第4話振るう剣、流れる血

目の前には空に迫らんばかりの炎が風に煽られて大きく体を揺らす。揺らせば揺らすほど、火の粉を撒き散らす。その姿は怒り狂う鬼の姿のようだった。

そこから視点を下ろすと絵画などで見る西洋の石造りをベースとした見慣れない建物ばかりの街並みがそこにあった。しかし優雅なあの風景はどこにもなく、ある建物は粉々に砕け散り、それなりに舗装された道路を塞ぐように残骸が転がっている、あるいは建物自体の形は保っているものの、天井が炎で包まれていたり、塗料をぶちまけたように、壁が所々赤くなっている建物もあった。街が街でなかった。そして何か肉が焦げるような嫌な匂いを漂ってきている。

空も黒煙に覆われて太陽すらどこにあるのかわからない。建物から出ている炎がそんな闇中の変わり果てた街を照らす。

そこに立っている自分、手には皮の薄い手袋、服は藍色の布で出来た動きやすいロングシャツとジーパンのような白の厚手のズボン、腰には太いベルトが巻かれていてそれに挟まれて短めの剣があった。装飾などは一切なく柄から曇り一つない輝きを暗い中煌めかせる。

なんだこれは?

目の前の光景と自分の姿が一体なんなのか、理解できなかった。

「僕は馬に乗って、それで...。」

目覚めてからの経緯を思い出そうと記憶の箪笥を引き出す。馬に乗った僕は城に無事着いたはいいが下ばかり見ていて前を向いていないものだから酔ってしまって、それで...、だめだ話が繋がらない。頭を抱えてもう一度整理しようとしたその時、突如悲鳴が聞こえた。甲高い女性の悲鳴。声色からかなり折半詰まっていることが理解できる。

声の方に顔を向けると数メートル先に若い女性が剣を持った兵士に追いかけられ視界を横切ろうとしていた。美しい白色の髪は乱れ、女性の橙色の服は煤で汚れていて靴も片方しか履いていない、足からも出血して痛々しく走っていた。対する兵士は全身鎖帷子の鎧に身を包みフラフラと酔っ払いのように危なげな足取りで女性を追っていた。

助けないと、今から女性があの兵士に何をされるかなんて大体想像がつく。

女性と兵士を追って走り出す。幸いにも両方それほど早くなく、高校生の平均的50mタイムである僕でなんとか兵士が女性に追いつくまでに追いつくことが出来そうだ。その背中はぐんぐんと近づいていく、が、近づいていくにつれ腐乱臭が強くなっていく。兵士の肩に手がとどく範囲まで近づくと、胃の中の物が戻ってきてしまいそうな不愉快さを人に与えるまで匂う。

曲がり角を曲がると女性が止まっていた、目の前には建物の残骸が道を防いでいたからだ。かなり大きい建物が崩れたのか4.5mほどの高さはありそうだ。

女性は残骸の山を何度か登ろうと手をかけるが、途中で落ちてしまう。ジリジリと迫る兵士。とうとう残骸の前でへたり込み、肩で息をしながら足を曲げて手で脛のあたりを押さえていた。足の方が限界でもあったらしい。兵士は人の声帯から発せられるとは思えないほどの低音で何かを呟きながら少しずつ近づいていく。

「そこの人!なんで女性を追いかけるんですか!やめてください」

近づいていく兵士の背中に思いっきり怒鳴った。兵士は一瞬声に反応して止まったが、また足を進めた。

聞く耳はないらしい、なら。

兵士を抜いて女性の前に立ちふさがる、これで嫌でも話を聞いてもらえると考えたからだ。

目の前の兵士は止まる、街を焼く炎に照らされて正面からはっきりと全身が見えた。ゾンビ、が1番しっくりとくる表現だと思う、左目にはぽっかりと穴が空いていて、辛うじて右目は眼孔に収まっているものの、茶色の光彩に光はなく海に沈んでいるように下一点を見つめていた。顔の肉も黄緑に変色し、唇の色も黒かった。

「なに..これ」

人の形をした化け物がそこにいた。

見てはいけないもの、恐怖そのものがそこにあった。

足が震える、前にも後ろにも動くことができなくなった。心臓が酸素を欲しがり息が荒くなる、心拍数がどんどん上がる。

がちゃ、がちゃ

鎖帷子の鎧を鳴らして、化け物は一歩ずつこちらに歩き出す。乱れる体を鎮めようと深く息を吸ってから、鞘に収められた剣の柄に手をかける。戦うことなんてできないけど、なんとか追い払えはできるはずだ。ジリジリと迫る化け物は剣を持つ手をだんだんと高くあげると、刀身を赤く染めた剣が鈍く光る。

何人か既に斬りつけたのか、この化け物は...嫌でも目につく鮮血の赤。きっと、機械のように無慈悲に残虐に血を降らしていたんだ。僕も同じように斬られるのか?斬られたらどれほど痛いことか、想像もできない底知れぬ「痛み」が僕を少しずつ後ろにも下がらせた。焦りと恐怖から呼吸がどんどんと乱れる、もう深呼吸なんてしてられない。

そのまま一定の間合いを取り続け向き合ったまま下がり続けていたが背中のゴツゴツとした硬いものにそれ以上の後退を阻まれた。残骸だ、もう逃げ場はない。

右の女性は先ほどから変わらず俯いて足を押さえている。手からは血が溢れて地面に小さな水溜りを作っていた、既に危機的状況を迎えていたのは明白だった。このまま血が出続けていても出血多量、血が止まっても適切な処置しなければ衰弱していってしまう。焦燥感に駆られながらも考える。女性を見捨てて逃げ出すことも可能だ、あの化け物は足はそれほど速くない、全力疾走すれば逃げられるのは先ほどで把握済みだ。だけど、この場面をどうにかすることのできる人間は僕だけなのだ。だったら、やるしかない。腹を括るしかない。男だったら、守るしかない。

「こいよ、ゾンビ野郎...!」

震えた声で挑発し、手をかけていた柄を一気に引き抜く。穢れを知らない純真な輝きはダイヤモンドのように美麗な刀身、要は初めて見る僕でもわかる新品だった。長さは少々短く一の腕と手を合わせたほどの長さだろうか?短剣と言うには長すぎる、剣と言うには短い、中途半端な刃渡りだが太さはあり人差し指ほどの横幅がある。

剣を握っているとなんだか妙な事に気づく。あまりにもフィットし過ぎている、まるで最初から僕のために作られたように計算して作られたかのようだった、柄の太さ、重さ、刀身の長さと全て合っていた。

短いとは言ったがそれほど体格の大きくない僕にとってこれくらいの大きさのものが振るいやすいのだ。気持ちの悪いくらいのフィット感に違和感を感じつつも、剣道のように両手で剣を持って剣先を化け物に向ける。

間合いがどんどんと縮まっていく、高く上げられた剣がいつ振るわれるか、その前にこちらから先に仕掛けるか。

今迫られている選択肢は数あるがどれか正解を選ばなくてはいけない、もし間違えれば後悔の時間すらないのかもしれない。死んだことすらわからずに死ぬのかもしれない。もしかして正解は一つもないのかもしれない。

考えればどんどんと汗が吹き出るがそれを拭うことすら許されない緊張感。もっともあちらは「緊張」を感じているのか甚だ疑問を感じるほど足を止めることなくゆっくりと近づいて来る。

約3m内、もう既に互いに斬りつけられる間合いには入った。来るか、やや腰を落として身構える。

「おぉぉぉぉぉ」

辛うじて聞き取れた「お」の発音、潰れた声帯でなくては出せないような低い叫びを発して剣を振り下ろしてきた。僕の脳天へ目掛けて一気に、力任せに。刀ではなく剣なので両刃、刃はどちら側にもついている。日本刀のように安易に攻撃を防ごうものならこちらにもダメージはくる。ましてや素人、剣の扱い方すら知らないなら...。体を翻して振り下ろされた剣を躱し、左には回りこむ。動作が大きいのでなんとこ交わすことができた。化け物は剣の重みに振り回されて片膝をつく。

隙ができた、これなら僕でもいけるかもしれない。鎧で覆われた所には突き刺せない、なら剥き出しの首を狙うしかない。化け物は剣を持ち直してこちらを向く、今しかない。剣を首目掛けて一気に突き出す。しかし化け物とはいえ人を刺す罪悪感が躊躇させたのか浅く横を掠めるだけとなった。斬りつけた首元からどす黒い石油のような液体が鎧を伝い地に落ちてゆく。

「おぉぉぉぉぉ!」

化け物は吠えながら、突き出した剣を慌てて引っ込めようとした僕に突進してきた。鉄の鎧との正面衝突を全身で漏らすことなく受け止めてしまう。ふわっと少し宙に浮いたと思った矢先、背中に痛みが広がる。残骸に叩きつけられたようだ、頭を強く打ってしまい意識が朦朧とする、背中に伝う液体から頭から出血したのかもしれない。肺の空気を全て持って行かれたかと思ったほどの衝撃に声がでない。口の中は切ったのか鉄の味が広がる。

痛みがどんどんと脳に伝わり身体中に痛みが走る。残骸にもたれててはダメだ、そう思っても足が言うことを聞かない。剣も突進された時手放したようだ。突進ひとつでこの有様。本当に現代のもやしっ子だな。

「ぉおぉ..お」

この状況でそんな皮肉がだせるのか、今から死ぬかもしれないのに、もう既に目の前に化け物がいるのに。

「処刑人」は剣を振り上げた。あの剣についている鮮血の一滴となるのか。怖いという感情はもうわかなかった、目の前の死をあっさりと受け入れていて、なんだがよくわからないうちに死ぬことすら自分は受け入れた。何も、なんなのかもわからないまま

「おぉぉ..」

一歩踏み出して振り下ろす態勢に入る、終わりだ、目を伏せて最後を待つ。死ぬ直前は走馬灯と呼ばれる今まで歩んできた人生が頭の中で駆け巡ることがあるらしいが僕にはなかった、その代わり殺されるまでの時間がとても長く感じられた。とてもとても長く、辛くなるほど

「え?」

どれほど過ぎたか、あまりに長すぎるので思わず顔を上げる。そこには地で駄々っ子のように寝転がり悶え苦しむ化け物がいた。

「おぉぉぉぉぉ!おぉぉぉぉぉ!」

何か救いを求めるようにあらゆう方向に手を伸ばして、足で何かを蹴るようにばたつかせて叫びながら。

「なんなんだよこれ」

突然の出来事に呆気に取られた。女性もその姿をただ見ていた。すると異変が起きた、化け物の全身から鎧の隙間を通して何か液体が出てくる。それは先ほど見たドロドロとした石油のような液体だった。それがどんどんと水溜りを作るまで出てくると化け物は次第に水に溺れた蟻のように動かなくなっていった。

助かったのか?取り敢えず「無事」ではないが無事に生きていることは理解できた。だがやはり「無事」ではなかった。

「この力は...勇者様!勇者様だいじょうぶですか?」

女性の声が聞こえてきたが、意識がフェードアウトしていく。瞼も重くなり、やがてその重みに沈んだ。



知らない天井。知らない背中のモフモフ。目を開けると仰向けに横たわっていた。ああ、寝ていたのか。少し額がねっとりする、どうやら寝ている間に冷や汗が出ていたようだ、腕で乱暴に拭う。

上半身を起こすとまず見えたのがダブルサイズはありそうなベッド、それを贅沢にも1人で使っていたらしい。布団も触ると高そうな匂いを出しながら反発してきた。部屋は豪華だ、って言えば終わりそうなほどあっさりとしていて華美だ。

ベッドからみえる白の壁には1人の男が剣を右手で掲げている大きな絵が飾られている。その下には箪笥など家具類が並べられていた。

取り敢えず横からベッドを降りる。何も履いてなかったので床のサラサラなカーペットの感触が直に感じられる。

「なんだあれ?」

ベッドは入り口から対照の隅に置かれていたがそこから部屋の中央の方に不自然に長机がぽつんと置かれていた。椅子などなく何か上に置いてあるようだ。

ぼんやりとした意識の中そこに近づく。茶色の机の上にはご丁寧にきっちりと折りたたまれた青いシャツと白の少しゴワゴワしたズボンと一本の剣が横一列に並べられていた。あれ、これどこかで見たような...。思い出した、間違いない、これはあの時僕が着ていた服だ。するとさきほど体験した出来事がフラッシュバックする。血の味、痛み、腐乱臭、女性の悲鳴、化け物。ということはあれは夢か?夢だったのか?

夢にしてはあまりに現実的であった。五感のすべてが夢だったことを否定する。しかし寝ていたのは事実。だからこれは夢だ。そうゆうことにしておく。

「今はこれを調べるしかないな」

目の前に並べられた物をじっくり見てみる。シャツやズボンは綺麗な新品だったが剣だけは違い夢の中で見た時よりも薄汚れていた。柄はあの時ほどの輝きはなく所々の色は変色していた。抜いて刀身も見てみようと思ったが何故か抜けなかった、鍔から伸びている紐が鞘に括り付けられている、どうやら縛っているらしい。仕方ないので鞘の方に目を移す、鞘はじっくり見ていなかっので見てみることにした。焦げ茶色の鞘はかなり汚れていて少々臭う。手で少し鞘を払うと元の色が見えた。どうやらもっと明るい色だったらしい。

裏返すと何か黒い見慣れた文字が縦書きされていた。手でそこをこするとはっきりと見えてくる。

そこには「勇者の剣」と書かれていた。

...ださい、なんだこれ

あの時輝く剣は、もうどこにもなかった。

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