新聞に書かれていないこと
新聞に書かれていないこと 1
戸を開けると、猛獣の姿が目に飛び込んできた。
こちらを見つめる獰猛さと狂気をはらんだ目。牙や鋭い爪や毛の一本一本までも呼吸している。忍びよる動きをしているが、近づけば今にも吠え立てられそうだ。
絵だと気づいてからもあまりのできに扉を開けたまま立ち尽くしていた。虎も背景も白いというのに、虎だけが迫りくるようにくっきりと描かれている。
「白だけなのに」
思わず口からでた言葉に、くるりと1人の女子生徒がこちらを振り向く。
「チタニウムホワイト、ジンクホワイト、パーマネントホワイト、シルバーホワイト、セラミックホワイト」
唱えるような凜とした声が通る。
「一口に白と言っても、これだけの白が含まれる。しかも絵の具だけで。
まあ、アクリル絵の具や水彩絵の具で使われるのはパーマネント、チタニウム、あってもジンクくらいだね」
声の主は、絵の横を白鷺のようにまっすぐに歩いてくる。
「ひとまとめに白と言われる色にも、青みのある白、赤を混ぜた白、黄や橙がかった白、トーンを落とした白。色と色との組み合わせで何通りにもつくられる。
当然画材が違えば色味も異なる。色鉛筆、クレパス、クレヨン。そうそう、紙やキャンバスなど下地の色そのままを白とする画法もあるね」
天使か悪魔のような微笑みを私に向ける。
挨拶もしないで講義室3に足を踏み入れると、床に横たわる絵に近づいて観察する。なるほど、虎の毛色には少しだけ黄色を混ぜて神々しさを示し、青を差し色に使い気高さを表すというわけか。陰影の使い方もうまい。黒くしすぎず、立体感を表している。
「白虎ですね」
「ご名答」
彼女の返答を聞いて、改めて目の前にいる人間に向き合った。
「ご挨拶が遅れました。インタビューに参りました、牧羽です」
「インタビュー?」
「忘れないでください」
彼女こそが
看板係長とは看板係のリーダーともなるのだが、そもそも看板係とは組の応援看板を制作する係だ。各組のイメージを表すもので応援席の後ろに設置されるという。白虎の絵を見る限り、どの組もかなり大がかりで迫力がある作品となるだろう。
当然、かなり大がかりな作業になるため、各組の2,3年生10人ほどが選出されるという。高瀬先輩の受け売り通りなら、看板係長はその中のリーダー的存在となり、看板係長の仕事は久葉中では事前にモチーフやスローガンがかぶらないように応援団長と看板係長が集まる会議に参加し、期日までに応援看板を仕上げるように監督することだ。
美術部の部長の役に就いていた時も思ったけれど、よくこんなんで看板係長も務まるものだと逆に感心してしまう。しかもインタビューの事前挨拶の前からも何回か会っているというのに、こちらのことなど覚えていない。
彼女がそれでも大役に抜擢されるのは、絵を見れば火を見るより明らかだが、高い技術力、鋭い観察眼、何より情熱と飽くなき探究心を兼ね備えているからだ。
強すぎる才能は周りをむしばむ。彼女の代の美術部員は彼女のせいで美術部を去ったという。
私たちは適当な席に座り、インタビューを始めた。
質問内容は今更変えられないので、模範解答を期待できない質問でも彼女にぶつけていく。
「どうして白虎をモチーフに選んだのですか」
「応援団からは白くて強い生き物というリクエストしかなくて、こちらで選ぶことになった。
白の生き物として富をもたらす白蛇の方がよかったのだかれど、多数の反対意見に押されて白虎に決まった。ほとんどの意見が蛇を見ていられないというものが多いのだけれど。
ホワイトタイガーの写真すらみんなそんなに見てなかったけど」
清水先輩の意見も一理ある。白虎は陰陽道だと強い凶の象徴とされる。最も、白蛇伝説も地域によっては豊穣の神から祟りの象徴まで様々な言い伝えがあるからなんともいえない。
苦労したところを聞いても首をかしげられ、思うようにいかないところを聞いてもこれだけの人数がいれば、みたいな身も蓋もない回答が飛び出した。ともあれそのまま書けば仲間割れ問題になりそうなので、なかなかモチーフが決まらなかった、とでも書いておこう。
最後に意気込みを聞いて骨の折れるインタビューは終了した。
講義室3を出ると、男子生徒と話している城崎とすれ違った。城崎は彼にお礼を言って戸を閉める。そのまま城崎は私の後をついてきた。戻る方向は同じ、このままパソコン室で記事をまとめたいところだろう。
「青組看板係長の筒井先輩」
沈黙に耐えかねてか城崎はぼそっと言った。さっき話をしていた人か。
「良さそうな人だったわね」
「牧羽は誰のとこだ?」
「清水彩華先輩」
「そりゃご苦労」
人ごとのようにさらっと流される。
「本当に大変だったんだけど」
メモ帳を突きつけると、城崎は一読して返してきた。
「だから牧羽に白羽の矢が立ったんだと思うよ。正直これだけの言葉を聞き取るだけの語彙力も教養も僕にはない」
「嘆くくらいなら勉強しなさいよ」
城崎は長々とため息をついた。
「ほんとによかったと思ってるよ。篠田先輩が泣きついてきたとき、元気と小倉と一緒にコンビニで待ってたこと。
牧羽だけじゃ間違いなく篠田先輩は不登校になってた」
「何よ」
「だって今までやってできなかったことなんか、1つもないだろ?」
ちくっと胸に針が刺さったような感覚を覚える。
「私にだってできないことの1つや2つくらい」
「例えば?」
「例えば、そうねえ」
寝ずに勉強して定期テストも小テストもすべて満点を維持するとか。
さすがに私には無理だ。毎回完璧にできないと気が済まない姉だからやってのけたのだ。その点は私にも勝てない。
だから私は別の範囲で姉に勝ろうとした。例えば一般教養以上の知識とか。社会生活に支障のでない事柄に関して、姉は学習指導要領の範囲を超えようとしない。私は手を伸ばせるだけの知識には、手を伸ばしていった。
一言も言わない私に対して城崎はないならいいよ、と打ち止めした。
「ともかく問題なのは、できないやつの気持ちをわかってやれないことだよ。
才能とか素質とか何も持っていない、でも努力はしているはずなのにできないことがあることを理解できないから。
元気や小倉なら、篠田先輩の辛さもくみ取った上で付き合ってやれるだろうからさ」
「あんたはどうなのよ」
怒りのままに質問をぶつけた。
「僕だったらそもそも受けないね。だって無理だもん。成功するビジョンが見えない」
城崎はこちらを向くことなく話し続ける。
「僕が君の立場だったら、そうだね、代わりでも探した方が早いだろうよ。
もっとも、元気たちがついてるなら相談くらいはするけどさ」
城崎はそれきり何も言わなくなった。同じ方向に向かっているせいか、気まずい雰囲気だけが距離を保ったまま漂っている。
「なんで私、篠田先輩の応援練習に付き合うなんて言ったんだろ」
ぽつりとつぶやく。かわいそうとか仕方ないな、のような義理難い性格はしていない。別に助けなくても自分は大して困らない。理屈で考えれば高瀬先輩のいうように応援練習につきあうリスクや不公平さもあったはずだ。
「知るか」
城崎はあっさりと答えた。
向かった先の職員室で、パソコン室の鍵はすでに貸し出されていると言われた。
お互い困惑を隠せないまま急ぐ。パソコン室の少し手前で、篠田先輩ともう1人、顔は見たことあるが名前は思い出せない、おそらく赤組応援団の人だった気がする、が連れだって歩いていた。
何サボってるんですか、と声をかけられそうにはなかった。
名前を知らない方の人の目から、涙が垂れている。
お互いがお互いを支えるように、崩れないように、必死で行き先だけ見て寄り添うように歩いている。
向こうから歩いてきたということは、パソコン室から出てきたとしか考えられない。しかも2人とも荷物どころかヘルメットまで持っているとなれば、教室からそのままパソコン室に来たか、あるいはそのまま帰るつもりか。練習を途中で抜け出してきたわけではないはずだ。
パソコン室の鍵を借りたのは高瀬先輩か蓬莱か澄香しかあり得ない。となるとこの3人の誰かがここにいて、誰かに用があったということになる。
篠田先輩の応援練習がばれた? いや、あり得ない。すれ違った時に何か言ってくるはず。
何が起きている。パソコン室のドアを勢いよく開けた。
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