第20話




 領主会議の日程が近づき、モヒートの指示で防壁の上に簡易歩廊が作られ、新しく作られた巡回警備の仕事に就いた少年たちが警鐘を持って夜通し歩廊を歩き始めたある晩。


 モヒートは領主会議に参加するメンバーと共に、会議室――と名付けられた砦の粗末な一室で事前会議を行っていた。会場となる街までの移動手段、人員、護衛、手に入れたい物資、種銭となる食糧の選別とその量等々、決めておかなければならないことは多い


「――以上が、アクマリアの生活水準を新しい取り決めに沿って維持するために必要な物資になります」


 粗末な会議室にいるのはモヒート、ルイザ、ライデン、それと新しい防衛隊長のヘッケルに、実質的にアクマリアの物資・物財を管理している実務担当官のカーライルの五人だ。


「多いわね……」

「はい、現在の食糧配給量を維持するには農地の拡大が必要です。ですが――」

「バストラルがいなければ防壁を伸ばすことは出来ないわ~ン」

「旧警備隊及び親衛隊の人員を防衛隊に配属したが、防壁外の農地を監視するには人員が足りてない」


 会議は五人で行っているが、実際に話しているのはテーブルを囲んでいるライデンとヘッケル、カーライルの三人だ。モヒートは壁際に置いた椅子に座り、腕を組んで静かに話を聞いていた。

 ルイザもモヒートの横に椅子を並べて座り、度々内緒話をするようにモヒートに耳打ちをしていた。


 その様子はヘッケルとカーライルにも見えているのだが、二人は会話に参加しないモヒートとルイザのことを半ば無視していた。


 あの日、モヒートがバストラルを倒したことを知る者は意外と少ない。地下貯蔵庫でモヒートとバストラルが対峙したことを知っている元警備隊員たちは、後のアクマリア運営に影響が出ないよう、バストラルを倒したのはライデンだということにしてある。

 特にスラムに住んでいた老人、農地で重労働を強いられていた少年たち、果樹園で働いていた女たちなど、砦の外の住人はほとんど知らない。


 ヘッケルとカーライルはその事実を話に聞いているだけで、実際に現場は見ていない。二人ともそれを話半分で認識し、ルイザと共に二人で――もしくはライデンも含めた三人でバストラルを排除し、アクマリアの実権を手に入れたと考えていた。

 バストラルと言う騎士ライダーは、その強さをそれだけ評価されていたのだ。


 バストラルと騎士ライダーが一対一で戦い、圧倒的な勝利を収めたなどと、到底信じられるはずもない。だが、結局のところ誰が支配者になろうと関係はない。自分たちが生きる糧を得て、暴威から守ってくれる力があればそれでいい。


 それに加え、理由は知らぬが街の実権を知った仲であるライデンに譲り渡し、自分は何をするわけでもなくフラフラと視察と言う名の逢引に耽ってばかり、そんな役に立つのかどうかも判らない男よりも、現実的に実権を握ったライデンと連携を密にする方がいい。


 ヘッケルとカーライルだけではなく、砦で働く殆どの者がそう考えていた。


 そんな周囲の思惑などつゆ知らず、ルイザはモヒートが話を理解できているのかを心配して、細かく物資の説明などをしていた――のだが。


「モヒート様、起きてください」


 モヒートは事前打ち合わせそっちのけで、夕食後の満腹感から来る眠気に完敗していた。


「ん……もう終わったのか?」

「まだです……ですが、大枠は決まったようなので、後は――」

 

 ルイザが眠たそうに眼を擦るモヒートに耳打ちをしていると――。

 

「ちょっとモヒート! 貴方もいい加減打ち合わせに参加してちょーだい!」


 ライデンはアクマリアで必要になる物資を書き出した紙をヒラヒラと揺らし、少し呆れたようにモヒートとルイザのことを見ていた。


「おいおいライデン、俺はお前の代わりに領主会議出るとは言ったが、お前の代わりに働くとは言ってねぇぞ」

「モヒート卿、あなたには地下貯蔵庫へ会議出席中分の食糧を戻して頂きたいのと、その幻装騎兵エクティスの能力であとどれほどの物資を収納できるのですか? それと確認ですが、食糧は本当に腐ったり傷んだりしないのですね? あともう一つ、あの赤い外部召喚型の幻装騎兵エクティスで荷車を引くことは可能ですか?」


 モヒートの返答を無視し、質問を畳みかけるのはカーライルだ。生真面目そうな性格を象徴するように、頭部の中央で綺麗に分けられた白髪交じりの髪を手で整えながら、書類とモヒートの間で視線を動かしていた。


「留守中の食糧は出発までに出しておく。収納限界については正直言って俺にもわからねぇ。まだ時間はあるから、適当な資材で実験してもいいかもしれねぇな。それに、収納中の食糧が腐らねぇのは間違いねぇ、生肉や傷みやすい果実で確認済みだ。それとだ! 俺のアリオンは荷車を引く牛じゃぁない。出来る出来ない関係なく、お断りだ」


 バストラルと戦った地下貯蔵庫にあった食糧は、モヒートの体内に収納されたまま、のちの交渉材料として利用された。それはライデンが街の実権を握る材料となり、バストラルと繋がりの深かった部下たちを抑えつける材料となり、モヒートとルイザが仕事を振り分けられずにアクマリアで暮らす材料となった。


「――わかりました」


 カーライルはモヒートの返答を聞き終えると、また視線を書類に戻して何やらメモを書き込んでいく。このカーライルと言う男、歳は五〇を間近に控えた大戦前の世代――魔族によって滅ぼされた国家が、最後に教育を施した世代でもある。

 彼のような一定水準以上の教育を受けた人材は、それだけで一つの財産と見なされ、バストラルの支配下でも実務担当官として重宝されてきた。


「あぁ、それともう一つありました。領主会議に向けて出発するのは次の満月の日の朝です。その日には入れ替わりで――」

移動娼館クルチザンが来る日じゃねぇーか!」


 カーライルの話を遮るように、モヒートは声を荒げて椅子から立ち上がると、ライデンたちが囲うテーブルまで歩いていって両手を叩きつけた。


「出発を延期しろ」

「無理です。この日に出発しないと領主会議には間に合いません」

「なら、俺だけ後から出発する」

「領主会議の場所をご存じで?」

「……知らねぇ。なら、移動娼館クルチザンの方を早く出来ねぇか?」

移動娼館クルチザンの現在地は判りませんし、連絡手段もありません」

「くぅ~ルイザぁ!」


 提案をことごとくカーライルに却下され、モヒートは堪らず振り返ってルイザに援軍を頼もうとしたが――。


「モヒート様、今回は諦めてください」


 ルイザは椅子に座ったまま、ぴしゃりとモヒートの泣き言をはねつけた。


「くっ――」


 モヒートは膝から崩れ落ち、テーブルにもたれ掛かって顔を伏せた。


 その時だ――粗末な会議室に一つだけある木窓から、鐘を鳴らす音が聞こえた。何度も打ち鳴らされ鐘の音は、明らかに緊急事態を知らせる警鐘の音だった。


「ん?」


 テーブルに伏していたモヒートが顔を上げ、鐘の音が聞こえる木窓の外へと視線を向ける。


「ヘッケル、すぐに事態を把握して防衛隊を向かわせるのよ!」


 この鐘の音は、モヒートの指示で防壁上の歩廊を歩く巡回警備に持たせた警鐘の音だ。それが鳴らされたということは、防壁の外に脅威が迫って来ているということ。

 それが盗賊の類なのか、それともまだ見ぬ疫鬼グールなのか――モヒートは移動娼館クルチザンを楽しめないことへの落胆を一先ず横に置き、ライデンの指示で会議室から出ていくヘッケルよりも先に会議室を出ていった。


「モヒート、貴方は待機って……ルイザ、後を頼むわ~ン。モヒートなら心配いらないと思うけど、もしもの時のためについていてちょ~だい」

「えぇ、もちろんです」

「モヒート卿に死なれては食糧が取り出せません。ルイザ卿、決して無理はさせないでください」


 モヒートの背を目で追っていたカーライルもモヒートを――いや、その体内に収納されている食糧の心配を口にし、ルイザは軽く口角を緩めて「そちらもご心配なく」と言葉少なくささやいてモヒートの後を追った。




「警鐘はどこからだ?」


 砦の中庭にでたモヒートは、慌ただしく走り回る防衛隊の一人を捕まえ、警鐘が鳴らされた場所の確認をとっていた。


「アクマリアの北側、湖の向こうから疫鬼グールの集団です!」


 それだけ言うと、防衛隊員は武器庫の方へと走っていった。


「北側って……一番遠い場所じゃねぇか……」


 モヒートは夜空に輝く星々を見つめ、ゆっくりと視線を湖の北側へ下ろしていく。


 組み上げられたばかりの狼煙台には敵襲を知らせる篝火が焚かれ、左右の離れた位置に建つ狼煙台で焚かれる篝火との高さ差異で、敵の位置を正確に知らせる。


「火をもっと焚け! 北以外の方角も警戒を怠るんじゃねぇぞ! おい、ヘッケル! 資源を一ヵ所にまとめて管理しろ、居住区には外出禁止令を出して朝まで閉じ込めておけ!」


 モヒートは走り回る防衛隊員に檄を飛ばすと、遅れて外に出てきたヘッケルに指示を出していく。


「モヒート卿、あんたはどうするつもりだ」


 ヘッケルはモヒートの指示を防衛隊員に伝達しながら、隊員の一人が曳いて来た馬に跨ってモヒートの横に着けた。



 

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