ。実は私たち、あなたのような人に出会ったのは初めてではありません」


「ほう……僕はこのような体験は初めてだが」


「喜ばしい体験だと思いますわ。あなたのような別の世界からやってきた人のことを、私たちは旅行者と呼んでいます。原因は不明ですが時折起こることなのです。旅行者はしばしば未知の技術や知識を持ってここまで流れ着き、そのおかげで町は発展してきたのです」


 セリアの上品な笑み。その情報は僕にとってうれしいものだった。

 思わず前のめりになって聞く。


「しばしば起こる? では町とやらには、僕以外のイギリス人がいるのかね?」


「残念ながら旅行者がやってくるのは一つの時代に数人程度。この時代に旅行者はエリオットさんだけです。……本当に驚きです。ドキドキです。私も話に聞いていただけで実際に目にするのは初めてです。どうですかエリオットさん? 私、冷静でいるように見えますか?」


「ええ、どこからどう見ても麗しいクールビューティだ」


「いやですよ、もう。そこまで褒めなくとも……あ、見えましたよ」


 セリアが指さす先には確かに人工的な門が見える。耳をすませてみればガヤガヤと人の生活音もだ。

 それを見た瞬間、急にのどの渇きを覚えた。思えば午後のティータイムも後にして進んできたのだ。

 

 ああ、この場に執事のディーン君がいれば最高の紅茶をいれてくれるのに。さすがに彼ほどの腕を持つ人物と、なによりお茶の葉はここにはないだろう。いや、それがあるのは世界・異世界広しといえども、イギリスだけだと断言する。


「取り合えずお茶をいただけるかな」


「歓迎しますわ。ようこそワンダーランドへ」

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