14.火を見るよりも


『やはり、一人でも行くのか』

「しょうがねえだろ。あいつが行かないって言ったんだから」


 ザクザクと雪を踏み荒らし、さらに山の上を目指す最中さなかでいつの間にか隣を歩く銀狼が問いかけてくる。

 俺はと言えば、少しだけ腹に据えかねるものを抱えながら歩を進めていた。


 話は、昨夜にまでさかのぼる。


「悪竜を倒す?」

「そしてその魔素をいただく。これなら丸く収まるだろ」


 俺の考えは、悪竜の溜め込んだ魔素を使い、新たに大きな魔素結晶を作り出すというものだ。

 悪竜は羽ばたくだけで吹雪を起こすような巨大な体躯だ。身体の大きさを維持するための魔素量も相当なもののはず。

 不可能ではない。現に、俺の身体から魔素を奪いつつ形成された魔素結晶があるのだ。それが魔術によって行われているならば、魔法で再現できないわけが無い。

 加えてユリアも、属性が一致するなら加工ができると言っていた。魔法使いはあらゆる魔素を従える者だ。悪竜を倒せば、それを用いて俺の求める「種」の再現も可能だろう。

 悪竜には散々手を焼かされ不自由を被っているならば、悪竜から解放されることは願ってもないはずだ。


「その為に、ユリア。あんたの力を借りたい」

「嫌よ」


 即答だった。


「な、何でだよ!」

「貴方こそよく考えなさい。あれだけの脅威に立ち向かえると言うの?」


 予想しない返答に慌てるが、ユリアは腕を組み呆れ返ったような顔をしてこちらを睨む。

 悪竜の強さというのは、もちろん身に染みて分かっている。一度対峙しただけで恐怖で身が震え動けなくなった。ただしそれが必要なものだと言うなら、そんな事も言っていられない。


「悪竜は、英雄でも三日三晩戦った後に相打ちで何とか倒せたほど。ただの魔法使い一人二人で収まるなら、わざわざ英雄なんて要らないわよ」

「それは伝説の話だろ? 倒した奴が居るなら、できない話じゃないんだ」

「貴方、英雄にでもなりたいの? ご立派だこと。私を巻き込まないでちょうだい」

「おまっ……!」


 取り付く島もない上に、呆気なく協力を断られてしまった。


「何でだよ! あの悪竜に困ってるんだろ? 倒してしまえば解放されるんだろ?」

「簡単に言わないで。出来ているのならとっくにやっていたわよ」


 まるで射殺す……いや、凍て殺すような目が突き刺さる。それは静かに怒りを放ち、殺意すら感じさせる。


「何も手を打たなかった訳じゃない。私だって……」


 ユリアは続きを口にしようとして、しかし途中で止めてしまった。そのまま彼女はどこか悔しげな顔をしながら席を立ち、部屋の出口の前で止まる。


「朝には出て行って。余計な真似はしないように」


 忠告するように言い残し、ユリアはさっと夜闇に溶け込んでいった。その背を追うことも出来ず、俺はただ暖炉に手をかざして火をくべるしかなかった。


 そして今朝。言われた通りに荷物をまとめてユリアの家を出た。

 来た時には分からなかったが、家と言うよりも屋敷の大きさだ。央都でもそう見ないような豪邸で、出るだけでもリルの道案内が必要なくらいだった。


「あいつ、お嬢様だったのか?」

『人間の地位については分からぬ』


 ポツリと呟いた疑問も、リルは相変わらず感情の読めない声で返してくる。

 今日の天気は雪が降るものの、昨晩のような激しさは感じなかった。この国に来てからは真白と鈍色の空しか見ていない気がする。


「さーぁってと。悪竜が探して出てくるものだと楽なんだがな」

『やはり、対峙するつもりか』

「当たり前だろ。屋敷から離れてたら被害も出ないし助かるんだがな」


 巻き込むな、という言葉を律儀に守るというわけでもないが、世話になった人に不都合があっても後味が悪い。しばらくは山の上からの捜索が続きそうな予感がしている。

 とりあえず見晴らしの良さそうな高台にまで足を伸ばし、様子を伺ってみようかと歩き出した。


『悪竜を探すのであれば、一つ手がある』


 と、リルが不意にそんなことを口にした。


「……手伝ってくれるのか?」


 予想外の提案に、おずおずと振り返りながらその言葉を確かめる。見上げるほどの銀狼は更に背を伸ばして鼻を鳴らして答えた。


『探すよりも、探させるという方が正しいが』

「何だっていい、会えるなら試させてくれ」


 食いつくようにリルに駆け寄り――雪に足を取られる――その真正面で聞き出そうとする。

 この銀狼がどうしてこんなにも俺の事を気にかけてくれるのかまでは分からないが、協力してくれるならば狼だろうと歓迎する。

 銀狼はクイ、と首を振って先に進み出した。恐らく付いてこいという意味だ。その後ろに付いて、大きく踏みしめた足跡に沿って続く。

 昨日から降り積もった雪の量も相当だが、ものともせず銀狼はかき分けて進む。深いところでは腰辺りまで沈みかけるが、銀狼の大きさで進めば人一人は余裕で通れそうな道筋が出来上がる。獣道でも、雪道を進めるならばこれも悪くはないかもしれない。

 しばらくざくざくと雪道を歩き続ける。屋敷からはとうに離れ、山肌にわずかに並ぶ木々もまばらになった開けた雪原にまで来た。見晴らしもいいが、相も変わらず景色は真白と鈍色が広がっているだけだ。

 スンスン、と鼻を鳴らす銀狼。何かの匂いをかぎ分けているのか、しきりに空へ鼻先を向けている。


『ここらでいいだろう。天に向けて火を放て』


 唐突に銀狼はそんなことを言う。


「そんな方法でいいのか?」

『奴は魔素に引かれて現れる。魔法使いの火であれば、釣るにはちょうどいいだろう』


 出来るだけ目立つようにと付け加えられ、銀狼は俺から距離をとる。あまりにも簡単な方法に疑わざるを得ないが、この銀狼は嘘をつかないたちだ。

 雪山で目立つような火を操るというのは、ともすれば自殺行為に等しい。どこで雪が緩んで崩れるか分からないからだ。

 では、周りに熱を振りまかず、火の魔素だけを目立たせる必要がある。熱よりも光、その存在を知らしめる魔法だ。


「『――照らせ。火はあまねく世を焦がす』」


 空へ向けててのひらをかざし、真上へと火の玉を発射する。素早く真っ直ぐ上空へと飛んでいき、しばらくした後。


 パァンッ


 軽い破裂音と共に火の玉は弾け、様々な色に変わりながら軌跡を残して落ちる。子供の頃に央都の祭りで見た覚えがある、「花火」というものを真似たのだ。もとは確か、東国フーリンで作られたものだったか。

 見た目に加えて、その効果は少し細工をしてある。ここら一帯を火の魔素の濃度が増すように振りまいておいた。魔獣同様、悪竜もまた魔素に引かれるというのなら、これほどやっておけば嫌でも匂いを嗅ぎつけるだろう。


『焦げ臭いな』

「さすが、鼻が利くな。これで言った通りだろ」

『やり過ぎなくらいだろう。すぐに来るぞ』


 火の魔素に鼻を鳴らして、銀狼はブルブルと身体を振るう。次いで遠くの空を睨みつけ、静かに姿勢を低くする。

 銀狼の目線の先は雲のかかる山の端、霊峰カピヨーの頂上付近だ。かつて英雄と悪竜が死闘を繰り広げた戦場も、きっとあの先にあったのだろうか。


 ――KyyyyyyAAAaaaaaaaaaaaa!!!!!!


 突如、つんざくような甲高い音が雪山の空に響き渡る。吹く風にも、降る雪にも紛れない、おそらく自然の中でも聞こえるはずのない異質な音。再び聞いたこの音の正体を、俺は知っている。


『悪竜だ』


 空を叩く羽ばたきの音。強く巻き上がる雪は塊のようになりながら、雪原に小さな雪山を作り出す。飛来したその影は、視界いっぱいを埋め尽くすほどの巨躯。銀狼など比較にもならない、超常的な大きさだ。

 初めて、悪竜と呼ばれるそれを肉眼で確かめた時、俺は驚きを隠せなかった。いや、目を奪われてしまった、というのが正しいか。

 目を合わせた時の赤い瞳は、宝石と見紛う程に鮮やかに透き通っている。荷物を荷台ごと噛み砕いた強靭な牙は、研ぎ澄ませた水晶の刃を思わせる。体の至る所には堅牢な鱗が並び、しかしそのどれもが壮麗な硝子細工を思わせる。

 どのような美辞麗句を並べ立てたところで、今目の前にいる竜は表現のしようもなく美しく、その巨大さは凶悪さをはらみ、あまりに不自然な姿には不気味さを感じざるを得ない。


 KyyyyyyyyAAAAAAaaaaaaa!!!!!!!


 硝子を擦り合わせるような、背筋をゾワゾワと逆撫でる咆哮。生物が挙げる声とは到底思えない。見た目の美しさとは裏腹に、中身は相当に醜悪であるらしい。

 ズシン、と地に足を下ろした悪竜は、やけにギラついた目でこちらを睨む。なるほど、俺のことは覚えていたというわけか。


「――因縁を返しに来てやったぜ、悪竜!」


 負けじと啖呵を切って軽く手を振るわせる。指先まで魔力は行き交っている。臨戦態勢は整っている。

 こいつを倒せば、姉さんに一歩近づける。ここで負ける訳にはいかない。


 たとえ、刺し違えたとしても。


 ◆


 年中吹雪く山だと言うのに、今日はやけに静かだと感じたのは、黒髪の彼が屋敷を去った直後からだ。

 窓を叩く風もなく、扉を埋める雪も降らない。一年通してそんな日が何回あっただろうと思い返すが、煮出した鍋を見ながらやがてそれも気にしなくなる。

 今日一日がなんだと言うのか。ここは閉ざされた場所。行き倒れた旅人を一晩泊めた、その恩義がこの程度の天候なら些細なもの。

 彼がこの世界を壊してくれるわけでも、連れ出してくれる訳でもない。私の本当の望みが叶えられるはずもない。


「…………」


 静かに、懐に仕舞っていたブローチに触れる。生前母から貰った大事なものだ。赤く染まった宝石をあしらったそれは、冷たい世界の中でも温もりを感じさせてくれる。

 この世界には思い出しかない。その思い出だけが、この世界の中で耐える唯一の手段だった。

 思い出の中だけが、私が唯一安らいでいられる場所。外に望みなど抱かない。全て、あの白い景色が奪っていったのだから。


 ――アォオーーーーーーーーン……


 遠吠え。狼たちの警戒の声だ。

 聞き分け方はリルに教えてもらったが、この声を聞くのは悪竜が飛来した時だけ。しかも相当近い。

 火にかけていた鍋を寄せ、すぐさまボレロを羽織る。これも母から貰ったもので、母手ずからの魔法の加護を加え、外からの寒さもしのいでくれる特別製だ。

 屋敷の中にまで悪竜が攻めてきたことは無い。屋敷には結界魔法が張られており、マモノ等が寄り付かないような仕組みになっている。それだけに、遠吠えの近さからここまで近づいてきたことはそうなかったはず。


「……まさか」


 一瞬頭に過ぎったのは、黒髪の彼。赤い瞳はさながら悪竜を思い出させるが、違うのはその熱量だ。虚ろな深淵を覗くような瞳が悪竜ならば、逆巻く熱を秘めたのが彼の瞳だ。

 悪竜を倒す、などと宣ったその時の瞳が忘れられない。昨日今日の話だ。何か動きがあるとすれば関連を疑わざるを得ない。

 外へと出る支度を済ませ、出がけに彼が居ただろう一室を覗く。暖炉の火は消えているが、代わりに見覚えのある包みを見つける。


「これは……」


 そっと手に取ると不思議な感覚だった。表面は鋭利に削りだされたものなのに手の中にすんなりと納まり、硬く尖った結晶は仄かに温もりを感じる。彼がお守りと称して引っ張り出した魔鉱石だ。正確には彼の体内から精製されたものだというが、それについてはあまり深くは触れないでおきたい。

 しかし手にとってわかるのは、私が思うほどこの魔鉱石は穢れてなどいない。純粋な魔力が結晶化した、彼の分身とも呼べるような代物だ。

 これはここにあっても仕方のないのものだ。薪にくべるのも正直もったいない。持ち主に返してやるべきだろう。


「……ああもうっ」


 しばらくそれを眺めてから、懐にしまい込んだ。腹立たしい。不思議なことに、これを返さなければいけないと思ってしまった。

 この結晶の赤が、ブローチに似ていたから。



 To be continued...

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