7.医者と、魔術と、魔法と。

 アイシャとケド族が運んできた食事を受け取り、俺とアリタは共に食事を取ることになった。アイシャたちもついでに宿屋も閉め、食事に加わった。

 人と共に温かい食事をするのは実にいつぶりか。とろりとしたスープには央都の高級料理店でも貴重と言われるケナガマルトナカイのチーズを溶かし、大きく切ったじゃがいもに、ニンジンは口の中でほろほろとほどける程に煮込み、炊き込んだ麦や豆は風味を残しながら優しい甘さで舌の上を踊る。

 文句なしの郷土料理を無心で頬張っていると、アリタとアイシャは顔を見合わせてくすくすと笑う。不思議とそれに嫌な気持ちはなく、俺はただただ食を進めた。


「さて少年。リョートについて知りたいことがあれば、答えられる範囲で答えようか」


 一通り食事が済み、空になった食器をアイシャがまとめ終えたところでアリタがそう切り出した。

 先に本で読んだ限りの情報では、この北国リョートは年中雪が降り、伝承と寓話、そして民間療法が根強い国であるという。しかしそれもおおよその情報だ。詳しい話を現地で聞けるに越したことはない。


「じゃあ……リョートの伝承について聞きたい」

「ふむ。リョートの伝承と言うと、有名なのは『リェーズヴィエ英雄記』や『悪龍伝説』、あとは『氷の魔女』などが主流だな」


 顎に手を当て、思い出すように宙を眺め始めるアリタ。伝承、と言うからには古くからのリョートの歴史に触れるはずだ。俺の探す『種』の手がかりが掴めるかもしれない。

 ちょうど食器を片付け終えたアイシャが部屋に戻ってきて、再びアリタはこちらに視線を戻す。


「どれもリョートの人間ならば、寝しなに聞かされた馴染み深い物語だよ。『リェーズヴィエ英雄記』は百を超える説話、『悪竜伝説』は『リェーズヴィエ英雄記』の中でも特に有名で、演劇の題目にもなるほどだ。『氷の魔女』はここ五百年ほどの話だが、子供の躾にはピッタリの話だよ」

「ま、待てよ。さすがに多すぎないか?  全部聞いてたら夜が明けちまうって」

「ハハ、もちろんだ。先も言ったが、寝しなに聞かせる話だから、多くて当然なのさ」


 悪戯っぽく笑うアリタだが、俺としては気が気じゃない。それほど膨大な量ならば、得られる情報は確かだろうが時間がかかりすぎる。


「さて、では掻い摘んで教えようか。英雄『リェーズヴィエ』に『悪竜』、そして『氷の魔女』。このリョートにおいて、語るには欠かせない重要人物たちだからな」


 そしてアリタは語り出す。職業柄、子供達との関わりも多いものでね、と前置きして、朗々としながら気負うことの無い、自然な語り口で伝承を謳った。

 英雄と悪竜。悪竜と魔女。そして、英雄と魔女。新旧の入り乱れはあるものの、伝承の中身には共通するものもあった。

 曰く、悪竜はリョート全土を凍土で覆い尽くさんとするもの。

 曰く、英雄は悪竜の吹雪を晴らさんとするもの。

 曰く、魔女は――――。


 ◆


 リェーズヴィエ……かの英雄は、リョートの危機を何度も救った勇気ある若者の伝説であり、金の髪をなびかせた氷の剣を持つ姿で描かれる。

 伝承で語られるその者の活動時期は果てしなく長く、恐らくは人々を楽しませるために作られた戯曲と事実あった英雄的行動を混ぜ込んだ、仮称を用いた複数の英雄譚であると推測される。


 悪竜……伝説上にしか居ないという、紅玉の瞳、長い首に硬い鱗、水晶のような角をいくつも持ち、天を覆うかのごとき大きな翼に、山もかくやという巨体。ひとたび動けば雪崩、ふたたび羽撃けば吹雪、みたび吼えれば国が滅ぶとさえ呼ばれる。

 リョートにおける自然現象の猛威を象徴化した、権化とも呼ぶべき存在で民間における子供を窘める逸話の一つとして伝えられるが、近年においてはその存在らしき痕跡が見つかっている。


 魔女……伝説上での名前はあるものの、口伝・書籍共に逸話が極端に少ない存在。

 語るものも多からず、魔女がいたと信じる人もいれば伝説のものでしかないと言うものもいる。

 リョートは君主や統治者は居らず、騎士隊と少数の貴族によって経済や行政が施行されているが、本来の国の主はこの魔女であるとしている話もある。

 しかし、誰もその姿を見たものは英雄を除いては居ないという。


『北方伝記集』登場人物の項より抜粋 聖黎歴2993年 北方騎士隊編纂部 著


 ◆


「………………はっ」


 気が付けば、朝だった。

 窓から差し込む柔らかな白い光に照らされ、瞼の奥から意識が急浮上する。不思議なことに、俺はベッドに横になり、丁寧に肩まで羽毛の詰まった掛け布団の中で眠りについていた。おかしい、さっきまでアリタから話を聞いていたはずだが。

 朝の宿屋の部屋は意外にも暖かく、少しも体が冷えることはない。先程まで――アルトの意識の中では――座っていたアリタとアイシャ、ケド族までもが、出していた椅子も何もが戻されていなくなっていた。

 くう、と腹の虫が鳴く。昨夜あれほど食べたのにと思いながらさするも、確かにそろそろ動き出さなければならないと思いベッドから身を起こした。

 コンコンコン、と。扉を叩く音と同時に、幼い高い声が聞こえる。


「アルトさーん、おはようございますけどー」


 扉越しに聞こえるこの独特な口調は、昨日の食事を運んでくれたケド族だ。ブーツを履き直し、小走りで扉に近づき開けると、ふわりと暖かい匂いが迎えた。


「あ、おしょくじ持ってきましたけどー」

「ああ、悪いな」

「だいじょうぶですけどー。おしごとですけどー」


 間延びしながらもどこか楽しげなケド族の声が、温かな食事を載せたトレイの下から聞こえてくる。メニューは昨夜のスープとライ麦パン。手早く済ませられるメニューはありがたかった。

 トレイを受け取り、部屋の窓際で食事を済ませる。銀色に染まる村の中は、やはりというか、昨日と変わらず雪が降り続いている。央都での時期を考えれば春ももう過ぎまもなく夏も始まるというのに、未だこの雪が続くのがこの国の特徴なのか、と眺めながら思った。

 トントントン、と。再び扉を叩く音。


「少年、起きているかね?」


 もはや耳に馴染んだ中性的な声。食べ終えた食器をまとめ小脇に抱えながら扉を開けると、やはり男女どちらとも言えぬ整った顔がそこに居た。


「よお、先生。おはようさん」

「おはよう。ゆっくり寝られたようで何よりだよ」

「昨日は悪かった。俺、途中で寝ちまっただろ」

「なに、寝かしつけるくらいの気持ちだったさ。慣れない地で疲れもあるだろうしな」


 わざわざ話してもらったリョートの伝承を寝落ちて聴き逃したにも関わらず、アリタは少し悪戯っぽく喉奥で笑って返した。

 食器を抱え、部屋の外へと出て受付へ返しに行くまでアリタは歩きながら話を続ける。


「さて少年。少しばかり手伝って欲しい事がある。さほど手間も時間も取らせないつもりなんだが、どうだろう?」


 寝耳に水な話に、俺は数瞬悩んだ。事実として俺には今日一日やることは無い。この村を出るのは明日の連絡便で、用があっても簡単な装備の調達だろうし、それもアリタと共に行えば確実なものになる。

 しかし相手は医者とは言うが、素性は全く知れないままだ。何を手伝わされるか分かったものでは無いが……。

 俺が訝しんで返答に悩む様を見て、アリタはすっと目を細めた。


「なかなか用心深い少年だ、旅するには十分なほどだよ。なに、ちょっとした往診さ。私の仕事の一環だからね」

「俺に医者の助手を、ってことか?」

「簡単な荷物持ちと、私が言った薬品を渡してくれるだけでいい。どうかね?」


 それならば、といった具合で俺は日中、アリタの仕事を手伝うこととなった。

 ついでといってはなんだが、途中に村の店で様々な装備を揃える約束も取り付けた。この村はリョートでも比較的央都に近いため旅人がよく立ち寄るのだそうで、雪道を行くには十分すぎる程の品揃えだ、とアリタにも太鼓判を押された。



 アイシャから見送られ、簡素な作りの毛皮のコートを借り俺とアリタは宿屋を出た。


「さっぶ!!」


 扉を開けた途端、ギンッと肌を刺すような痛みが襲ってきて、身震いと共に首を縮こませた。昨日の夜とは比べ物にならない寒さ。慌てて体のあちこちを擦るが、ちっともマシにならない。


「はは、朝は冷え込むからな。しかし昨日に比べれば落ち着いた方だぞ」


 そんな俺とは対照的に、どこ吹く風の澄ました様子でアリタは笑った。どうやら、儚げな見た目以上にタフらしい。さて、と言いながらアリタは鞄を抱え、俺もまた先に渡された荷物を背負い直す。


「ということは、これ以上に冷えることもあるってことか? 人が過ごせる寒さじゃねえって」


 歩き始めたアリタの後を追いながら、震える口から漏れ出す白い息と共に問いかけた。アリタは顎をさすりさすり、村の中の雪を見渡しながら言う。同じように村を見渡すが、どうやら誰も外に出ている様子は無かった。


「それもあるが、この寒さは本来のリョートではありえない」

「どういうことだ……?」

「私が知る限りでは、今の時期もうそろそろ雪が融けて大地が見えるはずなんだが」


 その言葉に、俺は流石に驚いた。昨日今日と過ごしたばかりだが、このリョートで見える景色に大地を見た記憶が無い。他に見たと言えば全てが雪の中に埋もれ、遠目でも頑丈に生きているように見えた針葉樹林ぐらいだ。


「お、おいおい、昨日だって雪が降ってただろう? 地面どころか、足首まで埋まるぜ?」


 ギュッギュッと鳴りながら踏みしめる雪と残った足跡を振り返って見てみるが、そこにはただくっきりと靴底の模様が残っているだけ。地面の色など微塵も見えない。


「確かに、かつてもこの時期に雪が降ったのは珍しくもなかった。だが格段に量が違う」


 少しだけ強ばった声音のアリタからは、冗談や嘘の気配は無い。二人同時に黙り込み、しばらく雪を踏む音と息遣いのみが聞こえた。

 ふと、アリタが一つの家の前で立ち止まってポケットから何かを取り出した。手紙……いや、小さく書き記した紙片だ。しばらくそれを見た後に、やがてその家の扉を叩いた。

 しばらくして、扉の向こうからパタパタと物音がして小さく開いた隙間から顔が見えた。


「アリタせんせえ?」

「ああ、こんにちは。入れてもらえるかな?」


 ひょっこりと顔を覗かせたのは、あどけない小さな男の子だった。歳も十になるかどうかだが、家の中にいたにもかかわらずもこもことした毛糸で編まれたセーターを着込み、手を覆う手袋をはめていた。じっとその様を見ていると、アリタがこっそりと耳打ちしてくる。


「不思議なものだろう。あまりの寒さに金属のドアノブを素手で触れば皮膚が貼り付いてしまうのさ」


 真顔でゾッとするような話を言われ、そっとポケットに手を差し込んだ。と、聞こえていたのか不意に少年が振り返り。


「ちがうの、さっきお外で遊んでて、おててが冷たくてそのままなの」

「……おい、先生」


 じろりと睨みつけると、当の本人はくつくつと喉奥で笑うばかりだった。


「冗談だよ、半分は。今日は風も穏やかで寒さもまだマシだからかな。だが手が冷たくなるほど外に居たのは感心しないな」

「だいじょうぶだよせんせえ、寒くないよ」

「霜焼けの危険もある。ちゃんと暖炉にあたって温まっておくように」


 はーい、と素直に返事をし、少年はとことこと家の奥へと進む。アリタは後に続くように進み、俺もまたのその後ろをついて行く。

 木組みで造られた家は相当に年季は入っているものの、しっかりとした造りで家の中の熱を逃がさないようになっているらしい。少年の進んでいった先の暖炉の側では、中年の女性と揺り椅子に座った老婆がいた。恐らくは少年の母親とその祖母だろう。

 こちらに気付いて会釈する母親と、穏やかそうな笑顔で迎える祖母は最初にアリタを見た後に俺を見て、少しだけ首を傾げた。


「ああ、アリタ先生。わざわざここまでありがとうございます。……そちらの方は?」

「臨時で雇った助手ですよ。さすがに手がかじかむので、少しばかり荷物持ちを頼んだのです」


 まあ、と口に手を当て話を聞く母親に、俺は軽く会釈する。下手に喋ることも無いだろうと思い、そっと背負った鞄を下ろした。

 さて、と言いながら老婆に優しく問いかけアリタの往診が始まる。最近の体の調子から、以前渡した薬の効果、実感の有無などなど。医者としての問診の項目を続けながら、母親からの所感を聞きつつ、俺へ薬の素材を伝える。

 診断はつつがなく終わり、渡した素材を持ってアリタは何やら一枚の紙を広げた。

 それは赤、青、黄、緑と、色とりどりのインクで複雑に絡んだ線を描いた絵だった。絵、というよりもこれは……。


「魔術陣、か?」


 よくよく見れば、複雑に絡んだ線と共に文字が刻まれている。魔術に使われる文言は普通の言語表記とは違い、一定の規則に基づいた文字……いわば『魔術文字』というものだ。

 魔術文字自体は、魔術が発明されてから普及して学問の一つとしても広く伝わっている。個人ごとに書き方の癖はあるが、覚えれば解読出来るものだ。通常の読み書きしか出来ない俺には、何が書かれているのかまでは分からなかったが。

 そして魔術陣とは、魔術文字で書いた式を元に図形を描き、複数の魔術を同時連鎖させて発動させる機構として作り出された魔術だ。大きさは様々だが、一定の働きを持つそれを組み合わせることで半永久的にその魔術が使用可能になる。

 広げた陣をまじまじと見つめる俺に対し、アリタは慣れた手つきで渡した薬品を陣の上に落としていく。粉もあれば液体もあり、ともすれば何が元だったのか分からないような異様なものもある。様々に落ちた魔術の素材で段々と汚れていく紙に意も介せず、アリタは準備を終えた。


「医学魔術の基本さ。まあ見ていたまえ」

 と、懐から小瓶を取り出し、静かに呼吸を整えるアリタ。徐々に気配が変わり、意識の集中が始まる。


「『――星に巡る風たちよ。撒き種の芽を息吹かせたまえ』」


 詠唱。魔素を乗せた言葉は、道筋を与えられて蠢動する。

 魔術陣の上に乗せられた数々の素材が、淡く発光を始める。各々が魔素の動きに合わせ、敷かれた陣の上を走る。紙にシミを作った液体すら、その痕跡を残すことなく動いていく。

 魔術陣の引かれた線はやがて中心に集まるように描かれ、それに則って淡い光が強まっていく。一際明るくなった時、アリタがすかさず瓶を逆さに落とすように光を掬いとった。素早く小瓶の蓋を閉め、光を閉じ込めた小瓶はやがて光を失い、徐々に正体が現れる。いつの間にかそこには素材たちの影形はなく、大きくまとまった丸いものがあった。


「ではこれを砕いて、飲み物と一緒に飲んでください。一日一回、眠る前が良いでしょう」


 小瓶を母親に渡すと、礼を言いながらそれを受け取る。俺自身、医学魔術の行使を間近で見ることはそれほど無かったが、これ程に幻想的な景色もそうないだろう。


「あちっ!」


 と、突然叫び声が聞こえた。それは、赤々と焚いた暖炉の側で手を暖めていた子供からだった。


「ううう、痛いよう……」

「あらあら大変、すぐに冷やさないと」


 パチパチと爆ぜた薪の火が当たったのだろう。見れば、赤みがかった小さな手にさらに小さな火傷があった。

 魔術陣を片付けていたアリタは直ぐに鞄に手を伸ばしてあちこちを探り出すが、「しまった」と顔に手を当てた。


「火傷に効く軟膏を切らしていたんだったな……ひとまず応急措置を」


 取り敢えずの素材でどうにかしようとアリタはごそごそと鞄をかき回すが、難しい顔のまま唸ってしまった。その間も子供はじりじりと痛む手の火傷に、段々と涙が滲み出す。

 ……仕方ない、か。

 俺は少年のすぐそばまで行き、火傷した手を取った。


「ちょっと見せてくれ」


 火傷自体は小さなものだが、皮膚の少し深いところまで焼けているようで、ともすれば傷痕が残ることも有り得るだろう。


「傷は大したことない。もうちょっと我慢できるか?」


 問いに対してコクコクと頷く子供。加速度的に増していくだろう痛みに泣き叫ぶ事無く落ち着いているのは、この子が我慢強い為なのか。

 そっと少年の手に自分の手を重ねた。まだ少しだけ冷えている手を包み込むようにし、少しだけ力を込める。


「『――火の幼子よ、我が手に戻れ』」


 呟いた言葉と共に、掌の中で微かな光が漏れる。魔素が反応する光だ。たった一瞬だが、その変化に気付いた子供が目を開いた。


「ちょっとしたおまじないだ。どうだ?」

「……痛くない!」


 重ねていた手を戻すと、子供の手にあった火傷は跡形もなく消えていた。痛みもすっかりと消えたようで、子供も先程まで火傷があった箇所をまじまじと見つめていた。


「ちょ、ちょっと見せてくれるか」


 慌てた様子でアリタは子供の手をじっくりと診察し始めるが。


「これは驚いた……まるで最初から火傷など無かったかのようじゃないか」

 信じられないとでも言いたげにそう零し、子供の手をただただ握るばかりだった。


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