8.灯りは何処に

 ◆


 リェーズヴィエは雪から生まれし戦士

 北風向かって 勇んで進む

 唸りを上げよ 氷の剣

 恐れず進め 恐れず進め


 リェーズヴィエは雪にて生まれた戦士

 北風生み出す 悪竜を

 貫くための 氷の剣

 恐れず進め 恐れず進め


 リェーズヴィエは悪竜倒した英雄

 戦の果てに 彼は眠る

 傍らに残った 氷の剣

 恐れず眠れ 恐れず眠れ


 リョートの詩歌「リェーズヴィエ」

 作詞者不明



 ◆


 その後、アリタと俺は村の中を巡り歩き仕事を済ませていった。アリタはこの村の住人たちとは顔見知りで、時折立ち寄るほどには交流があるらしくどこを訪ねてもすんなりと受け入れられていた。

 人一人とて、村中の人間に受け入れられることはそう無いことだ。顔の広さに感服するばかりだが、俺はといえば次々と飛んでくるアリタの指示に忙しく応じるだけで手一杯だった。

 そうして慌ただしく時間は過ぎて、夜。


「つ、疲れた……」


 慣れない雪道に荷物を抱えて歩くのは、予想以上に体力を消耗する。着込んだ防寒着もあって服の中は熱気が篭もり、宿屋に戻った途端にコートを脱いで近くの小椅子に勢いよく腰掛けた。


「ご苦労だった、少年。礼と言ってはなんだが、一杯おごるぞ」


 代わって、かの先生はといえば出発した頃とは変わらないやけに涼しい顔をしてコートを一枚脱いで椅子の背にかけ、優雅に腰掛けた。

 アリタはケド族を呼び、いくつかの注文を付け、しばらくしてトレイに乗せたカップが二つ運ばれてきた。ひとつは琥珀色に澄んだものと、もうひとつは黄白色に混ざりあった湯気立つもの。アリタには琥珀、そして俺には黄白のものが差し出される。

 湯気に混じってふわりと香ったのは、嗅ぎ馴染みのない香ばしい香り。それの一つは今朝にも食べたシチューから香るトナカイのミルクのものだが、それとはまた別にもうひとつ。未知の飲み物を躊躇う俺に、アリタはぐいと杯を煽った。


「くうぅ……! この一杯が堪らないな! 冷えた身にはよく効く!」

「まさか、酒か?」

「ん?  飲めないのか?  年齢的には問題ないと思ったが」


 一気に飲み干したアリタは感慨深そうにそう零し、俺の質問には少しだけ赤らんだ顔で小首を傾げた。

 年齢的に問題も無いが今まで飲んだことも無いもので、しかし勧められたとあっては無碍にもできず、仕方なくちびりと一口含むと。


「……甘い」


 じんわりと温かなミルクの他に、まるでカラメルのような絡みつく甘みが舌を撫でて鼻腔を抜けていく。飲み込んで直ぐに喉から胸、腹にかけてじんわりとした温もりが広がり、一口、もう一口と進めていくと、冷え切った体が内側から暖まりだす。

 いつの間にか半分ほど飲んだ後で、アリタが先程と同じ杯を片手にニヤニヤとこちらを見ていた。


「体を温めるには丁度いいだろう?」

「ああ、飲みやすくて体が温まる……これも酒なのか?」

「ふふ、まさか。ホットミルクに蜂蜜を混ぜてもらっただけさ」

「な……さっきは酒だって」

「私のは、な?  まさか医者が少年に酒を勧めるわけが無いだろう?」


 なんだか絶妙に子供扱いを受けているような気がしないでもないが、実に正論なために何も言い返せず再び杯を傾けるしかなかった。

 程なくして目の前に料理が運ばれてきた。今日はこのまま夕食の流れらしい。特別、部屋に篭もって食べる理由もない。昨日も同じく食事をした仲だ。気を払って食事をする必要もないだろう。


「さてアルト。君は『魔法使い』というものだね?」

「ふゴッ」


 唐突に図星を当てられて勢いよくせこんだ。魔法を見せたのはただの一瞬で、しかも子供相手に一回のみ。子供にはおまじないと言って聞かせていたが、流石に医者の目は誤魔化せなかったらしい。

 数度噎せた後に、杯を置いて呼吸を整える。甘い蜂蜜の香りもとうに失せ、代わりに喉元にひんやりとした緊張が走った。

 俺の様子に確信を得たらしく、アリタはふう、とため息を漏らす。


「図星ならば結構。正直、こんな所で会うとは思いもしなかった」


 ――俺だって、こんなにも直ぐにバレるとは思ってなかったさ。

 そんな言葉を飲み込みながら、俺はアリタの言葉が続くのを待った。少しだけ上気したアリタの顔と、星空を思わせる宵闇の色の瞳がこちらを覗く。


「色々と聞きたいことはあるが、深くは聞かない約束だ。貴重なことを知り得たしな」


 しかしアリタから返ってきたのは、拍子抜けするような言葉。思わぬ肩透かしで、言葉に構えていた俺は危うく杯を取り損ねるところだった。


「…………それだけか?」

「それだけだとも。言っている通り、私はしがない医者でしかない。ちょっと物知りなだけの、ね」


 相も変わらず、食えない人だ。どこか訳知りのように見えて、その線引きを踏み越えないあたり、なるほどあちこちを渡り歩けるだけはあると納得はする。するが、中途半端に核心をつつかれてもどかしいやら恥ずかしいやらのわだかまりが残るのは気のせいなのか。


「さて、明日も早い。食事を終えたら、今日は早々に休むことだ。今日一日歩いて雪道の感覚は掴んだだろう?」


 食事に手を伸ばしながらアリタは言う。確かに、慣れない道を歩き、慣れない作業をしただけに腹の減りは尋常ではなく、温かな湯気を立てる食事の誘惑には勝てなかった。

 程なくして一席に設けた食事は欠片も残さず食べ切り、各々自分の部屋へと戻ることにしたのだった。



 夜も更けて辺りが既に暗くなり、窓の外ではちらほらと雪が続いている。部屋へと戻る間際にアイシャから聞いたのだが、この村は比較的吹雪の被害は少ないものの、中心部であるカピヨーに向けての道中では絶えず豪雪に埋もれているのだという。窓から見てもそんな気配は見えず、しかしヴィクトールやレンゲの話とも合致する。

 と、ふと備え付けの机の上に、一枚の手紙が置かれているのに気づいた。部屋を出る前には無かったものだ。宛名はアルト、差出人はヴィクトール。中身はといえば、簡素にまとめられた今後の事情についてだ。

 ヴィクトールは俺をこのリョートに入国させることを目的としていただけに長居は不要であること。カピヨーにまで随伴する事はできず、一足先に央都に戻るとのことだった。日中宿屋にいなかった事から、書き置きを残していったのだろう。


「本当に、一人になってしまったな」


 誰へとでもなく独りごちた。手紙をぐしゃりと握りつぶしたあと、掌の中で跡形もなく燃やす。

 ここまで来ておいて、俺は一抹の不安を覚えていた。

 現実味のない目的。頼りになるものは傍になく、夢幻のような話。レオンの話を信じない訳では無いが、言われるがまま流されているのではないかと、ふと一人になってそんな考えが過った。

 たとえ若くても俺は『焔帝』。世界の一端を担う魔法使いだ。その名の威力を知っていれば、皇帝が地下牢に閉じ込めていたのも分かる。

 今更だがレオンの一存で俺を――『焔帝』を逃すことは、まず無理があるはずだ。『天使』同様、俺とて奴の目的の為なら捕らえて利用するつもりだっただろう。であれば、俺がここまで逃げてこられたのは皇帝が裏で一枚噛んでいることも考えられる。追っ手を放って来たのは、あからさまに俺を急かすつもりなのか。

 もしそうだったら、より危険なのは俺ではなくレオンだ。特例騎士隊である彼がよりにもよって『焔帝』を逃がしたとあっては、負うべき責任は計り知れないだろう。『天使』を手中に収めている皇帝にとっては、俺やレオンの動きなどは些細なことかもしれないが。

 それとも皇帝のことだ。レオンを駒にして良いように操っている可能性もある。俺とレオンとの関係性を読んでいた奴が、手っ取り早く説得しやすそうな駒をとして席を用意し、身内の名を騙って裏から糸を引くことだって出来る。そうすれば、俺が逃げ出せたことも合点がいく。


「……何を考えているんだ、俺は」


 夜闇に当てられたのか、最悪の妄想を広げた頭を振って否定する。久々に一人になっただけで、気が滅入って悲観的な考えばかりが先行する。

 本当の事情がどうあれ、俺に残された事実はレオンが俺を――正確には『焔帝』の力を、だろうが――信じて送り出した、それだけだ。

 レオンにしろ皇帝にしろ、なんの考え無しに俺を野放しにするつもりは無いはずだ。それこそ、俺を利用してでも手に入れたいもののために。


「少し、考えすぎだな」


 慣れない地に来て少し気が弱っただけだろう。しかしどうにも目が冴えて眠れない。外の空気でも吸ってこようかと思い立ち、コートに袖を通して部屋をそっと出た。


 ◆


 既に日の落ちた村はわずかに灯りの付いた家々から漏れた灯りと、それをほのかに照り返す雪のなかで静まり返り、痛いくらいの静寂で包まれていた。

 いくら着込んでも縛り付けるような寒さは変わらず、振りほどくように身震いしてしまう。せめて魔法を使って体を温めるくらいはいいだろうか――。


「やあ少年」

「うおぉっ!?」


 唐突に背後から肩を叩かれ、不意を突かれて間抜けた声が出た。慌てて振り向くと、――やはりというか――くつくつと喉奥で笑うアリタがそこにいた。


「いやあ、実に反応がいいな。声を掛けた甲斐が有るというものだ」

「…………夜中に大声出させるなよ、先生」


 失敬失敬、と堪えた笑いが漏れたままに謝るアリタに、俺は若干の納得のいかなさを感じながらそっぽを向いた。

 アリタの行動は、正直読めないところがある。裏があると思わせぶりで、その実本当にそれだけの理由であったり、かと思えばやはり裏があると匂わせたりと、ころころと印象が変わる。今だって、なぜアリタが外に出てきたのか予想もつかないのだ。


「少年。まだ起きてるつもりなら、少しだけ私に付き合わないか?」


 一通り笑ったアリタは上着のポケットに手を入れながらそう聞いてきた。こうなると余計に何を考えているのか分からなくなる。

 当の本人はひょうひょうとしているが、察しがよく頭が切れるのはこの短い間でも垣間見れた。医者であると自称するが、気が抜けない相手であるのは間違いないのだ。

 しかし、アリタは俺の返事を待つことなくサクサクと雪を踏んで夜闇の中を進み出す。無言で付いてこいと言われてるように思え、気付けばその後ろを黙ってついて行っていた。

 土地勘のない場所故に夜闇に紛れての奇襲、なんてことも考えたが、肝心のアリタはといえばどこに向かっているのか、時々頭上を見上げてはふう、と溜息を吐いて再び歩くを繰り返す。

 それを二、三度見たところで、アリタはようやく足を止めた。


「少年……いや、あえてここはアルトと呼ばせてもらおうか。君に質問があるんだ」


 振り返らないまま、頭上を見上げたままのアリタはそう話しかけてきた。変な緊張のまま、かじかむ手をポケットから抜き出して応える。


「なんだよ、急に改まって」

「君は、星が読めるかい?」


 一瞬の間。


「……なんだって?」

「星だよ。空に煌めく星々さ。今は生憎と曇って、月すらも見えないがね」


 アリタはそこでようやくこちらへと振り向き、頭上を指さしてクルクルと回す。釣られて空を見るが、星の光どころか闇よりも深く暗い雲が覆い尽くすばかりだ。


「私は、この夜というものに魔力が満ちているのではと思っている。医者稼業の傍らに、この夜の魔力……もっと言えば、月と星の魔力というものを研究しているんだ」


 医者と研究、どちらが本業なんだとはよく言われるがね、と独り言ちて。


「夜闇と共に降り注ぐ月光は、時として人を癒し、時として人を惑わせ、狂わせる。この夜に関する逸話はリョートだけではない、世界各地で聞ける話さ。これに何の仕組みも理由もないだなんて、考えられるだろうか?」


 じっと、重く暗い雲で覆われた空を見上げながら、アリタは首を横に振る。

 不思議なことに、確かにと思わせるような言葉の重みが彼の話しぶりにあった。そうであると彼は信じ、そして探求を続けている。何が正解か、何が真実なのかを探しながら。

 そんな彼の言葉に、俺はポリポリと頭の後ろを掻いた。


「星は読めないけど、旅人が星を見て行き先を決めてたって話は、本で読んだっけな」

「ほう、珍しい本を読むんだな。是非ともその話を伺いたいところだが、本題はそちらではなくてな」


 一瞬キラリとアリタの目に光が瞬いた気がするが、すぐさまその目を雲の海に向けた。星空のような輝きを映すその星夜の目だけを見れば、淀んだ空にも星があるのではとすら思わせる。


「君は、あの空の上には何があると思う?」


 急に、不思議な事を問いかけてきた。空の上、つまりこの厚く覆っている雲の上という事だろうか。


「そりゃ、星とか月とかだろ」

「そうだな。今見えているのはただの雲。覆い隠しているとしても、その先に星があるのは疑いようがない」


 うんうん、と感心したようにアリタは頷く。至極当然な返答をしただけなのに、やはり質問の意図が読めない。

 アリタはふう、と白い息を吐き出して、ゆっくりと俺を指差して。


「君の探している星が、あの雲の上にあると思うかい?」


 ふと、アリタが真っ直ぐこちらを見つめてくる。


「君が求めた光が、あの先にあると思うかい?」


 再び問われたその声に、俺は少しだけ考えて。


「ああ、きっとある。そう信じてなきゃ、ここに立ってねえ」


 真っ直ぐに見つめ返して、そう答えた。

 何の確証もない、言われるがままにここまで来た。だがその選択をしたのは俺だ。この道を示してくれた、レオンを信じると決めたのは他ならない俺なのだ。

 ならば、例えその先に星が無くとも。いや、きっとあると信じて。


「……うん、良い目をしている。星と呼ぶより、灯火だろうな」


 ふ、と笑みを零す先生は、満足そうに頷いた。まったく、この人には敵いそうもない。

 来た道を戻る形でアリタが足を踏み出し、その背を追って声をかける。


「なあ、なんで悩んでるって分かったんだよ」


 ふと、誰にも言わずにいたのに当てられたこそばゆさから、そんなことを聞いてみた。その言葉にアリタは振り返り、再び余裕の笑みを浮かべて。


「簡単だよ。星の無い夜に出て来るなんて、道に迷ってる旅人そのものだからさ」


 この人にはどうやっても敵いはしない。そう強く実感した夜だった。

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