赤ハチマキと白色鉛筆 6

 応援席に行ってみると、人だかりの中心で手紙を書いた犯人が泣きわめいていた。なんて惨めなんだろう。主役になりたいがために倫理を犯したツケが今になって回ってきたのか。

「誰が出るの」

 大林がつぶやく。ざっと見渡すと、もう残ってる足が速いのはフラフラの応援団員しかいない。その次に足が早そうな子たちが見つからないようにと椅子に座って身を寄せ合っている。

「私出るよ」

 枯れかけた声で昆野が立ち上がろうとする。ただでさえ生まれたての子鹿みたいに不安定なのに。

「美濃輪、もうおまえが決めろ」

「えっ」

 名指しされた美濃輪が目を白黒させてうろたえている。選んだ子次第では優勝できなかったら絶対美濃輪のせいにされるんだろうなあ。横ポニの子のいうとおりになっちゃった、と人ごとのように考えた。

「倒れたのが篠田だったのがまだマシだったな」

 男子がつぶやく声が聞こえた。

「何で彼女が出ちゃいけないの?」

 泣きはらした目がこちらを向く。気づいてすらいなかったクラスメイトたちが一斉にこちらを見る。

「イチカ!」

 ユッコがうれしそうに駆け寄ってくる。

「運動会を望まないような手紙を書く人間にリレーなんか任せられるか」

「私も山口さんの席に手紙を入れたのわざとだけど」

 風船がしぼむように、クラスメイトたちはわかりやすいくらい肩を落とす。少しだけ明るくなった顔がみるみる絶望へと変わっていく。

「それなら悪いが、本田も出すわけにはいかない。

 リレー選手ということはクラス代表として出場するということだからな」

 鶴岡がきっぱりと言う。彼の後ろの人が余計なことをいいあがって、と恨めしそうに見ている。

「病み上がりでしょう。無理はさせられません」

 とどめを指すように小野さんがいう。

「でも正直言って出たい人いるの?」

 今までこんなにつんざく声を出したことはない。女子は全員目をそらした。

「仕方ないだろ、女子から1人出さなきゃならないんだから」

 鶴岡が涼しい顔で詰め寄ってきた。

「おまえら男子はどうなんだよ。美濃輪も補欠も倒れたら人を押しのけてでも出るって言えるのか?」

「今まで寝てたやつが!」

「ちょっと足速いからって、調子に乗るんじゃねえぞ」

「そういうところだろうが!」

 叫んだ後で激しく咳き込む。こんな大声出したの人生で初めてかもしれない。突然の大声で驚いたのか、全員へっぴり腰になっている。

「最初に私が選手になったのだってクラスん中で足が速いってだけだろ? それで優勝できなきゃやれどこのクラスの誰がよかったとか言い出しあがって。ふざけんなよ。こっちだってやりたくてやってるわけじゃないのに必死に走ってるわ。

 なら降りろって? できるなら苦労しねーよ。なんであいつ出ないんだとか陰口たたいたり出ろって命令してくるやつがいるのが目に見えてるんだからさ。

 どうせどいつもこいつも、私のこと足が速いことしか取り柄のないやつとしか思ってないんだろ!」

 言い切るとゼーハーいいながら呼吸を整える。長距離走のトレーニングも、こういうときに役立つんだ、とどうでもいいことを考えた。

「そんなことない」

 ポロポロ涙を流しながら、ユッコは言った。

「イチカのこと、足が速いから友達でいたいだなんて、そんなこと思ったことない。

 ぶっきらぼうに見えて実は優しいところとか、こっちが心配になるほど頑張っちゃうとことか、イチカのいいとこいっぱいあるよ。

 足が遅くたってイチカのこと大好き。だからそんな風にいわないでよ」

 ユッコは私のことを、強く抱きしめた。じんわりと感じられるぬくもりが温かい。

 はー、と胸の空気を全部吐き出すくらい大きなため息が聞こえた。

「ほんっとにこのクラス変わらないわね。悪い意味で。篠田さんが泣くわよ」

 昨日の推理ショーに出た面々は大林から目をそらした。

「もういいんじゃないかしら。運動会を望まない人が代表で。どうせ文句を言い合う人の集団の代表なのだからちょうどいいんじゃない?」

 大林は泣いていた女に「出られる?」と聞いた。首を横に振った。

「本田さん、あなたはどうなの?」

 一斉に注目が集まる。

「仮病って知ってる?」

 たぶん今までにないくらいあくどい顔で微笑んだ。泡を吹いて倒れそうな小野の顔が忘れられそうにない。

「いいわけないじゃん、大林。こいつ反省すらしてないでしょ」

 大林に突っかかる山口千代子に近寄る。

 こっちを向く山口千代子の前にひざまずいて、頭を下げる。

「すみませんでした」

 少し間があって、「いー!」という叫び声が聞こえた。

「そこまでしなくていい! もう! チャラにするしかなくなっちゃったじゃん!

 出てくださいお願いします!」

「イチカ!」

 ユッコが上体を起こしに来る。

「イチカ、出なくていいよ。そこまでしなくていい。棄権でいいじゃん」

「出なきゃだめだよ」

 ユッコに微笑みかける。私はこっちを見ている、ゴール付近で待機している生徒たちの方を見た。

 すでにアキちゃんはゴール前に行ってしまっている。

 アキちゃんの願いくらい、かなえてあげなきゃならないでしょ?

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