幕間
禁忌の末路
夜も深くなった午前三時過ぎ。ベッドですっかり眠りに落ちた
その人影は扉などないかのようにスルリと室内に入り込むと、烈火のような瞳でベッドを一瞥し、かいりに抱かれるようにして眠りこけている黒いドラゴン、
小さな角の根本に刻まれた、『No.014』という消えることのない刻印。
思考能力をなくしてしまった動物のようなドラゴン。
人間によって改造されたその肉体は、もはや化物と呼んでも差し支えないほどには生命からかけ離れた存在となってしまっていた。
しかし、そんな化物になってもなお、この子供は愛情を求めているようだった。そのためだけに生きているようなものだった。
たとえこの子供ドラゴンが『途方のない化物』で『永遠の子供』なのだと知ったとしても、かいりは子供を否定しないだろう。
多くのドラゴンの自由を奪い、尊厳を傷つけ、誇り高き存在を貶めたその実験は、若いドラゴンの怒りに触れた。
人の世に紛れるためある家族のもとに入り込んだドラゴンは、燃えるような赤い髪、烈火のような
同時刻。雷竜の子供が落下した
どこにでもいる一般人の服装をした男が二人と、先頭には、ぎこちない動きで草木の間を行く青年が一人。
男の一人が「この辺りで間違いないのか」と低い声をかけると、青年はぎこちなく頷く。そうして草木をかき分け進んだ先で、一つの白樺を指した。「ニオイ。ト。血。ガ」その言葉を聞いて男二人は顔を見合わせ、それぞれ端末を用意してその木を調べ始めた。
そこは確かにあの子供ドラゴンが落下し枝に引っかかっていた地点であり、足元の草はかいりによってある程度踏み固められていた。
ここに我々以外の人物が先にいた、ということを男はしっかりと認識しつつ、丁寧に地面と草をかき分けて血痕を発見し、手元のデータと照合を始めた。すぐに結論が表示される。『完全一致』だ。
「間違いない。No.014のものだ」
「そうか。まだ国内にいたとはな」
「
「まったくだ」
男二人はもう亡き男のことを嘲笑うと、すぐに表情を引き締めた。足元の踏み固められている草は市街へと続いている。
男二人はまったく同じことを考えていた。
誰かが自分達より先にここに立ったことは明白。子供ドラゴンと遭遇したかはさておき、その人物を洗い出し、監視、必要ならば接触しなければ、と。
ドラゴンの生体改造は表立って認められていない。逃げ出した子供ドラゴンが発見、捕獲されたとなれば国際問題となる。どの国でも同じようなことは行われているはずだが、日本がこれ幸いとばかりに糾弾の的となることは避けたい。
男の一人が念のため端末で情報をチェックした。新しい知らせは入っていない。ドラゴンを発見、保護したというような報告は上がっていない。
念には念を、と確認作業をする男にもう一人の男が人の灯りがある市街の方を顎でしゃくる。
「急ごう
「そうだな。No.015、No.014を捜せ。どんな痕跡でもいい」
命じられた青年はビクリと
体は人間の命令を拒んでいたが、青年の脳髄は『人間に従え』と命令を下した。結果、体は痙攣し拒絶を訴えながらぎこちなく動き、青年は一つ、頷く。自らの意思を離れ、体は動いてしまう。
彼は、ドラゴンだった。ドラゴンという生き物だった。かつては自由に空を飛び、風と戯れる、どこにでもいるドラゴンだった。
今はといえば、あの頃の面影など欠片もない青年の姿で、人間の命令に「ハイ」と片言で返事をする、そんなモノに成り下がってしまった。
どんなに拒んでも、拒んでも、体は人間の指示に従う。そういうふうに存在を作り変えられてしまった。
ドラゴンは、ずっと悲鳴を上げていた。声なき声で。言うことを聞かない口で。言うことを聞かない体で。意思とは関係なく動く自分のすべてに絶望しながら、魂で、助けを求めていた。
そして、その声は、今ようやく、届いた。
言われるがままに市街を目指していた青年がピタリと動きを止めた。表情の欠落していた顔に、戸惑いのような、驚きのような感情の色を浮かべ「どうした」と急かす男二人の声に応えてふらりと頭上を指差す。
青白い光を落とす月が雲間から現れると、白樺の枝葉の向こうの空がよく見えた。ざわり、と風が吹く。どこか不穏な冷たさを含んだ風に青年は首筋が冷えたのを感じた。
それは、力、だった。器の中に収まりきらない途方もない大きな力が空気を伝ってここまで伝わってきたのだ。青年のドラゴンであった感覚がそう叫んでいる。
相手は、そう、ドラゴンなのだ。大きな力を持った同胞なのだ。
寒気を感じながら、青年は空を指す手を下ろした。そこには人の形がある。人の形が空に浮いている。自分と同じだ、と青年は考える。形を変えているのだ。人の世に馴染みやすい形に。
相手が人間でないということは男二人もすぐに察した。
人間は道具を使わず空を飛ぶ術は持てないままなのだ。ならば、相手は人の形をしたドラゴンだ。
「No.014か?」
男の声に空からの返答はない。苛立ったように「No.015」と呼ばれ青年は首を横に振った。ぎこちなく、まるで壊れた機械のように「イイエ」を繰り返す。
アレは、そんなものではない。もっと力のある存在だ。そして、男二人はそれに気付けない。気付けないまま「どちらにしろ捕縛だ。行け、No.015」ビクン、と体は拒絶反応を示したが、命じられた青年に抗う術はない。敵うはずがないと本能で感じながら、青年は重力を無視して跳んだ。まるで一昔前の漫画の一場面のように一蹴りで白樺の幹に踵をつけ、そこからさらに空へと躍り出る。
地上に残る男二人は揃って銃を構えていた。構えている銃にはドラゴン相手にも有効な弛緩薬の弾が込められている。自分達が優位であると、二人は油断していた。
地面に叩きつけられたのは、空に浮かんでいた人影ではなく、青年の方だった。
背中から思いきり、地面にめり込むほどに叩きつけられ、青年の擬態化は解けた。背骨が折れていた。衝撃で肋骨が砕け肺に突き刺さり、ドラゴンの姿に戻ったその口からボトボトと血が落ちる。
予想もしていなかった光景に男二人はすぐに次の行動に移れなかった。
「かわいそうに。頭も体もグチャグチャにされて、訳がわからなくなってるのね」
人影は当たり前のように日本語を話した。
ゆっくりと下ろされた片手。その手が手刀をしたのだ。たったそれだけの動作で日本の科学技術の随意の結晶であるドラゴンを負傷させた。
男二人は息を呑むと同時に、対話も可能であるこのドラゴンを捕縛しなければ、という思いに駆られた。
二人は仕事に使命感を持っていた。これが人類のためになることだと信じていた。そこに犠牲はつきものだとも思っていた。そのためにドラゴンという命を捧げることに、迷いは持たなかった。
故に二人は構えた銃を撃った。
発砲音は静かなもので、夜の鳥の羽ばたきに消えてしまう程度の小さなもの。しかし、放たれる弾の威力は絶大で、たとえ相手がどのようなドラゴンであろうと有効。そのはず、であった。
しかし、それまで空に浮かんでいた人影が突然消え、弾は的をなくして空の彼方へ突き抜けていく。
ヒュー、と危うい息をしながら、ドラゴンは見ていた。男二人の後ろに当たり前のように現れた、燃えるように赤い髪をした少女の姿を。
少女は手刀のたった一つで、その動作だけで、人間を頭から真っ二つにした。その動きに迷いはなかった。バッ、と赤い色が咲いて飛び散る。
もう一人の男の見開かれた目。
もう人間とも呼べない、二つに分かれて倒れた肉塊の名前を呆然とこぼした男、尾田は、引き金を引いた。仲間を殺された怒りを込めて。
しかし、発砲音はなかった。硝煙も生じない。なぜか。少女の手刀が男の腕を切り落としていたからだ。ついさきほどまで尾田自身のものだった腕はマネキンの部品のように地面に転がっていた。思い出したように傷口から血が溢れる。
焼けるような痛みに呻いて膝をついた男を、少女の朱色に輝く瞳が見下ろしている。無感動に。無価値な石を見るような冷たい瞳で。
No.015、と最後の手段のように呼ばれたが、ドラゴンの負傷もそれなりのもので、すぐに動くことなどできなかった。
その間に男の首と体が手刀一つであっさりと切り離されて、頭が転がって、胴体が倒れた。ドラゴンが抗いたくても抗えなかった人間二人はそうしてあっさりと死んだ。残った死体も、意思があるかのように動き始めた地面の中へ、ズブズブと埋もれていく。
ドラゴンは見ていた。少女の形をしたドラゴンを。強い力を持つ相手を。
青白い光に照らされ、血に濡れた赤い顔でこちらを見ている少女。
しかし、なぜだろう。ドラゴンはその力の大きさを
たった今簡単に人間を殺してみせた少女。しかし、怖い、とは思わなかった。
プチ、プチ、と糸が切れるように呆気なく、ドラゴンの心はシステムによって壊れ続けているのだから、そんなことを思う思考が残っていないということなのかもしれないが。
「どうしたい?」
やわらかい声をかけられ、No.015と呼ばれたドラゴンは、ドラゴンだったものは、懇願した。魂の声で。声なき声で。システムに支配され壊れていく自分を感じながら、これ以上ドラゴンとして恥を重ねないように、楽になりたい、眠りたい、と申し出た。
先ほど人を殺した赤い手が伸びて、ドラゴンの頭を一つ、労るように優しく撫でる。
殺してください、と願うドラゴンを少女は拒まなかった。
体にしろ心にしろ、どのみちしてやれることは少なかった。せめてこれ以上苦しむことのない安らぎを与えることしかできない、と少女には分かっていた。それが命を奪うという行為でも、相手のためになるのなら、
「おやすみ」
そう言って、少女はドラゴンの頭の上に手刀を落とした。
必要最低限の力で脳髄を破壊され、ドラゴンの体はゆっくりと地に倒れる。
その顔はようやく眠れるとばかりに安堵した、安らかな寝顔だった。
少女はしばしその寝顔を見つめていたが、眠りについたドラゴンも、やがてはズブズブと地面に埋もれ、地中へと消えていく…。
残ったのは少女ただ一人。
赤い色で汚れた肌に顔を顰めながら、少女はふわりと浮かび上がると空に飛翔し、雲に紛れるようにして姿を消した。
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