2.
見た目よりもズッシリと重いドラゴンをブレザーでくるんで一戸建ての我が家にたどり着いたときには、俺の腕には限界が来ていた。なんとか抱えているドラゴンは相変わらず重くて、今にも落っことしそうなのを何度抱え直したことか。
道中、人とすれ違ったり車のある通りを歩いたりしたけど、ドラゴンが大人しく抱かれたままだったのには助かった。
順応が早いというか、なんというか。やっぱりこのドラゴンは純粋な野生のドラゴンではなくて、どこか人の手の入った場所にいたんだろう。
角の根本にあった焼印のことを思い出しながらドラゴンを玄関先に下ろして扉に手を触れさせる。父さんはとっくに仕事に出て、今日は母さんはご近所さんとお茶だって言ってた気がするから、今は家に誰もいないはずだ。
案の定触れた扉には『LOCK』の文字が流れた。解除キーを求めてくる扉に、携帯を介して英数字を打ち込んでロックを解除する。
アクセスを許可された端末で、なおかつ正しい解除キーを入力しなきゃロックは解けない。これにさらに物理的な鍵を取りつける人もいるけど、うちはもっぱらこの電子ロックに頼っている。
カチ、と施錠が解かれる音にドアノブに手をかけて、そろり、と扉を開けた。…いや、誰もいないはずなんだけど。なんとなく。
もそもそ、とブレザーの中で身動ぎしたドラゴンが鼻先を覗かせた。きょときょと顔を左右に動かすドラゴンの背中をちょんちょんとつつく。「入って」…通じないのでドラゴンのお腹を抱えるようにして家の方へと押し込んで、さっさと扉を閉めて再度施錠する。
「ふぅー……」
腕が疲れたし、抱えているのはドラゴンだしで、なんだかんだと緊張していた背中やら肩やらを動かして、こっちを見上げているドラゴンの目線に合わせてしゃがみ込む。
よし。疲れた。ちょっと休憩。廊下の硬い床でも寝転がったら多少は楽だ。
ぐでっと
お、もい。息が。苦しい。
「コラ。乗っていいって意味じゃないぞ…」
胸と腹にデンと乗っているドラゴンを指でつつく。つついたあとに、そういや怪我はどこだ、とあちこちペタペタ触ってみたけど、傷らしい傷は触れた限りではわからなかった。
一分くらい寝転んで、ドラゴンを上から退けてから起き上がる。ぼけっとしてるとこのまま寝れそうだ。
慣れない樹林の中に分け入って汗水流したり、帰りは重いドラゴンを抱えて帰ってきたんだ。疲れていて当然か。
寝る前にやることがいくつかあるぞ、っと。頑張れ俺。気合い。
パン、とズボンを払って立ち上がり、こっちを見上げているドラゴンに「ちょっと待ってろよ」と声をかけてから離れた。
通じるはずもないのにそんな声をかけてしまうのは、癖だろう。
うちにはゴールドがいたから、人間じゃない生き物に声をかけることも、一緒に遊ぶことも、相手を思いやることも、普通のことだった。
(とりあえずタオルで体をきれいにしてやって、傷はなさそうだったけどそのときにもう一回チェックして…。あとは何か食べ物かな。ドラゴンって何食べるんだろ…やっぱり肉? 生肉って冷蔵庫にあったっけ……。ドッグフードとか食うかなぁ)
考えながら脱衣所で適当なタオルを濡らして絞っていると、カチャカチャと耳に引っかかる爪の音がした。…犬と同じような感じだ。爪が廊下の床板に当たって出る音。
そんなわけがないとわかってるのに、振り返った先にいたのが黒いドラゴンであることに、俺は静かに落ち込んだ。
ゴールドはもういないんだ。いつまでも引きずってないで、現実を見ないと。
気を取り直して、こっちを見て瞳を瞬かせているドラゴンに手招きする。こっちに来かけたドラゴンは、俺がタオルを広げると壁の向こうにぱっと逃げた。タオルを広げたことに驚いたらしい。
動かないで待っていると、脱衣所の入り口から首を伸ばしてこっちの様子を覗きに来た。ドラゴンはきょときょと視線を動かしながら、脱衣所内に入ろうかやめようか、と迷うように足を出したり引っ込めたりしている。
ここで俺が捕まえに行ったら逃げるだろうし、噛まれでもしたら冗談じゃすまないので、根気よく、ドラゴンが自分からこっちにやって来るのを待つ。
一分くらいきょときょと視線を動かして辺りを窺っていたドラゴンは、危険なものはないと判断したのか、カチャリと爪を鳴らしながら俺の前までやって来た。よし来た、とドラゴンをタオルで包む。つるつるした鱗を拭って、ゴツゴツした角も拭いて、背中や腕を覆っている鱗よりはやわらかい腹部をきれいにして、尻尾も先まで拭った。
犬よりも大きくて鋭い爪はちょっと触っただけで肌を切りそうで、こっちを拭うのは諦めた。
改めてタオルを広げてみて、血がついていないことに首を捻る。…雨で流れたんだろうか? それとも俺が血だと思ったものがそもそも思い違い、とか。
まぁいいか、と深く考えずにタオルを洗濯機に放り込んだ。ついでに着ていた制服も放り込んで、たたんで積んである着替えのスウェット上下に着替える。樹林を探索したせいで砂とか泥とかその他で汚れたちゃったし制服も洗濯機っと。
とりあえずドラゴンに怪我はなさそうだったから、次へいこう。
俺がキッチンへ向かうと、ドラゴンはカチャカチャ爪を鳴らしながらついてきた。家の中を見回してはいるが、怖がってはいない。
「えーっと、ドッグフードがこのへんに……」
とりあえず、消費しても家族にバレないものといえばコレだ。
うちではもう食べる奴がいなくなってしまったドッグフードの箱を流し台の下から引っぱり出す。近くにはこれも同じくしまわれていた餌皿を発見した。床に置いてザラザラとドッグフードを流し入れる。
さて、ドラゴンはドッグフードを食べるんだろうか。
コトリ、と餌皿を置いて見守っていると、鼻を鳴らしてドッグフードを見つめていたドラゴンが動いた。カチャカチャ爪を鳴らして餌皿に寄っていくと鼻先をつっこむようにしてガリガリかじり始める。
よかった。食べた。よし。
さてお次は、と冷蔵庫に意識を向け、肉はあったろうかと中を確認していると、カチャカチャと爪の音が聞こえた。顔を向けると口からぽろぽろドッグフードをこぼしつつこっちを見上げているドラゴンが一匹。あー、床が。食べかすが。「…ドッグフードじゃやっぱ駄目かな」目線を合わせてしゃがみ込むと、ドラゴンは口をもごもごさせながらまた餌皿に顔を突っ込んだ。……まずくて食えない、ってわけじゃないみたいだな。
よーしそのまま食べてろよ、と改めて冷蔵庫の物色を始めると、また食べるのをやめてこっちを見上げてくる。そのまっすぐな視線に肩を竦める。
なんなんだ。見てろってことか? 食べてりゃいいのに。
仕方なく冷蔵庫の扉を閉めて餌皿の前に腰を下ろした。「はいはい」抱えた膝に顎を乗せて片手で餌皿を叩く。見守っていると、ドラゴンはまたドッグフードを食べ始めた。
(俺が見てないと食べないって、子供じゃないんだから…)
思って、首を捻った。
ドラゴンっていえば大きいってイメージがあるんだよな。人を乗せて飛ぶとかさ。そこを考えると抱き上げられる大きさのこのドラゴンはまだまだ子供って可能性もあるんじゃないか。そうだとすればこの従順さも頷けるっていうか。
あぐあぐとへたくそな食事をしているドラゴンを眺めて、携帯を取り出して、せっかくだし保存用の写真だけでも撮ろうかと思ってカメラを起動させて、画面を終了させた。
どこで情報が漏れるとも限らない。写真は、やめておこう。今はそういう時代だ。
携帯端末はとても便利だし、日常生活に欠かせないものになっているけど、それだけに心を許しすぎている節もある。誰が見ているか、監視されているかわからない媒体は、こういうときは信頼しちゃいけないものだ。
扉の施錠に始まり、昨今は日常に電子が入り込む時代だ。それだけにハッキングやクラッキング系の情報犯罪も増えている。ドラゴンのことを秘匿していたいのなら、メディアや記録に残すことは、避けるべきだ。念には念を、ってね。
仕方がないのでドラゴンの食事を見守り、結構あったはずのドッグフードがあっという間にドラゴンの胃袋へと消えていったことに戦慄しつつ、餌皿をきれいに洗ってもとあった場所にしまった。
この食欲を考えると今から明日の飯の心配をしないとならないレベルだ…。バレないように、っていう当初の予定が。もう揺らぎ始めてるぞ。
俺が食べた、で通りそうなスナック菓子やらクッキーやらの食料を持って階段を上がると、ドラゴンは後ろをついてきた。滑り止めを兼ねているカーペットで爪の音は消えている。
朝ロックをかけ忘れた部屋のノブを回して扉を開ける。
俺が抜け出した形の布団のあるベッドにスナック菓子その他を放り投げ、きょときょと視線を動かしながら部屋に入ってきたドラゴンを眺めつつ扉を閉めた。
よし。とりあえず。落ち着いたぞ。
ふう、と息を吐いてスナック菓子その他の食料を枕元に避難させ、ベッドに転がる。
ふー…。あー落ち着く。布団最高。
なんだかんだで疲れたなぁ、と目を閉じる。このまま寝れそうだ…と思っているとずしっと胸に重み。うぐ、と潰れた息を吐いて目を開けると、黒い鱗のドラゴンが俺の腹に陣取っている。
なんか、少し、懐かしい重みだ。ゴールドは大型犬だし重たかったな。よく似た重みだ。懐かしさを感じるほどの。
寝転がったまま手だけ伸ばしてベッドサイドのテーブルにある写真立てを掴んで目の前に持ってくる。
デジタルフォトフレームの中では、ゴールデンレトリバーのゴールドが映っている様々な写真が切り替わりながら絶えることなく表示されている。
目を閉じれば、今でも鮮明に思い出すことのできる、ゴールドとの思い出。過ぎ去って二度と戻らない日々の名残。
ちょん、と冷たい鼻先が手の甲に押しつけられた。スンスンと鼻を鳴らす音に薄目を開ける。ゴールドじゃなく、黒い鱗をしたドラゴンが何色にも見える不思議な瞳でこっちを見ている。「…これは食べ物じゃないよ」フォトフレームをドラゴンから遠ざけつつ、それでも眺める。
ここにあるのは思い出だ。もう現実にはならない、かつてあったものたち。
それを語ったところでお前に通じるとは思えないけど、なんとなく、話しておきたくなった。
たぶん、自分にけじめをつけるために。これは必要なことなんだろう。
きれいになって、腹も膨れたなら、次は眠るといい。あたたかい布団の中で眠ればお前の体力もきっと回復するはずだ。
腹の上のドラゴンを下ろして隣に移動させ、足元の布団を引き寄せる。
「こいつは、ゴールデンレトリバーって犬種のわんこ。名前はゴールド。オス。ついこの間までうちにいたんだ…」
もういなくなってしまった相棒のことを懐かしく思いながら。フォトフレームの中でまだ小さい俺と野原を駆け回っているゴールドに眩しさを感じて目を細めながら。
ドラゴンが聞いてるか聞いてないかは横に置いておいて。俺は一人、話し始めた。
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