第12話 夜更けの会話

 眠る時は、母親が頭を撫でてくれていた。

 その手のぬくもりは、いつでも傍にあるものだと信じて疑っていなかった。

 離れ離れになってみて、初めて、分かる。

 当たり前だと思っていたものは、実は全然当たり前でも何でもなくて──凄く恵まれたことだったのだということを。

 ロネは身じろぎして、毛布を手繰り寄せた。

 寒いわけではないのだが、心が寒さを訴えているような、そんな気がしたのである。

 ……お母さん。

 胸中で、呟く。

 鼻頭が熱くなる。瞳の奥から込み上げてくるものを、彼はぎゅっと強く瞼を閉ざして追い払おうとした。

 でも、駄目だ。

 湧き上がる感情を誤魔化すことなどできない。

 手の甲で目元を拭い、彼は静かに目を開けた。

 最初に目に飛び込んできたのは、銀色の髪だった。

 間近で見ると綺麗な絹糸のような髪だ、と思いながらそれを見ていると、視線の存在に気付いたのか、アノンは掛けていたゴーグルの位置を直しながら静かに問うてきた。

「──眠れないのか」

「……うん」

 素直に頷くと。

 彼は座っていた椅子からずるりと降りて、ロネのすぐ傍に座を移動させてきた。

「寝物語のひとつでも話せれば良かったんだがな」

 肩を竦めて、言う。

「じきに慣れるさ。この生活にも、寝床にも」

 ロネの隣で寝息を立てているミラノを見る。

「これから、長い時をかけて此処を開拓していくんだからな」

「……お兄さん、は」

 ロネはゆっくりと上体を起こして、アノンの顔を見つめた。

「強いんだね」

「アノンだ」

 アノンはゴーグルをついと持ち上げた。

 黄金の、猫目石のような色合いの瞳。それがロネの顔をじっと見つめている。

「俺が特別強いなんてことはないさ。俺だって人間なんだ、弱音を吐きたくなることもある」

「そうなの?」

「此処の開拓が終わるまで、無事にあんたたちを護りきれるかどうか。分からないのが、不安と言えば不安だよ」

 長い銀の睫毛を揺らして、彼は微苦笑混じりに呟いた。

「俺が持つ剣は『業の武器』なんだ。齎してくれるのは恩恵だけじゃないのさ。開拓が無事に終わった時──俺が五体満足で此処にいられるかどうか、それは分からない。ひょっとしたら、命すら取られてこの世からいなくなっているかもしれないな」

 血眼者と対等に渡り合う力を授ける代償として、生きるための力を糧として奪っていく武器。

 それが、彼が剣を『業の武器』と呼ぶ由来。

 それでも、その剣を持たざるを得なかった理由が、彼の中にはあるのだろう。

 ロネは椅子に立て掛けられているアノンの剣を見る。

 何の変哲もない見た目の武器が、魔物か何か、とんでもない存在のように彼の目に映っていた。

「仕事の果てに死ぬのだとしても──」

 アノンは淡々と言葉を続ける。

 まるで、自身の決意を改めて自分に言い聞かせているかの如く。

「あんたたちを護りきって死にたい。そう、思っている」

 ふ、と口元を緩めて、彼は声のトーンを僅かに上げた。

「……あんたみたいな子供を相手にする話じゃなかったな。忘れてくれ」

「……他の人は知ってるの? 今の……その、死んじゃうって話」

 ロネが尋ねると、アノンはかぶりを振った。

「話してないが……言わなくていい」

「どうして?」

「大人は色々と面倒だからだ」

 彼は肩を竦めた。

「俺の能力が制約付きだと知ると、使いたがらないだろう? 狩りをする時の障害にもなる。それは得策じゃない。だから知らせない方が都合がいいんだ」

 剣の一振りが命を削っていると知れれば、大人は人命尊重のために他の手段を模索しようとするだろう。

 それが鬱陶しいと、アノンは思っているのだろう。

「どうか、今の話はあんたの胸の中にしまっておいてくれ」

「……うん」

 それで本当にいいのかな、と思いつつも、ロネは首を縦に振った。

 ああまでアノンが言うのだから、何か大人の事情というやつがあるのだろう。そう思うことにしたようだ。

「──さあ、明日から忙しくなる。あんたはもう寝てくれ」

「アノンは? 寝ないの?」

「夜でも血眼者は出るからな。俺は寝ていられないんだ」

 狩人が2人いればまた違ってくるんだろうが、と呟いて、彼はロネの身体に掛かっている毛布を左手で持ち上げた。

 大人しく横になるロネ。その胸元にまで毛布がしっかりと掛けられる。

「おやすみ」

 アノンから掛けられる優しい言葉。

 ロネは目を閉ざして、小さく返事をした。

「……おやすみなさい」

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