クロノス=カフェへようこそ!
日向夏よの
第1話 初来店
『クロノス=カフェへようこそ!』
僕はその看板に書いてある日本語に目を疑った。
ここは日本の東北地方にある人気のない山奥なのだ。
こんなところにカフェがあるはずがない。
しかし目の前にある建物の中からはコトコトと何かが煮える音がするし、煙突からは白い煙がもくもくと立っている。
建物と言っても僕のよく知るものではない、一般的な日本家屋でも、西洋家屋でもない。壁の一部は丸太で作られているので強いて言えばログハウスに近い。けれど、
「でかっ……」
その屋根代わりとなっているのは見上げても先が見えないような大きな広葉樹で、緑の葉っぱが空を覆い尽くしている。カフェは根元の裂け目に顔をのぞかせるように立っていた。
なんと自然を利用したつくりだろう。
妖精でも住んでいるのか?とメルヘンチックなことを考えたくなるような雰囲気だ。小さい妖精ではなく人間サイズだが。
僕は赤茶けた木のドアの前でしばし悩んだ。
妖精ならば、平凡で無気力な日々を送っているしがない人間の僕を受け入れてくれるのだろうか。
すると、自分で答えを出す前にドアが音を立てて開いた。立てつけ悪いんだな。
「お客さん? 中入らないの?」
中から出てきたのは腰に黒いエプロンを巻いた黒髪黒目の黒づくしの女性。妖精じゃなかった。
「あー、ここ、カフェなんですか?」
「そうだよ。看板見なかった?」
あくまでお客にフランクに対応するらしい。なぜか僕の方だけが敬語を使っている。
「立ち話も何だし入りなよ。それとも急ぎかな?」
「あ、いえ、入ります」
促されるままに足を踏み入れる。中に入ると同時にふわっとコーヒーの匂いがした。
僕は生まれてこの方コーヒーを飲んだことが数回しかないけど。たぶん片手でおさまる程度。
「さあお好きな席に。今日は君が最初のお客だ」
見渡すと確かに僕以外に客はいない。まあ、こんな山奥に来る変人なんてそういないよな。……何故か自分をディスってしまった。
客のついでに店員もいないので、どうやら女性は店主らしい。
「じゃあカウンターで」
「はいよ」
店主はカウンターの席を引いて僕を招く。その動作はなんともキザだが様になっている。女性なのに僕より男子力(?)が高いようだ。
カウンターの内側に回り込み、店主は手際よくサイフォンのコーヒーをカップに注いだ。
「あ、僕コーヒーは……」
「苦手かい? 初来店だから奢ろうかと思ったけど」
「奢りですか?」
苦いから敬遠していたけど、奢りという言葉に僕の貧乏性がついつい反応してしまう。
考えてみれば世界で愛されている飲み物だ。本格的な道具もそろっているカフェなら、僕のコーヒーの今までの印象をガラリと変えてくれるかもしれない。
「それなら有り難く頂きます」
「現金だね。人間らしくていいと思うよ」
ここの店主はどうやら、お客様は神様です精神はマジでないらしい。というかお客でなくとも初対面でこんなに正直なのって逆にすごいな。
特に嫌な感じではないので怒ることもなく、僕は目の前に丁寧に置かれたコーヒーを飲んだ。
「…………ッッ」
その味は僕のさっきまでの期待を裏切るのに十分な破壊力だった。
しかし日本男児たるもの女性の出した飲み物を吐き出すわけにはいかない。
僕は静かにカップをソーサーへ戻した。
「他に何か頼むかい? 何でもあるよ」
何とか黒い液体を飲み込んで、置いてあったミルクと砂糖に手を伸ばした。
「そ、そうですね。何か食べるものとかありますか?」
「うん。何が食べたい?」
店主との会話の最中に、さりげない動作でミルクを注ぐ。コーヒーがあんまりな味だから他のもので味を打ち消しているなんて知られたら傷つけてしまう。
「メニューはないんですか?」
「メニューね、昔置いてたんだけど、面倒くさくて」
「面倒くさい?」
「書くのが途中から面倒になったんだ」
そうか、と僕はこの店内を見回す。天上につりさげられているランプには、火がともっていた。
何度も繰り返すがここは山奥。東北の中でも田舎の中の田舎、というか人すらいない自然界。
どうしてこんなところに建てた(建てられた)のかは不明だが、電気は通っていないはずだ。ならばパソコンを使えるはずもなく、メニューは手書きするしかないのだろう。
「何か甘いもの……ブルーベリータルトとかどうかな? みんな好きなんだ」
「じゃあそれで」
評判のものならまず間違いはない。店主のおすすめに素直に従うことにした。
胸に手を当ててぺこりと丁寧にお辞儀をすると(こういう時はちゃんと店主らしい)、店主はカウンターの奥にある部屋へと姿を消す。
よく見ると髪が長い。低い位置に一つに結っている黒髪が背中に垂れているのが見えた。
「そういえば、みんなっていうことはそれなりに人が来るんだな、ここ」
今の時間は昼前。あと一時間ほどたてば誰かしら訪れるかもしれない。
いや、毎日人が来るわけではないか。店も曜日を決めたりして営業しているんだろう。
たまたま開いていた日にここを通りかかったのは、ラッキーなのかアンラッキーなのか、さてはて。
「出来たよ」
店主が皿にワンホールタルトを持って戻ってくる。
出来た、と言うとまるで今作ったようだが、もちろんタルトを作るような時間はなかった。
「本当に美味しそうですね」
「もちろんさ。コーヒーと違ってね」
「えっ」
ドキリとして反射的に店主を見る。いたずらっぽく口の端が上がっていて、僕の心を見透かしているようだった。
「えーっと……」
「いや、からかって悪かった。みんなから散々文句を言われているんだよ」
「え? 確かにひどい味だけど……あ、」
フォローしようと思っていたのに逆のことを言ってしまった。
けれど店主は気にしていないようで、タルトをワンピースに切り分け二つのお皿に分ける。
「さあどうぞ」
「い、いただきます」
たくさんの紫色のつぶがキラキラと輝いてこんがりと焼けた生地の上に乗っている。
僕が普段使っている安物よりも少し重さがあるフォークを手に取り、一口分に割ってそうっと口に運んだ。
「!」
「どうだい?」
「……とっても美味しいです!」
僕が食べたこの世のタルトの中で一番と言っていいほどの美味しさだ。
コーヒーの味を差し引いてもお釣りがくる。この店が愛される理由が分かった瞬間だった。
店主は自分の分に切り取ったタルトを食べながら言う。
「あらかじめ言っておくよ。今から来る奴の言うことには全部“はい”と答えてほしい」
「え?」
「面倒なことになるからねぇ」
「それってどういう――」
僕が質問を言う前に、木のドアが乱暴に開かれた。
ドタドタと足音を大きく立てて近づいてくる人の気配に、僕は振り返らずにはいられなかった。
「クロノス! お前また俺の知らない男連れ込みやがって! しかもなんだ、人間の匂いがしやがる!」
僕の席の真後ろに立ったその人物は真っ赤な着物を着た髪の長い大柄な男。イケメンだが口が悪いな。
「騒がしいよ、カグツチ。コーヒーを入れてやるから座りなさい」
「いらん! お、俺はコーヒーはどうも苦手なんだ!」
あ、この人いい人っぽいな。
今時珍しく顔に入れ墨になんていれてやーさんっぽいけど、カグツチというこの男、店主改めクロノスを気遣っているみたいだ。
しかし変わった名前だ。カグツチはまだしも、クロノスはヨーロッパ方面の名前っぽいが、彼女の顔立ちは日本少なくともアジアだ。
「それより、おいお前!」
「はい?」
クロノスから肯定で答えるようにと言われた質問は、カグツチが尋ねてくるようだった。
「お前、人間だな? たまたまここを通ったわけではあるまい」
「はい」
人間だと言うのは合っているが、通ったのは偶然です。
「クロノスに招かれた、ということだな?」
「はい」
ドアの前で入るのを促されはした。
「ではもしや、クロノスの男……?」
「……はい」
いや、これ肯定しちゃっていいのか。
面倒なことになるとか言っていたけど、絶対この方が面倒になるぞ。
僕が思った通り、目の前に立つカグツチがわなわなと怒りで肩を震わせている。
「くっそぉぉぉーーーっっ!! 俺という男がありながら、ついに人間まで手に出すなんてぇぇぇ!!」
カグツチは筋肉質な両腕を高く振り上げた。
なんか彼の周りに火の玉が見える気がするし室内の温度が一気に上がった気がする。
え、こういう時にかくのって冷や汗じゃないの?
「クロノスさんはそもそもあなたのものではありません」
その時鋭い男の声が店の玄関口から放たれた。
僕とカグツチが目をやると、そこにはすらりとした背の高い水色の布をまとった男性が立っている。布と言うのは僕のボキャブラリーが足りないせいだが、分かりやすく言うと古代ローマ人が着ていたような、布と腰巻だけの簡易な服だ。
「またお前か海坊主め! 今日はお前のすかした面見ずにすむと思ったんだけどよう!」
「海坊主ではありません、オケアノスです。それにそれはこっちの台詞ですよ」
はあ、とため息をつきオケアノスは近くまで来てカグツチと対峙する。
近くで見るとヨーロッパ系の白い肌に高い鼻で、やっぱりイケメンだった。ていうか僕を挟まないでほしいんだが。
「あなたが暴れるといろいろ迷惑なんです。クロノスさんのことを本当に思っているものならそんなことは致しません。ね、クロノスさん? 私の方がこの男よりよほど良いでしょう?」
問いかけられたクロノスはと言うと、タルトをのんきに口に運びながら、
「どうかな」
と、また口端を少し上げたあの笑みで返す。この状況を楽しんでいるとは、モテガールなのか、いやガールと言うよりはレディか。
「君もそう思うでしょう?」
「え……あ、はい」
僕に振るのか。どう答えようか迷ったけど、クロノスの言葉を思い出して用意された答えを返した。
「オケアノス……てめぇとははっきり白黒つけとく必要があるみたいだな」
「おや、負け惜しみですか?」
「クロノスは肯定してねーだろうが! ほら、表出ろぉ!」
「血の気の多い男ですね。これが私と同じ“神”を名乗ってるなんて虫唾が走ります」
そんなことを言いながらもオケアノスはカグツチの後をついて店の外に出ていく。
……なんかよく分からない人達だった。
“神”?
「そう。このカフェはね、神様が集うカフェなんだよ。人間くん」
「えぇ?」
クロノスまで変なことを言い出してしまった。
カグツチとオケアノスだったらギリ変人のコスプレコンビとして許容していたんだけど。
「クロノスさん、からかってますよね?」
「さあ、どうかなぁ。外を見に行ってみたらいいんじゃない?」
「外?」
外では二人が喧嘩をしているんだろうが、僕は平和主義者で暴力反対を唱える健全な日本国民。血なまぐさいシーンとか見たくない絶対。
とか思ってたら、すっごい音がした。
――ドォォン!!
――ゴシャァァ!!
「なになになにぃ!?」
「うん、始まった」
落ち着いた様子でクロノスが言うと、カウンターをひょいと乗り越えて僕の座っている方へ降り立つ。
そんな埃が立つようなこと衛生的にどうなの、と思っていると手を掴まれて扉に連れていかれる。
「ちょ、ちょっと」
「いいからいいから」
さっきから続けてものすごい轟音が鳴り響いている。
なんか外に出たらすごく危ない気がするよコレェ!
クロノスがドアノブに手をかけて押すと、その途端ものすごい熱風と水しぶきに当たる。
「でぇぇぇ!?」
僕は突然の奇襲に目を閉じたが、一瞬すごいものを見た気がするので、何のこれしきと瞼を根性で開ける。
飛び交う赤と青、それはカグツチとオケアノスの姿だった。
飛び交うってのは比喩とかじゃなくてマジで飛んでる。唖然。
「え? えぇ!?」
「絶景だろう?」
「絶景って……」
カグツチの周りにはたぶん僕の背丈より大きい炎の玉が、オケアノスの背後には水で出来た大きなドラゴンが舞っている。
確かにショーとしてはかなりの出来だ。だが、かつてこんなに観客を巻き込みかねないショーがあっただろうか。
二人の衝撃が、水と熱風を巻き起こし、周りの木々をなぎ倒している。
「これが“神”とやらの力なのさ」
「“神”……?」
「ちなみに私は何の神だと思う?」
「えっ、クロノスさんも神様なんですか?」
クロノスはもちろんさ、と口を動かした。その唇はやはりいたずらっぽく笑っていて――
あれ?
気付くと僕は、再び『クロノス=カフェへようこそ!』と書かれた看板の前にいた。
さっきクロノスと位置からさほど変わらないが、激しく戦っていた二人がいない。木々が倒れていない。平和な空気がそこには流れていた。
「???」
夢だったのか。立ったまま寝たのか、僕。
頭が混乱する中で扉の前まで行くと、僕が開く前にその戸は開いた。音がギギギと立つので、やはり立て付けが悪いようだ。
ひょこり、と黒尽くしの店主、クロノスが顔を出す。
「どうだい?」
僕は問いかけの意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。
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