3年D組と脅迫状 4

 このまま新聞の作業を進めると言う研究部の2人をパソコン室に残して、ふらふらと2人で廊下を歩いた。

「帰っちゃおうか」

 かすれるような声で言ったのは、大林さんだった。教室には戻らないつもりだったのだろう、カバンだけじゃなくてヘルメットまで持ってきたのは、そのまま帰るつもりだったからだ。私だって、大林さんの立場なら戻りたくない。

「情けない」

 聞き逃してしまいそうなくらいの小声が聞こえた。

「こんなことすら自分たちで解決できないなんて。あたしたち1年以上同じクラスで過ごしてきて、一体何をしてきたって言うのかしら。

 憧れてた最上級生って、こんなじゃなかった」

 夕日が差し込む廊下に、大林さんは肩をふるわせて立ち尽くした。

 悪意のある手紙たった1通すら、どうすればいいか3年D組の誰もわからなかった。本来なら、蓬莱君や小倉さんのような後輩たちには胸を張れるような存在でなくてはならないのに。思えば卓球部でもそうだったな。

 後輩たちの手本になるように。今の私たちはそんな立派なことなんてできやしない。

 じゃあ何ができる? 昆野さんを追いかけた時も、同じことを考えた。教室から飛び出していった彼女は、木工室の廊下でうずくまっていた。

「昆野、さん」

 昆野さんはうつむいたまま返事も返さなかった。

「昆野さん」

「聞こえてるよ」

 嗚咽交じりに聞こえた声は、私を後ずさらせた。

「昆野さん」

「あっち行ってよ」

 今までの私だったら、怖くて何も話しかけないまま立ち去っていただろう。そもそも友達でもない彼女を追いかけるなんてことすらしなかったと思う。

 私は一歩だけ近づいてしゃがんだ。

「昆野さん」

「あっち行ってよ! しつこい!」

 上げた顔は真っ赤になっていて、目には涙の跡がくっきりと残っていた。昆野さんはうめき声をあげて再び顔を膝の中に埋めてしまった。

 私はゆっくりとその場に腰を下ろした。

 千代子が機嫌が悪いときは、とりあえず謝っておいたりすれば翌日にはケロッとして普通に「おはよー!」とか言ってきたりしたので困ったこともなかったのだけれど。真剣に運動会に取り組んできた昆野さんにかけてあげられる言葉としては、違う気がする。

 こういうときなんて声をかければいいんだろう、と戸惑うだけの時間が過ぎ、誰も現れないまま膠着状態が続いた。

 先に動いたのは昆野さんだった。首を回して顔だけを見せてきた。

「篠田さんってなんで応援団やったの? 内申?」

 応援団をやると内申書に書かれて受験で有利になるんだっけ。今まで全然視野に入っていなかった。学校生活で特にこれといった活動をしてこなかったからか、塾の先生からも絶対英検とれとか言われたくらいだし。

 変にごまかすと怒られそうだし、本当のことを話すには最悪なタイミングだと思ったので、「うん」と答えた。

 昆野さんは首を動かして膝に顎をのせた。

「そこまで意味ないらしいよ。うちの学校だけでも応援団員って一学年で40人もいるじゃん。学年の4分の1は応援団やってるんだよ」

 そうなんだ。確かに各組10人くらいずつ応援団員がいて、4色分あるってことはそのくらいの人数になるか。ってことは、受験生の中でもそのくらい応援団やった人がいるってことだもんね。これだけ大変な思いをしても、内申にはあまり響かないんだ。

「でもさ、やるからには勝ちたいじゃん?」

 そ、そうなの?

「このクラスのみんなで何かやるってさ、もう二度とない機会だよ。一生に一度きりだよ。それでいてクラス一丸となって頑張るって、運動会とか合唱コンクールとか、そういう行事しかないと思う。

 大きいことをやろうとするとみんなで一緒に泣いたり笑ったり、いろいろ苦労することはあるし、そりゃあケンカにもなったりするけど、さ。そうやって辛かったことも苦しかったことも含めて1つでも思い出になったらいい」

 どうかなあ。むしろ仲いい人たちとなんとなく楽しい毎日を過ごせればいいかなって。やっぱりキャラが違うってやつなのかな。

「私たちって2年生から持ち上がりのクラスじゃん? それだけ長い付き合いだからみんなのこと一応わかっている気になってたし、このクラスだったら何だって乗り越えられるって信じてた。だからあんな手紙が出てきたっていうのも悲しかったけれど、何よりあっさりとクラスが壊れるっていうことがショックだった」

 だんだん友達と話すようなフランクさが戻ってきたところで、急に押し黙った。千代子に比べたら、しゃべりすぎたなんて気にしなくてもいいのに。

 昆野さんは1回小さな咳をした。

「そりゃさ、やりたくない人がいるっていうのはわかる。私だってやりたくないこといっぱいあるもん。

 だけど、やりたい人をないがしろにしないでほしい。頑張っている人のことを邪魔するのって最低だと思う。

 そして誰も、私も含めて言わなかったのが悔しい」

 昆野さんは言い切るとふーっと息を吐いた。

 中学生になっても学校行事楽しい! やりたい! っていう人いたんだ、と物珍しさを覚えた。どちらかというと、ティースプーンに角砂糖を添えて出された時、本当に角砂糖ってあるんだ、って気づくような。

 学校行事に真剣に取り組む人って何をモチベーションにしているんだろう。今までずっと疑問に思っていた。応援団やリレーの選手みたいな花形で、自分の得意分野で注目される機会がある人は楽しいだろうなと思っていたけれど、なってみて全くそんなことはないと思い知った。行事とかイベントをやるのが楽しいとか? 授業がなくなるからって言う人もいるかもしれない。

 今までのように応援団をやらずに迎える運動会を想像してみる。応援合戦は一般生徒として練習して、徒競走とか綱引きとかいくつかの種目には出て、3年生だからそれこそ何か係を引き受けることになっただろう。

 楽しいと思えることは1つもない。授業の代わりに何回も大声を出させられたり、運動が下手なところをみんなに見られたり。行進や開会式の練習なんか最悪だ。先生には怒鳴られるし、ちゃんとやらない人がいて何回もやり直しさせられる。

 ましてや今は定期テストを控えているし、その先には受験生として一番勉強しなくちゃならない時期で――授業の方がましだ。考えただけでため息が出そうになる。

 でも、昆野さんみたいに学校行事を楽しみにしている人たちにとって、もしも、本当に今年の運動会が中止になってしまったとしたら、悲しむだろうな。

 運動会が中止になってしまったとしたら、やり直せる機会なんてあるのかな。

 今まで頑張ってきたことはどうなっちゃうんだろう。

 厳しい応援練習を続けてきた応援団。準備に走り回った実行委員。指導してきた先生方。陰で支えてくれるために働く生徒たち。運動会練習についてきたみんな。不甲斐ない私の練習に付き合ってくれた蓬莱君、小倉さん、城崎君、そして美緒ちゃん。

 みんなの頑張りが、たった1人のせいで無駄になってしまうのだとしたら。誰かが一生懸命積み上げてきたものが全部だめになってしまうのだとしたら。

 昆野さんの傍にしゃがんで、手を差し出した。

 ちょっと前の私なら絶対にしなかったことだけど。今の私でも頼りになんかならないけれど、力になりたいとは思う。

 昆野さんが差し出した手の温度と、握りしめた大林さんの手のぬくもりが重なる。

「今からなろうよ」

 握り返してきた手は、暖かくて、優しくて、強かった。

 目指すだけでも、違うのかもしれない。もしかしたら、いつかは本当になれるのかもしれない。

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