かばんちゃんはなんのどうぶつ?――『けものフレンズ』における「問いかけ」と超越的視点をめぐって(未完)
市毛耕仁
(まだ書き終わって)ないです
二〇一七年一月、『けものフレンズ』(テレビ東京他)は放送を開始した。はじめは評判が芳しくはなかったものの、放送を重ねるごとに人気は上昇し、ついにニコニコ動画で公開されている第一話は三三〇万再生を突破した(二〇一七年三月十九日現在)。関連する書籍やCDなどのメディアミックス作品の売れ行きも好調だ。「かばんちゃん」や「サーバル」などを描いたファンアート、オープニングテーマ「ようこそジャパリパークへ」(作詞・作曲・編曲:大石昌良、歌:どうぶつビスケッツ×PPP)とエンディングテーマ「ぼくのふれんど」(作詞・作曲・歌:みゆはん、編曲:R_Men_Soul)をアレンジした楽曲、そして、『けものフレンズ』の動画に他の著作物を混合した「MAD動画」はニコニコ動画を中心に大量に投稿されている。まさに押しも押されもせぬ「覇権アニメ」としてその地位を不動のものとしたといえるだろう。
しかし、「覇権アニメ」と呼ばれる作品でも、アニメ以外の、例えば小説、マンガ、ゲームなど他のプラットフォームでも同時にメディアミックスをおこなう戦略が昨今の基本である。メディアミックスによる相互作用で人気や知名度を高め、コンテンツ全体で「覇権」を握ることに成功した典型といえるのが『涼宮ハルヒの憂鬱』(〔角川スニーカー文庫〕、角川書店、二〇〇三―)である。「原作の人気が盛り上がる以前からすでに、制作サイドによるコミカライズやアニメ化の企画が動いていた」(飯倉義之、二〇一七)という点で革新的であり、以降これを手本としたメディアミックスが量産されてきた。一方で『けものフレンズ』はこのセオリーを一部踏襲しない。ゲームアプリ版の終了後にアニメが放送を開始し、こともあろうにアニメの先行試写会の日にゲームアプリ版のサービスが終了するという具合だ。さらにKADOKAWAコミックス編集部編集長梶井斉とアニメ制作会社ヤオロズのプロデューサー福原慶匡がインタビューにおいて「ビジネスはあまり考えていなかった」という趣旨の発現をするな
本稿では、アニメ化をきっかけとして一大コンテンツへと大化けした『けものフレンズ』について、アニメ版の物語の進行と主人公たちの動機、そして視聴者がどのように鑑賞してきたかを考察し、ブームとなった理由を探りたい。
随分と大見得を切ってしまったが、私は視覚文化や文学を専攻しているわけではない。はっきりと言ってしまえば理学部生物学科の学生である。「しんざきおにいさ
また、執筆時点でストーリーは第十話まで放送されており、残り二話を鑑賞することはできない。全話を観たうえでエッセイを書くべきであろうが、〆切の都合がある。どうかご容赦いただきたい。
では、法螺話を一席。
かばんちゃんの「自分探し」――第一話を中心に
『けものフレンズ』全体の世界観を確認するために公式サイト(http://kemono-friends.jp)の「けものフレンズって?」のコーナーより「ストーリー」の部分を引用する。
この世界のどこかにつくられた超巨大総合動物園「ジャパリパーク」。
ある日の現象をきっかけに、動物達は次々と「アニマルガール」へと変身。
「セルリアン」と「サンドスター」――そのふたつの不思議な現象を調べる間 にもアニマルガールの仲間は続々と増えていき、ジャパリパークの新たな主と して、にぎやかに暮らしはじめたのでした。
ヒトの姿をしたキュートな〈アニマルガール〉
サーバルやキタキツネ、コアラやライオン、トキやハクトウワシ、コウテイペ ンギンやシロナガスクジラなど、おなじみの動物から珍しい動物まで多種多 様!
超巨大総合動物園〈ジャパリパーク〉
海底噴火で誕生した島をまるごと敷地とし、世界中の動物を集めることを目的 に造られた巨大施設。
一般公開用の動物遊園地「ジャパリパーク」と、研究・飼育を行う動物管理区 域「ジャパリパーク・サファリ」二つのエリアで構成されています。
「超巨大総合動物園ジャパリパーク」という世界観の外枠、「アニマルガール」と呼ばれるジャパリパークの主役たち、「セルリアン」と「サンドスター」は物語のなかで言及される謎。これらを共通の要素として、各種媒体と通して『けものフレンズ』が展開される。
ここでひとつ押さえておきたいのは、ジャパリパークに暮らすアニマルガールたちは「ある日の現象」を境に動物からヒトへと変身したという点に関してである。動物からヒトへの変身というモチーフは太古の神話から現代のファンタジィ―に至るまで何度も何度も繰り返されてきた。ある種の「王道」だ。さらに、『けものフレンズ』においてこの設定は文字通り「動物の擬人化」を意味する。この変身を通じて生み出されるキャラクターは「耳やしっぽといった特徴で差異を強調するが知性、行動様式そして意思疎通において人間と変わらない、表面的な半人半獣」ではなく、「擬人化のセオリーを踏襲しつつ、動物的側面を強調し、あたかも動物を観察しているかのように錯覚させる存在」なのだ。後述するが、アニマルガールが精神的に動物であったころの影響を受けていることがアニメ版『けものフレンズ』の前半において必要不可欠な要素になっているのである。
ただ、登場するフレンズたちの動物的特徴は恣意的に強調されている面は否めない。それでも、動物を擬人化することに単なる「萌え」以上の価値を与えようとしたプロジェクトチームの努力と、フレンズの原型となった動物の細かい動きまで尊重し、アニメに取り入れたたつき監督の熱意を私は高く評価したい。
個人的な推測の域を出ないが、仮にフレンズたちが「動物風の衣装を着た女の子」程度のキャラクターとして描かれ、「こういうのがお好きなんでしょう?」みたいに媚びを売ってきていたら、数か月で消費され、忘れられていくコンテンツとなっていたであろう。なんというか、「意図」が透けて見えるような作品を受け手が嫌っているような雰囲気がある、気がするのだがどうだろうか?
では、アニメ版『けものフレンズ』第一話において、どのようにストーリーが展開してきたかを見ていきたい。
ある日のジャパリパークの「さばんなちほー」、木の上で休息していたサーバルは草原で迷子を見つける。その迷子は出自も名前もわからないという。サーバルは迷子が大きなかばんを背負っていたことから「かばんちゃん」と名付ける。二人はかばんちゃんの正体を知るために「図書館」へと向かうことになる――。
まず、第一話は視聴者への『けものフレンズ』という世界観の説明と、主人公たちの旅の始まりというオーソドックスな構成をとっている。この第一話のなかで、視聴者は「ジャパリパーク」という世界のなかでは「サンドスター」によって「フレンズ(アニマルガール)」が生まれ、フレンズたちを脅かす存在として「セルリアン」が存在することを知る。一方で、かばんちゃんがサーバルの頭頂部についた耳(いわゆる猫耳)と尻尾について疑問を持つと、逆に「どうして? 何か珍しい?」、「あなたこそ耳と尻尾のないフレンズ? 珍しいね」と返される。しかし、視聴者にとって、かばんちゃんの容姿はどう見ても「ヒト」である。ここで視聴者は「猫耳と尻尾が生えた女の子」と「探検家風の格好をしたヒトの子供」の「珍しさ」が逆転することによる揺さぶりをかけられ
サバンナの道中では、まずヒトの身体能力の短所を提示される。ヒト(かばんちゃん)の「自明」と動物(サーバル)の「自明」の差異を描くことにより、視聴者は、「ヒト」の身体的に弱い部分を再認識させられる。例えば、高い崖に出くわした場面では、サーバルは軽々とジャンプして降りられるが、かばんちゃんは少しずつしか降りられない。川を超える場面では、サーバルは岩を足掛かりに飛んで渡れるが、かばんちゃんは川に落ちてしまう。ここではヒトの身体能力の短所がクローズアップされ、かばんちゃんは「僕って相当ダメな動物だったんですね」と落ち込む。さらに途中で出会ったカバから投げかけられた質問は、視聴者(ヒト)にとってはあまりにも「自明」であるがゆえに「ネタ」にされているが、かばんちゃんにとっては他の動物よりも「劣っている」と強く意識せざるを得ないものであった。
カバ「あなた、泳げまして?」
かばん「いえ」
カバ「空は飛べるんですの?」
かばん「いえ」
カバ「じゃあ、足が速いとか?」
かばん「いえ」
カバ「あなた何にもできないのね」
可哀そうなかばんちゃん、しかしかばんちゃんの長所もまた徐々に明らかになる。カバと出合う少し前、木陰で休憩する時にサーバルは「あれ? かばんちゃんハァハァしないんだね? それにもう元気になっている」と指摘する。これはヒトの体温調節と長距離移動の能力に言及したものだが、サーバルにはない特徴だ。さらに「さばんなちほー」の出口付近でかばんちゃんは、透明なプラスチック(と思われる)の箱にジャパリパークの地図が入っていることに気が付くが、サーバルは気づかず、箱の開け方もわからなかった。ここでは、ヒトを含めた一部の霊長類が持つ、高度な論理的思考に基づく行動が描かれる。箱を開けるというのは単純な作業のように思われるが、試行錯誤をほとんど行わずに成功できるのはヒトならではの能力と言えよう。
そして、第一話のクライマックスである巨大なセルリアンとの戦闘で、かばんちゃんはヒトの能力を最大限に発揮する。サーバルはセルリアンが巨大すぎて、後背部にある弱点の石を攻撃することができない。そこでかばんちゃんは紙飛行機を作ることによってセルリアンの注意を引きつけ、サーバルに攻撃の機会を与えることに成功した。セルリアンを退治したサーバルとかばんちゃんのやりとりは面白い。サーバルは「紙飛行機」と「紙飛行機をつくった」ことに強い興味を示す。動物としてのサーバルは言うまでもなく「紙飛行機」を「知らない」し、「道具を作る」ということもできない。「なにあれー!」、「つくったー⁉」とあたかも稚い子供のように、サーバルはかばんちゃんに惜しみない称賛を与える。かばんちゃんの能力、ひいては「ヒト」の能力に驚嘆と尊敬を抱くサーバルに接するうちに、視聴者のなかには自己存在が肯定されているような気分になった者も少なからずいるのではないだろうか。(私です)。実際、前述のインタビューで福原は「サーバルちゃんは全肯定してくれるキャラクターだけど、あれはサーバルちゃん自身が本当にそう思ってて、クチに出してるだけなんです。(中略)それがいまのアニメファンに受け入れられた現象を考えると……みんな疲れてるのかなぁ? と思いますね」と語る。我々にとっての「自明」を「すごーい!」と言ってもらえる経験は、特別な何かを求められることに疲れた現代人に癒しを与えたのかもしれない。
「ヒト」無き島のかばんちゃん――SNSで語ろう、凄絶にな!
「ヒト」という存在がいない世界において、かばんちゃんは「自分は何者か?」という問いに答えようとする。一方で、「かばんちゃんは何者か?」という視聴者への問いかけもなされているが、それは少なからず屈折したものとなっている。第一話において、かばんちゃんの「ヒト」的特徴は、意図的に選択され示唆されてきた。この示唆により視聴者は「かばんちゃんはヒトであろう」と推察せざるを得ない。ここから視聴者は「考察」や「深読み」という行為に誘惑される。例えば「かばんちゃんはヒトであるのは確定的に明らかであるが、果たしてヒトそのものなのか、それともヒトのフレンズなのか」というふうに。
かばんちゃんとサーバルが解決しようとする問題と、視聴者が考察する謎は第一話の時点ですでに異なっている。異なっているがゆえに、後に視聴者のなかから「考察班」と呼ばれる人々が出現した(正確には第二話から第四話にかけて急激に増加したとみられ
『けものフレンズ』には主人公たちが「無視」している謎があまりにも多すぎる。視聴者は「なんで施設が廃墟のようになっているの?」「なんでヒトがいないの?」等々の疑問が主人公たちによって共有されないとわかると自ら謎解きを始め、「考察班」となる。そして情報を求めた考察班がSNSというプラットフォームに集合し、加熱した議論がついに危険な領域に突入するにいたって、アニメを観ていなかった人々も興味を持つようになる。SNSの拡散性は爆発的であり、いったん火が着くと隅々にまで広がる。「ボケるけど突っ込まない流れにしておけば、必然的にお客さんが突っ込むしかなくなります」とは前述のインタビューにおける福原の発言であるが、SNS時代におけるアニメ鑑賞は「体験を共有」し「盛り上がる」ことにより重点が置かれているのかもしれない。
ちなみに、かくいう私もツイッターで「けものフレンズというアニメが面白い」という情報を知り、見始めたクチである。それまで、今期のアニメ自体ほとんど注目していなかった。SNS恐るべし……。
娘を見守る視点から――ただしサーバルちゃんは聖母
視聴者の視点は、主人公(かばんちゃん)の視点とともにあるわけでないことを確認しておこう。『けものフレンズ』はある種のファンタジーやライトノベルのように「主人公への共感」を訴えかけない。「主人公を見守る神の視点」、つまり「超越的視点」から視聴者はジャパリパークを慈しむ。この視点にたってアニメが制作されたことがプロジェクトチームへのインタビューからもうかがえる。
福原:僕は放送前から希望していたのは、「アイカツおじさん」みたいな存在 です。『アイカツ!』は子供向けなので4クールとか長い期間放送しま す。物語が進んでも、誰かが急に殺されたりしない。ひどいことも起こ らない、ずーっと平和な世界が続いてるんです。視聴者は娘を見守って いるかのような、ほんわかした感じになれる作品です。
――ニチアサにそんな衝撃的なストーリはありえませんね。
福原:あの感じを出せたら、大人も子供も楽しめるアニメになれるんだろうな と感じたんです。
そして監督である、たつきは「個人的に「けものフレンズ」は劇薬のようなものを排除した作品だと思っているんです。異物がいきなり登場したり、誰かの死を描くような作品ではな
一歩引いた視点に立って鑑賞するアニメやマンガにはどういうものがあるだろうかと考えたとき、ひとつの答えとして「日常系」というジャンルが思い浮かぶ。登場人物たちが何気ない「日常」を明るく楽しく生活し、時にはジョークを交え、時にはちょっとしたトラブルに巻き込まれ、……という基本骨子を持つ一連の作品群。『けものフレンズ』も基本的に「日常系」のほのぼのとした雰囲気に包まれているものの、各所に配置された「謎」や、そもそも主人公の二人組による「ロードムービー」という側面もあり、厳密には「日常系」ではない。『がっこうぐらし!』(原作:海法紀光、作画:千葉サドル、芳文社、二〇一二―)のような不穏な雰囲気も少なからず感じられる。
ここまで書いていて、ふと、自分が「日常系」に関して、ほとんど知らないことに気づいた。『けいおん!』や『ご注文はうさぎですか?』(Koⅰ、芳文社、二〇一一―)もあまり鑑賞してないし、『涼宮ハルヒの憂鬱』は気づいたら巻数を重ねており、読む気力を失ってしまった。「日常系」に関しては正直あれこれ言う資格はないのでここらへんで失敬……。
しかし、作中においてはかばんちゃんの成長も描かれるので「ビルドゥングス・ロマン」の要素もあり、記憶喪失者による「自分探し」の要素もあり、日本のアニメの系統樹において最終的にどこに置かれるかは、本当に興味深いところである。
おわらないけどおわりに――疲れた
ええ、終わってないんすよ、まだ。いやアニメの方じゃなくて、あー、アニメもそうだけどさ、私のエッセイのほうね。いや、もうちょっとマシなこと書けるかと思ったんだけどさ。是非もないネ。十話までの情報で書こうとしてたら、十一話放送されるし、なんかヤバイってハナシじゃないですか? まだ見てないんすよ。ああ、どうなるんでしょうねぇ。私、気になります。
本当だったらまだまだ書くべきことがあるんですが、どうにもまだ纏まりません。第二話以降のこととか、第六話と第七話において物語の方向が大きく変わったこととか、たくさんあるんです。ごめんなさい。バランスが悪いんのは百も承知ですが、サークルの新歓号に載せたいあまりここで一旦区切って、続きは夏に掲載して……そう連載です! 連載にすればいいんです……すいません。厚かましくてすいません。
とにかく『けものフレンズ』は面白いよ。とにかく観てみよう。
今日からキミもフレンズだ!
(注)
(1)ちなみに実在のある動物園(本当に名前を忘れてしまった)には、入園者が実際に展示用の檻に入り、動物側の視点を経験することができるという面白いコーナーがある。さらにその檻の前には動物としての「ヒト」の説明板があり、入園者に「ヒトとは何か?」について考えるよう迫ってくる。
(1)webサイト「animate Times」において掲載された「話題沸騰中の『けものフレンズ』、プロジェクトチームに初インタビュー! 誕生秘話からブーム到来までの歴史など「すごーい!」の連続3万字の大ボリューム」
(〔http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395〕[2017年3月18日アクセス]) を参照。
(2)アニメ『けものフレンズ』第一話の幕間にサーバルの生態を解説した多摩動物公園に勤める飼育員。ファンの間ではカルト的人気を誇る。
(3)ちなみに実在のある動物園(本当に名前を忘れて
しまった)には、入園者が実際に展示用の檻に入り、動物側の視点を経験することができるという面白いコーナーがある。さらにその檻の前には動物としての「ヒト」の説明板があり、入園者に「ヒトとは何か?」について考えるよう迫ってくる。
(4)(1)より、梶井の発言「第二話で話題にしてもらって、第三話から火種が大きくなり、さらに第四話で爆発しました。それまで五千~六千人だったフォロワー数が、毎日千人くらいずつ増えていきました」を参考。(なお、引用にあたり数字を漢数字へと変更した)
(5)(1)において参考URLを記載したインタビューおよびWebNewtypeに掲載された、たつきへのインタビュー「「けものフレンズ」は新しいジャンルのアニメ? たつき監督インタビュー」
(〔https://webnewtype.com/report/article/100521/〕)[2017年3月18日アクセス])」を参考した。
かばんちゃんはなんのどうぶつ?――『けものフレンズ』における「問いかけ」と超越的視点をめぐって(未完) 市毛耕仁 @IchiRyo
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