13.吹雪の中でも
『魔女』と初めて呼ばれたのは、確か一年前だ。
四年前に母が亡くなり、それよりももっと前に、父が失踪した。
母は昔から体が弱かった。父は医者で、母の体を治すための方法を探していた。
『
元々魔法使いというものは、生命活動を自身の力のみではなく、世界に満ちている魔素を活用しながら生きているのだと父が言っていた。父が母の体調を調べる上で知り得た知見らしいが、それが事実だったのかは定かではない。
父は世界を巡り、母を助ける手段を探していたため家を空けることが多く、実際既に父の顔はおぼろげにしか思い出せなくなっている。父はいつものように家を出て、しかしその後帰ってくることは無かった。
私は家の中で母と共にいる事が多かった。母は私に本を読んでくれた。母が持っていた寓話、説話、伝説をまとめた本。父が置いていった医療、薬学の本。どんなものでも構わなかった。せめてこの雪山の中でも退屈しないように。私はそれに聞き
けれどその母も、結局は体調を悪化して治らず、帰らぬ人となった。
私は泣いた。泣いて、泣いて、泣いて。リルが
多分、私が『凍姫』に選ばれたのは、その時だった。魔法使いは一代一人限り。私は代替わりで選ばれたのだ。
何が、『凍姫』よ。何が、魔法使いよ。
大事な人を失ってからじゃ遅いような力なんて、持っていたって意味が無い。この力を恨もうとして、けれど母が遺してくれたものかもと思って捨てられもしなかった。
雪山から降りようと考えたことも何度もあった。しかしその時の私は弱く、雪山に生まれても雪山の歩き方を知らなかった。父も母も、庭先に出ることはあっても共に出かけることはなかったからだ。
その当時はリルもまだ幼く、魔獣でもない仔狼だった。リルは親に捨てられたところを父が拾ってきて、看病をしたことから共にいるようになった。群れを従えて大きくなった頃に、いつの間にか山を駆け巡るほどになっていた。しかし獣道は所詮獣道。人の身で通るにはあまりにも厳しい。
加えて、問題はあの悪竜だ。いつから出てきたのかは正確には覚えていないが、それは常に吹雪の中で現れて、咆哮と共に襲い掛かる脅威。何度も対峙した。何度も。奴は私の前に現れては、吹雪の中に閉じ込めてきたのだ。
しかし、それだというのに、山に登るものを拒むことはなく、勘違いした人達が私を狙ってきた。
それは伝説のように栄光を求めて。或いは厄災の元凶であると言いながら。私にはそのどちらでも無いというのに、それらが来ることは
どうせ、今回も同じようなものだろう。来るものを拒んだって、私には関係ない。
私は吹雪の中に閉じ込められているのだから。
◆
「そう……お姉さんが」
「ああ。酷い話だろ」
すらりと伸びた漆黒の髪に、切れ長の赤い瞳。長旅でくたびれた騎士隊の制服を隠すように、分厚く作られた毛皮のコートを羽織っている。
アルトと名乗った
私には分からなかった。苦境の中に居ても、どうしてそんな顔をしていられるのか。
「お互いの事情が分かったことだし、話を戻すんだが」
温め直したスープを置き――随分器用に魔法を使うものだ――彼はこちらに身を乗り出す。彼が望んでいるのは高濃度の魔素結晶。それに悪竜と魔女は活用できないか。
しかし、私の答えは変わらない。
「手伝えることは何もないわ。伝説で言うところの『氷の剣』も、私には作れない」
「なんでだ?」
「……あれにはタネも仕掛けもあるのよ」
彼が入れてくれたスープを一口。正直香りだけでも生唾を呑みそうなくらいに欲していたものだが、食べ物の前で涎を垂らす真似はさすがにしたくない。口に含めば、肉で取ったコクのあるベースに様々な野菜を煮込んだとろみのある口当たり。本当はパンの一切れでもあれば、
「タネ?仕掛け?」
きょとんとした顔でアルトは私の発言に食いつく。スープに免じて、そこぐらいは教えておこう。
「あれにはちゃんとした
母から聞かせてもらった逸話の一つにそんな一説がある。問答の末にリェーズヴィエは供物を捧げ、魔女に剣を与えてもらったと。『凍姫』である母が代々伝え聞いたというのだから、その信憑性は高い。
たまにリルが持ってきた荷物の中に後世で
貢ぎ物……と小さく呟くアルトは、はっとなって自分の荷物を突然にひっくり返した。バラバラと散らばるのは登山用のロープやフック、それに私物と見える包みに本だ。
「この中に、供物になるようなものはあるか?」
「…………」
至極真面目な顔をして問いかけてくるが、残念ながらどれもこれもガラクタに過ぎない。そもそも手持ちのもので済ませようとするのもどうなのだろう。英雄ならば前もって準備しておくものだろうに。
と、何度目かの溜息を吐いたところで、ちらと目に映ったものがあった。いや、正確には視覚の中に映ったものではない。多分、魔法使いならではの知覚だ。包みの中から漏れ出ている微かな魔素を感じ取った。
「その中身は?」
「ん、ああ。なんというか……ちょっといわくつきというか」
口をもごもごとさせながら、包みの中に手を伸ばすアルト。取り出したのは、真紅に染まった結晶体だ。まるで燃えているかのような光の揺らぎ方に、思わず炎そのものを引っ張り出したかのようにすら錯覚した。
「使い道に困っててな。お守り程度に持ってただけだ」
「ちょっと、見せてみて」
歪に伸びた結晶に、彼は眉根を寄せて手の中で弄ぶ。結晶化するほどの魔素が拳大ほどとなると、触るのすら
お守り程度に言ってくれるが、これこそ何よりも重要なものではないのか。
「大きさも形も、普通の魔鉱石じゃないわね。純度も……普通じゃありえない。これをどこで?」
「え、あ、いや。これはその、俺の……」
「俺の……なに?」
アルトは次の句を口ごもった。謎めいた物の出自を尋ねることは、少し無礼だったかもしれない。私も、その答えを聞いた時には流石に後悔した。
「……体の中から出てきたものだ」
「…………えぇ……」
「やめろ、引くな。俺だって言うか迷ったんだ!」
体の中から出てきた魔素の結晶をお守り代わりとは、奇特すぎて変人としか言えない。魔素結晶自体が汚いとか、そういうことでは無いが、表現しえない敬遠を覚える。正直、手に取らなくて良かった。
アルトはバツが悪そうにしながらもその結晶を覗き込みながら、深くソファに沈み込む。
「しかし、これじゃあダメか。これも魔素量は大したこと無いしな」
「……第一、私じゃそれの加工すら出来ないわ。魔素の属性が違うもの」
魔素量が大したことがない、という評価はこの際置いておく。それひとつでも魔術の触媒にしてもおおよそ二年から三年は使い続けられるだろう。恐らくは彼の求める魔素量の基準が違いすぎるせいだ。
「……魔素の属性が一致していれば加工はできるのか」
ふと、アルトは宙を見上げながらそんなことを聞いてくる。
「私は『凍姫』、あなたは『焔帝』。それぞれが水と火の魔法使いでしょう。当然だけど、自分の属性以外の魔法は使えないわよ」
母から……先代の『凍姫』から、魔法については詳しく聞かされた。母は、私が『凍姫』になることを予見していたのだろうか。魔術についてよりも、魔法使いとは何なのかを聞かされていた。魔法と魔術、その違いについても。
「悪かったな、俺は魔法使いには育てられてないんだよ。自分でなんとか探り探り使ってるんだ」
打って変わって、アルトは開き直るように大仰に両手を上げる。なるほど、その器用さは自身の試行錯誤によるものか。実際、魔法の行使についてを書籍で知ることはあまりない。
魔法はあるだけで奇跡、不可解な現象として扱われる。人がそれを解明し技術として取り込んだのが魔術だ。人のために残すのなら、どちらを優先するべきかは言うまでもない。
「そのお守りは、貴方が使うしかないわ。私じゃどうしようも無い」
「使うったって、どうやればいいか……」
くるくると転がしながら、やはり扱いに困ったように右に左にと投げては受け取る。暴発しないとは限らないだけに、目の前でそんな真似をするのはやめて欲しい。
「………………」
ピタ、と。ふと弄ぶ手が止まり、アルトは唐突にじっと結晶を見つめだした。
「体内で精製された……魔素が結晶化……」
ブツブツと口の中で何かを呟くが、詳しくは聞こえてこない。私はそれを横目に、話が一段落したからスープを口に運ぼうとした。
「そうか! これだ!」
やはりまた唐突に、今度は大声で叫んだ。驚いてスープを
「いったい何よ。ろくでもないことを思いついたのかしら」
「ああ、とびきりろくでもねえ話だぜ」
嫌味たっぷりに言ったつもりだったが、気に留めるどころかさらにあくどそうな顔をして返してくる。なぜ、そんな顔ができるのだろうか。何をしたって変わらなかったというのに。
アルトはそんな私を真っ直ぐに見つめて、吹雪く窓の外を指さした。
「いるじゃねえか、でっかい魔素の塊が」
To be continued...
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