眼鏡、日記帳、椅子 5

 加隈先輩は、小野先輩が疑われるきっかけとなったという、掃除の前のできごとについて話してくれた。

「まず、今の席順では、僕の後ろが山口さん、僕の前が小野さんなんだけどね。

 うちのクラスは掃除の前に、椅子を上げた机を教室の後ろに運んでおくんだ。ところが、応援団で6時間目の後忙しかったのかな、山口さんは教室になかなか戻ってこなかったものだからなかなか机を運べないでいた。

 僕がそのまま下げてもよかったんだけど、勝手に人の机を下げるのもどうかなと思ったし、ましてや机の下に置いてあった彼女のリュック、女子のものだから勝手に触るのはまずいと思って、小野さんに相談したんだ。

 彼女は、なら私がやった方がいいね、って言ってくれた。ちょうど手を洗ってきたところだと言っていたし。リュックを机の上にあげてすぐに山口さんの机を代わりに下げてくれた。すぐ後に椅子を持った山口さんが来たんだけどね。

 それが反って小野さんへの疑いを強めてしまったんだ」

 山口先輩の荷物を机に載せたり机を運んだことによって、自然な形で山口先輩の席に近づくことができる。もしかしたら手紙を入れたかもしれない、と思われてしまったということか。

「ちなみに机を下げるまでの間、小野先輩から目を離したりは?」

「いや。机を運ぶのはさすがに僕がやろうと思っていたから、小野さんがリュックを机の上に置くのをずっと見てたよ。結局声をかける前に小野さんが机まで運んでくれてたけどね」

 加隈はがっくりと肩を落としていた。

「もしかして、小野先輩にも教室で1人になる時間がありませんでしたか?」

「あったよ」

 加隈先輩はうつろな目で天を仰ぐ。代わりに根岸先輩が話し始めた。

「さっきの話の直前くらいなんだ、小野さんが教室で1人になったのは。

 運動会練習始まってすぐくらいかな、机や椅子についた砂ぼこりのせいで教室がかなり汚くなってさ。怒った太田先生が運動会練習の後は机や椅子の脚を雑巾で拭くっていうルールができたんだ。

 初めはみんなやるけどだんだん面倒になってくるだろ? 僕もすっかり忘れていたから、雑巾を持ってた小野さんに声をかけたんだ。トイレ掃除だよね、どうしたのって。

 そしたら「外に持って行った机や椅子の脚を拭くんじゃなかったっけ?」みたいに言われてさ。それで思い出した人も多かったのか、だいたいの人は教室に椅子や机を運び終わってたからみんな一気に雑巾を持って水道の方に行っちゃったんだ。

 一足先に水道の方に行った小野さんは、僕らと入れ違うようにすぐに教室に戻ってきた」

 加隈先輩は根岸先輩に目配せする。ここからが血相変えてまで根岸先輩を連れてきた理由になるのか。

「みんな水道の方に行くからなんだろうと思って教室に1人でいた成美なるみ、あ、名前が成美ね、に聞いたんだよ。どしたのって。机や椅子の脚を拭くのに雑巾を濡らしに行っているって話してたら、加隈たちが戻って来たけど」

「小野先輩はその間何をしていたんですか?」

「椅子の上を拭いてたよ」

「自分の席でですか?」

 冬樹先輩が付け足すように質問すると、根岸先輩が少し経ってから「そうだね」と言った。

「別の人の席でそんなことやる?」

「教室内で椅子を拭いていたのは想像できるのですが、自分の席だと狭いかと思いまして。あとは通路に椅子を出していたかもしれないので」

「ああ、そういうこと。成美の席の前には教卓があるし、通路の邪魔になるようなことはしないと思う。実際、教卓があって通れない机の左側にいたし」

 根岸先輩の答えに、冬樹先輩はありがとうございます、と言った。

「ところで、6時間目が終わってから山口先輩が教室に戻ってくるまでに教室で1人の時間があった人はいますか?」

 根岸先輩がさあ、と答えると、加隈先輩の方を見た。

「実は6時間目が終わってから教室に一番最初に戻ってきたのも小野さんなんだけど、その時は教室の前と後ろから同時に教室に入ったはずだし、雑巾を濡らしに行くとき以外は誰かしらの目があったはず。

 手紙を入れるとしたら、みんなが雑巾を濡らしに行ってたときくらいだよ」

 山口先輩の机を運ぶときも、もしかしたら加隈先輩が手元を見落としているかもしれない。だが、話を聞く限りは小野先輩が手紙を入れたとしたらどちらかの時だろう。

「ぶっちゃけあんたたちは誰が犯人だと思うの?」

 根岸先輩がうつろな目でこちらを見ると、組んだ手の上に顎を乗せた。

「今のところは、わかりません」

 根岸先輩は大きなため息をついた。

「昨日は犯人の名指しあい、今日は学年集会、となってさ、ここまで大きくなって犯人分からないって相当後味悪いじゃん。鶴岡が運動会を前に名乗り出てくれみたいなこと言ったけど、まあ一理はあるよ。だって納得はできないもん。

 だからさ、例えば成美が犯人、て思われたまま下手すりゃ卒業でしょ」

 起こりうる残酷な可能性に、誰も次の言葉を返せなかった。

「小野さんはあんな手紙を書いて送りつけるような人じゃない」

 加隈先輩がつぶやく。

「状況からして疑わしいとは思われてるよ。僕だってどうして運動会の実行委員を引き受けたのか、思わず聞いてしまったほどだから。

 でも小野さんじゃない。小野さんなら、もっと正当な手段で、もっとみんなが納得いく形をとれるはずだ。たとえ運動会を中止したいのだとしても」

 空気が沈む中で、手紙の内容を思い起こす。

 運動会を中止しろ。

 たとえ送り主の要望がそうだったとして、なぜ山口先輩に送りつけたのだろう。山口先輩は、応援団の一員でしかない。彼女に訴えたところで運動会中止など叶うとは到底思えない。

「ところで」

 冬樹先輩が手を挙げる。

「実行委員会で組み体操の可否が議題にあがったことと、何か関係でもあるのでしょうか」

 加隈先輩も根岸先輩も、わかりやすいくらいピクッと肩を振るわせた。

「さ、さあ」

「それよりさ、あたし、昼休みの後、昆野さんが大林さんの机をのぞき込んで何かしているのを見たんだよね」

 根岸先輩の思いがけない発言に、思わず耳を傾ける。

「いや、本当にそれだけなんだけどさ」

「本人には何か聞いたんですか?」

「そこまでは。ほら、友達同士で何か貸し借りの約束があって、机の中に入ってるから勝手にとって、みたいに断りを入れてあるのかもしれないし。

 下手に何か言うとこっちが疑われかねないから黙ってたけどさ」

 根岸先輩はあたしが言った、っていうのは内緒にしておいてよ、と念を押してきた。

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