つわものどもの夢の中 4

 昼休みの始まりを告げられて、人混みを縫いながら保健室に向かう。

 赤組の応援合戦、最後の挨拶の前に、応援団の1人が倒れた。位置的に篠田先輩だ。赤組の撮影係になっていた僕は、思わず力が抜けてあやうくカメラを落としそうになった。

 挨拶が終わって、すぐに担架を持った救護係が運んだから、僕にはできることがないのはわかっている。対応に当たっているのも太田先生と養護の先生くらいみたいだし、救急車も来ていないようだから、そんなに重傷ではないのかもしれない。

 言い聞かせても、いやな想像は頭をよぎる。

 別の人に代わってもらおうといえばよかった。今さら遅いのに。

 昇降口で乱暴に靴を脱いで保健室へ向かおうとした矢先、体操服の襟を後ろから捕まれる。

「マユー!」

「篠田さん!」

 学ラン姿の女子たちが、バタバタと目の前を通り過ぎていく。学ランの男子も続いて、保健室の前で立ち止まる。赤組応援団の人たちか。

 ようやく僕の襟首をつかんだ人の正体を見る。冬樹先輩だった。

「どうしてです!」

「俺たちにできることはない。ないなら、彼女たちを優先させるべきだ」

 珍しく命令口調の冬樹先輩に言われて、保健室にむかうのをやめた。彼の方が正論だ。

 仲間の1人が倒れた応援団と、あくまで友人同士でしかない僕ら研究部。心配しているのは慌てふためく様子を見れば一目瞭然。僕たちは所詮、ただの生徒にすぎないのだ。

「みんな」

 僕たちに声をかけてきた小倉も、保健室の方までは踏み込もうとしない。彼女に手を引かれてここまで来たのだろう、牧羽は顔を真っ青にしていた。彼女の場合、目の前で篠田先輩が倒れたのだ。ショックだったろう。

「不審者!」

 首根っこをつかまれながら、昇降口のど真ん中で空気を読まない人が約一名。僕らは冷めた目でやりとりを見ていた。

「誰が不審者よ!」

 元気の首根っこをつかみながら、顔を隠すくらいの大きな帽子をとり、サングラスを外した。

 現れたのは明るい茶髪の女性。元々くっきりとしているであろう目鼻が、化粧でさらに際立っている。

「全く、あんな人混みで走るんじゃありません!」

「人が倒れてるのに悠長に移動できるか!」

 女性は元気の頭に左手を置いて、右手で手にゲンコツを食らわせた。黒い腕はアームカバーだったのか。

「痛っ、この人虐待しましたー」

「ちゃんと自分の手をたたいたでしょ」

 こっち見るな! 仲間じゃないから!

 女性の方も、「あらー」とはしゃぎながらこっちへ向かってくる。もちろん元気を引きずって。

「もしかしてすみちゃんじゃない!」

「は、はい」

 小倉はのけぞりながら答える。

「あらー、久しぶり。こんなにきれいになっちゃってー」

「それほどでも」

 ぐいぐい来る女性に対して小倉はモジモジしながら縮こまっている。

「誰?」

 牧羽が聞いてくれてよかった。下手したら僕、この人に会ったことあるぞ。

「あらごめんなさいね、私、蓬莱元気の母でございます」

「キャラ違う!」

 やめとけ、手の上ゲンコツがまた降ってくるぞ。

 僕の予想に反して、元気のお母さんは牧羽さんねー、と猫なで声で挨拶を交わし、僕に向かっても城崎君だよね、覚えてる? と話しかけてきた。

 ご無沙汰してます、とにこやかに返事しておく。

「ところでこれ何の集まり?」

「少々部内で不慮の事態が起こりましてね」

 冬樹先輩が「遅らせながら、元気君と同じ研究部で部長をしております、高瀬と申します」と前に出た。

「あーらー」

 元気のお母さんは元気をチラリと見て、僕たち1人1人を眺めて一言。

「お世話になってますー」

 こちらも、お世話になってます、と形式的に返した途端のこと。

「哲のことでこんなに大勢に迷惑かけて!」

「違うから!」

 そうか、元気のお母さんってことは、この人蓬莱先生の奥さんだもんな。当然蓬莱先生のことも研究部のことも知ってるわけだ。

「みなさん、本当に研究部でいいの? 他にやりたかったことない?」

「元気君が入部する前から研究部ですから」

 まぶしい笑顔で答えられたのは冬樹先輩だけだろう。僕も小倉も牧羽も元気に巻き込まれて入ったようなものだから。

 でも、少なくとも僕自身は間違ってなかった、といえる。

「じゃあそれで?」

 元気のお母さんは、改めて僕たちに向き合う。

「問題は解決したの?」

 誰も言葉を返すことなく、床を眺めていた。

 コホン、と咳払いらしきものが聞こえる。

「まあ、大体は想像がつくわよ。応援合戦で倒れちゃった子が心配になって見に来たんでしょ?」

 思わず保健室の方を見てしまう。応援団員たちすら、こんな茶番の間に教室に帰っていくのが見えたのだ。僕たちは入れてすらもらえまい。

「問題はどういう知り合いなのか、だけど。あなたたち自身は心配しているけど、保健室に駆け込んだ応援団の子たちほどは近い存在ではない。そうよね」

 沈黙が返事代わりだった。お母さんは腕を組んで、ため息をつく。

「なら、これ以上あなたたちができることはないんじゃない? 一刻を争う事態ならもちろん、寝ているところに入っていったらかわいそうでしょ」

 ましてやあんたは男子なんだし、と元気に向かって言った。

「それでも、私たちは会う責任があります。

 もしかしたら、私たちが無理させたのかもしれないから」

 牧羽がぐっと拳を握る。元気のお母さんはそっぽを向くと、組んだ腕を解いた。

「事情は聞かないでおくわ。こんないい子たちがあの子に無理をさせたんだとしたら、きっと期待に応えたかったのよね」

 人気のなくなった昇降口で、独り言にも聞こえるセリフが響いた。

「どれだけ高みを目指すか。どこまで背伸びをさせるか。教える者の永遠の課題よ。

 成長を願う分、高すぎる目標を掲げたり、できる以上の範囲に手を広げたり。

 計画したって教師側がカバーしたって、できなかったり無理が出たりは絶対にあるのよ」

 やっぱり無理があったのか。運動もできない、応援にも向いてない篠田先輩が応援団の一員について行くのは。

「でも、実際にやってみなきゃ人間って絶対にわからない。特にあなたたちのように若い人はそう。

 失敗も痛みも、実際にやってみた人しか味わえない特権なのよ」

 元気のお母さんは、振り返って牧羽の両肩に手を置く。

「だから、失敗はしろ。やる前から諦めるな。

 良識ある大人なら、君たちの安全と将来くらい、全力で守るから」

 元気のお母さんは、牧羽をまっすぐ見つめる。自分もあの目で見つめられていると錯覚を起こすには充分だった。

 もちろんどう考えてもケガしたり悪いってわかってることはやっちゃだめだからね、と付け加えられた。

 だめだ、3D運動会脅迫事件を思い出してしまう。

「さらにしょげてどうすんの! うちの子なら背中叩くからね!」

「児童虐待!」

 元気の訴えは当然のように無視される。

「とにかくやらないならやって後悔! 人生なんてやったもん勝ち楽しんだもん勝ち!

 そもそも学校行事ってそういうもんでしょ」

 一言一言に、圧倒される。度胸や根性を持ち合わせていない僕の弱さをすべて吹き飛ばすほどの威力だ。

 できなくてもいい。失敗したっていい。でも、何もしなきゃ止まってしまう。挑戦することを諦めてはならない。

 やっぱり、この人は強いのだ。

 元気のお母さんは牧羽から離れて立ち上がる。

「全力でやったことなら何かしら得るものはあるはず。研究部なら知っているでしょ。

 私もね、うれしかったの。

 4月当初、先生やってる蓬莱哲也のこと、研究部のこと、知ることができて」

 元気のお母さんは、まぶしいほどのウインクをした。

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