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第15話 実存主義についての概略」への応援コメント

  • 哲学書そのものを読んでいないので、Wikipedia由来の俄か知識の感想です。

    数学では扱う世界について物や法則を事前に定義してから、その上で成り立つ理論を探っていきます。自然科学では「物自体」の世界に対して、似たような数学的な世界を作り、実験によってその数学的世界が「物自体」の世界と一致するであろう証拠を集めます(100%確定はできない)。この意味では、数学はアプリオリ、自然科学はアプリオリの力を借りたアポステリオリと言えるでしょう。

    認知している世界は抽象化されて記号的です。この認知している世界から、「物自体」の世界の存在が推測されます。しかし、哲学で「世界がある」と表現した場合や、「創造主とかイデアとかそういうのが世界を作っている」と語る時、この「世界」と言う語がどこを指しているのか曖昧で、それが余計な議論を生んでいそうな雰囲気を感じます。認知している世界に対しても「実存」を含む色々な名前、「物自体」に対しても「本質」を含む色々な名前が当てられており、しかも定義が割と曖昧に感じます。「我思う故に我あり」についても、「この思ってる存在自体を我とします」という定義的な主張に対して、「我という存在を仮定したが、この我という存在は我が認知しているからといって存在が確定できるものなのか?」という疑問がぶつけられているようにも読み取れます。

    カントの言う「アプリオリにやれ」と言うのは、「扱う世界や前提をきっちり示してから話をしろ」という指摘なのではないでしょうか。
    カント自身も「全くアポステリオリが無いのは役に立たない遊び」のようなことを言っているみたいですし。

    作者からの返信

    数学で宇宙が記述できるかというのと、ぼくはできないのではないかと思ってます。粒子や神経はデジタル記号であっても、量子やエネルギーはそうではないのではないかと思っています。