3.軋む絆、怒る焔帝

 ◆



 むかしむかしのそのまたむかし。


 このせかいにまだうえもしたもなかったころのおはなし。


 そのときのせかいはかたちをもたず、じかんもながれない、なにもないばしょでした。


 いきているのか、しんでいるのかもわからない。うごいているのか、とまっているのか。それすらもありませんでした。


 あるひのことです。ふわふわとしたかたちのないせかいのすきまから、ひかりがさしこんできました。


 あたたかなひかりはせかいをてらし、そらとだいちがつくられました。


 そらからさしこむひかりのなかから、だいちへとおりたつかげがひとつ。


 せなかにはねをはやしたてんしさまが、まいおりました。


 そして、てんしさまはせかいにたねをまいたのです。



 童話「せかいのたね」より、一部抜粋 天使教司祭衆監修 初出時期不明


 ◆ 


「見せたい物っていうのは、こんな姿の姉さんのことか……!」


 自分の声が、思っていたよりも震え、掠れていた。さっきまで兄と呼んでくれていたレオンは、俺を鋭く睨み続けている。


「いい加減、家族ごっこはやめましょう。僕らには血のつながりも何も、ありはしない」


 レオンの棘のある言葉は、残酷なまでに俺を突き刺してくる。事実だ。事実だからこそ、否定しきれない。その事実を隠していた理由も、事情も、レオンはまだ知らないだけで。


「待てレオン……待ってくれ。話を」

「貴方はただ質問に答えてください。今はその返答のみを許します」


 有無を言わせない強い口調。家族の情も、兄弟の絆も、まるで最初から無かったかのような冷酷な言葉。

 思わず口をつぐんで後ずさった。レオンとの再会で浮かれてしまったが、家族でも兄弟でも無いとすれば、俺と彼は騎士と罪人。今の体の状態では、騎士である彼に抵抗することもままならないだろう。


「まず一つ目、貴方は彼女が天使だと知っていましたか?」

「……ああ」


 半ば諦めるようにして、俺は頷いた。


「姉さんは、この世界の天地創造の主である『天使』の末裔。俺にそれを知らされたのも、四年前だった」


 姉から伝えられた事を、全て信じきっていた訳ではなかった。むしろ自分でも信じたくなかったくらいだった。それこそ自分たち姉弟の繋がりがなかったことにされる、悲しい事実だったからだ。その時の俺は、それが嘘であることを心の底で願っていた。

 天使。この世界の最初に降り立った生命。天使は影も形もなかった世界に『種』を撒き、新たなる生命を作り出した。その『種』は今の世界に根付き、そして「魔素」を生み出すものを指すとして今まで伝えられてきた。

 しかし天使そのものはその後、どうなったのかは語られることはなかった。天地創造の後、天へと戻ったのか、あるいは今生きているのかさえ分からないままとされてきたのだ。

 レオンは小さくため息を吐いた後、再び口を開いた。質問はまだ続く。


「二つ目。天使を誘拐し、回収に向かった騎士に抵抗した理由は?」

「待て、お前だって分かっているはずだ! 姉さんを誘拐したのは皇帝、俺達は最初から全員で暮らしていたって!」


 レオンの言葉に、俺は否定をもって答える。物心ついた頃から、俺達は姉弟として育った。親も居なかった俺達をいつだってまとめてくれていた姉さんを、後に俺が誘拐していたことになっている。皇帝側の都合で事実がねじ曲げられ、罪人に仕立て上げられるのは不本意極まりない。


「嘘をついているのは皇帝の方だろう!  姉さんは皇帝のものではないし、誘拐したのはそっちの方だ!」


 弟……レオンが、今になって何故そんな事を言うのか理解が追いつかない。

 レオンは四年もの年月が開いたとしても、それまで一緒に暮らしていた時間は嘘ではない。俺達の生活についても当事者としてよく知っているはず。それすら無視した言葉は、まるで――


「酷い言い草だな、やはり罪人ともなれば思い込みも筋金入りかね?」

「!」


 突如、広い空間に響く低い声が聞こえた。 


「騒がしいと気になって足を向けてみればレオン、随分と話し込んでいるようだな?」


 頭上からゆっくりと声が降りてくる。円形に作られた部屋の上空には、いつの間にか螺旋を描くように薄く光る階段が伸びていて、優雅な仕草で――皮肉なまでにそれが似合っている――降りてくる人影があった。

 裾が長く気品を感じさせる絹のローブに金や銀の華美な装飾。深く刻まれた顔の皺と白髪の数は、伊達に年を重ねただけではないことを象徴していた。そして頭にはこの世に君臨するものの証として、王家の紋章を抱いた冠を頂いていた。

 声だけで怖気が走る。忘れない。この感覚は間違いない。


「尋問の一環です、皇帝。彼は罪人。騒々しい無礼をお許し下さい」

「良い。何せ久々に牢を出るのであろう。興奮するのも仕方あるまい」


 皇帝――『央都』レイオーツにおいて、その頂点に立つ者。人々を纏め上げ、率いている絶対権力。名は、クレイオス・ファーニヴァル弟帝。16代目皇帝に君臨する男。

 そして、四年前の事件を引き起こした張本人だ。


「貴様……!」

「随分とみすぼらしい姿だな、焔帝殿。幾分痩せたかね?」


 片眉を上げ、口の端を持ち上げながら見下ろす様には酷く侮辱の色を濃くしていた。俺は奥歯を噛み締めながら、目で射殺す程の殺意を向けて身を乗り出す。


「よくもぬけぬけと! 姉さんを返せ!」

「何を言うかね。あれは君のものでもない。天使は常に世界に公平であるべきだ。違うかね?」


 極めて落ち着いて……いや、むしろこちらが吠える様を見物気分で見下ろしながら、皇帝は顎に手を当てる。その傍でレオンは何も言わず、黙って控えたままだ。


「尋問は取り止めだ、レオン。私に任せておきたまえ」


 観衆の前に立ち演説するかのように、皇帝は両手を広げて声高に語りだす。


「そも、なぜ私が天使を求めたか。その理由を話してあげよう」


 ひと呼吸置き、皇帝は姉を捕らえる機械を一瞥した。


「結論から言えばこの世界には魔素が足りていない。故にその不足した魔素を、天使から補おうというわけだ」


「魔素が、足りない……?」


 魔素はこの世界の遍く物に存在し、常に満たされ続けている世界の恩恵だ。

 人はこれらの研究を繰り返して魔術を発展させ、今日までの生活へ組み込まれるまでになった。つまりは常に有ってしかるもの。常に無くてはならないものだ。

 レオンはもはやこちらに顔を向けることなく次を続ける。


「各地においての魔素の計測値が年々減少の傾向にあり、央都においてもその影響が出ています。このままで魔術の運用もままならなくなり、生活への支障が続けば国民が貧窮に苦しむことになります」

「それだけではない。焔帝殿もご存知だとは思うが、人は魔素無くして生きてはいられない。体内魔素は呼吸や食事による摂取、運動とともに活性化することで循環し、生命力を高めている。だが、その元になる魔素が足りないともなれば……言わんとすることは分かるかね、焔帝殿?」


 今の世界が切羽詰っている状況なのは、理解できた。現状がもしそうなのだとすれば、それこそ丘に揚げられた魚のように人々は弱っていき、最後には死に至る。

 不足した分を補うという行為自体は、特別非難されることではないだろう。不足したのなら、それをどこかから持って来れば良い。それに特に不自然さはないはずだ。

 だが、それは。


「それには、天使から搾取することで得る魔素を当てるつもりなのか!?」


 天使は世界を創造する種を植えた。ではその天使そのものは世界を創造するに値するほど膨大な魔素をその身に宿している、という考えらしい。当然ながらそれは伝説の域を出ない、確証のない話のはずだ。それにすがる程にこの世界は逼迫しているというのか。


「ご明察だ。随分察しが良くて助かるよ」

「ふざけるな! それじゃ一人の命を食いつぶして生き長らえているだけだろ!?」


 叫んで否定する俺に対して、皇帝は肩をすくめてどこ吹く風。至極普通のことのように続ける。


「例えそうだとしても、天使一人が生きるだけの魔素は当然ながら残しておくとも。分析してみれば、天使とは人一人と変わらない魔素消費量だった。一生分の魔素を残しておくうちには、彼女も死にはしないはずだ」

「下衆が……!」


 魔素とはつまり、その体を巡る血と何ら変わらない。血を作る量が人よりも多いから、他の人のために搾り取る。常に、搾り取り続ける。終わらない人々の生活のために延々と。その行動を強いることを、下衆と言わずなんと言おう。


「今の言葉は聞き捨てならないぞ、焔帝。やはり再び牢に」

「レオン! お前はこいつが本当に正しいと思ってるのか!? 姉さんが殺されそうなんだぞ!」


 レオンに詰め寄り、声を荒らげる。許せない、許されない行いを見過ごせない。例え自分たちの繋がりが嘘偽りと言っていても、人一人が非道の行いによって命を蔑ろにされるような様を、見ていられないはずだ。 

 そう思ってレオンに手を伸ばし。


「それが、皇帝のご意向だ」


 返ってきたのは、横殴りの杖の先だった。

 咄嗟に伸ばした手で受け、弾かれる形で距離を取られる。うまく力の入らない今の体は、五、六歩後ずさることでようやく体制を立て直せた。

 だが杖の攻撃よりも、レオンの言葉は余計に俺を動揺させた。


「お前……本気か……?」


 縋るように絞った声に、しかしレオンはフードの奥で口を閉ざしたままだった。返事は変わらない。その意志表示が、俺の足元をガラガラと崩すようだった。


「偽りの兄弟ごっこも、覚めれば滑稽な道化の劇だな? 余興にはちょうど良いがな」


 鼻で笑うようにして、クレイオスは俺を……レオンを含めた俺達を見下ろした。かつて四年前に、俺をねじ伏せた時と同じように。嗜虐と、優越を感じるような目で。

 ジリ、と何かが焦げる音がした。空気だったか、地面だったか。心臓が跳ねると同じくして、辺りが段々と暑く感じ始める。怒りと羞恥、後悔と怨嗟。自分の心の内が、そのまま熱量になって現れたかのように。

 ――いいや、現れているのだ。今まさに。

 二度も三度も、高い場所から見下ろしやがって。蹴落とした者を嘲笑い、自らの独善を犠牲によって叶えようとする。そんなことを、誰が許せるというのか。騙し、貶め、奪うことを、誰が良しとするというのか。

 皇帝? 国家? それを定めたものこそが絶対か?


「ふざけんなよ……!」


 偽りを罵られ、笑われる筋合いは貴様にはない。貴様こそ偽りによって上に立つ者だ。俺たちの関係は偽りでも、その中で築いたものは本物だったはずだ。それを貶されることは、何にも耐え難い侮辱だ。

 嗚呼、そうだ。長らく忘れていた熱だ。頭の中を真っ赤に染め上げるほどの激情。くすぶりかけていた種火に、ふいごの如く吹きかけてくる強いもの。固まりかけた思考を一気に赤熱させるほどの熱量が頭から全身へと運ばれる。

 そう。怒りだ。


「貴様ら、いい加減にしやがれェッ!」


 ついに全身を駆け巡る衝動が放たれた。

 怒気を孕んだ咆哮は宙を焼き、焦がすほどの吐息と変わる。目の奥からは火が灯り、噴火するかのように髪が天を衝く。わなわなと震える手を繋ぐ鉄枷はドロリと融解。背中に付けられた拘束具は不吉な軋みと不気味な音を立てて、螺子ねじが弾け飛んでいく。

 全て、全て。俺を縛り上げていたものが文字通り紅蓮の炎熱によって焼尽していく。

 かび臭かった地下も、いつの間にか乾き切った燻製のような匂いが立ち込めていた。


 これが俺が選ばれた力――『焔帝』たる力。

 魔法。あるいは世界においては「真理」と呼ばれる力だった。


 To be continued...

 

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