5.打ち捨てられた先に

 久々に見た青空だった。

 自分でも気づくのが遅れるほどに意識が唐突に戻った時、俺は仰向けに倒れていた。ゆっくりと息を吸うと、肺の動きと共に全身へと意識が行き渡っていく。幸い、寝ていたのはちょうどソファベッド――中身の綿は潰れていた――だったためなのか痺れを感じるが、痛みはない。慎重に体を起こすと、四肢は問題なく動く。どこも何も傷ついた様子はない。

 周囲を見渡すとカビ臭い地下から一転して、青い空の下に野ざらしにされた、雑多なガラクタの山が広がっていた。おそらくは央都としては北寄りに位置する、様々な資源が打ち捨てられるいわゆる「廃棄区画」だ。使われなくなった家財、割れた魔鉱石、解体された廃材。見たこともない機械の類が錆びついて放置され、よく分からない液体も漏れ出し淀んで溜まりこんでいる。何もかもがボロボロで、物の成れの果てが行き着く先なのだと分かる。

 再び息を吸う。どことなく匂う、水の匂い。生乾きの自分の髪からだ。

 水。


「――――っ!」


 そこでようやく、記憶と思考が現実に追いつく。そうだ。地下での一戦の後、俺はレオンの術に敗れて意識を失った。ずぶ濡れになった自分の衣服や髪の生乾きからして、数時間は倒れていたのだろう。

 ぶるり、と。改めて意識した時に、全身に怖気が走った。レオンの殺気。皇帝の言葉。自らの怒り。そして、今のこの状況。

 負けたのだ、と。


「お目覚めになりましたか、アルト様」


 不意に、落ち着いた声音が響いてきた。先程見渡した限りでは声の主らしき影は見当たらなかったはずだが。

 瓦礫とガラクタの山を登る足音。意外にも近くから聞こえたそれは、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。突き立った廃材の陰から現れたのは、壮年の男だった。着古したシャツに、色の馴染んだパンツという庶民的な身なりだが、不思議と清潔感のある印象だ。加えて背筋は伸び、白髪混じりの頭はピッタリと横に付け、いくつものシワを刻んだ顔は好々爺を思わせる僅かな柔らかさを滲ませていた。


「ああ、そう警戒なさらず。倒れた貴方を世話していただけでございますから」


 瓦礫で埋もれた足場も相当に歩き心地は悪いはずだが、一切の体のブレもなく歩く様は素人目で見ても相当の手練れであると分かる。

 ソファベッドに腰かけるように姿勢を変えつつ、老人を正面に見据える。後ろ手に組んだその相手はといえば、ちょうど一間あるかというところで立ち止まり距離を保った。警戒するなと口では言うが、何よりも自分自身が用心深い人間なのだろう。

 先ほどの発言に対して、俺は改めて老人に問いかける。こうして自分が生きていて、目覚めるまで監視を命ぜられているとすれば。


「……皇帝の指図か」

「いいえ。私はレオン様に仕えていた、ただの隠居でございます」


 意外にも予想を外れ、にこやかに答える隠居。いや、隠居と呼ぶにはしゃんと背筋の伸びた姿だが、それにしてもレオンの指示で俺がここにいるというのは解せない話だった。


「レオンが、俺を? ここに?」

「左様にございます。皇帝の指示であれば野ざらしのここではなく、再び地下深くまで閉じ込められていたことでしょう」


 隠居は改めて「ヴィクトール・デキムス」と名乗る。元は皇帝に仕え、後にレオンの執事役として付いた。しかしつい去年にその執事の任を終え、先程までの通り隠居として生活していた。

 ヴィクトールの話は続く。

 これはレオンの独断であり、皇帝は俺が再び牢に戻っていると信じているということ。わざわざレオンが皇帝の前で俺を倒したことも、計画のうちであると。


「計画、っていうのはなんだ? 俺たちと姉さんを確実に切り離すためのか?」

「それもまた違います。答えを焦りすぎですぞ、焔帝殿」

『全くもってでございますわ。これではレオン様の努力もふいになるというものですわ』


 俺の疑問に対して、一つ多く返答が返ってきた。

 いつぞや聞いたことのある声。直後にぞっとするような寒気が背筋に走る。この感覚には直近まで覚えがある。レオンとの一戦があった、あの地下での感覚だ。

 どこからともなく冷たいモノの流れが集まってくる。再び姿を表したそれは、不満げに腕を組みながらこちらを見下ろす。


『ごきげんよう焔帝様。ワタクシの水の揺りかご、寝心地はいかがでした?』

「…………夢見る暇もなかった」

『あら、お気に召していただけたみたいで何よりですわ。それともまだお眠でして?』

「これこれレンゲ殿。話の腰を折らぬように」


 これは失礼、と体面上の非礼を詫びてレオンの従えていた水の精霊、ウンディーネ――レンゲという名のそれ――は、顔をツンと澄ませてそっぽに向けた。

 咳払いをしてヴィクトールは続ける。


「ここまでの動向は、すべてレオン様の手配によるもの。決して皇帝の意向や、別のものによるところではありません」

「……俺は、それをどこまで信じたらいい?」


 これまでの予測はすべて外れ、見知らぬ老爺には自分の知らない事情を説明され、挙句これまでに皇帝の指図は無いと来た。意識を失う前と今とでは、もはやレオンに対する信頼も揺らいでいる。ふと漏らした言葉だったが、他でもない今の俺の心境をすべて物語る呟きだった。

 重たくなる頭を抱えて項垂れる俺に、ヴィクトールは数歩だけ近づいて胸元のポケットから何かを取り出してきた。


「全てを信じずとも、今あなたがすべきことはこの中にございます」


 それは、一通の手紙。丁寧に封筒に入れられたもの。封蝋で閉じられ、印璽(いんじ)は騎士隊の紋章。蝋も崩れていない所を見ると、この隠居が直接受け取って俺へと繋いだということ。

 それほどまでにして、俺に伝えたいこと。今この場に居らずに伝えなければならないこと。

 静かに、封を開けた。崩れていく封蝋を払い、封筒の中身を取り出す。これもまた丁寧に、端と端を合わせた便箋。一瞬だけ考えた後、意を決して手紙を開いた。見慣れた筆跡で綴られたそれは、誰が語るか如実に伝わってきた。

 レオンだ。


『この手紙を読んでいるということは、兄さんはひとまず城の地下牢から出られたという所でしょう。これを渡した人は、僕が今までで唯一信頼できる人です。これから兄さんが何をするにしても、最初の手助けをしてくれるはずです。


 前置きはここまでにして、本題を伝えます。

 姉さんを救う方法についてです。


 姉さんは今、その体を介して魔素を搾取されている状態です。天使の保有している魔素量は計り知れず、もはや魔法使い達よりも遥かに上回る量だと考えられています。

 これは許されざる行為です。いくら供給される世界の魔素が足りないとはいえ、ひとつの命から奪い続けるような真似に道理がたつ訳が無い。

 皇帝は、自らの権力で強行しています。表面上では国の為の施策だと言いますが、依然として魔素不足は解消されていません。


 これを解決するに、天使に代わる魔素の供給源があるとしたらどうでしょうか。

 元々天使はおとぎ話に出るような伝説的なもの。これが実在するとすれば、天使と同等の、別のものも存在し得るはずです。


 それが「種」。天使が撒いたとされる、世界を作りあげた不思議な「種」です。

「種」とはつまり天使から分かたれた、「世界を創造できるほどの高濃度魔素」である、と推測します。


「種」の手がかりはありました。

 央都とは別にある、四つの国。東西南北にあると言う「種」の撒かれた場所……「聖地」と呼ぶべき場所があることが分かっています。

 この「聖地」を中心に、各国の中心都市は魔素が供給されているそうなのです。


 兄さんにはこれらの「聖地」へ出向き、そして「種」の回収をお願いしたいのです。

 途方もない話だとは、自分でも分かっています。ですがそれに縋るしか解決法は見つかりませんでした。


 一度剣を向けた僕からの手紙は、信用できないかもしれません。それでも皇帝の傍で仕えた僕から、最後に伝えられることです。

 もし兄さんに、まだ“きょうだい”を信じる気持ちがあるのなら、お願いします。


 姉さんを助けてください。


 レオン・アーラ』


 差出人の名前で締められた手紙を読み終え、俺は静かに目を閉じた。


「アルト様。お気持ちは決まりましたか?」


 傍らで待っていたヴィクトールは、少しだけ硬い面持ちで声を掛けてきた。書いてある内容については知らないはずだが、俺の雰囲気を感じてただならぬものを察したのだろう。


「……いくつか、質問いいか?」

「ええ、私に答えられる範囲ならば」

「もし俺が何もしないで逃げたなら、どうなる?」


 それはもしもの話。俺が選べる選択肢の一つ。項垂れたまま、老爺に問いかける。


「その時は、アルト様が望む場所へとお運びしましょう」

「……どこへでも、か?」

「ええ、どこへでも」


 ゆっくりと、諭すように答える。それが本心から思っているのか、それとも指示されている故になのかは測りかねた。

 まだ、空は暗い。


「じゃあ、俺が皇帝のところに行きたいと言えば?」

「それはレオン様に止められています。レオン様曰く、アルト様は鍵なのだと」


 これもまた、諭すように答える。これはレオンが手紙では書かなかったことだが、皇帝に接触することは極力避けてほしいという意味だろう。当然ながら、姉さんは皇帝の掌の上で、レオンは皇帝の目がある。皇帝の動きを間近で見ながら、目を盗んで俺を逃がせるほどだが、それは皇帝が姉さん……天使のことで頭がいっぱいだったからだ。この状態で再び目の前に戻ろうものなら、次こそ確実に俺の命はないだろう。

 どうするにせよ、俺は今、打ち捨てられたこの場から動けないままでいる。

 レオンは初めから、俺を地下牢から出すつもりで居たらしい。牢から出た俺がどうするかまで、わかり切った上で。

 一度牢から出てさえしまえば、俺は遠くに逃げ出すことも、再び皇帝を襲うことも叶うだろう。本当ならそうしたはずだ。しかし今そうしてしまえば、俺はかけがえのない何かを多く失ってしまうだろう。俺だけではなく、皇帝に頼っている者も、皇帝が支配している者も。

 目を閉じたまま、俺は考える。正直な話をすれば、望み薄なことはわかり切っている。各国にある「聖地」を巡り、あるかどうかも分からない「種」を探し出す。それは、一朝一夕でできる話では無いだろう。下手をすれば何年も、何十年も掛けても、欠片すら見つからないかもしれない。

 途方もない話。気が遠くなるような、長い旅になるだろう。

 それでも。


「………………やるさ」


 それでも、それに縋り付く。それでも、“きょうだい”を信じる。

 ゆっくりと、目を開いた。陽の光が強くなり、周りにあった打ち捨てられている物が照らされる。まだ目先のものが見えているわけじゃない。


「やってやる。種だろうが何だろうが、やらなくちゃならないんだ」


 ただ、胸の奥底で火が点いた。濡れていた髪も服ももはや乾いた。四肢にも熱が通っている。

 俺が牢に居た間……姉さんの事を知った時、レオンはこれを誰にも話すことは出来なかっただろう。自らの動きを悟られないように、孤独のまま動き続けてきた。それを今、俺に受け継がせようとしている。

 他でもない“きょうだい”の頼み。もはや体の震えも、寒気もない。

 報いなければ、俺たちは救われない。



 今。『焔帝』は立ち上がった。

 アルト・アントヴォルト。旅立ちは打ち捨てられた先から。



 ≪To be continued...≫

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