幕間

 〜少し前 央都・騎士隊宿舎〜


 穏やかな日差し。暖かな風。

 鳥はさえずり、遠くからは早くも朝市の活気と賑わいが聞こえてくる。窓の外は何事もなく平穏であり、これがずっと続いていくことを誰しもが願うだろう。

 その平穏は、犠牲によって成された仮初のものだと言うのに。


「はあ……」


 こんなにも気持ちがよく、穏やかな日であるのに、全くもって重々しい溜息を吐いた。真実を知るだけに今の状況を良くは思ってないものの、人々の生活が成り立っているのは他ならぬその真実のお陰。もどかしいながら、今は耐える他ない。

 それに、打てる手は打った。結果がどう出るかは、信じるしかないが。


「……兄さんなら、やってくれますよね」


 兄……アルトが央都から旅立ってから既に十日が過ぎており、その十日で様々な事が起きていた。

 一つは、僕――レオン・エリオットの処分だ。

 国家反逆の罪に問われ、二度も皇帝に刃向かった大罪人を、牢から出しただけでなく処分が甘く逃亡を許した。これだけやれば騎士どころか魔術師の資格も剥奪、大罪人の逃亡に加担したとして処刑も免れない……はずだった。

 それが、どういう訳か皇帝直々の処分は『ふた月の活動謹慎と給与二割減給』。騎士隊宿舎からの外出を禁止され、給料カットだけという前代未聞、破格も破格の処分だった。

 何か裏がある、と考えた方がいいだろう。立場的に認められる為に特例騎士になったとはいえ、犯した失態は重いもののはず。

 僕を生かしておくことで利用するつもりなのか。皇帝は頭が切れるだけに、行動の意味が読めないところがある。ただ、今生きていられることに関しては感謝しておくとしよう。

 さらに一つ、起きたことはと言えば。

 コンコンコン。


「レオン、居るかな」

「どうぞ」


 小気味よいノックの音に続いて、低く落ち着いた声が聞こえ、静かにドアを開けた気配。窓際に立っていた僕が振り返ると、差し込む光に目を細めてゆっくりとこちらへと歩いてくる影。

 ゆったりとした作りの黒服は、東国・フーリン風にアレンジされた特例騎士隊の制服で、長い裾を引きずることなく体の動きに合わせて揺れる。腰にく剣……フーリンのもので「カタナ」と呼ばれる剣もまた、立派なこしらえでありながらその人に良く似合う落ち着いた佇まい。


「気分はいかがかな。長らく部屋に居ても退屈だろうと思って顔を見に来たよ」

「お気遣い感謝します、ファルシュさん」


 癖のついたやや長めの黒髪を揺らし、隠すように伸びた前髪からちらりと、僅かながらに顔に浮かぶ深緑に染まった痣の痕が見える。そして、深紅の左眼がちらりと見えると同時に右眼――灰色の義眼が鈍く光を返した。

 穏やかに進んでくるその人は、ファルシュ=レイ・ムラサメ。特例騎士隊・特例召喚士であり、「四属性の精霊と契約を成した」魔術師だ。起きたことのもう一つというのが、彼が僕の所へ来たことだ。


「しかし難儀なものだな。やった事が事とはいえ、ふた月も軟禁とは」

「いえ、この程度で済まされるのならば軽いものですよ」


 顎をさすりさすり、部屋を見回しながらそんな事を話す。続ける話は剣の腕は鈍っていないか、精霊の世話は続けているか、といった他愛のない話だ。

 彼の目的、というか任務は、軟禁状態の僕の監視である。定期的に対象の様子を見に来る人という事だが、それに際しては対象よりも腕の立つ人物が選ばれるというのが通例だ。自慢ではないが僕も特例騎士として選ばれた以上、並の騎士相手に引けを取るようなことは無い。そのため同位の特例騎士がその任に着く。

 とはいえ彼は僕が騎士隊に入る前……騎士と魔術師を育てる騎士学校に入った時からの顔馴染みだ。その時は僕が生徒、ファルシュさんは臨時講師としてだったが、その頃からファルシュさんは特例騎士として頭角を現し、学生の間でも噂で持ち切りだった。それがこうして、肩を並べて騎士を務められることは光栄の限りだと思える。


「――そうそう、頼まれていたことだが」


 不意に、ファルシュさんはちらりと義眼の方で僕を見る。それを受けて、僕は手元に置いていた杖をコツンと床へと突く。瞬間、杖を中心に床に魔術紋が浮かび、控えめに光ってすぐ消える。風と地の複合魔術による消音効果。今、はずだ。

 以前から頼んでいた、正確には兄さんの逃亡を手伝った直後にファルシュさんに頼み込んだことだが、どうやら進展があったらしい。


「私の知り合いに頼んで、様子を見てくれるとの事だ。まあ、頼んだというか、脅されたというか……」


 ファルシュさんは顎に手を当てるようにしながら、口の動きを隠して話す。どこで誰が見ているかも分からないのを警戒する辺り、徹底しているのが分かる。伊達に何年も特例騎士を務めてはいない。

 しかし後半の文言が気になる。尻すぼみになったが、脅されたとは?


「何か、交換条件でも?」

「なに、北の方で災害が酷く、人員の補充を頼まれた。頼み方がやや乱暴だっただけに、どちらも放っておくと厄介だからな」


 彼ならやりかねないが、と付け加え、呆れ顔で肩をすくめる。

 リョートにおける災害、というのは数年前に事前に調査していたために知っている。連日続く猛吹雪に、各地で起きる家畜被害、建物の損壊。挙げるとキリがないが、なにより大きいのはリョートにおいての騎士隊、通称「北方騎士隊」への被害だ。それの誰もが似たような証言をしているのだ。

『悪竜を見た』と。

 ファルシュさんは特例騎士としての経歴も長いが、それ以上に分からない部分も多く、不明瞭な噂が付いて回ると聞いている。どれもが噂の域を出ないが、その一つは類まれな人脈を持ち合わせているのだとか。特例騎士を脅せるほどの権力を持つものとはいったいどんな者なのか。どうしてそんな状況なのに、ファルシュさんは満更でもなさそうな顔なのか。


「だから、すまないが数日前にリョートに人を送っておいた。建前として逃亡した者を追う為に、とはしておいたが」


 騎士を送り込む、となると逃亡したことになっている兄さんを捕まえることを前提になってしまう。捜索の手が広がれば、兄さんの活動範囲も狭まってしまう。とはいえ、何の処理も行わなければ、不要の混乱を招く危険もある。

 手を出せない側としては心配の念が強まるばかりだが、ただひたすら、やれることをするのみなのだ。


「……こちらの事情については」

「送り込んだ者の何名かにしか伝えてない。どれも信用出来る者たちだけにしたがね」


 話によれば、派遣した騎士をまとめる長には事情を話しているらしく、仮に兄さんを捕まえたとしても、カピヨーゴロスクへ護送するつもりだと言う。もちろんそこまでの実権は僕にはなく、何から何までファルシュさんが手配してくれたことになる。

 こればかりは頭が上がらない。例え僕が特例騎士だとしても、詰められる手に限りがあった。後の処理を人に任せて、こんな事で姉さんを救えるのか。


「こら。そんな難しい顔をするんじゃない」

「いたっ」


 ピン、と。空いた手で額をつつかれた。あまりに懸念材料が多すぎて考え込んでしまったのを見透かされたらしい。ファルシュさんはふう、と溜息を吐き、腰に手を当てる。


「自分の失敗は自分で処理するのも大事だが、時には周りを頼ることも考えるんだ。先んじて手を打ち、事故を減らすことも騎士の務めだ」

「は、はい。肝に銘じます」


 思わず素早く右手を握りこんで右胸に当て、騎士隊式の敬礼で返す。ハッと我に返るが、その様を見たファルシュさんは思わず吹き出してしまっていた。


「ハハハ、なに、気負うことは無いさ。私もレオンと同じ立場なら、きっと自分でどうこうしようと思ってただろうとも」


 周りが放っておいてくれないだろうけどな、と穏やかな笑みのままそう付け加え、すっと姿勢を直す。それに合わせて僕は再び杖を取り、床を鳴らす。りん、と鈴のような音と共に術が解けたのを確認して、僕は深く頭を下げる。


「本当に、ご迷惑をお掛けします」

「気にしないで欲しい。何かあれば、また足を運ぶよ」


 最後まで穏やかに、しかし芯の通った人だった。この人に相談して、本当に良かったと思える。次に動くべき時には、また頼らせてもらいたいくらいだ。

 コンコン、とノックの音が聞こえた。今日は不思議と来客が多い。「どうぞ」と扉の方へ声をかけると、「しつれいしますけどー」と間延びたゆるい声が聞こえてきた。


「レオンさまーお手紙ですけどー」


 扉を開けて入ってきたのは、騎士隊に配置されている専属のケド族だった。淡い黄色のフードがぴょこりと顔を出し、ふりふりと袖を揺らしながらてこてこと歩く。動作の一つ一つは幼い子供のようで、一部ではケド族の可愛らしさ故にファンクラブがあるらしいとまで聞いている。


「ああ、ありがとう。君は……たしか」

「やあコジャス。お仕事お疲れ様」


 ケド族は騎士隊内で務めており、個体名が与えられてそれぞれに役割を持たせている。だいたいはフードの色で識別出来るが、似たような色となるとそれ以外の共通点が多くてすぐには判別がつかない。ケド族の名前をすぐさま言えるのは名付け親になった者くらいのはずだが、ファルシュさんは不思議と入ってきたケド族をすぐさま名前を呼べるらしい。


「あ、ファルシュさまー。ファルシュさまにもお手紙ですけどー」


 コジャスが袖から手紙を取り出し、僕とファルシュさんにそれぞれ手渡してくれる。僕の方は白い封筒に赤い封蝋、ファルシュさんには黒い封筒が渡された。

 白い封筒には差出人の名前は無いが、誰からのものかは察しがつく。黒い封筒は特例騎士に向けての通達だ。


「うん、ありがとう。よく頑張っているね」

「えへへー」


 ファルシュさんは封筒を確認したあと懐に仕舞い、コジャスの頭をゆっくりと撫でる。ケド族全般に言える事だが、頭を撫でられたりといった触れ合いを特に好むのだそうで、コジャスは嬉しそうに角と尻尾をピコピコと揺らした。


「あ、そろそろ次に行かなきゃですけどー。ファルシュさま、またこんどー」

「え、あ、うん。そうか、行くのか……」


 しばらく無言で撫で続けていたファルシュさんだったが、コジャスに言われて名残惜しそうに手を離す。

 コジャスは再びてこてこと扉の方へと歩きだし、器用に棒を使ってドアノブを引いて――別れ際に手を振るのを忘れずに――部屋から出ていった。


「ファルシュさん、ケド族が好きなんですか?」

「んっ。そう、かもしれないな。可愛らしいしな」


 見れば小さく手を振って返すファルシュさんだったが、思いついた言葉を投げかけただけなのにあからさまな動揺を見せた。いつも落ち着き払っている彼を知っていると、意外にもそういう可愛いところもあるらしい。


「それはそうと、その中身は何でしょう?」


 ファルシュが懐にしまい込み、既に制服の黒と混ざってしまった封筒だが、特例騎士のみが手にする特別な内容だ。それ一つで大きく情勢が動くとも言われ、重大な意味を持つ。故に管理は厳重であり、誰かからの影響を受けにくい第三者であるケド族に一任している。

 そんな問いかけをすると、ファルシュさんはどこか得意げに懐をポンと叩く。


「なに、きっと悪い話じゃない。差出人も私の友人だ」

「それは、リョートに送ったという?」

「ああ。至急でない限り事は順調に進んでいると思ってよさそうだ」


 その言葉を聞いて、内心胸を撫で下ろす思いでふぅ、とため息をついた。今動けない自分にとって、外の様子を知るにはかけがえの無い手がかりだ。ひとまず、兄の身は無事であると分かっただけでも何よりだ。

 コホン、と咳払いを一つ。


「じゃあ私はこれで。また何かあれば足を運ぶよ」


 扉の方へと戻っていくファルシュさん。うん、今度から連絡する時はケド族を使って伝えてみよう。

 パタンと扉が閉められ、再び部屋に一人となった。窓から差し込む陽の光以外、この部屋はどこか薄暗く、とても狭く感じる。窓際から北の空を仰ぎながら、暫しの間考えをまとめることにした。


「悪竜、か」


 伝説に語られる、リョートでの畏怖の象徴。北国特有の自然の猛威を、荒々しい竜種になぞらえて表した土着的な信仰伝承だ。老若男女問わず、知らぬ者はいないと言われるほどその認識は人々に深く根ざしているらしい。

 所詮は伝説、おとぎ話の中の話だと片付けるのは簡単だが、事実被害が出ており目撃証言も多い。それに加えて、僕が目を付けたのはその「悪竜」そのものだ。

 何の理由もなく、それほど強大な存在が自然発生するものだろうか? 伝説通りであれば、竜種は存在するだけで莫大な魔力を持ち合わせており、飛べば嵐、地に立てば地震、咆哮は爆音として山も海も荒らすという。それだけの存在を放置する訳にも、まして手を打たずに利用しない理由がない。

 それだけ強大な存在が発生するということは、それの原因となるものがあるはず。様々な文献を漁ってからの推察でしかないが、「聖地」と「種」は切っても切れない関係にある。ましてその地にまつわる伝説が実際に出現したとあれば、いよいよ関連性を無視できない。何か手がかりがあるはずだ。

 天使なんてものが実在するのだ。それくらいの伝説が実在しないだなんて、証明することも出来ないはず。


「兄さん、頼みますよ……」


 ただ一つ心配事があるとすれば、そのような場所に兄を送り込んでしまったこと。胸が痛まないわけがない。血を分けてなくとも、共に育った兄に縋るような気持ちで手紙を握りしめるしかなかった。

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