3年D組と脅迫状

3年D組と脅迫状 1

 掃除用具をロッカーの中にしまい終えると、ため息をついた。

 運動会練習のまっただ中、昇降口掃除としては頭を抱えてしまうくらい砂まみれなのだ。

 下駄箱の中に砂がたまってしまうのはある程度仕方ないとしても、掃除する前は土足で歩いたくらいに砂が床一面に散らばっていた。

 外掃除から帰ってきた集団が昇降口へと入ってくる。みな体操服の袖をつまんで扇いだり首をこすったりしている。棚の奥から乱雑に靴を脱ぐのが見えた。下駄箱に靴を投げ込むような音も聞こえる。せっかく掃いた靴箱の中もきっと砂まみれになるんだろうなあ、とまだ上履きが入っているところを眺めながら思った。

 これだけ暑いのに外掃除をするのは大変なんだろうな。でもなあ。こっちだってきれいにしたのに。

「小倉さん」

 ロッカーの前にいて邪魔だったのか、A組の昇降口掃除担当、叶内かなうち聖斗まさと君が声をかけてきた。

「ごめんっ」

 さっとロッカーの前を譲る。

「なんか、疲れてそうだね」

 文句を言われるかと思えば、逆に心配させてしまった。

「また汚れると思うと……今、外掃除の人数が多いし、それにほら、明日は予行だから」

 だねー、と2人でため息をついた。

 今までは応援合戦練習だけだったので、椅子や机をグラウンドに運び出していたのは主に上級生たちだった。だからその辺りの下駄箱付近がとにかく砂だらけになっていたのだ。

 けれど、今日は応援席の場所を決めるために全員が椅子を屋外に出したから、こちらも同じくらい砂が持ち込まれてしまっている。明日は予行練習。全員、椅子をグラウンドに持って行くから明日もこのくらい汚くなるだろう。下駄箱掃除は各クラス1人ずつしか担当がいないからただでさえ大変なのに、今は理科室など使っていない教室の掃除担当は全員外掃除に振り分けられているから、ますます汚くなるのが目に見えている。

「2人して何してるの?」

 そろって後ろを振り向く。見るとそこに立っていたのは元気だった。汗だくだし靴を履いているからたった今外掃除から帰ってきたところで、たまたま同じクラスの友達を見つけたから声をかけに来たところかな。2人して「何だ元気かー」とため息をつく。

「いやー、明日の掃除もきっと大変だねって」

 叶内君は掃除用具をしまい終えると、バン、と音を立ててロッカーの扉を閉めた。元気はあからさまに疲れた顔をしていた。

「じゃあ、私はこの辺で――」

「一緒に行こうよ。隣のクラスなんだし」

 叶内君はそう言うと、今度は何やら元気に耳打ちしていた。直後、元気は顔を真っ赤にして叶内君にエルボーを繰り出す。叶内君はめげずにヘラヘラとずれたメガネの位置を戻していた。何言ったんだろう。聞くのも怖いけど。

 誘われてしまえば断る理由もない。流れで3人で教室へ戻ろうとした時だった。

「昆野さん!」

 篠田先輩の声だ、と認識したところで、1人の女子生徒が教室に戻る生徒たちの流れに逆らうように体育館の方へと走っていった。顔を隠すようにうつむきながら周囲に目もくれず廊下をかけぬけていく。人がさっとよけていく彼女の通り道を篠田先輩が追いかけていく。叶内君が「何かあったのかな」とつぶやく頃には元気と2人で篠田先輩を追いかけていた。

 廊下の角を曲がっていくのが見えたので、倣って曲がろうとしたときだった。

「元気君、小倉さん」

 体育館に向かう出入り口のほうから、高瀬先輩が駆け寄ってきた。

 この一瞬が仇となり、呼ばれて足を止めた私たちは昆野先輩も篠田先輩も見失ってしまった。

「先輩! 見失っちゃったじゃないですか!」

 元気が詰め寄る。高瀬先輩はものともせずに聞いた。

「篠田先輩たちを追いかけて、その後どうしたかったの?」

 高瀬先輩に言われたことで、元気も私もあっと息を飲んだ。

「篠田先輩を呼び止めて、何があったんですかって聞くことになるでしょうから、今の状況と全く同じことが起きて――全員で昆野先輩を見失うことになっていたかもしれない、です」

 元気の声は尻すぼみになっていって、顔もどんどん地面の方をむいていった。

 昆野先輩が顔をうつむかせながら走っていたのは、きっと泣き顔を見られたくなかったからだ。そうじゃなきゃ人を蹴散らすように廊下を走っていったりはしないだろうし、篠田先輩に名前を呼ばれて追いかけられるようなこともないだろう。

 生徒たちの流れに逆らって走って行ったのだから、昆野先輩は逆方向からきて、たぶん教室からかな。おそらく、教室の方で何か嫌なことがあったから涙をこらえて飛び出して来たに違いない。

 私たちが篠田先輩と一緒に昆野先輩の元に行ったとして、何ができるのだろう。昆野先輩とはインタビューの時に顔を合わせた程度の付き合いしかない。なぜ彼女がああして走っていったのか、どんな気持ちでいるのかすら分からないのに、私たちの言葉など届くのだろうか。

「何かご用で?」

 高瀬先輩の視線の先、私たちの後ろには1人の女子生徒が立っていた。上履きの色は青だから3年生、すらりと背が高くて茶色い縁の眼鏡をかけている。

 どこかで見覚えがあるような、と考えていると「3年D組、大林真奈帆まなほ」と向こうから名乗ってきた。

「あなたたち、のうち2人、確か昨日の放課後にインタビューしに来てたわよね」

 声を聞いて思い出した。篠田先輩の練習に付き合っていたうちの1人だ。ということは赤組応援団の1人で、偵察の時にも見かけているはず。あれ、でも……。

「メガネかけてましたっけ?」

「普段コンタクトなのだけれど痛くなって外したのよ。よく覚えてたわね」

 大林先輩は腕を組んでため息をついた。

「見失ってしまったものは仕方ない。実咲みさきのことは篠田さんに任せるしかないわね。

 それに、遅かれ早かれ疑わしき立場の私が説得してもこじれそうだし」

 メガネの奥の瞳が、悲しみをたたえて私たちを見つめている。

「疑われているんですか?」

 元気の問いに、大林先輩はメガネを人差し指で持ち上げて答えた。

「あなたたち、研究部というのよね。事件に首突っ込んで何でも解決してくれるっていう」

「ずいぶん歪曲されてますね」

 大林先輩は高瀬先輩をにらむと、続けた。

「なぜ昆野実咲がああして教室から飛び出してきたのか。長くなるから放課後落ち合うことにしましょう。

 あまり気分のいい話ではないけれど、聞いてもらえるわよね?」

 研究部に舞い込むのは楽しい依頼だけではない。

 うなずくと大林先輩は悲しげな瞳を廊下の奥へと向けた。

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