つわものどもの夢の中 5

 保健室のドアを開ける。真ん中のベッドのカーテンを開けて、主に声をかけた。

 体操服でトレードマークの三つ編みもほどいてありハチマキもしていない。枕元の眼鏡をかけるまで人違いかと思ったほどだ。よく見ると着ていたはずの学ランだろうか、奥の方にきれいにたたまれた黒い布地が見える。

「みんな!」

 篠田先輩は目を丸くして上体を起こした。

「先輩は休んでてください」

「病人なんですから」

 ベッドから出ようとする篠田先輩を、牧羽と小倉が制する。

 篠田先輩は軽度の熱中症を起こしたらしい。過度な緊張、睡眠不足による疲労に加えて厳しい残暑から無理がたたったのだろう。

「みんなの方は大丈夫なの? 部活動対抗リレーとかもあるし、ほら、新聞のために写真撮るんじゃなかったっけ」

「5分だけ時間をもらいました。

 写真は適任者がいますのでご心配なく」

 冬樹先輩が微笑みかける。

 篠田先輩はうつむいて毛布の端を握った。

「夏休みも放課後も昼休みも朝練までやってきたのに、私のせいで、あの一瞬さえちゃんとできれば。

 私のせいで、みんなの頑張りが無駄になっちゃった……!」

 篠田先輩の目から、涙がボロボロこぼれ落ちた。ごめん、ごめん、とすすり泣く声が聞こえる。

 牧羽が一歩、篠田先輩の元に近づく。

「泣くな」

 牧羽は怒鳴り声を上げる。篠田先輩が顔を上げた。

「泣くな。私たちに泣きついて応援できるようになったでしょう。

 途中まではちゃんとできてましたから。

 先輩は逃げもせずにやりきった。堂々としなさい」

 篠田先輩はヒックヒックと喉を鳴らし、鼻水を啜っている。汚い顔じゃかわいそうだ。戻っちゃったな、と思いつつ、そばにあったティッシュを渡した。

 篠田先輩はティッシュで鼻をかんで、涙も拭って、「ありがとう」と言った。

「ありがとう。でもね。やっぱり、私に応援団なんて無理だったんだよ。

 みんなの力を借りたって、できないものはできないんだ」

 力なく笑う篠田先輩のことを見た牧羽は、うつむいて下唇を噛んだ。

 牧羽、なんで篠田先輩の応援練習に付き合うといったかって?

 一番らしい答えを選ぶなら、むかついたんだろう。

 はっきり言って自業自得だ。自分で手を挙げておいてできないってめそめそして後輩に泣きついてきた篠田先輩に、相当むかついたんだ。だからたたき上げてやる、って思っただろう。もっとも、本人なりにだいぶオブラートに包んだんだろうけれどさ。

 夏休み最後の日。篠田先輩が1人うなだれていて、自分は何もできないと泣いていた。牧羽にはそう映っていたんだろう。

 わざわざ見舞いに来てお通夜ムードになるなんて、無駄な時間を過ごしたくはない。

「そうかもしれませんね」

 篤志! と元気にとがめられる。

「やったからわかったんですよ。やっぱりできなかったって。

 普通の人は最初から諦めます。チャレンジャーだったということだけも、すごいことですよ。それでも篠田先輩は猛者たちに追いつくために真剣に頑張った。そのことはみんながわかってます。僕たちの前に応援団の方々が駆けつけたのが、何よりの証拠です。

 だから休んでください。篠田先輩は充分頑張ったんですから。運動会は1人いなくても回りますから」

 篠田先輩が僕に何か言いかけようとしたところで、冬樹先輩が時間を告げる。保健室を出た後で、元気から見損なったぞ、とどつかれた。小倉も冷めた目で僕を見ている。

 案ずるより産むが易し、はとどのつまり勝者の言葉で。

 失敗は成功の元、はしょせん、強者の言葉だ。

 頑張ったって叶わない夢はある。努力したって報われないこともある。なのに四六時中誰もが頑張らなきゃならないなんてむごすぎるだろう?

 挫折していい。諦めていい。完璧じゃなくていい。正攻法でなくていい。それは本当に手に入れたいものができたときに、必死で手を伸ばすためには必要なことなんだ。

 言わないと、きっとこの人はできなかったことを悔やんで、自分を責め続けて壊れてしまう。

 2人が行ってしまったところで、牧羽が振り向いた。

「悔しいけど、見事なくらい回ってるわね。

 最後まで回ればいいけど」

 言い残して、牧羽は2人を追いかける。

 肩に手が置かれる。冬樹先輩だった。

「篤志君の言ったことが、動機だったのかもしれないね」

 冬樹先輩は、グラウンドの遠くの方を眺めている。

 放送席の隣には今、本田先輩が座っている。

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