魔王城のシェフ 黒竜のローストからはじまる異世界グルメ伝

ファミ通文庫

前菜代わりのプロローグ

探求しろ、と『師匠』は言った。

 ―― 探求しろ、と『師匠』は言った。

 世界を隅々まで巡り、未知なる食材、未知なる調理法レシピ、未知なる料理、未知なる味を知り、咀嚼し、呑み下して糧にしろ……と。

 世界は広い。師匠の元で五年修行し、様々な知識や技術を叩き込まれたシイガだが、それでも到底学びきれないほどに、料理の世界は広大で、奥深いのだ。


 だから、シイガは旅に出た。お世話になった師匠の元を去り、これからは自分の足で歩いていくと決めたのである。

 果てなく険しき『料理人』の道を ――


                 ◆ ◆ ◆


「こいつは、やべえ……」


 左右を崖に挟まれた深い谷底。人気のない一本道で、シイガは一匹の〈魔物〉と対峙していた。


 巨大な翼をはためかせ、紅玉のような赤い眼でこちらを見下ろしているのは、全長が人間の十倍近くもある漆黒のドラゴン。体を覆う分厚い鱗は鎧のようで、四肢に備わる鋭い爪はロングソードを束ねたようだ。それに対して、


「すげえなあ。お前、この山の主? 名前は? ……って、魔物に言葉は通じねえか。殺る気まんまんみたいだし」


 ——シイガは、丸腰。防具すらまともに装備しておらず、前留め式の白い衣服に赤いスカーフ、前掛けくらいしか身につけていなかった。いずれも布製であり、危険な魔物が多く生息するここ〈グラント山脈〉を歩く者の格好ではない。


 無謀で無防備な『餌』を前にし、黒竜が吼える。


 直後。地面に立つシイガ目がけて、潜るように急降下してきた。

 シイガは黒竜を限界まで引きつけてから横に跳び、喰らいついてくる腭を避ける。

 黒竜の翼膜が淡く輝き、巻き起こされた突風が刃のごとく襲いかかった。


「ぐあ!?」


 かまいたちを生む風魔法〈ウィンドカッター〉だ。不可視の刃に切り刻まれながら、勢いよく吹っ飛ばされる。背中から岩壁に叩きつけられ一瞬、呼吸が止まった。


 そこへ再び、黒竜が襲い来る。右前足の爪を振るうとそのまま体を回転させて、長い尻尾を鞭のように薙いできた。


「おわああああ!?」


 転がりながら爪を回避し、跳びあがって尻尾を躱す。

 刹那、背筋に悪寒が走った。振り向く黒竜の眼がシイガを捉え、牙の隙間から火炎の息がこぼれ出る。


「ブレス!? やべっ——」


 咆哮と共に吐き出されたのは灼熱の吐息だ。喉の奥からあふれた炎が熱風となってほとばしり、着地間際のシイガを襲った。


 谷底が紅蓮に染められ、ブレスの余波で大地が焼ける。その直撃を喰らったシイガは消し炭と化し、骨も残らず燃え尽きたかに思われた。だが、


「あちちちち……ったく。丸焼きになるとこだったじゃねえか、この野郎っ!」


 激しい炎が止んだ後に現れたのは、巨大な黒い円盾だった。

 軽い火傷を負いつつも、どこからともなく取り出された防具で竜の息吹を真正面から凌いだシイガに、黒竜がたじろぐ。しかしすぐさま気を取り直し、大きく息を吸い込むと、上体を反らせた。


 赤熱するまばゆい光子が、黒竜の口元に集まる。火炎魔法とブレスの複合技だろう。真っ向から受けるのはまずそうだ。なら、


「攻守逆転といこうか?」


 シイガは重い盾を捨て、体内の魔力を足に集中させると、赤光が撃ち放たれる寸前に跳躍。強化された脚力で崖を蹴りつけ、さらに跳ぶ。


「……残念だけど」


 谷底を爆炎が舐め尽くす中、黒竜の頭上を取ったシイガは、足から腕へ魔力を移動。振りかぶった両手を、虚空——魔法で作られた『異空間』に突っ込み、武器をずるりと引きずり出した。


 まず現れたのは、大剣の柄らしきもの。続いて幅広の刀身が、引き抜かれつつ目にも留まらぬ疾さで振り下ろされる。


「狩られるのはお前だよ。ぶつ斬りにしてやらあっ!」


 ——ズパァン! 硬い鱗もなんのその、斬り飛ばされた黒竜の首が高々と宙を舞い、鮮血を噴く胴体がゆっくりと倒れた。


「ふう。なかなかの強敵だったな……」


 吐息混じりに呟いて、地面に深々と刺さった刃を引き抜く。刀身だけでシイガの身長くらいある両刃の長大な得物だ。


 それを片手でぶん回し、こびりついた血を大雑把に振るい落とすと、シイガは改め

 て黒竜を見た。


 地面の上で元気にビクンビクンしている胴体は、まだしばらく死にそうにない。そのしぶとさに感心しながら、シイガは「さて」と得物を担ぐ。


「そんじゃ悪いけど、生きてる間に解体させてもらうぜ? 肉は鮮度が命だからな……ちゃっちゃと血抜きしちまおう。〈グラヴィティバインド〉!」


 重力魔法で獲物を逆さ吊りにし、シイガが断面から血を搾っていると。ふいに、声が聞こえた。


「ク、クロ……」


「——あん? うおおっ!?」


 背後に『痴女』が立っていた。山を歩くどころか、外を出歩くことすらためらわれるような、ほとんど裸同然の格好をした若い女性だ。

 白い美貌を驚愕に染め、紫の目をこぼれんばかりに見開いて、吊りあげられた魔物の屍体を凝視している。


「え、ええっと……?」


 通りすがりの冒険者だろうか。見るからに怪しげな女性だが、こちらも他人のことは言えない。シイガはひとまず、相手を安心させるべく笑った。


「はは、どうも。驚かせてすいません。ビビりますよね、こんな光景……けど、怪し

 いもんじゃないですよ? この魔物は、俺が倒したドラゴンで——」


 言いかけたとき、女性の目が黒竜からシイガに移動し、細められる。たったそれだけの動作で、シイガは心臓をわしづかみにされるような戦慄を覚えた。


「——ほう。そうか、貴様が……」


 唸る女性の体から、すさまじい量の魔力があふれ出る。黒い髪が翼のように広がり、瞳が光り輝いた。その重圧は、竜の吐息を凌駕する。

 シイガは即座に重力魔法を解除し、いったん得物を手放すと、飛びすさりつつ全力で防御魔法を唱えた。


「〈マジックシールド〉!」


いかずち


 女性がシイガに右手をかざし、短く呟く。

 すると瞬間、手の平に浮かんだ魔法陣から漆黒の雷撃が放たれ、幾重にも展開された魔力の盾を安々と貫いた。


「……っ!?」


 目を剥くシイガに正体不明の雷魔法が炸裂し、爆ぜる。

 悲鳴をあげることすら、できない。吹き飛ばされて地面を転がり、ピクピク痙攣していると、女性がずかずか歩み寄ってきて、シイガの頭を踏みつけた。


「おい。無事か?」


 ぐりぐりと、ブーツのかかとでにじりながら、そう訊いてくる。人の安否を気にする奴の態度じゃなかった。


 足をどけろと言いたかったが、体がしびれて動けない。女性の顔をにらみあげるので精いっぱいだ。


 シイガに殺意を向けられた女性が「おっ」と嬉しそうにする。


「良かった良かった、生きておったか。死んでしまったら、どうしようかと思ったぞ? 貴様にはたっぷりと苦痛を与え、嬲り殺しにしてやるからな……楽には死なせん。覚悟しておけ!?」


 いや、その心配の仕方はおかしい。というか、


「……俺が、あんたに何をした?」


 しびれは徐々に薄れてきていたが、まだ声を出すことさえ辛かった。それでも根性で歯を食いしばって尋ねると、女性は唇を噛み、離れたところにぽつんと転がっている首を見ながら、うめくように言う。


「クロを殺した」


「クロ?」


「我の可愛い配下だよ。ブラックバハムートのクロ……」


 ——配下? 何を言ってるんだ、こいつは。服だけじゃなく頭もおかしいんじゃないかと思ったが、シイガにはある予感があった。


「なあ。もしかしてあんた、魔族か?」


 魔族は元々〈魔界〉と呼ばれる世界の住人であり、圧倒的な力で以て現在この世界を征服しようとしている者たちだ。


 異常な魔力に異様な魔法、凶暴な魔物を飼い慣らすという芸当も、この女性が魔族

 であるなら納得できる。豊かな胸の半分以上を露出した上半身に、ほぼ丸見えの下半身、へそまで晒した痴女同然の装い——は、それでも理解不能だが。


「……ああ、そうだとも」


 いぶかしげな目を向けるシイガに女性はうなずき、そして明かした。シイガの予想を遥かに超える、とんでもない正体を。


「我が名はルイーナ・イルエンデ。この世界と貴様ら有象無象に破滅をもたらす、魔族の女王。即ち〈魔王〉さまだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!