3.


 全国規模の大手チェーンスーパー『プラス』は、ここ高山市の中で一番大きいショッピングセンターだ。

 ここに来れば家具家電から衣服、食料品はもちろんのこと、ほぼなんでも揃う。ゲーセンも映画館も入っているから学生が時間を過ごすのにももってこい。専門店は雑貨、手芸、靴、スポーツ用品全般、衣服などなどバラエティに富んでいる。プラスはその便利さ、利用者の満足度から平日、休日問わず人で賑わう場所だ。

 自動ドアを抜けて館内に入って、まずは電子案内板を見上げた。一階から四階まであるプラスは一言で言ってちょー広い。「えーと、服…子供用…?」ぼやいて、チラリと視線を投げてみる。ろいろはそういう首振り体操のごとくきょろきょろとあちこちに顔を向けて一人で忙しい。

 ……怖がってはいない、かな?

 とはいえ、手を離したりしたら知らん間にいなくなったりしてあとが怖そうだ。離さないでおこう。

 専門店の服はちょっとばかし値段が上がるので(あと子供連れとか心理的に店内に入りにくいので)予算の都合上プラスが出しているスーパー品の衣料コーナー目指して人の流れの中を歩いて行く。

 人混みの中を歩いていると、ろいろに寄せられる視線がわりとあることに気付いた。

 まぁ、思いっきりサイズの合ってないシャツを着てるわけだから、なんだろうあの子、という感じで人の注目が集まるのは仕方ないことだけど……と、改めて上から下までろいろを眺めて、俺は重大な事実に気がついた。

 そう。ろいろは裸足だったのである。


「ごめんっ、これはごめん」


 さっぱり気付けなかった自分を殴りたくなりながらろいろを抱き上げた。

 変身して見た目が少女になってもズッシリとした重さは健在、と。重い。

 いくら小さい子とはいえ、裸足でアスファルトの上を歩く子はいない。店内は無論である。そりゃあ人の視線が集まるはずだ。

 じゃなくて。服の前にビーチサンダルでも買ってやらないと。

 動物は靴なんて必要ないだろうからなくても違和感ないだろうけど、人間には靴は必須でして。人の姿でいるならサンダルくらいは履いてほしい。

 ということで、見かけた百均でろいろにサンダルを購入した。

 女子っぽいピンクのサンダルをつっかけたろいろの手を取って、改めて衣料品売り場を目指す。

 と、落ち着きなくあちこちに顔を向けていたろいろが、正面に向けていた顔をぐるりと回して背後を振り返ろうとしたのでガシッと頭を掴んで止めた。顔の位置を正面に戻しつつ屈んで顔を寄せて「人間はね、急に真後ろ向けない。それダメ。いい?」手を離す。ろいろは不自然じゃない動きで俺を見上げて首を捻った。うん、伝わってない気がする…。

 いくら少女の格好しててもな。人間はからだを正面に向けたまま顔だけ真後ろを見ることはできないんですよ。それやったら軽くホラーだよ。

 ろいろの行動に注意しながら子供服売り場に到着した。それなりにふくよかなおばさんの店員が子供用の小さな衣服の品出しをしているのが見える。

 子供服。しかも女子用。年頃の男子が堂々と買いに行ける品物じゃない。しかしそうも言ってられない事情が俺にはあるのだ…。

 お財布の都合上プラス製品の服、Tシャツと半パン辺りでガマンしてもらおうと、俺なりに勇気を振り絞って子供服売り場に乗り込んだ。

 うちは親戚付き合いもないし、十歳は違うだろう子供と接する機会は皆無だ。子供服の選び方の基準もわからん。

 あーでもないこーでもないとろいろの肩に服を当てて悩んでみたけど、結局わからず、ふくよかなおばさん店員さんに声をかけてろいろにちょうどいいサイズの服を見繕ってもらった。

 おばさんが眉根を寄せた懐疑的な顔をしてた、ような気がするので、適当な短パンとTシャツを会計して子供服売り場を逃げ出す。

 次に目指したのはトイレだ。車椅子マークが点滅しているトイレの扉を素早くスライドさせてろいろを押し込んでピシャーンと閉めて施錠する。

 よし。誰にも見咎められてないはず…。

 脱力したのも束の間で、ろいろがトイレの便器に顔を突っ込もうとしていたからシャツの襟首を掴んで止めた。「待って。え、待って、何」なんで便器に顔を突っ込もうとしてるんですか君は。便器に興味惹かれる要素ある?

 考えて、ああ、と思った。「水。あー、水ね。喉渇いたってことね」確かに洋式便器の中には水があるけど、あれは飲んでほしくないので、お昼時にコンビニで購入していたペットボトル飲料を取り出す。「とりあえずこれ」キャップを捻って傾ければ飲める状態にしたけど、ろいろはペットボトルを振ったり覗き込んだりするだけで異議ありとばかりにこっちを見上げてくる。飲み方がわからないらしい。

 ふう、と一つ息を吐いて、見本としてペットボトルを傾けて中の液体を飲んだ。ぬるい。当たり前だけど。

 口を離して小さな手にボトルを握らせる。「傾けるだけ。あとは流れてくるから飲むだけ。はい」小さな手と一緒にボトルを傾けていく。やがて液体の触れる感触がしたのか、ろいろがごくごくと中身を飲み始めた。

 ふう、と息を吐く。

 さっきからこんなのばっかりだな俺は。

 それはそうと、買った服をろいろに着せないと。


(あ、タグ。ハサミなんて持ってたっけ…。とりあえずつけたまま、見えてなきゃいいか)


 あっという間に中身を空にしたろいろからペットボトルを取り上げて、「はい着替えるよー」と声をかけてシャツのボタンを外していく。

 ……それとなく犯罪臭がする。自分よりちっさい子が着てる服を着替えのためとはいえ脱がせてるとか。本当は人間じゃないんだけど、今は人間の姿をしてるし。

 いや、不可抗力。不可抗力です。ろいろが自分で着替えられるならしなくていいんです。でもできないししようともしないから仕方なく俺が…。

 心中でブツブツぼやきながらそれとなく視線を逸らしつつ、手早くろいろを着替えさせて、また自分の失敗に気付いた。が、俺にはもうそれを正す力は残っていなかった。小さな女子用の下着とか買う気力はもう残ってないよ……。



 いろいろと心が疲弊したものの、短パンとTシャツ、サンダルをつっかけたろいろは人間の子供に見えた。おかしな挙動をさせなければ何も問題なく人間に見える。虹色の瞳はカラコンってことにすればちょっと無理矢理だけど問題はない。

 腹が減ったらしくカフェやレストランを見かければ中に入ろうとするろいろをその度に引き止め、お財布に優しいフードコートに到着。俺も昼を食べそびれてたし、今日は仕方ない。ここで何か食べていこう。

 お手頃価格のうどん屋からスイーツ、ピザまで幅広い店が並ぶ中で、空いているところ。

 ビビンバの店が店員が暇そうにしてる。すぐ作ってもらえそうだ。

 でもビビンバか。ろいろは辛いものとか食べて大丈夫なんだろうか。人間の味って動物には濃いはず…。でも薄味っていうともううどんくらいしかないなぁ。どうすべきか。

 悩んでいる間も、俺の手を振り切って店に突っ込んでいこうとするろいろの力は強くなっていくばかり。

 たとえ少女の形をしてようがろいろはドラゴンなのだ。これ以上待たせれば本当に店に突っ込んで手当たり次第食い散らしそうだ。

 仕方ない。ビビンバにしよう。

 ろいろを気合いで抱き上げて手短な席に座らせ「いいか、待ってろよ。すぐ戻るから」鞄は置いて財布だけ持ってダッシュでビビンバ店のレジへ。『ゆず塩豚キムチビビンバ』と子供向けっぽい『辛くないビビンバ』を注文して会計、ダッシュでろいろのいる場所へ戻る。

 かなり迅速な行動をしたつもりだけど、それでもろいろは動いていた。

 椅子を下りようとして、失敗して、椅子を巻き込みながら顔面から床にぶつかるようにしてこけた。盛大すぎるこけっぷり。間に合わなかった。「あーっ、あーもー」あまりに見事な顔面からのこけっぷりに周囲の人が驚いていたけど、抱き起こしたろいろは表情一つ変えないで瞬きして俺を見上げるだけだ。

 誰かがこぼしてそのままだったらしいアイスで汚れている顔を紙ナプキンで拭く。

 痛く…ないのかなぁ。どう見ても痛そうな転び方だったけど。

 椅子を直してろいろを座らせる。「もうちょっと待って。すぐだから」俺の声を聞いているのかいないのか、椅子から浮いた足をぷらぷらさせるろいろは落ち着きなく周囲の店を見ている。どこからも食べ物のにおいがするのだ。ろいろにとっては気になって仕方ないだろう。

 出来上がりを知らせる専用の携帯端末がピロリンと音を立てた。空いてただけあってもうできたらしい。『ご注文の品が出来上がりました』取りに来い、と喋っている。「いいか、動くなよ?」聞いてないだろうろいろを残してまたダッシュでビビンバの店に行き、ピロリンうるさい端末をレジに叩きつけるようにして返してトレイを持ってなるべくダッシュで席に戻る。その間にろいろがまたさっきと同じことをして椅子から転げ落ちた。あーあーもー。

 トレイを置いてろいろを抱き起こし、椅子を直して座らせて、「はいどうぞ」どん、と器を置く。

 俺のはジュウジュウと熱そうに熱された鍋に入ってるけど、子供向けメニューは落としても割れない軽い器でできていたから、入れ物自体そう熱くない。だからこそ辛くないビビンバの器に顔を突っ込んだろいろに本日何度目になるだろう溜息を吐く俺。

 さすがに人前でそれはマズいというか、目立つというか。もう充分じゅうぶん目立ってるけどな。

 俺は仕方なくろいろの隣に座って、器を傾けてスプーンでビビンバをろいろの口に流し入れる…ということをした。

 その間に俺のビビンバは冷めていったけど、仕方ない。冷めてもおいしかったのでよしとしよう。

 腹が満たされたことで多少は大人しくなったろいろを連れて、今度は地下に向かった。食料品売場だ。ろいろの今後のご飯に、今日から両親がいない我が家のご飯。調達するものはたくさんある。カレーのルーにカレーに必要な食材と、なんか作れそうな……あ、チャーハンとかどうだろう。ご飯炊いて素と肉があればできる感じ。これならさすがに俺でも作れるだろう。チャーハンの材料、と。

 カートの子供用の椅子にろいろを座らせて(ちょっと使用年齢オーバーしてる気がしないでもない。いや仕方ない。目を離したらどっか行くし)、カゴにあれこれと物を放り込んでいく。肉魚惣菜コーナーではとくにろいろに気を遣った。隙あらば惣菜のパックや肉の塊を掴もうとする小さな手をその度に掴んで止めて「ダメ」と言い聞かせること、何度目か。

 必要以上のエネルギーを消費しながらレジに並び、ビニール袋に食材を放り込み、ろいろの手を握ってプラスをあとにする。


(午後からの授業、またサボり扱いだなぁ。仕方ないんだけど)


 間違っても学友に会わないため、多少遠回りのルートを選んで帰宅。ロックがかかったままの玄関の扉に妹はまだ帰ってないことを確認。施錠を解除してろいろを中に入れた。サンダルのままついてこようとするので「待った、脱いで」そう言ったところでわからないので小さなサンダルを脱がせて靴箱に入れた。念のため俺の靴の下にしておく。これでパッと見はわからないはずだ。

 買ってきた食材を冷蔵庫に放り込んでいる間、ろいろはあっちこっちうろうろしていたけど、飽きたのか、後半は俺の後ろをちょこちょこついてきた。動物じみてる。いや、動物なんだけど。

 さて、ここで大きな問題が一つ。

 このろいろのことを妹にどう説明するか、だ。

 今までのように部屋に押し込んでおくにしてもそのうち限界がくる。ろいろだってトイレとかお風呂とか行きたいだろうし。希望としては行ってほしいし。ご飯もいちいち部屋にお忍びで運ぶのも大変だ。そのうち絶対バレる。なら今のうちに妹にも通用しそうな言い訳を考えておいて、ろいろがついてきても大丈夫な環境を作ることが一番なんじゃないか。

 …とは言ってもな。妹に通用しそうな言い訳。あの妹にバレない嘘。そんなものがこの世にあるんだろうか。


「うーん……拾った。これはさすがになぁ。人の子拾うとかダメでしょ…」


 ソファにごろ寝して適当にテレビを眺めながら頭を捻っていると、ろいろが乗ってきた。「ぐふ」重い。

 


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