12.凍姫
…………。
…………、…………?
「ん…………」
遠くから、何かが聞こえる。音……いや、声。誰かが話し合っている。
……からって…………しょ……?
それは…………せばいい…………。
頭がぼうっとする。何かに頭を揺さぶられたような、判然としない思考で考える。
気を失っていた、らしい。自分がどこにいるのかは分からないが、どうやら何か建物の中に居るらしいことはわかった。自分が今まで横たわっていたところは、上等な織物で作られた絨毯で、分厚く作られた毛布がかけられていた。
ここに来た時の記憶が無い。故に、これが自分が用意したものでは無いのは確かだ。
ふと、不思議と背中が暖かいのを感じて振り向くと、静かに火を揺らす暖炉が穏やかに燃えていた。火があるということは、少なくとも人がいるということだ。
いけない、いい加減動こう。自分の目的を思い出せ。何故ここにいるのか。確か雪山で、言葉を話す狼と会って、それから……。
「そうだ、魔女……」
狼が話を聞くと言っていた。とりあえず凍える心配の無い場所ではあるから、ここが奴の言っていた主人……魔女と会える場所ということらしい。
魔女。リョートの伝承に出てくる、英雄と並ぶ力を持つ者。しかし実態は依然として知れないまま、人に馴染むことも無く話ばかりが聞こえてくる。アリタの推測では魔法使いではないかと言われているが、どうあるにせよ手がかりを掴む人物であればそれでいい。
『目覚めたか、旅人よ』
聞いたことのある低い声が聞こえた。既に日も落ち、まともな照明はほとんど無い。あるとすれば背後の暖炉から揺れる火ばかりだ。
相当に広い部屋の暗がりから金の目が揺れ、やがてぬうっと銀の巨躯が現れる。相変わらず見上げるような大きさには圧倒される。
「気を……失ってたみたいだ、悪いな」
『最後まで我が背に掴まっていた、そこは褒めておこう』
悪びれる事無く狼はそう言い、なんとか灯りが届くところで腰を下ろす。容赦ない加速で意識を置き去りにしていったこと自体何とも思っていないらしい。……まあ、目を回したのは俺なのだが。
『主人が会ってくれると言っている。しかし私は主人の味方だ、交渉はまともな範疇で頼むぞ』
「ここまで連れてきてくれた相手の顔くらい立ててやるさ」
実際、ここまで来られたのも奇跡に近い話だ。すんなり話が通るとも思ってはいないが、ここまでの道のりを無為にするつもりも無い。
会話は慎重に、対応は丁寧に。姉さんから教えられたことの一つでもある。
「随分と話が盛り上がっているみたいね。いつからそんなに仲良くなったのかしら」
再び暗がりから声がした。今度は女の声だ。
「それに急に転がり込んできた挙句、挨拶もなしに寝てるだなんて。最近の旅人は礼節も弁えないのかしら」
コツコツと音高く靴を鳴らし、やや苛立ったような声音で近づいてくる気配。暖炉の灯りに照らされるところまで来たその人は、不満げに腕を組みこちらを睨み付けてきた。
「……お前が、魔女?」
「なによ、貴方もそんな風に言うのね。なりたくてなった訳じゃないのに」
そう答えるその人は重々しく溜息を吐く。俺が声を上げたのは、驚きと疑念からだった。
まず見た目からしては歳若い少女だ。背を伸ばした立ち姿は毅然とした風格を感じさせる。その強い眼は明るい琥珀色を灯していて、照らされた顔は新雪を思わせるような白さに、混じり気のない銀の髪は腰まで真っ直ぐに伸びていた。青を基調にしたボレロとスカートは、彼女の心境とは裏腹に優雅にゆらりと揺れる。
話に聞くような魔女の想像図とは異なり、まるで何処ぞの姫君かのようだ。
「それで、用事は何なの。この際色んな無礼は不問にするから、早く済ませて帰って頂戴」
心底鬱陶しそうな顔をしながら、魔女は……いや少女は眉根をひそめる。大きくつぶらな瞳も細めた目つきで半月のようになっていた。どうにも不機嫌そうな相手に対し、俺はまず居住まいを直した。
「悪竜について、魔女について聞きたい。俺が探しているものと関係してるのかを知りたいんだ」
「無いわよ、関係なんて。あれは勝手に大きくなっただけ」
あっさりと答える少女。その態度には取り付く島も無く、こちらの事情など初めから聞くつもりも無いようだ。
話をする場を用意するとは言っていたが、望んでいたようなまともなテーブルではない。恨むように狼に目をやるが、当の本人、いや本狼は打って変わってだんまりとしたままだ。
ふと、彼女の言っていた言葉を繰り返す。
「勝手に大きくなった、って?」
「貴方たちが悪竜だのなんだのと呼んでるあれのこと。こっちも手を焼いてるのに、勘ぐられて何度も襲われたのよ」
口にするのも辟易としているようで、少女はすぐそばに置かれたソファにどっかりと腰を下ろす。
……あなた『たち』? 確かに、人々の間ではあの巨大な脅威についてを悪竜と認識しているが、俺以外にもそれを訪ねた人が居るということだろうか。
それに、勘ぐられて襲われたという。悪竜が襲ってくるならまだしも、口ぶりからして誰かから敵意を向けられたことを指していそうだった。
相変わらず、酷く冷めた態度のまま溜息を吐く少女。うんざりとでも言いたげに頬杖を突いてソファの背に体を預けている。
「随分風変わりな装備をしてると思ったら、功を急いだ騎士様だったわけね。リルも出し抜いたのは褒めてあげるわ」
「騎士? いや、俺は、」
「隠したって無駄よ。そのコートの下の制服は何? 変装ならもう少しマシなものになさいな」
そう指摘されて、自分の服を改めて見下ろした。使い込まれてはいるが、その白い制服は間違いなく騎士隊のもの。
……嫌な予感が脳裏を過った。
「集団で来て警戒されたから一人で来させるなんて、騎士隊も人使いが荒いのね。でも、私から教えることは何も無い。分かったら――『出ていって』」
口の動きと、音が違った。これは詠唱――違う。魔術ではない。普段から自分がやっている事だ、分からないわけが無い。
魔法だ。
ビュウッ!!
「ぐっ……!?」
彼女の背後から、突き刺すような冷気が吹き荒れた。真正面で不意を打たれる形になった俺は堪らず持っていた毛布でそれを遮る。
彼女がこれまで拒絶してきた理由が、今ようやく分かる。彼女は騎士隊に襲われたのだ。悪竜関連の被害について、きっと騎士隊も把握していたのだろう。調査のために入山したが、こんな山奥深くに住んでいる、しかも狼を引き連れた相手のことを疑わないわけが無い。
「今回は上手くいくとでも思ってた? さっさと帰って収穫なしと伝えなさい。安心して、町までリルが送ってくれるから」
吹き付ける冷気のさ中でも少女の声が届く。魔法の威力は落ちることなく、外の吹雪と遜色ない。しかも見てからに余裕そうな態度は、この程度造作もないとでも言いたげだ。
魔女……あえて言うなら、それの名に恥じない実力だ。前にも進めぬ、話も聞かないとなれば、撤退を余儀なくされる騎士隊も想像が着く。
しかし、こっちはそうはいかない。
「話を……聞けって!」
毛布の盾から短く息を吸い、四肢に力を込める。次いで毛布に火の魔素を付与(エンチャント)する。やってきたことはこれまでの強行軍で装備に対してやっていたことと変わらない。それにひと工夫加えるだけだ。
「――『
熱をまとった毛布を勢いよく振り、ばさりとはためかせた途端、吹雪く風をものともしない熱風が巻き起こった。冷え込んでいた部屋の空気が一気に温く感じるほどの熱は、かじかんでいた手足を少し解すにはちょうど良かった。
「……今のは、魔法?」
対する吹雪をまとっていた少女は言えば、煽られた風に髪をなびかせながら僅かながらに目を見開いていた。反撃を予想していなかったからだろうか、ピタリと吹雪の魔法を止めてこちらをじっと様子を伺うように見てくる。
『ひとつ、言い忘れていたが』
不意に、低い声が響く。後ろに控えていた狼だ。相も変わらず平坦で抑揚も無い口調には感情が見られず、あくまで口ぶりからして察する他ない。今のは本当に忘れていたのか、わざと言うのを遅れていたのかすら分からないが。
『彼は普通の人間ではない。吹雪にもかかわらず魔術の装備が一切無いのが見てわかるだろう』
「……リル、あなた少しはタイミングを考えなさい」
『今後は善処しよう』
リルと呼ばれた銀狼はやはり悪びれもせず、じっと主人の訴えを眼差しで返した。
◆
今更ながら、俺は魔法使いでも魔法の扱いは得意ではない。魔術のように規則性のあるものではなく、機械のように再現性があるわけでもない。その都度、自分が想像したものをそのまま生み出す。それは思考や意思が伴い、感情に拠ったものは思いがけない威力を持ちかねない。言わば、いつ爆発するか分からないものを背負い続けてる状態だ。
今回毛布を扱っての魔法は、我ながら機転の利いたものだと思う。媒介も無しに火の魔法を使えば、容赦のない熱波が少女を焼いた事だろう。相手は魔女とすら呼ばれる腕前だが、当然人に向けてそのような威力を放つつもりは毛頭ない。
「それで、『焔帝』様直々にこんな北の山くんだりまで来たのは如何な理由なのかしら。用事もなく来るほど暇じゃないのでしょう?」
そんな少女は熱風を浴びて落ち着いたのか……いや、口ぶりは先程よりも胡乱げで、言葉の端々にトゲが見えるようになったが、とにかくまともに話を聞いてくれるようになっていた。
来客用のソファ――さっきの熱波でちょっと温かい――に腰掛け、話をするように勧められた。
「さっきから言ってる通り、悪竜についてとか、聖地についてとかを教えて欲しい。必要なものを探す旅なんだ」
「じゃあ先にその必要なものっていうのを話しなさい。それをあげれば回りくどいことをしなくて済むでしょ」
単刀直入に切り込んでくる彼女は、事情を慮るという感覚は無いらしい。さっさと問題を解決して、解放されたいという気持ちがありありと伝わってくる。
「……種、だ」
「種? こんな雪山で種を探す? それはまた、南の国で雪だるまを探すくらい難解な話ね」
やはりというか、鼻でせせら笑うような反応。少女は興味なさげに自分の毛先をくるくるといじり出す。
「無論、ただの種じゃない。世界創世の頃からある、世界を作り出した種……みたいなものだ」
「ただのおとぎ話よ、そんなのは」
当然の反応。山奥に来て人との触れ合いもほとんどないだろう少女に正論を言われるのは甚だ心外だが、それでも信じて送り出してくれた人たちがいる身としてはそれで引きさがることはできない。
「正確には、莫大な魔素を詰め込んだ物体ってことらしいんだが……心当たりはないか?」
「無いわね。そんなの、あったら私が欲しいくらいよ」
……嘘を言っている気配はない。含ませるような言い方すらしない辺り、いっそ清々しくて好感が持てる。しかし欲しいとなれば競合相手だ。もし見つけたら奪い合いになるのだけは避けたいところだ。
「なら、俺も聖地を探すしかないか。もしかしたら見つけられるかもしれないしな」
「……貴方、話を聞いていたかしら。長らくここに住んでいる私ですら見つけられないのよ」
何度目かの呆れたような溜息。しかし、自分で見ていないものは確かめられない。尽くせる手を尽くす。それがこの旅を始めるにあたって最初に決めたことの一つだ。
「新しい奴が掘り出しものを見つけるなんてこともよくあることだろ。お前……ええと」
「……ユリア・イリザロヴァ。当代の『
「アルト・アントヴォルトだ。ユリア、あんたが見つけられてない物も、俺が見つけられるかもしれない」
ユリアと名乗った少女は眉間にしわを寄せてはそれをほぐすように手を置く。呆れてものも言えないといった様子だが、正直その手の反応はいくらでも見てきている。
よっこら、と腰を上げて今いる部屋を見渡す。起きてからちゃんと見る暇がなかったが、暖炉の火に照らされる以外ではこの部屋の明かりはまともになく見通しが悪い。ソファとテーブルがあるからには客間なのだろう。いくつも並んだ大きな窓は固く閉ざされて外の吹雪に震えていて、相変わらず酷い天気のままらしい。
そのまま窓辺から下に目線を移すと、ひと塊になっている荷物があった。見てからにくたびれているが、俺が背負ってきた荷物で間違いない。いくつかの噛み跡があるのはおそらく荷を下ろすために魔獣――リルと言ったか――が嚙みついたものだろうか。中身を確認すると、いくつかの非常用に持っていた食料が無くなっている。
「……ユリア、俺の荷物から」
「何も取ってないわよ」
「口元にソースがついてるぞ」
「っ……」
「嘘だ。やっぱり取ってるじゃねーか」
ごしごしと袖口で拭き取ろうとユリアが慌てるが、残念ながら汚れている様もない。食い口が綺麗な辺りはかろうじて好感が持てるが、黙って食料を盗ったこと自体は褒められたことではない。
ひっかけられた悔しさからか鋭い目線が飛んでくるが、個人的にはその部分はどうでもいい。
「盗賊まがいの真似をすることないだろ。欲しけりゃ金払って買えばいい」
『すまないが、こちらもひっ迫した状況だ。長き冬のせいで食料が貴重なものでな』
「……お前も、少しは口元を綺麗にしてろよ」
『獣に人の作法は必要なかろう』
ごもっともな返答に肩をすくめた。あれほど威圧的な風体を保っていた銀狼ですら、食べかすが残ったままでは可愛くすら思える。
「こんな大層なところに住んでいるのに、まともに食事にありつけないのか?」
「……私は魔女よ。下に降りていけば、どんな扱いを受けるか容易に想像できるわ」
なるほど確かに騎士隊に襲撃されたほどとなれば顔が割れているか、山から下りてきたとなればそれだけで話題になってしまう。カピヨーゴロスクは中心都市であるとはいえ、規模としては大きいものではない。噂話などすぐに知れ渡ってしまうだろう。よほど世話を焼いてくれる医者がいてくれなければ、おそらく俺も同じ状況だったことだろう。
「それに、普段はリルたちが持ってきてくれるもの。こんな手段そうそう使うわけないじゃない」
「そのリルたちはどこから持ってきてるって言うんだ?」
『雪原を行くソリからだな』
さすがに頭を抱えた。ではこの国の問題は単なる悪竜のみの被害ではなく、この山のお姫様のために魔獣が襲っていたということか。
……ん?
「それ、騎士隊が来て当然のことだよな」
「……悪竜のせいよ」
こっちを向け、こっちを。
「そりゃ、魔女扱いされた挙句悪竜と関連付けて騎士隊のお尋ねになるわけだ」
「貴方には分からないでしょうけどね」
「分かるよ。俺もお尋ね者だ」
初めてそこでユリアがぴくりと反応した。今までにない、こちらに興味を示した様子だった。
改めて手に持った自分の荷物をガサゴソと探ると、まだ包みに入っている食料を見つけた。
「一時休戦ってことで、もう一つどうだ?」
「……いただくわ」
不承不承と言った形でだったが、ユリアは少しだけ肩の力を抜いた。
To be continued...
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