10.目覚めて、なお

「う……ぐ……」


 身体に異様な痛みが走り、絞り出すような声が出る。ぎしぎしと体の節々が軋み、全身は強ばってまるで針金を通したかのよう。はて、ここはどこだ。いつの間にか気を失って、どうして俺は横たわっているのか。

 ぼんやりとした頭でしばしの思考の末、はっと気づく。


「そうだ悪竜いでででで!!」


 慌てて起き上がろうとしたその体を激痛が制した。思わず情けない悲鳴を上げ、数センチと持ち上がらなかった体は再びベッドへと沈みこむ。

 そう、悪竜だ。俺は……俺と先生は件の悪竜に襲われ、俺の魔法によって引き離した所までは覚えている。今こうしてベッドの中に居るということは、何とか逃げ切ることは出来たらしい。

 しかし思った以上に魔法での消耗が激しい。気分は悪くは無いが、全体的な疲労が襲ってきている。錆び付いた歯車を全力で回すような負担がかかっているようなもので、魔法はおろか、今のままでは簡単な魔術ですら起動もままならないだろう。

 ビキビキと引き攣る筋肉のあちこちの痛みに耐えながら、俺はゆっくりと周囲を見渡す。窓の外は、幕を下ろしたかのような夜闇に大粒の雪が降りしきるのが見える。幸い、首周りは比較的楽に動くために、何とか自身の周囲を見回すことが出来た。

 いつぞや見た、木と石で作られた部屋。リョート様式の暖かな暖炉と、設えた木製のテーブルと椅子。そして。


「すう……すう……」


 静かに寝息を立てて、ベッドへと頭を埋めて眠りこけている子供が居た。


「…………誰だ?」


 椅子に座り、恐らく俺の看病をしていたのだろうが、長らく起きなかったためか暖炉の温もりに眠気を誘われ、そのまま突っ伏すように眠ってしまったのだろう。

 ふわふわとした柔らかで明るい金髪には見覚えがあるが、リョート風の暖かそうなコートを羽織り、すやすやと寝息を立てていたその子は、俺が動いて寝心地が変わってしまったためかもぞもぞと頭を動かし。


「ううーん……」


 寝ぼけ眼を擦り擦り、ゆっくりと体を起こす。まだ寝ぼけているのか、ゆらゆらと目の焦点が合わないままで俺の方を見て。

 ばっちりと、目が合う。


「……よう、起きたか」

「………………はっ!?」


 開いた目は爽やかな青空を思わせるような色で、しかし暖かな部屋で寝ていたからか熟した果実のような赤い頬で慌ただしく立ち上がり。


「せ、先生を呼んできますっ!」


 泡を食ったような様でバタバタと部屋から出ていった。どういう状況なのかくらいを聞きたかったのだが、声をかける暇なく扉はバタンと閉められてしまった。

 しばらくして、ゆっくりとした歩調で近づいてくる気配がして、さっきとはうって変わって静かに扉が開く。


「やあ少年。気分はいかがかな」


 何も変わらない、といった様で先生……アリタは、星夜の瞳でこちらをにこやかに見た。コートを脱ぎ小脇に抱えている以外は、特に怪我もなさそうでひとまず無事なことに安心する。先程の看病していた少女も同じくアリタの後ろから着いてきており、両手で鞄を抱えながらひょっこりと顔を出した。


「体のあちこちが痛えが、何とかな」

「なるほど。魔力の過剰暴走オーバーロードと軽度の魔素欠乏、それに数箇所の打ち身と筋肉痛といったところかな」


 会話のうちで問診を進め、事も無げに据え置いた椅子に腰掛ける。少女の方も、アリタの傍に鞄を置いたのちに、いそいそと小椅子スツールを運んでその隣に座った。


「ひとまずお互いが無事で何より、と言うべきかな。君のおかげで私は怪我もなくカピヨーゴロスクに戻ってこられた。感謝するよ」


 実感は湧かないが、どうにか目的地であるカピヨーゴロスクにはたどり着いたらしい。俺が気を失った後、ソリを走らせて街の診療所を借り、俺への手当を始めたのだという。先程言った通り、襲われたにしても軽傷で済んだのが何よりの幸いだ。


「君の怪我は確かに軽いものだったが、それにしても回復速度が尋常じゃなかった。私の見込みでは丸三日は寝込むと思っていたんだが」

「……あれからどれくらい経ったんだ?」

「なに、たった一日さ。むしろ私がちょっと疲れてるくらいだよ」


 若いというのは素晴らしいものだ、と茶化してくるが、いつ見ても未だに年齢が定かではない人に言われても反応に困る。疲れている、というには入ってくる時の背筋は伸びていたし、襲撃の後だと言うのにさらりとした金糸の髪は乱れもない。

 謎多き人はさらに謎を持つ。隣に座る少女についてだ。


「その子は? 先生の子供か?」

「ん? ああ、そうだよ。ほら、挨拶なさい」


 俺とアリタの話を交互に顔を見ながら聞いていた少女は、不意に向けられた視線に戸惑いながら縮こまった。マントに埋もれた頭を撫でて、アリタはにこやかに微笑みながら少女に促す。


「えと、ユノ……です。先生の助手をしてますっ」


 たどたどしく上擦った声で自己紹介してくれる少女は、居眠りしていた時とは違って肩肘に力が入ってるようだった。


「アルト・アントヴォルト。先生には世話になったな。……なんか、緊張してるのか?」

「いえっ、その、魔法使い様と聞いたのでっ」


 その言葉にチラリとアリタを見やるが、何処吹く風といった具合に肩をすくめる。人の口に戸は立てられないと言うものの、そう緊張されてはこちらも言葉に困ってしまう。


「あんまり畏まられても、俺は別に取って食いやしないぞ」

「ははは、食われかねなかったのは私たちの方だしな」

「それ、あんまり笑えねぇぞ……」


 からからと笑うアリタに、俺は呆れてため息を漏らすが、そのアリタの隣でくすくすと笑うユノ。親子だからか、笑うところが似通ってしまうのか。


「しかし、カピヨーには着いたが、これからどうするのかな。個人的な意見としては、しばらく療養に務めるのを勧めるが」


 さて、とアリタが切り替え、本題を切り出してくる。俺がここまで来た理由は、まさにそこにあるのだ。


「まずは、手がかりが欲しい。聖地の場所と、種の在り処。カピヨーゴロスクに来れば人も多くて情報も集まりやすいと思って」

「ふむ。聖地に、種。単語だけで聞くに、『天使聖地巡礼譚』の一説だな」


 顎をさすりさすり、俺の呟いた単語を吟味するアリタ。聞いたことの無い返答に俺と、隣に座るユノが首を傾げた。


「なんだそりゃ?」

「知らずに探していたのか? ではそこも話すとしよう。手がかりになるならね」

「……悪ぃ、頼む」


 依然として、このアリタという人物が何をもってここまでしてくれるかは分からないままだが、本人は意気揚々と流暢に話し出す。カピヨーに来る前もこんなことがあったな、などと思いながら、今度はその語り口に眠り落とされないように真剣に耳を傾けることにした。


 ◆


「曰く、天使は降臨する際に、天地を定めるために種を撒いた。


 撒かれた種は世を照らし、影に休ませ、昼と夜を生み、巡らせる時を動かした。

 大地に山を築き、水を溢れさせ、風を呼び、火を灯した。

 風に運ばれた草木が芽吹き、流れる時は光る宝石を象り、天には恵みをもたらす雷が迸った。


 かくして天使は世界を作り、そしてその種と共に世界を守護者に託した。

 種を撒いたその地を聖地とし、そしてまたその守護者にはそれに見合う力を授けた。


 今日まで生きる人々はその守護者によって、作り上げられたのである。」


 ◆


「……じゃあ、その守護者ってのが」

「ああ。現代まで続く魔法使い、という事だろうな」


 魔法使いは守護者である。その言葉に、俺は少しだけ胸が痛んだ。『焔帝』という肩書きを得ていてなお、俺は何かを守護するようなことはしていない。かつて皇帝に言われた、自らの責務を投げ出した者であると。俺の守るべき聖地も種も、どこにあるのか俺自身も知らないままなのだ。


「聖地の在り処はまでは伝わってないのか?」


 気持ちを切り替え、ふと語られた一説を思い返しながら、そんな質問を口にする。語られた種が世界を形作ったまではいいが、その撒かれた場所については何ひとつとして触れられていない。


「種ある場所が聖地、となれば、自ずと答えは分かるもの。それに君の読みも大概外れてはいないだろう。リョートにもそれにまつわる逸話が残っている。ユノも知っているだろう?」


「えっと、『リェーズヴィエの冒険』のこと?」


 アリタから何気なしに話を振られて、顎に手を当てながらユノは思い出すように答える。なるほど、子供にも伝わるような話としてこの国では広く知られているらしい。

 リェーズヴィエ、というとここに来るまでの間でアリタから聞いていたリョートにまつわる話の一つに挙がっていたことを思い出す。


「ああ、リョートに昔から伝わる英雄叙事詩だ。直接の関わりはもしかしたら無いかもしれないが、これにはかの英雄を助ける『魔女』がいる」

「魔女?」

「彼女は溶けぬ氷の剣を英雄に与え、悪竜を討ち滅ぼす事を手助けしたと言われている。少なくとも私はこの魔女こそ、魔法使いであると推測を立てているよ」


 ふと、話が逸れてしまったな、と漏らし、アリタは一つ咳払いをする。


「早い話が、リョートにおける聖地とは、他ならぬあのカピヨーの山頂にあると言われる」

「山頂……」


 アリタの言葉を繰り返しつぶやく。今までで最もらしい目的地が見えた。しんしんと降る外の雪の間から、微かにながら山の影が覗く。鋭く研ぎ澄ました槍の穂先のような、険しそうな山だ。そんな俺の目線に気づいたのか、アリタは少し目を伏せ、呟くように続けた。


「だが、決して足を踏み入れてはならない。戻ってきた者は誰一人として居ないからだ」


 さて、と一呼吸置いて、アリタは椅子を引いて立ち上がる。


「何か飲み物でも取ってこようと思うが、どうかな? 体が温まる紅蓮生姜茶ぐれんしょうがちゃなどは」

「やけに辛そうな名前だな……」

「体内の火の魔素を活性化させる効果があるんだ。一両日は身体の芯から暖かいままだぞ」

「ん……じゃあそれで」


 わかった、と頷き、アリタは身軽に部屋を出た。まともに動けない体なだけに、人の世話になっている今が何とも歯がゆく、それだけに情けなく思う。気が逸ってばかりで、自分の体はとっくに悲鳴を上げている。魔法使い、などと言ってこの程度だ。何一つまともに出来やせず、人に頼ってばかりだ。


「――リェーズヴィエのお話、知ってますか?」

「……え?」


 沈んでいく気持ちの中で、不意にそんな問いが投げられた。さっきアリタの背を見送ったユノが、今度はその透き通る目で俺を見据える。


「リェーズヴィエは、悪竜を倒しただけじゃなくて、色んな冒険をしてきたんです」

 おもむろにユノはベッドに小椅子を寄せてきて、姿勢を直す。

「リェーズヴィエが生まれ育ったのは水晶の村で、溶けない氷で象られた、不思議な村の中なんです。そこから、リェーズヴィエの冒険が始まるんです」


 そして、ユノの口からは淀みなくかの英雄の冒険譚が紡がれた。最初は村を脅かす大きな猪を倒し、次は川を堰き止めていたヘビの群れを倒し、さらには森を荒らす巨大な熊を倒した、と。

 他にも村同士の諍いに仲裁に立ったり、氷雪で塞がった道を切り開いたりと、多くの伝説を聞かせてくれる。その目はキラキラと輝き、まるで星を追うような希望に満ちたものだ。


「彼はその身一つでいろんな困難に立ち向かって、そしてそれら全てに打ち勝ちました。けれど、リェーズヴィエはたった一人で戦ったわけじゃないんです」

「協力者、ってことか?」


 なるほど確かに、英雄は悪竜を倒す時、魔女から氷の剣を授かったとされている。誰かしらの協力があって成し遂げた偉業が後世に伝わるほどだ、リョートの人の人柄が伺える。


「そうなんですよ! リェーズヴィエみたいな英雄さまにも、仲間がいて、みんなに助けて貰って戦ったんです! だから、魔法使いさまも、一人じゃないですよ! 先生も、ユノもいます!」


 ぐっと握りこぶしをつくり、前のめりになって熱弁するユノ。そう言われて思わず虚をつかれた思いになる。


「……もしかして、励ましてくれてるのか?」

「あっ……迷惑だったらすみません!  なんだか、寂しそうな感じだったで……」


 先程までの熱とは一転して、不安そうな顔で縮こまるユノ。彼女はあのアリタの助手を務めているとも言っていた。観察眼とは、このように受け継がれていくのだろうか。


「わたしも、一人じゃなくて先生がいたから。魔法使いさまにも、きっと誰か助けてくれる人がいるはずですよ」


 ……参ったな。親子揃って励まされてしまった。

 胸中でそんなことを呟き、どこか暖かなものを感じて、しかし少しだけむず痒くなって。


「……ありがとうな」


 ぎこちない笑いになった気もするが、自然とそう口にしていた。


「!、い、いえ、そんな、お礼を言わなきゃいけないのは本当はこっちの方で!」

「なんでだ?」

「その、先生を助けてくれたじゃないですか」


 そう言われたら、そういうことになるのか。元はと言えば一人でもソリに乗りこのカピヨーに向かうつもりだった医者に相乗りし、悪竜に襲われたところを撃退した。成り行きとはいえ、確かに助けたことにはなる。

 もじもじと指同士を擦り合わせながら、ユノは深深と頭を下げた。


「だから、ありがとうございます。先生を助けてくださって……」

「私の話をしていたのかな?」

「ひゃいっ!?」


 いつの間に部屋に入っていたのか、トレイを持ったアリタが声をかけ、それに気づかなかったユノが素っ頓狂な声を上げる。余程驚いたのか、ガタリと小椅子が揺れて。


「わ、わ、わ!」

「ユノ!?」


 ユノは大きく仰け反って体のバランスを取ろうとするが、傾いた小椅子は不安定なまま、しかし確実に悪い方向へぐらりと倒れていき――



「――『かいなよ!』」



「…………あ、れ? 倒れて……ない?」


 いや、正確には倒れた。カタンと音を立てて、不安定だった小椅子は床へと転がる。倒れていないのは、まさに倒れそうな不自然な姿勢で固まっているユノだけだ。

 均衡を取るべく伸ばした腕と、宙ぶらりになっている片足。ともすれば踊りか演劇の振り付けの最中かとも見紛うような姿勢だが、その腕を掴むのはアリタでもなく、ましてやベットで横たわる俺でも無い。

 ユノの伸びた腕に、小さく灯った赤い火がまとわりついていた。それがどうやら、ユノの体をささえているようであった。


「無事、か?」

「あ、ありがとう、ございます……」


 絞るような声に、変な脂汗が出る。咄嗟に伸ばした手で魔法を唱え、ユノの腕をのは、もはや反射だった。

 力を込める手には激痛が走る。脳裏には何かが軋んでいく音が響く。ただ腕を掴むだけの魔法でこんなにも消耗するとは。

 次第に魔法の効果が薄れていく。その場に固定するだけの力が徐々に弱まり、ゆっくりと床へと降りていくユノ。ふっ、とまるで蝋燭の火を吹き消すようにして赤い火は掻き消えて、火傷もなにも無い腕をまじまじと確かめる。


「ぐ…………」

「い、今のが魔法、ですか!?  すごく、ギュッと握られた感じが! って、魔法使いさま!? 大丈夫ですか!?」

「落ち着きなさい、ユノ。アルト、平気か?」


 体の内側から焦がされるような痛みに、思わず苦悶の表情を浮かべてしまう。恐らくは人生初である魔法を体験し、興奮冷めやらぬユノと、持っていたトレイを傍らに置いて、容態を聞いてくるアリタ。彼は彼で、魔法がどんなものであるのかを既にある程度理解してくれているらしい。


「人一人くらい、いけると思ったんだけどな……」

「馬鹿言うんじゃない。魔素欠乏の状態でそんなことしたら、命に関わるんだぞ」


 アリタは静かに心配しつつたしなめるその言葉はまさに先生と呼ぶ他なく、ぐいと俺の手を取った。あちこちを確かめるように触りだし、こそばゆい感覚が腕を伝ってくる。


「……意外にも、体内魔力の循環は問題ないみたいだな」

「そうなのか?」

「これが魔法使い……魔素を従えるというのもあながち……」

「おい、先生?」

「であればそもそも魔素を動かす部分に何か……?」


 不意にぞわりと背筋に怖気が走る。呼び掛けにも応じず、じっくりと調べるようにアリタは手を握り続ける。ぶつぶつと何かを言いながら、その手の感触を確かめるように何度も何度も握っては開いてを繰り返す。


「魔法使いの身体を調べれば、もしかすると」

「先生、お茶が冷めちゃうよ?」

「!  おっと、そうだった。すまない、あまりに興味深かったもので」


 ぐいと袖をユノに引っ張られ、はっと我に返る様子のアリタ。医者であり研究職でもある、とは以前言っていたが、熱中すると周りが見えなくなるタイプなのかと察する。

 それにしても、黙って見ていたら俺は一体どこまで調べられるところだったのだろうか……。

 アリタは脇に置いておいたトレイに手を伸ばし、人数分のカップと陶器で作られたポットを取る。それぞれにカップを手渡して、緩やかにポットを傾けていく。

 ふわり。暖かな湯気と共に、さわやかながら甘い香り。注がれた赤みがかったそれは、カップの中でゆらゆらと砕けた破片を漂わせていた。見た目だけでいえば紅茶と見紛うだろう。


「私特製の、紅蓮生姜茶だ。友人のツテで偶然手に入れたが、薬茶としても効能が高い。病み上がりの体にも効くだろう」


 じんわりとした茶の温もりが、持ったカップから掌に伝わってくる。ちょうど飲み頃だろうか。数度その香りを吸い込んで、一口。


「…………」

「どうだ?」

かっら!」


 生姜特有の辛さとは別に、更に舌を痺れさせるような強い刺激。ひりつくような痛みはまるで舌を焼いたかのようで。


「ふむ、やはり辛味が強いか。どれユノ、蜂蜜を入れてあげよう」

「おい、俺に試したのか!」

「いやいや、アルト。それは君専用だ。私が配合したお茶はよく効くぞ。体の調子も良くなるさ」


 良薬口に苦し、というよりも、良薬口に辛しではないか。小瓶から蜂蜜を垂らしてユノへと手渡すアリタは、同じくカップに口をつける。辛さなど微塵も感じてないような涼し気な顔で優雅に香りを楽しんでいて、妙に様になるのが気に食わないが。


「それに、推測が正しければそろそろ……」

「なんだよ……?」


 ふとカップを傾けながら、アリタはじっとこちらを窺い始める。飲めないほど辛いというほどでは無いうえ、腕が確かなのか茶の味も悪くないのもあって、そのまま二口三口飲み進めていると。


「うっ……!?」


 不意に背中に痛みが走る。焼きごてを押し付けられたような異様な痛みと、熱さ。反射的に痛みから逃れようと仰け反りかけ、全身の痛みがそれを抑え込む。歯を食いしばり痛みに耐えるが、痛みは脈打つように全身へと響いていく。


「アルト、どこか痛むのか!」

「せ、背中が……!」

「服を脱がすぞ、暴れてくれるなよ」


 アリタがぐいと俺の体を掴み、体勢を変えさせる。蹲るようにして背をアリタに向けると、そっと服を捲りあげる冷たい指が触れる。部屋は暖かくされているが、それでも熱さとは別の寒気が襲う。


「これは……とにかく抜き取るぞ」


 アリタは背を見て何かを見つけたらしく、それをがっしりと掴み取る。何かが背に刺さっている。痛みに思考がまとまらないうちに、アリタはそれをゆっくりと引き抜いていく。


「……対魔術師用の拘束具。体内魔素を吸い上げて、無限に成長する“封印”か!」

「くそ、面倒なものを残したままだったのかよ」


 アリタの手の中で、歪な錐状に伸びた結晶体が赤い光を灯しながら明滅を繰り返していた。

 それは、俺が獄中に囚われる一因となったもの。対象者の体内に埋め込み、結晶化することで魔素の循環を阻害。魔法を使わせなくする拘束具だった。

 拘束具と言っても、手枷や首輪のように実体がある訳では無い。人体に直接彫り込むように魔術陣を入れることで発動する魔術の一種だ。現在でも刺青いれずみ形式の魔術はよく使われている手法だが、その魔術陣自体は門外不出であり解除もままならない……らしい。

 とはいえ皇帝との対峙で、一度は許容量を超える魔素で魔術陣も壊れたと思ったが、どうやら機能が残るままここまで来たらしい。どおりで体の調子が元に戻らないわけだ。

 アリタがその結晶を取り出した途端、痛みも熱さもみるみる引いていき、身体を軋ませるような不快感も薄れたような気がした。そのままアリタにも診てもらったが、抜き取った結晶体による体への損傷はなく、穴のように空くものもなく塞がっていたままだった。


「助かったぜ、先生。ようやく本調子だ」

「話に聞いてはいたが、まさか本当に罪人だったとはな」

「なんだよ、信じてなかったのか?」


 しげしげと、およそ15センチはあろうかという結晶体を見ながらアリタは驚きを隠せずにいた。実際のところこの拘束具で発生する結晶体は、鉱石のように魔素が固体化する「魔鉱石」と同等で、純粋かつ良質な魔力源になり得て、並々ならぬ価値がつく。

 元が人の身体から……特に「焔帝」の体内で精製されたものと知らなければ、の話ではあるが。


「ところで、さっきのそろそろって何の話だ?」

「ん?  ああ、あれはな。体の中の魔素を活性化させる薬でもあった。薬茶に混ぜれば効果が更に出ると思ったが、予想以上のものも収穫になったよ」

「やっぱり試してるじゃねーか」

「なに、まったくの想定外だが結果オーライというものさ」


 調子のいいことを言いやがって……。

 アリタの話によれば、この紅蓮生姜茶は体内魔素の活性を促すことで循環する魔素と自然排出する魔素のバランスを整え、健全な体調に戻す目的であったという。

 拘束具は、その循環を阻害する時点で発揮され、対象者に激痛を与え魔術の行使を封じる。加えて、流れ込んできた魔力は結晶化させ、対象者から奪い取るという仕組みだ。

 それが同時に作用したため俺は苦痛に悶えることとなり、アリタは半壊した拘束具から結晶体を抜き取ることができた、ということらしい。


「それにしても、どっと疲れたな……」

「思わぬ収穫だがアルト、君には休養が必要だろう。薬茶を飲み終えたら少し眠るといい」

「ん……確かにそれは、ふぁあ……そうだな……」


 意外と身体に疲れは残っていたらしく、自然と目蓋が重くなり出す。辛くとも温かい薬茶が全身を心地よく温めてくれるおかげか、全て飲み切る頃にはうつらうつらと船を漕ぎだしていた。


「詳しい話はまた明日にしよう。おやすみ、アルト」

「おやすみなさい、アルトさん」

「ああ……おやすみ」


 再びベッドに沈み込み、眠気に身を任せる。

 当然ながら、何も思わないわけではない。一刻も早く聖地に向かう必要があるし、種の回収も急ぐべきだ。身体が悲鳴を上げようとも、俺のやるべきことは決まっている。

 しかしそれが、ユノから言われた言葉に包まれる。


「一人じゃない、か」


 思えばここまで来るのに、全て自分ひとりでやり遂げてきたわけではない。リョートへ来る馬車を動かしてくれたのはヴィクトール、食事をくれたアイシャに道中の案内をしてくれたアリタ、看病してくれたのはユノ。

 そして、俺にチャンスをくれたのはレオンだ。

 先に進めるのも、背を押してくれるのも、俺じゃない誰かのおかげだ。それを無に帰すような真似はできない。万全の状態で臨んで、やり遂げることが何よりも大事だろう。

 穏やかに眠りを迎えられたのは、きっと久々のことだ。静かな温もりを胸の内に感じ、ベッドの中で少しずつ眠りに落ちていった。


 ◆


「魔女よ、魔女よ。大いなる智慧を得し者よ。どうか我が手に、憎き悪竜を討つ力を与えたまえ」


 ――二度の戦を経てもなお、英雄は悪竜は討てずにやがて鍛えたその剣もむなしく折れてしまった。

 英雄はなおもかの悪竜を討たんとし、四つの山と五つの谷を越え、魔女の下へとたどり着いた。


「悪竜を倒さんとする無謀な人間がいるとは。しかして奴を倒すには、いかなる鋼も通りはせぬ」

「魔女よ。この世を統べる力を持つものよ。どうかその力をお貸し願いたい」


 魔女は雪を統べ、氷の中にて生きる人ならざる者なり。いかに英雄といえど人の子。魔女は力を貸すにはお前の資格を問わねばならぬと言う。


「汝、その手の剣はいかに振るう?」

「人と共に生き、悪しきを糾すために振るう」

「汝、我が力を望み、その力をいかに使う?」

「我らの友を傷つける悪を、払うために使う」

「汝、その剣で悪を成せば如何にしようか?」

「されば我が身ともども氷雪の如く散り行こう」


 問答の末に魔女は英雄の真意を聞き届け、かの者に剣を授けた。鋼よりも硬く、鉄よりも鋭く、持つものすら凍てつかせる氷の剣を。

 英雄は再び四つの山と五つの谷を越え、三度の悪竜と決戦へと望んだ――。



『リェーズヴィエの冒険』 北方口伝録・下巻より抜粋

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