2.四年越しの再会

 ◆


 この世界において、「魔力」という概念が根強く生活に結びついている。

 世界の創造と同時に生まれ、大気中はおろか世界のありとあらゆる物質・生物に内在する「魔素」を、人類は自在に操れるように技術を発展させた。それが「魔術」。現在においてはその魔素を運用する「魔術」が確立され、人々の生活になくてはならないほどに普及している。


 しかし、この魔術が確立されるまで、人々の中で魔素を扱えるものは非常に限られた人間のみだけだった。魔素は本来全ての物質・生物に秘められたものであり、それを実際に確認できるようになったのはここ数百年においてようやく、といった形である。

 故に本来世界に存在している魔素を操れるのは「魔素に選ばれた者」のみであった。世界を象る魔素から選ばれる者は、生まれながらにして超自然的な現象を自らの意思で引き起こせる力「魔法」を持つとまで言われ、世界の「真理」としてこの世に君臨する。


 この世界の魔素には現在四種類の属性に分かれており、それぞれ火・水・風・地とあり、それら属性ごとに「真理」が存在する。

 火を生み、火炎を盛らせ、熱と光を統べる「焔帝」。

 水を汲み、冷気を走らせ、動と静を司る「凍姫」。

 風を読み、真空を裂かせ、有と無を侍らせる「嵐君」。

 地を駆り、黒鉄を興らせ、構造と軽重を操る「鉄皇」。


 彼らは一人一人自らを選んだ魔素を自在に操り、世界を満たす魔素の均衡を保つ役割を担っている。彼らの行動は人類などでは到底抑えることなど出来ず、また彼らを抑えることは世の均衡を乱すことに等しい。


 ――それこそ、天使の再臨を望まねばならぬ程の混沌が世に満ちることになるだろう。


 シリウス・E・マクスウェル 《魔素研究者》 聖黎歴1083年~1130年


 ◆

 

 カビ臭い地下牢への洞穴道から抜け出し、少しだけ広く明るい通路へと出た。整然とした石畳で組まれた通路は一本に伸び、壁にはまばらに松明が掲げられている。依然として辺りは暗いままだが、少なくとも新鮮な空気が頻繁に出入りしているらしく、カビ臭さは感じない程度に清潔な道だった。地下牢に連れてこられて時には気絶していたため、懐かしいとも新鮮とも言い難い感覚だ。

 しばらくの間微かに照らされる暗闇を眺めていたが、凛と聞こえた金属音が背後から聞こえた。振り向くと、地下牢への道へ繋がる扉が独りでに閉じ、ぴったりと壁に埋まるようにして消えた。この暗い道でこのような仕掛けであれば、傍目から見れば壁と同化して全く気づきもしないだろう。

 レオンの四年間は、とにかく激動の連続だったらしい。騎士学校に編入を済ませた後、後援もなく一人でやりくりしていた。時折周囲から支援をもらいながらも、何とか騎士隊入隊までにこぎつけ、現在では高位の騎士「特例組」への加入までもが認められるようになった。彼の四年間の苦労は、俺が牢獄に囚われていることよりも想像を遥かに超えるもののはず。本来ならば祝いと労いを込めて祝宴でも開くべきだと思うが、この状況では今すぐにとは叶わない。


「さて、兄さん。見せたいものがあるんです」


 扉だった壁の前に立つ騎士……レオンは、声を潜めながら呼びかけてきた。今更だが、幼い頃の姿しか覚えが無いだけに、成長したこいつの姿は嬉しいような物悲しいような、自分よりも背が高くなっていることが悔しいやら何やらで複雑な気持ちになる。ついてこい、という指示を暗に受けつつ、前を歩くレオンの後ろに付く。拘束具による体の痛みが続くが、時間が無いと言っていたこともあり休むことはあまり考えないようにした。

 しばらく無言のまま、ほの暗い道を進んでいく。聞こえるのは二人分の足音と、レオンの杖が鳴らす規則的で涼やかな金属音。どこに進んでいるのかは分からない。しかし段々と暗闇が濃くなっていくように感じるのを考えると、より深い地下へと潜っているのだろうかと推測する。拘束具のせいで、空気中の魔素の量を感じて多少なりとも現在地を探ることもままならない。黙々と歩き続けるレオンの背に痺れを切らし、つい口を開いてしまう。


「レオン。見せたいものっていうのは、一体何だ? いい加減教えてくれてもいいだろ」


 ただただ歩き続ける弟の背は、歩を止めることなく答える。


「この四年間、僕もあちこちを探し回って、ようやく見つけたものです」


 その言葉には、重い実感が篭っていた。俺とレオンとでは、同じ四年でも中身がまるきり違う。こいつはただ一人で、誰かに頼ることも出来ずに探し続けたもの。


「姉さんの、居場所です」

「見つけたのか、姉さんを!?」


 立ち止まることなく淡々と述べる事実に、俺は驚きを隠せなかった。かつて連れ去られた家族であり、俺たち兄弟においては何よりも守りたいと願った人。皇帝によって連行され、その後の行方は依然として知れなかった。地下牢で見たどの新聞でもその情報はどこにも無く、しかし生きていると信じながら――信じる他なかった――機を狙い続けていた。

 レオンの言葉に俺は食ってかかる。上手く動かない体で手を伸ばし、レオンの背中にしがみつき、すがりつくようにして問いただす。


「どこだ、姉さんは今どこに!」

「今、そこに向かっているんですよ。……さあ、着きましたよ」


 ようやく手にした情報に俺は焦燥に駆られるのに対して、レオンは落ち着き払って答える。落ち着きぶりから見るに、レオンは確証を持ってその情報にたどり着いたのだろう。しがみついた俺を半ば引きずるようにしながらレオンは歩を進めていたが、不意に自分が今までの通路とは違う、開けた場所を歩いていることに気づいた。足元は石畳のままだが、壁には灯りもなく、薄暗い闇が辺りに漂っている。目で壁を伝っていこうにも、しばらくすれば果ても見えない闇に隠されていた。

 しかし、えも言えぬ奇妙な雰囲気が部屋全体を満たしていた。レオンが着いたと言ったばかりだが、物音らしい物音も無く、誰かが居る様子も感じられない。不審に思いながら辺りを見渡している中、レオンはスタスタと闇の中を進んでいく。


「兄さんは、姉さんが何故捕らえられたのか、理由を知っていますか?」


 唐突に、レオンは質問を口にする。それは今まで話していたような平穏な口調に似ていたが、どこか険のある声音だった。レオンは普段穏やかな性格なだけに、不機嫌な感情を表に出すような人間ではない。違和感を覚えながらも、質問に対して俺は少ししてから首を横に振った。


「……俺は知らない。皇帝が何を目的に、姉さんを攫ったかなんて」

「嘘はやめてください。『焔帝』」


 その呼びかけに、俺ははっとする。レオンは最初から……牢獄に入っていた俺を呼ぶときに、その名で呼んでいた。


 その名は、幼い頃のレオンには教えていないにもかかわらず。


「アルト・アントヴォルト。これは、貴方の名前ですね。下町で暮らしていた頃に使っていた名前。僕たちが、家族として使っていた名前とは違うものだ」


 ゆっくりと、確認するように言葉を続けていくレオン。事実、俺やレオンが使っていた名前は四年前とは違っている。それもれっきとした理由があるが、レオンにだけは教えていなかった。その事実を知るのは、俺と姉さんのみのはずだった。


「ミーティス・アーラ。僕らが姉と慕っていた彼女の名前を借りて、僕らはそれぞれ『アルト・アーラ』『レオン・アーラ』として生きてきた。けれど、それは嘘だった」


 レオンは振り返らない。暗闇に目を向けたまま、立ち尽くしながら話を続ける。俺はただただ、レオンが語るに任せることしか出来なかった。


「僕らは、僕らには血の繋がりなんてない。まるっきりの赤の他人、孤児たちが身を寄せ合って、家族ごっこをしていたに過ぎない」


 冷たく言い放つレオンは、しかしそれでも、こちらを振り向かない。どんな表情なのか。どんな心情なのか。言葉だけでは、分からない。


「待て、レオン。確かに、お前に黙っていたことは事実だ。だが嘘を教えていた訳じゃ」

「言い訳なんてしないでください! ……悲しくなってきます」


 初めて、レオンの怒鳴り声を聞いた。暗闇の広がる部屋の中で、わんわんと反響していく声の余韻が残るほど、痛烈な叫びだった。

 あの日……レオンが騎士学校への編入試験へ出かけたあとの事件。あれは何も、俺だけが失ったわけじゃなかった。きっとレオンは、試験が終わり次第に家に帰ってきていたはずなのだ。俺が騎士隊に抵抗し、姉さんが逃げ惑った残骸のままの、俺たちが暮らしていた家に。その日に何もかもを失ったのは、レオンも同じだった。


「貴方は知っていたんです。彼女が攫われた理由を。それを知らないふりをして、僕を騙していた」

「騙してなんか……」

「いいえ、騙していた。その結果が、これです」


 突如、バンと盛大な破裂音を伴って強烈な閃光が走った。暗闇に慣れた目に光が刺さり、一瞬怯んで目を覆う。目が焼かれたかと思ったが、何とか眼の奥で星が瞬く程度。しばらくして薄く目を開けると、辺りが照らされていることに気づく。覆っていた顔を上げると、今まで暗闇に隠されていた部屋の全体がようやく見渡せた。しかし、それは俺にとって息を呑む光景に他ならなかった。

 知っている限りでは、到底知りえない場所だった。ある意味では異世界。ある意味では異次元。遥か未来の場所なのか、あるいは遥か昔の遺産なのか。それら全ては鉄で作られ、無機質な作りには魔術のような魔素の流れも感じられない。


「これは……」

「古代の遺産。現代では再現されない、旧時代の『機械』です」


 機械。牢での書物で読んだ記憶がある。世界各地で発掘される、遺跡とともに出土する古代の遺産。ざっと数千年前に使っていたとされる古代文明の存在。遥か昔における産物はその殆どが使用が難しいほどに劣化し、現代で稼働しているものは数少ないとされている。魔術による動作ではなく、幾重にも折り重なった機構によって動くそれは、通常一般には普及していないため、専門知識を持つ者たちが日夜研究と発掘を繰り返しているという。

 しかし、目の前にある機械は、その数を数えられるような規模ではなかった。壁のあちこちから大小さまざまな配線が伸び、幾つもの操作盤は目まぐるしく数値を変えている。この部屋全体が機械に埋め尽くされ、もはやここが機械の中であるかのように錯覚する。壁からの配線の先は円形になった部屋の中心へと伸びていき、一つの大きな筒状の構造物に繋がっていた。

 その構造物の中を見て、俺は目を見開いた。

 見紛うはずがない。例え何年も離れていようと、その姿を見間違うはずがなかった。


「――姉さん!!」


 揺蕩うように流れる亜麻色の髪は、記憶の中と寸分違うことない姿のまま。ただ記憶と違うことはといえば、体のあちこちに痛々しく食い込む鉄の錠だった。

 眠っているように瞼を閉じ、吊り下げられるようにして硝子の牢に閉じ込められた姉――ミーティス・アーラその人は、俺の呼びかけに応えることは無かった。


「あれは世界の創造主である『天使』、その末裔。彼女を手中に収めるべく、皇帝は騎士隊に勅令を出したのです」


 振り向いたレオンの目には、もはや鋭利な剣を思わせるような冷たさが宿っていた。


To Be Continued...

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