先生。

眠たくて眠たくて仕方なかった。

教師の声をBGMにゆっくりと眠りに落ちそうになる。

授業なんてどうでもいいし、教師は嫌いだった。

まるで生徒の事を知ったように決めつけて話し、全ての行動を制限する。

そんな教師達が大嫌いだった。


しかし一人だけ汚い大人達の中に素直で屈託なく笑う爽やかで優しい人がいた。

たまに意地悪に笑うけど生徒の事を一番に考えてくれる先生。

私はあの人に会う為だけに学校に来てると言ってもいい。


週に二回、三限と五限の体育の時間だけに会える。

今日もあと二時間後に会える、そう考えるだけで楽しみで目が覚める。


あぁ、なんて単純なんだろう。

先生のジャージと同じ色をした空を見上げまた瞼を下ろす。

いつの間にか二限目が終わり待ちに待った時間が来た。

誰よりも早く着替えて体育館に行くと体育の準備をする先生がいた。

ゆっくりと一つ深呼吸をして扉を開けると先生が振り向いて私を見つめる。


「おっ、吉永早いなー」

「先生も早いですね」

「まぁな。丁度よかった。手伝ってくれ。」

「あ、はい。」


先生と一緒にボールを運び出す作業を続ける。

周りの先生よりまだ若い先生は色んな先生にペコペコしてるけど一番キラキラしててかっこよく見えた。


「先生って結婚してるんですか?」

「結婚どころか彼女もいないよ。」

「えっ」

「でも、欲しいよなぁ。」

「なんですか、その言い方。」


先生があまりにもしみじみと言うから思わず声を上げて笑う。

ひとしきり笑った後先生を見ると、こちらを優しく微笑みながら見つめるから恥ずかしくなって顔を逸らした。


「…吉永は彼氏とかいそうだけどな。」

「…いません。でも叶わない恋をしています。」

「叶わない恋か…俺だったら絶対に叶えるな。」

「強気ですね。」

「諦めたくないから。」


先生の力強く真っ直ぐな瞳を見て先生に好意を抱かれてる人が羨ましくなった。

その瞳を私に向けてくれたら、なんて。


生徒になにを言ってるんだろうな。

そう言って笑う先生の顔を見て胸が苦しくなった。

口から溢れそうになる想いを必死に飲み込んで深呼吸をする。

ガラガラという音と共に開いた扉から生徒が入ってくる声が聞こえた。

行こうか。

そう言われて少し頷いていつも通り体の弱い私は体育館の隅に座り見学する。


ねぇ、先生。もしかして絶対に叶わない恋をしていても絶対に叶えたい相手ってこの中にいるの?

先生の周りを取り囲むかわいい女の子達の中にその子はいるの?

叶わなければいいのに。

私が一番好きなのに。

私だけを見てほしいのに。

そんな酷く醜い私の心に嫌気がさす。


先生が好きでずっと見続けてきた。

でも先生を振り向かせることに疲れた自分がいた。

もうやめよう。

やっぱり先生を好きになるなんてダメだったんだ。


その日から私は先生を諦めることを決めた。

卒業まで、あと三ヶ月。

十二月の雪の降る寒い昼間のことだった。



それから数ヶ月が経ち、卒業式当日となった。

卒業式もホームルームも終わって最後のチャンスとでも言う様に告白をする人がおり、私にも数人の男の子が告白をしてくれた。


それでも先生のことが忘れられない私はどれも答えられなかった。


全てが終わって誰もいなくなった教室に一人で残る。

卒業式が終わってすぐ学校一人気の男の子に呼び出された。

全てが終わった後、四時に教室で待っててください。

周りが悲鳴をあげる中、私は通り過ぎて行く先生を目で追うことしか出来なかった。


西日が射し込む教室の中、窓の外を眺めていると教室の扉がゆっくりと開いた。

少し緊張した面持ちの村上くんがゆっくりと入ってきた。


「…吉永さん。」

「…はい。」

「あの、好きです!付き合ってください!」


真っ直ぐと私を見つめる瞳。

でもその瞳の中に先生と同じ強さは無かった。

どうしても先生と重ねてしまう私の答えは同じだった。


「…ごめんなさい。私ずっと好きな人がいるんです。」

「そっか…」

「…ごめんなさい。」


頭を深く下げた時、村上くんが私に言う。


「…ねぇ、その好きな人ってさ、体育の山中先生でしょ?」

「…どうして?」

「前から薄々気付いてたよ。アイツを見る目が他と違うことくらい。」

「………。」

「ねぇ。これをさ他の先生に言ったら、アイツどうなるかな?」


その言葉に自分の頭がカッとなったのが分かった。

村上の脅すような言い方が気に食わない。


「何言ってるんですか、私が勝手に想ってるだけで先生は関係ないでしょう!」

「吉永さんがそう言ったって俺が一言あることないこと言ってしまえば教師って案外信じるもんだよ?」


そう言って笑う村上くんの顔は酷く歪んでいた。

こんなのが一番人気なんてありえない。

ただの猫かぶりだ。


「ねぇ、叶わない恋なんかやめて俺にしときなよ。」

「嫌です。」

「教師と結ばれるなんてこと普通ないって。吉永さんも分かってるでしょ?」

「…っそれでも私は先生を諦められない」

「へぇ…でも俺のモノになってもらうよ。」


一歩一歩距離を縮めてくる村上くんに私はじりじりと後ずさるが背中に冷たい壁の感触がし、追い詰められたことに気付く。

無理矢理近づいてくる顔に自然と視界が滲む。


「やめて…」

「はぁ?」

「っ、助けて…先生…」


先生を呼んだって来るはずないのに呼ばずにはいられなかった。

後少しで重なる顔に目をつむった時、勢いよく教室の扉が空いた。


「…村上。そこで何してる。」

「げっ…山中…」

「先生を付けろ。その行為は同意の上なのか?俺にはそう見えないんだが。」

「いや…その…」

「今大人しく帰れば無かったことにしてやる。吉永もそれでいいか?」

「は…い」

「ちっ!」


最後に舌打ちをして村上くんは荒々しい足音を立てながら去っていった。

私は張り詰めていた緊張が解け、腰を抜かして座り込む。

それを見た先生が慌てて私に近づいてくる。

久しぶりに近くで見る先生なのに滲んだ視界では何も見えなかった。


「吉永…。もっと早く助けてやれなくて悪かった。」

「…いいえ、大丈夫です…」


震える声を必死に抑えて話す私に無理はするな、と言いながら隣に腰かけた先生が頭を撫でる。

先生の手は暖かくて、大きくて私の恐怖心を沈めるには十分だった。


ぼろぼろと零れる涙と共に先生への恋心も少しずつ溢れた。


好き。好き。好き。


どうして私は生徒で先生は先生なんだろう。

どうして私はもっと早く生まれなかったの。

先生と同じ立場で出会いたかった。

後悔と先生への想いは溢れ、頭の中はキャパオーバーだった。


「先生。」

「ん?」

「今から言うことは全部忘れてください。」

「え?」


キョトンとする先生の目を見つめながらゆっくりと深呼吸をする。

先生は優しく真っ直ぐ見つめてくれる。


「先生、私先生のことが好きです。」

「えっ…それは…」

「何も言わないでください。」

「……。」

「いけないことだと分かっています。でも好きになってしまったんです。叶わなくたっていいんです。私が先生を好きなことは変わりませんから。」

「…一つだけいいか?」

「…はい。」

「どうして俺だったんだ?」

「…先生だけだったんです。正面から私を見てくれたの。」

「俺だけ…?」

「…体の弱い私は先生達にとって面倒な存在だったと思います。今まで腫れ物に触るような扱いを受けたり、逆に体の弱いことを責められたり…。私は好きでこの体になったわけじゃないのに。でも先生だけが私を周りと変わらず扱って、私の病気を否定しなかった。他にもその笑顔も、声も、全部好きなんです。」

「そうか…。」

「ごめんなさい…」


好きになって。そう言おうとした口を先生の手が塞いだ。


「その想いは大切なものなんだろう?そんなこと言うな。」

「先生…」

「俺も約束通り忘れるよ。」

「…はい。」


ありがとうごさいました。そう言おうとして見つめた先生はいたずらっ子の様に笑っていた。


「お前が生徒で俺がお前の教師でいる間だけな。」

「え…。」

「四月一日、この教室にこの時間においで。返事をしよう。」

「はいっ」

「それまでお別れだ。大丈夫か?」

「大丈夫です…。」


涙でぐしゃぐしゃな私の顔を見て笑う先生の顔は西日に照らされて今までで一番眩しかった。


それから一ヶ月後。

桜の花も散り始めている今。

私はあの時の教室の前に立っている。

扉を開けたらきっと今までと何もかもが変わる。

期待と不安を抱きつつ夕日と桜で包まれた教室の中に一歩踏み入れる。


あの頃と何も変わらない私の目を奪って仕方が無かった青いジャージ。

たまに意地悪なその笑顔。

先生でも生徒でも無くなった私達。


風に揺れる桜の木の音がする教室の中。

低く耳に響く大好きな先生の声。

その言葉にお互い微笑みながら影は一つになった。



間近に見えるその笑顔に私は今日も恋をする。

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