第3話 笑いの種

 常連となったクロノス=カフェの戸口を開くと、今日は随分と楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 女の人の笑い声だが、ハスキーボイスのクロノスではない、もっと甲高く女性らしい声だった。

「いらっしゃい」

 クロノスが僕に気が付いてカウンターから目を向けると、中央のテーブル席に座っていた女性も振り向いた。

 ここに来るのだから、彼女も神様だ。

 その神様は、派手なマッドイエローの髪を大きくカールさせて腰まで流し、中世ヨーロッパ風のドレスを大胆に膝まで捲し立てて美しい肌の脚を組んでいる。魅惑的、というよりかわいさを感じさせられる女神だ。

 笑い声はこの神様のもので、その証拠にずっとニコニコしている。今にも笑い出しそう、と言う感じで人懐っこいように思える。なんだか仲良くなれそう。

「なんで人間がいるのぉ? クロノス、あなたやっぱり面白いわぁ!」

 やっぱり堪え切れなくなって女神は笑い声を上げた。

 僕は自分が笑いの種になっていることはわかっていたけど、不思議と不快な感じはしなかった。

「最近よく来るようになったんだ。みんなはイエスって呼んでる。イエス、突っ立ってないでおいでよ」

「あ、はい」

 いつものカウンター席に歩いていくと、自然とその途中でタレイアの横を通るので、ついでに挨拶のために立ち止まった。

「あの、タレイアさん」

「あっははははははっ! すっごい普通だわぁ、普通に話しかけてきたわぁ!」

「普通ですみません」

「あははははははっ! 謝ってきた、ふう、あははっ、あーだめ」

 笑いが止まらないようで、なかなか僕は挨拶ができなかった。

 こんなに人に笑われたのは久しぶりだ(神様だけど)。やっぱり不快には感じなかった。笑いものにされているというより、好意的に楽しんでくれているように思える。

「イエスね、ふふっ、聞いたことあるわよぉ。一回死んでまた生き返るなんてやるじゃない」

「いや、それは僕じゃなくって……ただのあだ名ですから」

「冗談よぉ、分かってるわ。あなた全然イエスって顔じゃないもの」

 そりゃいわゆるしょうゆ顔と呼ばれる日本人の典型のような顔の僕に、横文字の名前が似合うわけはない。

「タレイア、お待たせ」

 クロノスが湯気の立ったホットココアとマシュマロの乗ったトーストを持ってきた。

 女性らしい可愛い取り合わせだが、なんとも甘ったるそうである。

「イエスは何にするかい? 今日もおまかせ?」

「あら、イエスはいつもおまかせにしているのぉ?」

「メニューがないと、何にしていいか分からなくて」

 この店にはメニューというものは存在しない。クロノスが書くのを面倒がったせいだ。

 客の神様は皆それを気にする様子はないが、僕にとっては選択肢が用意されていた方が楽である。

 そもそもクロノスの持つカフェのメニューは、どのくらいの範囲まで網羅されているのだろうか。今僕が本当に食べたいものと言ったらこのお洒落なカフェにそぐわないものばかりだ。餃子とか回鍋肉とか。

「それじゃあ、今日はあたしが決めてあげよっかぁ。甘いものはお好きかしらぁ?」

「まあ、ほどほどに」

 マシュマロトーストをおいしそうに頬張っているタレイアを見て、ほどほどにではなく苦手と言った方が賢明だっただろうかと思った。

 しかし日本人の性質である。はっきりと断るのは忍びない。

 ここはこの可愛らしい女神がどんなものを頼むのか待ってみよう。

「ふふふ、じゃあ……エマダツィをお願い!」

「了解」

 にこりと笑ってクロノスは奥へ姿を消した。

 どちらも聞いたことのない食べ物だが、一体どんな食べ物何だろうか。名前から想像するのも困難だ。

「楽しみにしててねぇ。きっと気に入るわぁ」

「はぁ、はい。ところで、タレイアさんって何の神様何ですか?」

 これはこのカフェで出会う神様に対して必ず疑問に思うことだ。

この前会ったアイオロスが何の神様なのか聞き逃してしまい、家に帰ってから地味に後悔していた。なので、機会があればこちらから聞いてみることにしようと思ったのだ。

「そうねぇ、何だと思う? いくつかヒントは出ているわぁ」

「ヒント?」

 僕はカウンター席に後ろ向きに座って腕を組み、タレイアをじっと観察する。

 その様子を見てタレイアはまた肩を震わせて笑った。

「あははっ、そんなに考え込まなくたっていいのにぃ」

 そう言われても、僕の固い脳みそでは答えどころかヒントも見つからない。

 彼女との会話をぐるりと思い返しても、笑ってばかりいる印象だ。

 そこで僕はハッと思いついた。

「まさか……笑いの神様!?」

「あっはははははははははっ!!!」

 結構自信あったんだが、ものすごく笑われた。でもやっぱり笑ってばかりだから、そんな気がするな。

「ぶっくくく……はぁ、ふっ、半分正解、よ、ふふっ」

「え、こんなに笑っといて半分なんですか?」

「はい、お待たせ」

 半分と言うのに納得できず身を乗り出す僕の後ろで、戻ってきたクロノスがテーブルに何かを置いた。

 ――香味の効いた匂い。

振り返らずとも分かった。

「スイーツじゃないんですね、意外です」

「ああ、来た来た。さあ召し上がれ。私が作ったんじゃないけどねぇ、あははっ」

 笑いのツボから抜け出せないのか、腹を抑えて震えながら僕に料理をすすめた。

 とりあえず答えはタレイアが落ち着いてからにしようかと、僕は座りなおして頼んでもらったエマダツィの方を向く。

「…………」

 僕の目の前の皿には赤と緑のコントラストの効いた唐辛子が山のように盛ってあった。

「エマダツィは唐辛子をふんだんに使ったチーズ料理だよ。ブータンが広く食べられていて、世界で最も辛い料理だともいわれているんだ。今日はサービスで多めに盛っておいたよ」

「何かもう、見ただけでわかります」

 もともとタレイアのココアとトーストを見て、甘いものが来るかとばかり思っていたところだ。胃が完全に甘いものモードになっていた。

 落ち着け僕。さっきまで中華料理食べたがってたじゃないか。その時のイに戻すんだ。中華料理も辛い系、すなわち目の前のエマダツィも食べれる。

 タレイアが再び笑いのツボに入ったようで、収まりかけていた笑い声がまた次第に大きくなる。

「あはははっ、あたしも食べたいと思ってるんだけどね、ははっ、まだ勇気が出なくてねぇ。それ奢りにするから、ちょっと食べてみて……あははっ」

「食べた人の反応が見たいんですね……」

 やはり人生に笑いを求めて生きている神様のようだ。自ら笑いを探しに行っている。僕を犠牲にして。

 けれどやっぱりどこか憎めないな、と思う。

 仕方なく僕は箸に手を伸ばした。

 唐辛子を一つつまんでみると、緩いスープ状のチーズがかかっている。

 僕は口に入れる前に、聞くのをまた忘れそうだからと目の前に立つクロノスに尋ねた。

「クロノスさん、タレイアさんって何の神様なんですか?」

「タレイアは、喜劇の神さ。芸術の神々ムーサイの一人。お笑いの神とはちょっと違うかもしれないねぇ」

 クロノスはそう言いながら、たっぷりとグラスに水を汲んで僕の前に置いた。これから来る辛さの衝撃に耐えうるものなのかは僕もわからないが、水のピッチャーも一緒に置いてくれたので、皿の半分くらいまでは持つと信じたい。

「いただきます」

「どうぞ」

「あははははっ……ふぅ、どうぞ」

 女性二人が面白そうな目でこちらを見る中、僕は三口目でピッチャーを空にした。

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クロノス=カフェへようこそ! 日向夏よの @hyu_ganatsuyono

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