4.嗤う、皇帝


 「魔法使い」あるいは「真理」と呼ばれる者達は、その実普段からの人間と構造上差異は無いとされている。食事を取り、睡眠を取り、趣味嗜好を持ち、時として妻子や家庭を持つ。喜怒哀楽の感情を以て接し、己の尺度を持ち、他者との関わりを持つ。


 しかし、忘れてはならない。彼らは「世界」に選ばれ、「世界」を司る一部である。もしそれを覆そうとするならば、それこそ「世界」に対し歯向かうことにほかならないのだ。



『世界と真理』 著者 ヴェニゼロス 聖黎暦980年頃



 赤熱の怒気が既に宙を焼き、陽炎が立つほどに熱気を放つなか、黒衣の騎士と豪奢の皇帝は動じずに立っていた。それどころか見物の体で皇帝は蓄えたヒゲを指で梳いた。 


「ほう……。さすがは世界の一端なだけはある。人の作った拘束具では容易く破られるか?」


 ニヤリといやらしく笑う皇帝に、俺は目を向けた。瞬間、何処からともなく灼熱が皇帝の横顔近くの空を焼いた。先程まで撫でていたヒゲの先が少しだけ焦げたものの、本人そのものは無傷だった。


「ハ、デカい口なもんで簡単に焼けると思ったが。久しぶりで力の加減を間違えそうだ」


 軽口を叩いてはいるものの、事実として今現在十全な力を出し切れるほどの状態ではなかった。

 突発的な発火で今まで俺を苦しめていた拘束具を焼き切ったものの、あれ自体は体内の魔素を抑制し、かつ体内外からの魔素の干渉を妨害する機構を持っていた。四年間も苦しめていただけあってその強度は流石の一言では済まされない。

 果たして消耗した今の状態で姉を奪還できるかと考えたが。


「…………」


 黒衣の騎士――レオンと、フードの奥で眼が合った。


「レオン、止めてくれるなよ。皇帝さえ倒しちまえば、俺たちは元に」

「戻れませんよ」


 殺気。

 いつの間にか踏み込まれ、横薙ぎに振るわれる杖を仰け反って躱す。ローブのように長く伸びた騎士隊の黒い制服が初動を読みづらくしていた。


「僕は騎士。皇帝に仕える者。皇帝に牙を向けるなら、例え――」


 一瞬だけ口をつぐみ、続けて微かに何かを言ったようだが、引き戻した杖を床に衝いた金属音で重なって聞こえなかった。俺は唇を噛み、軋み悲鳴を上げる身体で体制を立て直す。レオンの意思が固く、不退転となればこちらも狙う先を絞るしかない。

 引き下がった俺に対して、攻撃された皇帝はしかし静かにこちらを見下ろすだけだった。また余裕ぶった態度に再び腸が煮え返る。奴がいる限りこの怒りは収まらないだろう。

 再びレオンが杖を構えた。しかしこちらへと向かってくる様子はなく、杖を掲げ何かを呟く。


「――『水底より呼ぶ乙女よ』」


 ――詠唱!

 人間が編み出した技術。「魔法」を読み解き再現した法則。式を組み立て、奇跡を作り出す力。

 それこそが「魔術」。しかも彼がやろうとしているのは。


 (召喚か!)


 即座にレオンの周りに魔素が集っていくのがわかる。ここではなく別の場所から、運ばれるのみでなく呼ばれて自ら来たものが。レオンが詠う詠唱(よびごえ)に応え、その下に従い現れる者が。

 一瞬だけ、涼やかなものが頬を優しく撫でた。しかしそれは俺の背筋をぞっと撫でるように冷ややかで。それもその筈、火炎を操り纏う俺を冷やすことなど、本来ならありえないのだ。

 一度呼ばれた者を遮ることは適わない。何よりこれには実体はない。しかしてそこに居て、厄介なことにそれだけで意志と思考を持ち合わせている。


「――『ウンディーネ』」


 普段目に見えることのない魔素が、淡く発光して可視化できるほどに集中していく。最初こそ朧げでボヤけた輪郭だったものが、徐々に象られていく。それはほどなくして人一人ほどの大きさにまでになり、しかし完全な人の姿ではない。流水を思わせるように波打つ長い髪に、ピンと伸びた長い耳。つぶらな瞳に小さい鼻と、整った顔立ち。滑らかなドレスに似た体から細く伸びた手腕。しかしそのドレスからは足は伸びず、ふわふわと宙を漂ったままだ。

 これこそが人の隣人たる生命。精霊である。

 水の精霊。しかも上位の精霊だ。水辺に住まい、その麗らかな呼び声で人を惑わせる『水底の乙女』。


『ご主人様。ご命令を』

「罪人の拘束を始める。手を貸してほしい」

『ご随意のままに』


 恭しく水の精霊は頭を垂れる。どれほどの力量を持てば、上位の精霊との契約をできるのだろうか。これもまた、彼が四年の間に身につけた力なのか。

 ここでの精霊の召喚は、正直に言えばまずい状況だった。皇帝は直接手を下すことが無いにしても三体一。多勢に無勢である。

 加えて水の精霊はこちらには相性が悪い。正確には、水の魔素が、である。精霊はそもそもが純粋な一属性の魔素によって作られている。魔素量や魔力そのものは魔法使いには及ばないものの、それだけでも抑止力としての効果は持ち合わせられる。

 簡単に言っても四属性の魔素は相互での相性が存在しており、相反するものは反発・相殺しあい、近似しているものは相乗・合成しあう。そして火と水の魔素は、前者だ。


「さあ『焔帝』、再び大人しくしてもらいますよ」


 召喚を終えたレオンは深く被っていたフードを外し、黒髪を揺らすと同時に右耳の耳飾りがチラリと無機質な光を反射する。そしてふと気づく。精霊の召喚には『契約』が必要であり、その契約の証となる物が必要となる。例えば、魔素を含んだ宝石類――「魔鉱石」から削り出したものなどだ。おそらくは、あの耳飾りがその契約の証だ。

 まさか、自分が贈ったものが自分に牙向くものに成り代わるとは。


「……まさに、使えるものは何でも使う、ってことか」

「僕たちはそうやって生きてきた。そうでしょう?」


 悪びれる様子もなく、レオンは杖を構えた。無表情に返されたことが何よりも堪えたが、俺は固く拳を握って構えて返した。

 そうだった。だがそうあって欲しくなかった。

 覚悟を決め一歩、踏みしめた。

 刹那。足裏から爆発めいた魔素の奔流と、擦過によって生まれた熱が更に加熱されて火を吹く。もはや自分を撃ち飛ばすと表現するほどの加速を以て、一歩。彼我の距離を詰め切って一直線に懐へと潜り込んだ。

 魔法は、それだけで「世界」の一端を表す。世界の法則そのものを体に宿している者こそが「魔法使い」である。その行動そのものに魔法を加えることは、息を吸い、吐き出すことと何ら変わらない。例え距離が十分に空いていても、自らが組み立てた法則に従えばそれこそ「関係ない」ことになる。

 故に、たとえ一撃でも打ち込めればいい。威力も、加速した分や体重を加えても十分に通じる。レオンが反応する前に、胴へ一撃だけ。それだけでも。


「――――!?」


 だが、突進のごとく突き出した拳は宙を――いや、水面を叩いて終わった。

 バシャリ、と勢いよく跳ねた飛沫が、放熱された熱気に掛かって即座に蒸発する。レオンがいた場所には、それによく似た姿を映した水の柱が立ち上っていた。その像もすぐに掻き消え、足元に大きな水たまりが広がった。

 身代わりを立てるほどの時間は無かったはずだった。即座に拳を戻し、辺りを見渡す。攻撃を仕掛ける直前までレオンは構え一つ崩すことなく見ていたはずが、その姿は見えない。それどころか、先ほど呼び出した精霊ですら居なくなっていた。


『相変わらずの猪みたいな突進ですね。昔から全く変わってませんよ』


 しかしその声だけは反響して聞こえてくる。不気味にも、姿が見えないまま出処も分からない声はそれだけで攪乱させる。恐らくは既に魔術が発動している。しかも、俺が攻撃を仕掛けるよりもずっと前からだ。この部屋全体を覆うような水の魔素の動きは、ついさっき仕掛けたばかりのものではないだろう。拘束具のせいで読みが鈍っていたか。

 しかし、それも当然といえば当然だ。相手は世界の一端。咄嗟の判断で通じるとは考えてなかったのだろう。

 だからこそ、その戦法には弱点がある。


「『揺らげ、陽炎』!」


 全身に込めた力を周囲に解き放ち、立ち上る炎熱は熱波となって部屋を焦がし始めた。同時に猛烈な熱気が部屋を満たし、一気に視界が煙り出す。何かを燃やしたり魔法を使ったわけではなく、単純な自然現象だ。水のある場所を即座に熱することで水蒸気が発生し、それが再び冷やされたことで霧を生み出された。

 レオンが使った魔術は水の魔素が満たされた限定的な空間で使われる幻影魔術だ。応用の次第では局所的にも使えるそうだが、前もって仕込みを行う必要があるのは変わりない。仮にこれを精霊の力を借りて行うにしても、発動するには多量の水の魔素が必要になってくる。

 では、その水の魔素の均衡を火の魔素によって崩すとどうなるか。

 煙る部屋の中で、黒い影が浮かび上がった。


「そこ――だっ!」


 再び加速。例えこちらの不意を突いたところで、相手の反応が早まるわけではない。術の均衡が崩れた今なら、こちらの速度には追いつけないはず――


『だから相変わらずだ、と言ったんですよ。貴方は実にわかりやすい』


 意識を刈り取る一撃は、再び水の柱を叩くだけに終わった。飛び散った飛沫は、今度はバシャバシャと辺りをひどく濡らしただけでなく、俺自身さえも濡れ鼠にした。顔に掛かった水を拭っても、攻撃が来ることはなく、またレオンの姿は完全に見失ったままだ。


『さて、焔帝よ。まずは君の誤解を解かねばなるまい』


 霧中での姿は見えないまま、頭上から皇帝の低い声が聞こえてくる。聞くものを竦ませ、萎縮させ、平伏すことを強要する。それこそ、まるで魔術でもかけたかのように錯覚するほどに、威圧感を込めた声だった。


「誤解だと? 姉さんを捉え、理不尽に魔素を搾り取ることに、誤解だと?」


 奴が喋るたびに身体中の熱が血とともに脈打つ。話す気も無いと言うのに、お構いなしに声は続く。


『私も人の身だ、自らの行いに過ちが無いとは言い切れない。だが、「世界」が過ちを犯すことを見過ごすこともできない』

「世界の、過ちだと?」


『そうだとも。現状として各地において魔素が枯渇していることは既に話したな? では問おう、焔帝よ。君は自らの責務を果たせているのか?』


『魔法使いは世界の一端。その機能を君は十全に使いこなしていると、果たして言えるかな?』


『君が何気なくこの央都で暮らしてきた十余年で、世界の一端としての機能を果たせていたのか?』

「それは、」


  言葉が返せない。返せるはずがない。俺はおそらく生きてきた時間の中で、自らの役割を自覚したことが無いからだ。


『世界の均衡を崩していたのは、他でもない機能不全に陥った魔法使いがいたからだ。それが、君だ』

「俺が……」


 漠然と感じていた不安――いや、違和感。心のどこかで残っていたしこりのようなものを、突かれた気がした。


『君が魔法使いとして真っ当に機能していたならば、魔素が不足することなく世界は正常に回っていたはずだ。だがそうはならなかった』


『君が、天使を縛り、天使に縋り付いたためだ』


『機能不全のまま、均衡を保つこともなく、そして天使をも手中に収めようとしたその愚行のツケを、今我々が精算しようとしているのだよ』

「それは違う! 言いがかりもいい所だ!」


 頭から降りかかる言葉を、もがくようにして否定した。事実として知らなかったとは全てが全て言い切れないが、皇帝が言うことを認めるわけにもいかなかった。

 しかしその声は、容赦なく俺を刺し続ける。


『事実だとも。現に君は、自らの欲望のためにその力を用いる。それは世界のためでなく、単に自分の願いのためだ』

『それとも君は世界を犠牲にして、このたった一人の娘を救うのか?』

「――――っ」

『クレイオス様。お戯れもそこまでに』


 俺の返事を待つことなく、レオンの声に遮られて会話は終わった。


『貴方に対抗するために力を蓄えたつもりでしたが、拍子抜けです』


 聞こえてくる声に、俺は苦々しく思いながら返す。四年の差は、確かに大きい。


「その四年は、こんな霧の中で姿をくらます程度の力量なのか? 笑わせるなよ」

『ええ、本当に。笑わせないでください』


 不意に、背筋に冷たいものが走った。姿見えぬままのレオンから、明確に伝わってくる気配。今確実に仕留めようとするほどの強い意志が、部屋全体に渦巻いていると思うほどだった。


『僕の術は、まだ完成していませんから』


 ザバリ、と。水が溜まる感覚がした。足首、膝、腰。いや、既に胸、首まで。急速に自分が水底に沈んでいくような感覚。まるで引き摺り込まれたかのように、突然頭の先まで水の中に浸かった。

 ほんの一瞬のことだった。呼吸を整える暇も、溜め込む時間も無く、俺は水牢へと閉じ込められた。

 もがいて逃げようとして、身体が重石を付けられたかのように動かないことに気付く。疲労? いや違う。これは魔術だ。俺が攻撃の度に叩いた水の柱。あれが拘束の魔術式が込められたものだったのか。

 無理矢理にでも動こうとしても、既に全身を濡らす水底は四肢を縛り、感覚を麻痺させていく。


 魔法が 出ない。 集中でき  ない。


 息が  もたない   これ  以上  は。


     ねえ    さ     ん



 水底からは、きょうだいの姿は見えなかった。

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