4.
妹に付き合う形で、急な出張の決まった父親の荷物をまとめてトランクを作り、おばさんの会を切り上げ帰ってきた母親と顔を突き合わせて父の出張(地方にはなるけど、事実的な昇進ということになるらしい)のことについて話し合い、流れで夕食を作る手伝いをし……なんてことをしていたらすっかり夕方になっていた。
考えることが、次から次へと、まるで降ってくるみたいに。
あのドラゴンのこともあるのに、今度は父親の出張か。頭の中があっちへこっちへ忙しい。
今後の話し合いのため、母さんが淹れたお茶のカップを片手にそれぞれ席につく。
一番に口火を切ったのは妹だ。携帯端末を操作して何かを画面に呼び出す。
「あたしはここに残るよ。沖縄はいい学校ないから」
我が道を行く妹はすっぱりと言い放って携帯端末をテーブルに置いた。画面に表示されている沖縄にある学校一覧の中には、確かに、妹が行きたそうな学校はなかった。
妹の言葉に母親が眉尻を下げてみせる。
「でもねぇ、お母さんはお父さんについていかないと…。あの人仕事以外だらしがないから」
「そうだね。母さんは父さんについていった方がいいとあたしも思う」
服は脱ぎっぱなし、洗濯物は汚い干し方しかできない、たたむのも適当。洗い物は限界まで溜め込むし、ゴミ捨てを頼めば忘れることなんてしょっちゅう。そんな父親が出張先で、新しい環境、職場、仕事に打ち込むのに、家のことにまで気が回るはずもない。
ゴミ屋敷の中で平気な顔して生活する父親が簡単に想像できるんだから、あの人を一人沖縄に送り出すわけにはいかない、というのは家族一致の意見のようだ。
…父さんが昇進する、というのはいい話だ。
そのかわり、新たな困難が待ち受けている。今までのようにはいかない。父さん自身はもちろんのこと、俺達も、母さんも。
妹が俺に視線を寄越した。「お
当然今の学校の友達とはサヨナラだし、新しい環境に飛び込んで、何もかもをイチから始めないとならない。友達作りも、住む場所の把握も、生活の基盤もすべて。正直言えば、それは面倒くさいかな、と思う。
子供二人が渋い返答であることに母さんは軽く溜息を吐いた。「それに、子供だけここに残していくっていうのもねぇ」それはごもっともな意見だ。俺達はまだ子供で未成年。バイト以外の稼ぎ口があるわけでもない。
母さんの心配は当然だ。が、妹はそんな母さんに眉をつり上げた。何かが癪に障ったらしい。
「お兄は頼りないけど、あたしはそうじゃないでしょ。家のことくらい分担してできるわ」
「でも…」
「それにここ、夢のマイホームでしょ? そんな簡単に手放せるものなの? お兄が生まれてからずっと暮らしてきた家でしょ。ゴールドだっていた」
ゴールド、の言葉に一瞬リビングが静かになった。
今はもういないゴールドが『呼んだ?』と庭から尻尾を振っている。そんな幻想を瞬きで振り払う。
ゴールドを引き合いに出されると、急にこの家に愛着が湧いてくる。ゴールドの爪でできた床の引っかき傷とか、『ゴールド』と名前の入った犬小屋が設置されたままの庭が、手放しちゃいけないものに思えてくる。
それに、俺の部屋には今ドラゴンがいるんだ。ここを離れることはできない。
一瞬詰まった息を深く細く吐き出して、「俺も、ここに残るよ」と言うと、母さんは額に手を当ててやれやれと頭を振った。
「二人の意見はわかったわ。お父さんに相談してみましょう」
そういうことでいったん話し合いは終わり。俺は日課の風呂掃除へ…と思わせつつ、音を立てないようダッシュで自室へ戻った。ドラゴンのことが気になって仕方がなかった。大人しくしてるかなぁ…。
手早くロックを解除して扉を開けると、黒いドラゴンは俺のことを待っていた。扉の外へ出ようとするので慌てて押し込んで締め切る。「ダメダメ、外に出ちゃダメ」クル、と鳴いたドラゴンが首を傾げる。なんで? とでも言いたいんだろうか。
「俺以外にも人がいるんだよ。お前のことが知れるのはできれば避けたい。だから、大人しくしててくれ。風呂と飯すませたら戻ってくるから」
温度のあるガラスのようなつるつるとした鱗の生えた頭を撫でると、ドラゴンは心地よさそうに目を細くして俺を見上げた。
怪我もないんだ。念のため今日は俺の部屋で休んでもらって…明日のことは、寝る前にでも考えよう。
父さんはかなり帰りが遅いらしい、ということで先に飯風呂をすませた俺はすぐに部屋に戻った。カチャカチャ爪を鳴らして寄ってくるドラゴンの頭を撫でて、せーの、で抱き上げる。やっぱり重い…。
よし。まずこのドラゴンの基本情報を確認しよう。振り返ったら何か新しいこととか発見するかもしれないし。
勉強なんてテスト前だけの机にドラゴンを下ろして、椅子に腰かける。ルーズリーフを一枚置いてシャーペンをカチカチ。虹色の瞳が俺の手を追いかけている。
えーっと。箇条書きしてみよう。
・どこか人の施設から逃げてきた(角にある焼印からの推測。実験的な何かをされていたかもしれない)
・人間に慣れている気がする(人のいる施設にいたなら不思議じゃない)
・窓を開け放っても出ていこうとしないから、帰る場所がないのかもしれない(または思いつかない、思い出せないのかもしれない)
・とりあえず、俺に懐いている
・ご飯をよく食べる(出せばなんでも食べる。底なしの胃袋だ)
・見た目より重い
…紙に書き出してみて、ペンを転がした。中身がなさすぎて。書くまでもないことばっかりじゃないか。
転がしたペンを前足で踏んづけて止めたドラゴンが鼻を鳴らして顔を寄せたから慌ててペンを取り上げる。こんなの食べたら腹壊すどころの話じゃないぞ。
俺がコンビニへダッシュで行って帰ってきた食料のほとんどを食べ尽くして、今は遊んでもらってるという認識なのか、黒い尻尾は機嫌よさそうに揺れている。
あとは父さんの帰宅を待って、家族で話し合う、という難題が残ってるけど、それでもなんとか今日という日を乗り切れそうな二十二時過ぎ。
俺は欠伸をしつつ財布の中身を確認した。普段は漫画を買うくらいしか使うこともないけど、だいぶ減ったなぁ…。明日は明日でスーパーとかで食料を買ってこないとな…コンビニは高いし。そこまでナチュラルに考えて、いやいや、と一人首を振る。そんな俺をドラゴンの目が追いかけている。
こいつに怪我はなかったんだ。ご飯はいっぱい食べさせたし、部屋でゆっくりできる時間も取れた。明日には元気いっぱいだろう。
ドラゴンは人から隠れて自然の中で暮らしてきた。自然へ、あるべき場所へ返すべきだ。俺に慣れすぎてしまう前に。このドラゴンが逃げ出した施設からの、追手、みたいなのがかかる前に。
大したことも書けなかったルーズリーフの用紙をたたんで引き出しの中へ突っ込んで、ぐっと伸びをする。
俺の真似なのかなんなのか、ドラゴンが首を伸ばして若干背伸びしている。
(昼寝もしたっていうのに、今日は一日、疲れたな。いろんなことが同時に起こりすぎだ。父さんのことも、ドラゴンのことも、どっちも急すぎ。どっちか一個でも大変なのに)
急な引き継ぎ作業で父さんは今日は深夜帰りって話だ。それで明日はフライトで沖縄…。大変だな。いや、俺達家族も、これから大変になる。他人事ですませてちゃいけない。俺も、もうちょっとしっかりしないと。
机から前足を伸ばしてこっちにフラフラさせるドラゴンに、ここおいで、と膝を叩くと乗ってきた。やっぱりどう考えても見た目より重い。
「…甘えん坊だなぁ、お前」
たった一日一緒にいるだけの人間の膝の上に乗っかっているドラゴンをぽんと叩く。クルクルと喉を鳴らすのは機嫌がいいからなのか、別に関係ないのか。
……動物に懐かれるのって、どうしてこう、心がやわらかくなるんだろうな。『好きだ』っていう誤魔化しのない表現方法が心に響くのかな。やっぱり動物っていいなぁ。…あれ、ドラゴンは動物なのか…? 爬虫類? あー、うーん…。まぁいいや。生き物って落ち着くよな、うんうん。
飯風呂をすませて自室でぼんやりできる時間ができて、忙しなかった一日がようやく終わるんだな、という感覚がじわりじわりと訪れる。
あとは父さんの帰りを待つのみだ。
机に携帯端末を乗せて、朝連絡をくれていた友人
トントンと端末を叩く俺の指を虹色の瞳が追いかけている。「…あのさぁ」言っても通じないとは思うけど、俺は思わずぼやいていた。「そのガン見、やめない?」
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