手紙を入れたのは誰 4
小野先輩、本田先輩、ときて、大林先輩が手紙を入れたとした場合の話を、澄香は始めた。
「大林先輩は友人たちとトイレに行ってコンタクトレンズを外し、そのまま教室に向かいました。教室に入る直前にすれ違った人が見ています。ちなみにその人たちではない、ですよね?」
「ですよね、って」
多くの先輩がため息をつくなか、違うんじゃないの、という声が上がった。
この中にはいない。となると、山口先輩の席から遠い生徒なのだろう。入れに行ったらわかるはずだ。
「大林先輩は教室に入ってから自分の席にいって、先に目薬を指すことにしましたた。机の脇に下げてある筆箱から目薬を取り出して差しました。
ここで福原先輩が教室に入ってきます」
「うん。マナが目薬を差しているところで声をかけた」
福原先輩がうなずく。
「目薬を差し終えた大林先輩は、エナメルバッグを机の下から引っ張り出してメガネケースを取り出して眼鏡をかけ、片付けとゴミ捨てをして福原先輩とともに教室から出ました。
2人は後ろのドアから教室を出ました。ゴミ箱も後ろのドアの付近にあります。福原先輩が来てからは教室の中央にある山口先輩の席に近づく機会はありません。
手紙が入れられたとしたら、教室に入ってから福原先輩が教室に現れるまでの間ということになります。
では、大林先輩は手紙をカバンと机、どちらから取り出すことになるでしょうか?」
澄香が投げかけた質問に、山口先輩が「バッグでしょ」と言った。
「エナメルバッグから直接取り出したんじゃない? だって、普段から教科書やノートもバッグに入れっぱなしだから机の中にものを入れないでしょ」
「でも、筆箱や日記帳くらいは机の中に入れたんじゃないの? 朝読の本や色鉛筆みたいな、置きっぱなしにするけどロッカーには入れないようなものもあるし」
池谷先輩がつぶやく。
「筆箱は机の脇にかかっています」
「あ、そう」
池谷先輩は興味を失ったのか指摘されたことがおもしろくなかったのか、目をそらした。
「色鉛筆はまだしも、朝読の本くらいは入れてあったのよね?
しかも昼休みの後に日記が配られたんだから机の中にしまったはず」
児玉先輩が指摘する。
「日記といえば昆野、おまえ大林の机から日記を取り出してたよな?」
鶴岡先輩の一言で、大林先輩がさっと後ろを向いた。
昆野先輩は鶴岡先輩をにらんで、大林先輩の方を向いた。
「どういうこと?」
「ごめん、大林。悪気はなかったの」
大林先輩は、後ろに椅子の向きを変えて座り直す。昆野先輩は視線を泳がせて、大林先輩の様子をうかがっている。
「あの日ね、私の席に間違えて大林の日記が配られたの。名前のところを見てた時には大林、椅子を持って行っちゃってたし、交換するくらいなら、と思って大林の机の中に入ってた日記と交換したの。
事後報告もしなくて、本当にごめん」
昆野先輩は机に頭を打ち付けそうなくらいに頭を下げた。
「一言くらい言ってほしかったわね。よく確認しなかった私も悪いのだけど」
大林先輩はごめん、といって椅子の向きを戻した。
「蒸し返すようで本当に申し訳ないのですが、昆野先輩が机の中を見たときには何も入っていなかったと聞いています」
おどおどしながら澄香が付け加える。
「プライバシーが叫ばれる世の中だからこんなところで申し訳ないのだけれど、大林さん、朝読の本は?」
「読み終わったのでカバンにしまいました」
質問した太田先生は、そう、と言ったっきり目をそらした。
「とすると、大林先輩が手紙を取り出したのはカバンから、ということになります。
ところで、大林先輩は福原先輩の目の前で机の下からエナメルバッグを引っ張り出して、眼鏡を取り出しています」
「それがどうしたの? 荷物は机の下に置く決まりなんだから」
太田先生の指摘通り、椅子がない状態ではカバンは机の下に置くことになっているのだから、元々は机の下に置いてあっただろう。
「手紙を取り出したとしたら腑に落ちないところが2つあります。
大林先輩の眼鏡はバッグの中にありました。眼鏡を取りに行くといった以上、バッグの中の眼鏡を取り出さなければなりません。
なぜ手紙を取り出した時に眼鏡を一緒に取り出さなかったのでしょう?」
「誰か来る前に手紙を入れたかったんでしょ」
山口先輩がぼそっとつぶやく。
一緒にトイレに行った福原先輩たちが教室に迎えに来るのは想定済みのはず。ならば、何より先に手紙を山口先輩の机に入れてしまいたいというのはわかる。
しかし、まだ反論は続けられる。
「もし、福原先輩が来る前に手紙を取り出したのなら、どうして机の下にカバンをしまったのでしょう? 手紙を取り出したあと、机の下にバッグをしまう必要はあったのでしょうか?」
大林先輩が手紙をバッグから取り出したとしたなら、口実とした眼鏡も一緒に取り出したはずだ。もし、手紙を入れる方を優先したとしても、眼鏡を取り出さなければならないことに変わりはないのだから、引っ張り出した状態でおいておくのではないだろうか。
机の下に置いたままバッグの中身を探すとも考えにくい。避難訓練でも机の下に潜るのがやっとなくらいの高さだと頭をぶつけるだろうし、無理な体勢になってまでバッグの中から手紙を探すことはない。
「そりゃあ、真ん中のファスナーを開けるってなると引っ張り出さなきゃ無理だろうけど、サイドの方に入れてあれば机の下から引っ張り出さなくても取り出せるんじゃない? 手紙くらいなら入るでしょ」
「入れてないわ。こっちには荷縄と鍵を入れているもの。手紙がグチャグチャになってしまうでしょ」
大林先輩が自身のエナメルバッグのサイドのファスナーを開ける。数センチ開けただけでも黄色い荷縄が見えた。質問した根岸先輩はむぐぐ、と唇を噛んでいる。
「机の下にバッグを置く習慣がついているだけじゃないの?」
「それは、あり得るかもしれません」
だが、この反論も織り込み済み。澄香はもう1つの点を指摘した。
「そもそも、コンタクトレンズを外した状態の大林先輩が、眼鏡なしでカバンから手紙を取り出して、山口先輩の席まで手紙を入れに行くことができるでしょうか?」
「できるでしょ、そのくらい! 教室まで裸眼で行けたんだから!」
山口先輩が叫ぶも、澄香はゆっくり首を横に振った。
「大林先輩がトイレから教室までたどり着くことができたのは、普段使っているトイレから3年D組までの道順を覚えていて、なおかつ掲示物の文字を読んで3年D組だと認識できたからだと思います。近くによれば細かい文字も読めますよね」
「ええ」
大林先輩はうなずく。
「ところがこの状況だとどうでしょう? 昆野先輩、鶴岡先輩」
澄香は2人に呼びかける。指名された2人は明らかに動揺している。
「お2人は、この状況でどこが誰の席なのかわかりますか?」
「さすがにわからないわよ! そもそも本来どこに席があるのかすらあやふやだし」
「荷物でもあればまだわかるが……」
ほかの先輩たちも辺りを見回す。
「黒いリュックが多いし」
「席替えしたばっかだから向こうの方とか全然……」
席替えしたばかりで授業もないから、教室にクラスメイトがそろっているのは朝の会、給食、帰りの会くらい。前後左右を把握する程度だろう。言うまでもないが、澄香が2人を指名したのは、後ろの席に座っているからというだけだ。
思ったことをおのおの口に出し終えたあたりで、「で?」と昆野先輩が聞いた。
「大林は山口の席を把握してなかったってこと?」
「残念ながらそうとは言い切れません」
澄香は心から悲しげに言う。手紙を見て立ち尽くす山口先輩に声をかけにいったというのだ、もしかしたら把握していた可能性もないとは言い切れない。
「ですが、椅子もなく、机もまばらにしかなく、おまけに隣に同じリュックを使っている篠田先輩の席がある状態で、裸眼の視力の大林先輩は山口先輩の席を探すことができたのでしょうか?」
沈黙の中で、鶴岡先輩だけ「できるだろう」と言い放った。
「座席表を確認すればいいんじゃないか。あとは机の前に貼ってある名前を見るとか」
「それなら余計に眼鏡が必要だと思うんです」
澄香が言ったタイミングで、俺は講義室の電気を消した。「何?」と声が上がる。
「大林先輩、福原先輩、あのとき、電気なんかついていませんでしたよね」
福原先輩は「ついてなかった」とうなずく。
「2階ですら薄暗くなるというのに、1階の3年D組はどうでしょう。もっと暗いのでは?」
「確かにー!」
福原先輩は今更気づいたかのようにはしゃいでいる。
「薄暗い教室の中で、しかも視力が悪いのに文字を判別するのは難しいです。ゴム印で名前が押された机の名前シールを見るならなおさらです。
座席を確認する前提なら、なぜ手紙と一緒に眼鏡を取り出さなかったのでしょう。どちらにせよ眼鏡を取り出すというのに」
大林先輩の視力は裸眼だと掲示物の名前すら近寄らないと判別できない。おまけに自分の席すら忘れかけていたという。
山口先輩の席の場所を把握し、確認するためには絶対に眼鏡は必要だろう。本来の目的は眼鏡を取りに来ることなのだから、手紙を取り出したついでに眼鏡もかけてしまうだろう。
あの手紙には宛名がない。もし間違えて違う人の席に入れてしまったら、それこそ大問題になる。さすがに誰の席なのか確認してから入れるだろう。座席表で位置を確認したとしても、椅子がない状況でそれを行うとなると、確認する方法は机の前側に貼ってある名前シールを見るしかない。ゴム印で押されているのでかすれたりにじんだりして見にくいものもある。
「視力検査の時もコンタクトをしているといっていたもの。目が悪いのは確かなのだから難しいよね」
小野先輩が答えた。そうか、オオバヤシとオノで、出席番号だと前後だから見てるのか。
「じゃあ、実はトイレでコンタクトを外したんじゃなくて、手紙を入れた後に外したとか」
「あかん。手を洗わないでコンタクトなんか触ったら眼球が傷つくで」
根岸先輩の質問に、坂巻先輩が答える。それもそうだね、とうなずいていた。
澄香は大林先輩に向き合った。
「先輩、なぜ自分の席に着いたとき、一番に眼鏡を取り出さなかったのですか?」
大林先輩は、澄香だけを見つめて答えた。
「コンタクトレンズを外した私は、乾燥した目を潤すために先に目薬を差したかった。
目薬は筆箱の中、目薬を拭うティッシュペーパーはポケットの中に入っている。
バッグの中を開ける必要も眼鏡を取り出す必要も全くなかった。むしろ目薬を差す上で机の上に余計なものを出しておきたくなかった。これが答え」
大林先輩は静かに告げる。
もう、大林先輩を疑う人は誰もいないだろう。
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