第2話 イエス

 僕はあれから「クロノス=カフェ」に通うようになった。

 二回目に向かった時はまたあの場所にたどり着くか分からなかったので、半分冗談で向かったのだけど、見事にたどり着いた。

 クロノスのコーヒーは相変わらずお世辞にも美味しいとは言えないが、この店がなんとなく気に入った僕は、出されたら一口は飲むようにしている。お金は払わないけど。

「いらっしゃい。良くすり抜けるねぇ、君」

「こんにちは。すり抜ける?」

「今日は何にするかい?」

 僕の質問を華麗にスルーし、カウンターでコーヒーを汲み始めるクロノス。

 僕はいつも座っているカウンター席に座ろうとした。その席より離れた端っこに、誰か座っている。

「おやぁ、人間じゃないか」

 声をかけられる前に僕も気付いてそちらを見ていたので、振り向いたその人物とばっちり目が合う。

 薄い緑の衣服をゆったりと着こなしたくせ毛の男。おそらくこの人も神様なんだろう。

 眠そうな声でクロノスに問いかける。

「珍しいねぇ。クロノスが呼んだのかい?」

「さてね」

 僕もこの前から気になっていたが、神様の口ぶりから察するにこのカフェは人間が普通入ってこられないらしい。こんな山奥にあるからという問題ではなく、神パワー的な何かだろう。

「どうして僕は入ってこられるんですかね」

「入ってこられているだけじゃない、僕は君が神様と普通に話をしているのも不思議な力だと思うね」

「え……皆さん日本語で喋ってますよね?」

 クロノスは日本人顔なのでわかるが、この緑の男は外国人顔だ。海外旅行するやる気もお金もない僕には、ヨーロッパ人の見分けなどつくはずもないがアジア圏でないというのはわかる。

「それは神通力というものさ」

 ここでクロノスがコーヒーカップを僕の席に置きながら説明した。

「神通力とは神様の言葉を聞くことが出来たり話しかけたりするもので、人間が編み出した神への交信手段だね。今は全く廃れてしまっているけど」

「あー、そんなのあったねぇ。最近はめったに話しかけられないし声も届かないから忘れちゃってたなぁ」

「神様同士も言語違うとやりづらいからって神様語作っただろう。それで聞こえづらくなったんだよ」

「なーる」

 神様語。確かに明らかに国籍が違うような神々が集まっているが、みんな普通に会話しているのはそういうわけだったのか。

 でも平凡な一日本国民にすぎない僕が、そんな神様語の分かる神通力を持っているなんてどういうわけなのか。

「も、もしかして僕も神へと昇華……な訳ないか」

「訳ない訳ない」

「ないな」

 二人に全否定される。それもそれでへこむな。

 紛らわすようにクロノスのコーヒーを一口飲む。やっぱり舌が痺れるような不味さだ。

「うわぁ~、君、クロノスのコーヒー飲むとかやるねぇ。ゲロマズでしょ」

「ゲロマ……いや、まぁマナーとして一口くらいは」

 ここに来る神様たちは本当に容赦がないらしいな。この前来たカグツチとオケアノスはクロノスに惚れていたようなのではっきりとは言っていないだろうが。

 クロノスを見ると、何も気にせずにむしろちょっと面白そうに笑っている。

 言われ慣れている顔だな。

「いい人間だろう? 日本人はこういった礼儀を大事にする民族らしい」

「へぇ~、ああ彼日本人なのね」

 日本人なのねも何も、この店は日本の東北地方にすっぽり収まっている山奥だ。むしろ日本人じゃない方が珍しい。

 その時僕の後方からドアがお化けのようにギギギと開く音が聞こえた。

「来たぜ~、お? また来てたのか、人間」

「早く入りなさい愚図神が。おや、君は先日の」

 カグツチとオケアノスだ。二人セットになってお店に入って来る様子を見ると、仲がいいのか悪いのか分からない。

 僕の疑問の回答するように、二人はバラバラに別れて遠い席に座った。オケアノスの方が緑の神様と近い方のカウンター席。カグツチもカウンター席で僕の隣の隣の隣くらい。

 クロノスが好きだからカウンターに座っているのだろうが、僕と緑の神様を挟んで睨み合わないでほしい。

「人間よ、先日は騒いですまなかったね。しかしクロノスさんは人間ごときにはやれないということを忘れないように」

「こいつと同意見なんざ虫唾が走るが、そうだぜ人間。クロノスは時の神なんだ。お前とは住む世界が違うかんな」

「は、はい……」

 何故か怒りの矛先が僕に向けられる。

 確かにクロノスさんは僕の目から見ても整った顔立ちをしていて、神様的余裕のあふれた美人さんだ。だがいくら僕でもわかる。触らぬ神に祟りなし、こうもスキャンダラスな神様にわざわざ惚れるものか。

「ほらぁ、怯えちゃってるじゃん。かわいそ~」

「アイオロス、ちなみにお前もだからな。とりあえず神だろうと人間だろうとクロノスに近づく男は許さん!」

 なんと身勝手な。カグツチは男とあらば何していても噛みつくようである。僕もこのアイオロスという神様もただ座っていただけなのに。

「ごめんね、あの単細胞が~。僕の力ならあいつが何してきても、ひ弱な人間守るなんて訳ないから安心して~」

「うぅ……ありがとうございます」

 ひ弱と言われたが、実際先日の神様バトルを見て人間の挑めるものではないと知ったので、特に気にしない。

 アイオロスはどうやら良心的で良い神様のようだ。

「肩入れするとは気に入っているのですか、アイオロス」

「うん、なんか面白そうだよねぇこの人間くん。あ、そうだ」

 アイオロスが頬杖をつきながら、僕に顔を向ける。

「君って名前なんて言うの? いつまでも人間くんじゃ呼びづらいしさ~」

 それはちょっと僕も思っていたところだ。

「えっと、僕は……」

「おい、やめとけ」

 突然、カグツチが横槍を入れる。

僕の名前を聞くのも嫌と言うのか。単細胞なだけでなく血が冷たいのか、この神様は。

「君、神に軽々しく名前を教えてはいけないよ」

疑惑の目でカグツチを見ていると、意外にもクロノスの声がそこに参加した。

名前を教えてはいけない?

「聞いたことがあるだろう、"神隠し"だ。名前は強力にその人間の魂と結びついているものだからね」

「え? えーっと?」

「名前を知られると、神に攫われちまうってことだ。命が惜しいならここにいる奴らには言わないことだな」

カグツチが分かりやすく補足してくれた。

「アイオロス、あなた人が悪いですよ。何も知らない人間に」

「人じゃないもん神だもーん」

 咎めるオケアノスを軽くかわしてアイオロスはケラケラと笑う。

 良心的だと思ったのに、とんだいたずら、というか下手したら命にかかわっていたかもしれない冗談を言われ、僕は心底ため息をつきたくなった。

「ごめんごめん、そんなに落ち込まないでよ」

「アイオロスさん……名前聞いてどうするつもりだったんですか、本当に神隠しするつもりだったんですか」

「かもねぇ」

「かもねぇって……」

 天然っぽい雰囲気なので癒し系だと思っていたが、第一印象というのは信用できない。

 その様子を見ながらクロノスが薄く笑みを浮かべている。この神様もいたずら好きだった。

 何かを思案するような顔をして、口を開く。

「でも確かに、人間くんに名前がないのは不便だね」

「……教えませんよ」

「そう身構えてくれるな。あだ名で呼ぼうって話さ」

 あだ名は良いのか。だとしたら合理的な提案だ。名前を教えなくて済むし、呼び方に困らない。

 でも僕が持っている既存のあだ名は、平凡な人間らしく本名に沿った単純なものばかりだ。「愛子」を「あいちゃん」と呼んだり「健人」を「ケンケン」と呼んだりするレベルのやつ。

 それなら本名を教えるのとさして変わらないような気がしてしまう。怖い。

「作ってくれるならいいですよ。元々あるのは教えません」

「もちろんそのつもりさ。何がいいかなぁ」

 クロノスが僕の顔をじっと見つめる。なんか恥ずかしいな。

 と、やはり二人の男が立ち上がって声を上げる。

「おいコラ人間んん! なにクロノスに付けてもらおうとしてんじゃ!」

「解せませんね。私だってまだ愛称を呼ばれたこともないのに」

「お二人とも怖い近い怖い!」

 ものすごい勢いで詰め寄られる僕。しかめっ面のイケメンが顔に押し寄せてくるのは迫力があるな。

というかこの二人、こういうところで息がぴったりだから仲がいいと思っちゃうんだよな。

「二人は本当に仲がいいねぇ」

「「良くない!!」」

 アイオロスが僕の気持ちを代弁してくれた。普通なら言えませんよ。いやしかし神様だからいいのか、神様同士なら言っていいのか。

 一方クロノスはいつの間にかカウンターの奥へ向かっていて、

「それじゃ、決めといてよあだ名」

 と言って部屋に消えていった。

 分かってはいたが僕のあだ名はあればいいと思っただけで、付けたいわけではないみたいだ。むしろ何でもいいからつけろ、といった感じだ。

 若干残念なような。たぶん残ったメンツが不安な神様しかいないからだ。

「そうだな~、人間くんだからぁ……ニン……ヒト……」

「待って、そこから生み出すのやめてください、アイオロスさん」

「でもよ、分かりやすいのがいいぜ、こういうのは」

「そうですね。何かこの人間の特徴を示すような……」

 顔を二人に見下ろされ、横から覗かれる。そのまま黙って見られ続けた。

なめるように見るとはこのことだ。初めてされたな。

「……」

「……」

「……」

「……ごめんなさい」

 あまりに三人が何も言わないので、僕は耐え切れず謝ってしまった。みんなの顔に書いてあるのだ。

「僕、特徴ないんです……」

 僕は平凡な顔立ちに平凡な体格、人生すらも何もかも平凡な野郎なのである。僕から特徴と言える特徴を引きづり出そうというのは、白昼の星と言うべき至難なことだ。

「ええい、そんくらいで謝ってんじゃねえよ! 今考え中なんだ!」

「もはや『ごめんなさい太郎』でいいんじゃないですか? 日頃から腰が低いように見えますし」

「え、それはちょっと」

 あまりにも安直かつセンスのかけらもないあだ名で、思わず反論してしまう。

 オケアノスは整った顔を曇らせて「駄目ですか?」と聞いてくる。なんで顔だけ無駄にいいくせにセンスは絶望的なんだよ。

「おい海坊主、それじゃあ長くて呼びづらいだろうが!」

 否定してくれたのは嬉しいが、長いとかの問題じゃない。

「でも発言について考えれば……そういえば会った時にやたらと質問に『はい』と返す野郎だったな。『はい太郎』はどうだ?」

「嫌です」

 二人とも悪い神様ではないというのは何となくわかる。きっと真面目に答えてくれているんだということも分かるのだが、「~太郎」から離れてくれないだろうか。

 そもそも「はい」って言い続けてたのもクロノスに言われたからってだけだ。

 その時ずっと黙って思案していたアイオロスが口をはさんだ。

「『はい太郎』ってのは確かにないけどさ~、英名に変えて『イエス』はどう?」

「イエス? イエスって……」

 僕でも知っている。

いや、あんな方の名前をあだ名に背負うなんて恐れ多すぎる。僕は何万いや何億という人々の信仰を一身に浴びる神の子ではないぞ。

「お、いいじゃん。短いしなんかしっくりくるな」

「どこかで聞いたことある名前ですけど、いいでしょう」

「決まりだね」

 丁度クロノスが現れて、困惑している僕をさし置き議論に終止符が打たれる。

 彼女は実に面白そうな笑顔で僕の新しい名を呼んだ。

「よろしくね、イエス」

 僕はその顔に、「はい」としか言えなかった。

 そうして反対の余地はなくなった。


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