赤ハチマキと白色鉛筆 4

 どういうわけか知らないのだけれど、開会式で倒れてしまった。

 いくら運動会に出たくないからといっても、さすがに集団のど真ん中で気を失う勇気はない。気づいた時には保健室のベッドに寝かされていて、枕元にはアキちゃんやユッコや太田先生の不安そうな顔が覗いていた。

 午前中は保健室で寝てなさい、と養護の先生に言われ、お言葉に甘えて寝ていることにする。昨日は運動会を理由に早く寝たつもりなのに、横になるとすぐに眠りに落ちた。

 ふと目を覚ますと、薄暗い保健室の天井が見える。放送と声援がかすかに聞こえるものの、グラウンドの熱気までは入ってこない。願わくは帰りたいとも思ったけれど、サボっていても何も言われないのだからよしとしよう。

 まだお昼休憩にはなっていないはず、と悠長に天井を眺めていた。

 運動会なんて何のためにやるんだろう。

 受験勉強しろというくせに行事は全力出し切れという。応援団に立候補するようなやる気のある人だけがやればいいじゃん。

 授業が潰れるなんてほざくくらいなら、最初からやらなきゃいいのに。でもやらなきゃならないんだろうな。誰かのせいにして。

 トイレに行く途中の廊下で、見慣れない掲示物が目に入った。研究部新聞。いつから貼ってあるのか知らないが、応援団や看板係のインタビューが載っているので昨日今日の話ではないのだろう。ありきたりな記事を斜め読みしていると、1つの回答が目に入った。


 白組のモチーフである白虎の迫力を出すための白を選び、クレパスやクレヨンなどを使って毛並みを表現したという。


 白を選ぶとはどういうことだろう。1つではないのか。

「すぐ戻った方がいいよ」

 急に声をかけられて思わず後ろを振り向く。目と鼻の先に黒目がちな大きな瞳、男子なら勘違いしそうなくらいの色白美人。

「誰?」

「3年A組清水彩華」

 さすがに幽霊ではないとわかるくらいの分別はあるが、誰もいないはずの校舎に現れればびびる。距離を置くため後ずさった。

 清水彩華。今さっき読んでいた記事にその名前が載っていた。

「あのさ」

「ん?」

「白を選ぶって?」

「白といっても画材によって全然違うし、その中でも顔料の違いで色にも種類がある。具体的には水溶性油溶性、発色、透明性や物体性、耐久性など。

 絵の具の中でも水彩絵の具なら透明感が現れるし、ポスターカラーを使えば鮮やかな印象になる」

 違うものを使えば同じ色でもイメージが変わるのか。

「色鉛筆でも白って使うの?」

「重ね塗りしてツヤや淡さを出したり、光を表現したりするときに使うよ。

 地が白いからといって塗らないと浮いて見えることもあるし。色鉛筆は単色で塗りつぶしていく人が多いのかもしれないけれど、加減をしてグラデーションを作ったり重ね塗りをして深みを出したりと幅広い表現のできる画材なのだけどね」

 そろそろ、と清水彩華は白いポンポンを片手に行ってしまった。

 今まで白色鉛筆どころか、ほかの色鉛筆すら持て余していたのか。いずれは捨てなきゃならない、未だ部屋に散らばった白色鉛筆の文字の載ったルーズリーフたち。あんな使い方をして少しだけ恥ずかしくなった。

 トイレから出ようとすると、危うく学ラン集団と鉢合わせするところだった。

 次は応援合戦なのか。

 ずっと声を出して何度も何度も練習させられていたあの応援合戦に、出なくていいのか。

 足取り軽く保健室に戻ると、様子を見に来たのか養護の先生がうろうろしていた。定番の心配したからみたいなセリフが終わると、何を勘違いしたのか起きられるなら見学しない? と予備のジャージを着せられた。救護のテントにたどり着いた時には赤組の応援が始まっていた。

炎舞激闘えんぶげきとう!”

 うるっさい。耳を塞ぎたくなる。

 タイミングを合わせて叫ぶセリフは悲鳴にしか聞こえない。黙って見ていればいいだけなのだが苦しい。

 応援団員たちは、自分たちが主役なんだといわんばかりに声を張り上げて目一杯動き回る。赤い印がついた豆粒ほどにしか見えない後ろの生徒たちの中には、ごまかしてはいるが絶対に口パクもいるだろう。

 これって全員がやる必要あるのかなあ。何に対して応援しているのか全くわからないし、応援団以外でやりたいという人がいるとは思えない。

 なぜ声が枯れるまで叫ぶのか。どうしてみんなで息を合わせた動きをしなければならないのか。間違えばつるし上げられる。やる気がないそぶりを見せれば怒られる。声が小さければやり直し。よくてもやった分だけ成果になるからと練習は続く。

 長い長い応援合戦もようやく最後の挨拶になったとき、視界の端で人が消えた。何も起きなかったかのように本部に礼をしたあと、応援団が退場していく。

 人が消えたあたりを見ると、担架を持った救護班がしゃがみ込んでいる。彼らは人を積んでこちらに運んでくる。運ばれてきたのは学ラン姿の生徒だった。保健室に運ぶよう指示が入る。赤組が最後だったのが救いか、放送係に昼休みの放送を流すよう指示が飛んだ。そのまま昼休憩になるらしい。教室に戻ってご飯を食べてもいいのだが、治ったと思われるのもなあ。

 アキちゃんやユッコには悪いが、まだちょっと具合が悪いと伝えて、保健室に戻ることにした。

 昇降口から入ると、黒幕がいたのに気づく。ぎゃーすかケンカしている男子生徒と怪しげな女性に気をとられているうちに、見つからないようコソコソ移動する。

 学ランたちが追い返されたあと、人目を盗んで保健室に入る。養護の先生はあなたね、とあきれた顔で私を迎えると、事務的に体調と食事を採ったかを聞いてきた。

 篠田真弓は熱中症になったらしい。

 保健室の隅でお弁当を食べている時に耳に挟んだ。なんでそこまで頑張っちゃったんだろう。

 篠田真弓は応援団だ。一生に一回あるかないかの大舞台かもしれないけれど、所詮学校の運動会なのだ。倒れるまでやる必要なんかどこにもない。

 ねえ、どうして? 唇だけを動かして、寝息を立てている篠田真弓に問いかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る